第14話 魔王となる条件

「そんなに怖い顔をするなよ」

 と、シュザンナ。

「怖いか?」

「怖いというか切羽詰っているというか。もう少し糖分をとったら?」

 お代わりの紅茶が注がれた。

 新しい茶菓子が出た。

 新しい紅茶は苦く、夏草の青臭さがむわりと広がる。

 茶菓子は山葡萄の載せられた甘いタルト。紅茶のクセの強さによくあっている。

 パイ生地の、サクサクとした歯ごたえが小気味よい。

「結論から言うと。京四郎が魔王になればこの件は全て解決する」

 一切れのタルトを食べ終えた頃、シュザンナが切り出した。

テーブルの上に肘をつき、手の甲の上にあごを乗せた行儀の悪い姿勢。

 京四郎の黒い瞳を見返して、彼女は続けた。

「正確に言えば完全に解決するわけではないが、納期を迎えてデスマーチが発動する問題は棚上げにできる。性急に検証実験をする必要もなくなり、うまく天使どもと交渉すれば身内を殺されることも避けられる」

「わかった上であえて聞くが、どうしてそうなる?」

「寿命が延びるからだ。今のままならどうあがいてもあと三百年程度で死ぬ。一方で魔王の寿命は半永久的に続く。勇者に殺害されない限り死ぬことはない。その勇者も、デスマーチがあればどれほど強かろうが返り討ちにできる」

「だが、新しく魔王になる為には今いる魔王を殺す必要がある」

「ええ」

「俺にお前を殺せってのか」

「そうだ」

 魔王を殺した者は、次の魔王になる。

ゆえに魔王は自殺する事ができず、殺されるまでは死ぬ事もできない。病気にもかからぬ。恒星の爆発に巻き込まれても、ウィルスや細菌などの意志なき者の侵食でも死ねぬ。

 それは神が定めたルールであり、絶望的な実力差を持つ天使側が魔王に直接手を出さない理由の最も大きなものであった。

「他人事みたいに言うな。死にてーのか」

「それで京四郎(あなた)が幸せになれるのなら」

「幸せ? かけがえのない相手を殺して何が幸せだ。気でも狂ったのか」

「そうしないと京四郎の最愛の相手が死ぬ」

「それがどうした。俺の問題だ。お前には関係がないだろうが」

「あるよ」

「ほう。どうあるんだ。言ってみろ」

「京四郎が不幸になるのは、私にとって死ぬよりも辛い」

「シュザンナ……」

 言いさし、京四郎は改めて絶句した。

 特別な相手だった。親しい、親友を超えた間柄だった。

共に狂った時代の中に生まれつき、敵を戦う日常を強制され、あがき、もがき、孤独を慰めあった。

京四郎は生まれてからすぐに、脳を摘出され改造を受け。

シュザンナは生まれる前から兵器に乗り、戦場に適応すべく実戦の中で肉体改造を繰り返し施された。壊れぬよう、発狂してしまわぬよう、京四郎が彼女の身体を改造した。

戦争こそが彼らの存在意義であり、呼吸するように殺戮した。武器を使い敵を屠り、味方をデスマーチの生贄にささげて生き返った。

彼らには、彼らしかいなかった。

悪魔ディアボロと、勇者シュザンナ。

京四郎にとってシュザンナは初めてできた友であり、シュザンナにとって京四郎は世界の全てだった。

彼女がいたから、京四郎(ディアボロ)は京四郎になった。

彼がいたから、シュザンナは人間(シュザンナ)であり続けられた。

「理屈ではない。私はお前に惚れたのだ。私が死ぬ事で惚れた相手の最愛の相手を失わずに済むのなら、何をためらう必要がある?」

「他に方法があるはずだ」

「あるかもしれんが、探している間にお前の最愛の相手が殺されるぞ」

「どうして言い切れる。デスマーチを検証するために俺を殺す事自体、憶測の話だろうが」

「そうだが、天使のやり口はいやというほど知っている。京四郎もそうだろう? 奴らは殺して脅す。従わねばもっと多く殺すぞと圧力をかける。先代の魔王の時も同じやり口だった。魔王を殺さなければ人類が絶滅するよう仕向け、ディアボロを使うように強要した」

「今回もそのやり口に乗れってか?」

「戦って勝てる相手じゃない。ましてやただの人間になった今、お前に何ができる? デスマーチを使うか?」

「そこはお前が考えろ。軽々しく死ぬのは許さん」

「おう」

 シュザンナ、脱力してテーブルに突っ伏した。

「そうくるか」

顔をあげて言う、声も表情も笑っている。

「自分の無力は嫌というほど知ってるぜ。かといって何もせずにただお前が殺されるのを受け入れられるか。お前、俺に惚れたと言ったな。俺だってそうだ。惚れた相手が自分のために死んで、この先の人生を罪悪感を抱えたまま生きろっていうのか? それこそ死んだ方がマシだ。たとえそれで俺の家族が助かるにせよ、無関係なお前を巻き込んでのうのうとしていられるほど図太くねえぞ俺は」

「かつて私たちは、魔王に勝つ為に数千兆の人間を生贄に捧げたわけだが」

「それがどうした」

「いまさら、誰も死なないで済むような都合のいいやり方があると思ってるのか?」

「俺だけなら死んでもいい」

「それは私が嫌だ。となるとやっぱり誰も死なない方法を考えるしかないな。んー」

「腑に落ちん点がある」

「何かな?」

「おかしいだろう。俺を魔王にしたいなら俺を何回か殺せばいい。何回目かのデスマーチの発動で、お前が生贄になり俺が生き返る。つまり俺が魔王を殺すってことになる。必然的に俺が次の魔王になるはずだ。だが奴らにはそれができない事情がある。俺たちでも突ける弱みがあるはずだ。違うか?」

「……。盲点だった」

「うそつけや。どう誤魔化すか一瞬表情を選んだろ今」

「し、か、た、な、い、なー」

「何を隠してる?」

「口が裂けても言えない」

「ほぉ」

「くふ。私を拷問してみるか?」

 ルビー色の瞳が妖艶な輝きを帯び、口元に妖しい笑みがたたえられる。

「たたんわアホ」

「どうかな。試してみるのも面白い」

 流麗な動作でシュザンナが立ち、京四郎の膝の上に座る。

止める間も、有無を言う隙も与えぬ。

「動けるか? 動けないだろう。ここは私の世界だ」

 するりと。

 藍色のドレスが脱ぎ捨てられ、少女の素肌があらわになる。

 青い静脈の浮かんだ、病的なほどに白い肌。銀色の髪が胸にかかり、ほっそりと膨らんだ乳房の頂点を隠していた。

「知っているよ。京四郎の気持ちは」

 やさしく、男の頬を撫でる。

 切なげな、どこか哀しさを帯びた声で、囁くように少女は言う。

 頬にかかる息は、熱を帯びていた。

「だけど。私は女で、京四郎は私にとっての思慕の対象だ。つれない態度をとられるのは、正直傷つく」

 愛しい男の背中に手を回し、華奢な手で肩甲骨のあたりを撫で付ける。

「できるなら、京四郎の子供が欲しい」

 声を出す事もできず、京四郎はされるがままだった。

いや、たとえ喋れたとしても、何も言うことはできなかっただろう。

 生まれてから人間としての死を迎えるまで、彼女には京四郎しかいなかった。

 ほかは例外なく死んだ。二人の手で殺したのだ。

そんな少女の想いは純粋で、真剣で、そして自分に体重を預ける少女の身体は、この上もなく魅力的だった。

いっそ身を委ね、受け止めたい衝動にかられる。

 彼女の事が愛しい。

 だからこそ、京四郎には分かっていた。

 自分のその感情が、どういうものであるのかを。

 そしてそのことを、シュザンナは知っている。

 知った上で、危険な綱渡りを楽しんでいる。

「ふん」

 鼻先を、ぴしゃりと指先ではじかれた。

 途端に、京四郎の身体は自由を取り戻した。

「私とて女さ。今はお前の本来の身体に寄生している状態だけど、心は女のままだよ」

「思い知らされたよ」

 シュザンナの身体から、目をそらしながら京四郎。

 頬が、かすかに赤い。

「そう。そこを愚弄するような挑発はよくない」

 優美な所作で脱ぎ捨てたドレスをとり、身に着けてゆく。本来なら複数人の手を借りねばできぬ着付けも、念動力を扱える彼女にたいした労力ではない。

「すまん、謝る」

「うん。セクハラされたくなきゃ気をつけろ」

「で、それはそれとして、話を誤魔化せると思ってるわけじゃないよな?」

「口が裂けても言えない」

「理由があるんだな?」

「私を信じてくれとしか。ただ、この先に何が起こるかはお前にならわかるだろう?」

「俺が死ぬんだろう?」

「回避したいのなら私を殺せばいい」

「断る」

「堂々巡りだなあ」

「何か手があるはずだ。予知能力を使った時の俺は常に最善手を打つ。つまりお前を殺すことよりも、俺が死ぬのが最善手だと判断したってことだ。だが俺が死ねば、俺の最愛の相手が身代わりになって死ぬ。そんな未来を俺が選ぶとは思えん」

「ああ、そうだろうな」

「つまり……つまり、あるのか?」

 思案を重ねる京四郎の顔が、驚愕に変わっていった。

「デスマーチを制御する方法が」

「さて」

 シュザンナは無表情で返す。

「立場上、私からは口が裂けても言えない」

 その表情、その言葉から、京四郎は正解だと確信した。

 そして、言えぬ理由にも察しをつけた。

「なるほど後は予知で勝手に調べさせてもらうぞ」

「ああ。そうした方がいい。ただ、忘れないでくれ。私はお前の為なら死んでもいいと思っている。もう無理だと思ったら、本当に守りたい者を守りたいのなら、私を殺す事をためらうな。お前が今、進もうとしている道はほぼ間違いなく全てを失う道だ」

「それでも仕方ないだろう。俺はお前を殺したくないんだから」

 心底嫌そうな顔で、京四郎はため息を吐いた。

「自分が死ぬ覚悟ならできてる」

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