第15話 夜襲


「夜分、恐れ入ります。榊先生から言づてを預かって参りました」

 優雅な物腰、くそまじめな言葉遣い。

 テレーズである。

 お使いを果たすべく、あれからテレーズはまっすぐに京四郎の家へ向かっていた。

「これはどうもご丁寧に」

 住み込みの番頭、アルエンドが応対した。

「昼間に出没した妖魔の駆除が終わったので戒厳令を解除してよいと、それと先生は古い友人と再会して、ついでに飲み明かすので今日は帰宅しないと仰ってました」

「承り――」

「はぁぁ!?」

 女の叫び声がした。

「あのバカ、昨日家を空けないようにするって言ったばかりじゃないふざけてんの?」

 長い金髪の少女が、走りよってテレーズに食って掛かった。シャルロットだ。

髪を降ろした頭から湯気が出ているのは風呂に入っていたせいだろう。かすかに、石鹸のいい香りがする。

「私に怒られましても」

「古い友達って誰? 女?」

「男です」

「女じゃないのね?」

「ええ」

「そう。ならまーいいけど」

 いいと言いながらも、口調に不満がにじみ出ている。

「……怪我はしてませんよね?」

 一応丁寧な言葉に改めたのは、相手が年上だと今さらに気づいたためだろう。

「ええ。大丈夫です」

「夜遅くにわざわざありがとうございます。戒厳令の解除はすぐに手配します。ところで、お一人でここまで?」

頃合を見て、アルエンドが口を挟んだ。

「はい」

「少々お待ちください。お住まいまでの護衛を用意いたしますゆえ」

「いえ、一人でも大丈夫です。これでも榊先生の弟子ですから」

 一礼し、テレーズはきびすを返す。

 引き止める間も与えず、店を後にした。

 電灯が発明されてないこの時代。闇は、尋常でないほどに深い。

 道を照らすのは月と星。他にはない。

常人ならば、火を灯さねば数歩先も見渡せぬ。

街の治安もあまりよろしくない。妖魔が不定期に現われるし、追いはぎや辻斬りもたまに出る。身分に関係なく、許可も必要なく。金を出せば武器が買える世の中である。

とはいえテレーズのような超生物にとって、治安の悪さなど問題ではない。

「ほし……」

 ふと空を見上げ、テレーズはうっとりと呟いた。

 星が瞬いている。

地上から見える夜空の星は、宇宙船の中から幾度となく見た星虹(スターボウ)とはまったく違う。

アザトース、グルーン、ナイアルラトホテップといった神話上の神になぞらえられた星座の数々と、虹色の光が円環状に連なり光が前方に集う亜光速の世界。

どちらも美しく、けれどテレーズは前者が好きだった。

「平凡で穏やかな日々が続きますように」

 手を組み、目を閉じて、彼女は祈る。

 魔族にも信仰はある。信じるべき神もいる。

テレーズの信仰する神はヤヌアースといい、平凡と安寧を象徴していた。

ヤヌアースは鳥の姿をし、森林を好む。彼女が見上げたその先に、ヤヌアースをかたどった星座が輝いている。

「先生が無事でありますように」

また一つ、祈る。

『惚れたか?』

 と、ベルゼビュートは娘に聞いた。

 正直のところ、テレーズにはよく分からない。恋愛というものをしたことがないし、恋や愛という感情がよく分からない。

 ただ、尊敬はしている。

 京四郎と出会った頃は、彼に対してあまりいい感情を抱いていなかった。

 彼はヤクザの元締めであり、縄張りの人々から金を巻き上げ、売春宿を取り仕切り、春をひさいだ女の上前を掠め取っている。

 そんな噂話を聞いて正義感にかられ、テレーズは京四郎を探して一人になった時を狙い、斬りかかった。

 左腕を狙った刀は、あっけなく避けられた。

 手加減はしている。急所を狙ったわけではない。しかし亜音速の一撃だった。けれども京四郎はたわいなく避け、さらに右手で彼女の手首を掴んだ。

 態勢の崩れたテレーズの体は宙を回転し、腹部と頚部に衝撃を受けて視界が暗転した。

 人間を相手の、ありえない敗北。

 気絶から意識を取り戻した後、テレーズは襲撃の理由を聞かれて素直に答えた。

『悪人を成敗しようとしただけだ』

『そういう馬鹿は好きだな』

 京四郎は苦笑を浮かべた。

『ま、俺の話も聞け。聞いた上でぶちのめすかどうか決めてくれ。本気でやればお前さんの方がずっと強いんだ。そうだろう?』

『……』

 テレーズが聞いた京四郎の噂は事実であった。売春宿の経営も含めて。

 しかし事実の全てではなく、一つ一つに理由があった。

とはいえ、その場での彼の説明だけですぐに納得したわけではない。

 京四郎という人物についてはその後に紆余曲折を経て理解し、理解した頃には彼を先生と呼び弟子入りしていた。

わずか二年前の話だ。

「もう二年、というべきかしら」

 呟く。

「それにしても今日は――」

 色々な事があった。

 予知で見た映像通りに父親と会って話をし、京四郎と合流して一連の事件の話を聞いた。

ちなみに、そこで聞いた話は予知能力では見聞きしていない。全て初耳だ。

 おそらく盗聴防止にと魔王が作った閉鎖空間が、予知能力すらも遮断したのだろう。

 しかし父は、何故京四郎を助けに来たのだろう。

 京四郎の父に対する態度、父の京四郎に対する態度。それらから両者の親しさと、自分に対して何か隠し事があることが伝わってくる。

 それに昼間、妖魔を駆除する際に聞いた話。

 もしかしたら、父は――。

 不意に。

「あれ……?」

頬を、雫がつたった。

とめどめもなく涙が流れた。

己の感情を持て余して、テレーズは袂からハンカチを取り出して瞳に当てた。


「定時連絡。ニイニイ、サンマル。テレーズ氏、七分前にサカキ・キョウシロウの家を訪問。数分滞在し住人と会話。現在、夜道を徒歩で移動中。住処へ帰宅するものと思われる。認識ナンバー365374。以上」

『定時連絡、了解』

 テレーズから少し離れた距離に、光学迷彩で姿を隠した女がいた。

 ミストレス・マッセ・ブレンダ。

階位は大天使。階級は曹長。連邦から派遣された特殊警察職員である。

 彼女はテロ対象となったテレーズを監視し、そして警護する命を受けていた。

 テロリストの攻撃方法は上空からの砲撃のみとは限らない。テレーズは魔力を十分の一に抑える指輪を両手の指にはめ、力を本来の百億分の一にまで封じているのだ。白兵戦でも致命傷を負う危険は十分にある。

かといって、その封印を一部であれ外す許可は下ろせなかった。それは魔王の娘であるテレーズが人間の世界で暮らす為の枷であり、宇宙連邦本部が喧々諤々の議論の末に決めた事項でもある。要するに、彼女は未だに魔界の姫として扱われており、連邦を牛耳る天使からは信用されていない。許可が下りる事態は命にかかわる場合のみ、それも最小限だけだ。

(祈りとは、お気楽な……)

 ブレンダは思った。

 この数日テレーズに張り付いているが、警戒心が薄い。命を狙われている者、何かを企んでいる者は、周辺を注意するものだ。しかし彼女にはそんな様子がない。

噂に伝え聞く戦姫も平和ボケするのか――と半ばがっかりした一方、隠密での素行調査の難易度が低いのはありがたい。

(本日も何もなさそうだな)

 と、業務日誌に書く内容を頭で浮かべる。

「っ!?」

 背中を丸めた。

 その頭上を何かが通過し、わずかな風斬り音を残して飛び去っていった。

 何者、と誰何しようとする声を、すぐに抑える。テレーズに聞かれるのはまずい。

「本部へ通達。襲撃あり。敵の正体不明、現在警戒中。本部――?」

 小声で問いかける。

 が、インカムから聞こえて来る音は、雑音だけだった。

 気配。

「ぐッ」

 口から漏れたその声は、意図して発したものではなかった。

 脊柱と骨盤の結節点から下、下半身が上半身から離れた。否。斬られた。

 敵の姿は見えない。

(光学迷彩か)

 ブレンダは瞬時に切断された部分一帯の痛覚を遮断。

「飛翔」

 呪文を唱え、上半身で空を飛ぶ。

「くっ」

 飛んだ彼女めがけ、数本の何かが左肘に刺さった。鋭い痛み。苦無だ。しかし刺し傷ならばすぐにふさがる。切断された下半身も三秒あれば再生できる。

「ぬるい」

 背後から声がした。ハスキーな声。

「ひば――」

 呪文を唱えようとし、舌がもつれる。刺さった苦無から喉元にめがけ、引きつれるような感覚が走っている。毒を塗られていたらしい。

「性に任せて逍遥し」

 背中、左の肩甲骨あたりに手が当てられた。

 呪文だろうか。ブレンダの知識にはない言葉。

 ずぶりと、背中に当てられた手が身体に侵入する。心臓を文字通り掴まれた。

 冷や汗が、額を濡らした。

「何者だ、貴様」

 背後にいる人物に聞く。

「榊」

 短い言葉と共に、心臓を握りつぶされ。

 ブレンダは血を吐き、意識を失った。

 その後、彼女の首は切断され、頭蓋を砕かれ、全身を丹念に潰された後に油をまかれ火をつけられた。

「こんなところか」

 苦無を回収し、榊と名乗った者はその場を後にした。

 その夜。

 地上に派遣された数十人の特殊警察が、同様の手口での襲撃を受けた。


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