第13話  魔王の正体


 新緑の匂いに混じり、紅茶の甘く香ばしい匂いがただよっている。

 日差しが暖かい。

屋外にしつらえられたカフェテラス。日除けのための大きなパラソルと丸テーブル、二脚の椅子。テーブルの上にはティーセットがあり、カップからほのかに湯気が立っている。ジャムやカルメラ、ハチミツで彩られた菓子がおいしそうだ。

あたりは一帯の草原。

 少女がいた。

 新雪のように白い肌と、銀色の髪をしていた。

テレーズに似た、凛とした顔立ち。

 華奢な身体を、胸元が少し開いた藍色のドレスで身に包み。

 ルビーの色の瞳で、こちらを見ていた。

「京四郎」

 暖かな声音で、少女が言う。

「会いたかった」

 言いながら、彼に抱きついた。

「ああ……」

 京四郎は嘆息とも、歓喜ともつかぬ声を漏らして少女を抱きしめ返した。

「シュザンナ」

「うん」

「少し背が伸びたか?」

「うん。よく気づいた。偉いぞ」

「胸は薄いままだな」

「おい」

 少女の拳が、

「台無しだよおい」

 えぐるような角度で京四郎の肝臓を的確に突く。

「いてえよバカ」

 京四郎の笑顔が、痛みにひきつる。

「やっぱりでかい方がいいのか。小さかったらいかんのかクソが」

「いやまあ可愛くていいと思うが」

「可愛い、か」

 シュザンナが大人しくなった。

「どうにもいかんな。お前を相手にするとからかいたくなる」

 京四郎は少女の頭を撫でる。

「子ども扱いして欲しくないわ」

「子供というよりは歳の離れた妹みたいな」

いい香りがする。銀色の髪と白い肌から少女の香りがほのかに立ち上り、彼の鼻腔をくすぐった。

 これは夢だ。

 白昼夢だ。

 シュザンナ――魔王ベルゼビュートの手を握り返した手から、彼の感覚神経がハッキングされている。視覚、聴覚、嗅覚、触覚に味覚さえもを乗っ取らせて、彼は彼女の見せる幻想に身をゆだねている。

 今、彼は彼女の心に触れている。

「ああ、いい匂いだ」

「変態」

「嫌なら逃げろよ」

「嫌とは言ってない」

「ふ」

 小ばかにしたように笑い、京四郎は少女の頭から手を離した。

「前に会ってから八十と三年ぶりだ」

「短いな。不公平だ。こっちは二億年以上経ったんだぞ」

 かつて再会した頃の京四郎は宇宙船に乗っており、その宇宙船はゼロから光速近くまでの加減速運動を繰り返していた。

シュザンナが住む魔王宮とは、時間の流れが違っていた。

「口調が男っぽくなったな」

「ふん。長年、男として振舞ってれば誰だってそうなるわ。まあ京四郎と先輩達の前では男と女をフラフラするけど」

「調子はどうだ?」

「そんなに悪くない。先輩達は優しくしてくれるし、子供たちもいるし、仕事はそこそこやりがいがあるし。ただ――」

「ただ?」

「京四郎がいない」

「そりゃそうだ」

「分かるか。鏡に映るお前の姿を見て悶々とする私の苦悩が」

「嫁達がいるだろう」

「阿呆」

 するりと、京四郎の腕に少女の手が添えられる。一瞬で手首を極められ、投げられかけたところで――京四郎は重心を巧みに操り、投げ返した。

 ドレス姿の少女が、空中を一回転する。

 すと、と見事に着地をきめた。

「さすが」

 京四郎が褒める。

 シュザンナが睨む。

「それ。先輩達の前でやったら袋叩きにされてるわよ」

「慕われてるなぁ」

「京四郎ほどじゃないわ」

「ありえんだろ。俺はあいつらの家族、友人、知人全部を皆殺しにしたんだぜ」

「前の時にも言ったはずだけど。先輩達は逆恨みだったって分かっているし、許してるし、あまつさえ納得づくであんたの身体に抱かれているわけなんだけど」

「そりゃ中身はお前だからで――言ってて頭がおかしくなりそうだ」

「確かに」

 くっくっと、口を閉じたままシュザンナは笑う。

「座れ。ティーパーティをしよう」

「おう」

 京四郎はうなずいた。

 かつて。

 勇者シュザンナと、京四郎の脳を搭載した人型兵器ディアボロは、魔王討伐を成し遂げた。

 かくして伝説の勇者様の活躍により、世界は平和になった――というわけではない。

『魔王を倒した勇者は、次の魔王になる。勇者とパーティを組んで生き残った者達は、その使徒となり魔王を支える』

 この世界には、そういうルールが存在していた。

 定めたのは神である。

 ただし、悪い話だけではない。

『魔王になった者は、何でも願いを一つ叶えられる。ただし死人を生き返らせる事と、神を殺すこと、魔王を辞める事を除く』

願いが叶うという保証は、神がしてくれる。

 そのルールに従わせるため、天使の大群が彼らの前に現われた。

 彼らは拒否し、戦った。

 そして負けた。

 京四郎には彼のDNAをベースに魔王としての新しい身体が用意された。シュザンナは肉体を失い、使徒の一人として魔族へ転生するはずだった。

 だが。

 敗北の間際、最後の力を振り絞り、用意された魔王の身体をシュザンナが乗っ取った。

 取り込んだ魔王の力を使い、京四郎のDNA情報を読み取って、彼女は人間の身体を京四郎のために作り上げ、そこへ彼の脳と脊椎を移植した。

 かくして京四郎は、超兵器ディアボロの制御ユニットから人間になった。

 脆弱なその肉体に、デスマーチという禁呪を宿したまま。

「こっちじゃ、あれから二億年経ったわけよ」

 シュザンナが言う。

「確かに先輩達は、ディアボロに乗って大切な人を全部失った。でも京四郎が悪いわけじゃない。今は納得してるし許してるよ。人間は、そんなに長く逆恨みを続けられるほど弱くないわ」

 先輩達とは、ディアボロに乗り悲惨な末路を迎えた歴代のパイロット達のことだ。

 彼女らは死ぬこともできず、ディアボロに吸収されディアボロの一部となっていた。勇者シュザンナと共に戦った彼女らは、勇者のパーティの一員とみなされ使徒として転生した。

「じゃなかったら貴方の身体に抱かれるなんて死んでもしないわよ」

 そして今、魔王ベルゼビュートの側近として、妾として、彼女を支えている。

「そういうものかね」

「会ってみたら?」

「嫌だね。どのツラ下げて会えるものか。重ねて言うが俺は、あいつらのかけがえのない者を全員殺したんだ。許すと言われて、はいそうですか何ていえるか」

「会いたい、と言っていても?」

「気が向かん」

「ん。気が向いたら言って。セッティングはいつでもする」

「ああ。……ところで、一ついいか?」

「何だよ、改まって」

「お前、レズだったのか?」

「んー」

 さして怒るでもなく、シュザンナは考えた。

「バイ、ということになるかな。男として先輩達といちゃいちゃするのと、女として京四郎の事を考えるのとは違うし」

「女としてか」

「勘違いしないでよ」

「何を?」

「私は女として京四郎の事が好き」

「……。俺の方は正直わからん」

「無理に結論を出さなくていいし、結論を迫る気もない。ただ、好きだって事は覚えてもらえると嬉しい」

「俺が結婚した事はよかったのか?」

「いいことだと思う」

 真面目な顔で、シュザンナは即答した。

「嫉妬とかせんのか?」

「別に。好きな人ができたら一緒になりたいと思うのは普通のことでしょう? 私は京四郎の事が好きだけど、私以外を好きになるのは京四郎の自由だし。私は、京四郎には幸せになって欲しいと思ってる。何を差し置いても。そのために魔王になったんだから」

「……」

「先輩達も私と同じ気持ちだよ」

「俺は――」

 何かを言いかけてやめ、京四郎は紅茶を口に含む。苦味とシナモンの香り。ほのかな甘み。クッキーを手に取り、かじる。さくさくとした小気味良い触感。噛み締めるたび、蕩けるような甘さが口いっぱいに広がる。

「人間になってからは驚きの連続だった。手からビームが出ない。空を飛べん。歩くと疲れる。すぐに腹が減る。喉が渇く。眠くなる。ささいな事で怪我をする。おまけにそこそこ歳をとったら性欲を持て余す」

「イヤミ?」

「違う。中でも一番驚いて――一番感動したのはメシの美味さだった。何しろ俺は、ディアボロの頃の俺は、メシを食ったことがなかった。あの頃の俺の身体は脳ミソと脊椎だけだったからな」

 シュザンナは頷いた。

 本当は、脳ミソと脊椎だけの身体でも、食事の美味さは伝えられる。

 こういう仮想空間を作り、食事を出し、味や匂い、触感といったものを再現してやればいい。

――だが。

 そういう発想をする人間は、あの当時は誰一人としていなかった。シュザンナですらも。

 彼は、産まれた時から兵器だった。

 戦うこと以外、何も期待されておらず。

 人間として尊重された事は、ただの一度もなかった。

「白米に塩をまぶしただけのおにぎり、具はネギだけの味噌汁。それがこの身体になってからの、産まれて始めての食事だった。おにぎりを一口食べて、俺は泣いた。美味かった。ただ美味しかった。味噌汁を飲んだ。また泣いた。これが味か。これが人間というものか。同時に思い知った。俺がどれだけ、こういう幸せを奪ってきたのか」

「京四郎のせいじゃない」

「殺したのは俺だ」

「それも違う」

「違わない。デスマーチを何度も使った。使うことを計算に入れて戦闘を組み立てた」

「他の誰が代わりにやっても同じだった。だいたい、先代の魔王の目的は人類の絶滅だった。絶対に回避できない戦争が起きて犠牲者が出た、それだけだ。もうその戦争も終わった。関係者はみんな死んだ。ごく少数の生き残った者はみんなお前を許している。恨んでいる者は誰もいない。いまさら自分を責めてどうする?」

「二年前、テレーズがこの星に来た。お前がどう暮らしているのかを聞いた」

「それで?」

「シュザンナよ。お前、無理をしてないか?」

「無理の何が悪い?」

「本来は俺が魔王になるはずだった。だがお前が代わりになった。もし、俺の幸せがシュザンナの犠牲の元に成り立っているとしたら。俺は俺を許せない」

「あのね。それを言ったら私も幸せになる資格がないって話になる。私も納得ずくでデスマーチを使ったんだから、最低でも共犯だろう。一緒に地獄に落ちるべきってことになる。だいたい京四郎、私が無理してるってのも勝手な推測だし、私が犠牲になってるって思うのは勘違いにしても的外れすぎるわ」

「じゃあお前が本当にしたいことは何だ? 何億年も執務室に座って魔界の政治をとりしきることか?」

「そうね。でもそれはやりたいことをするための手段にすぎない」

「何がしたい?」

「貴方を幸せにしたい」

 言い切る、少女の瞳は血の色に澄み渡っていた。

「京四郎が産まれた時になくしたものを取り戻したい。人間としての命、人間としての生活、人間としての死。京四郎が産まれた時に奪われたものを全部取り戻す。その為にはデスマーチをどうにかしないといけない。どうにかするには体系立てた研究が必要になる。研究には時間と人手と土地とお金がかかる。だから魔界を作って有志を募った。で、先輩達が賛同して協力をしてくれた」

「お前……」

 あっけにとられた顔で、京四郎はシュザンナを見た。

「何でそこまで俺に尽くす?」

「好きだからじゃ駄目なのか?」

「納得できん」

「あのさ。仮に京四郎と私の立場が逆だったら、だいたい同じ行動をとったと思うよ。

私は先輩達とも違う。産まれたときからずっと京四郎と一緒だった。親しい話し相手は京四郎しかいなかったし、京四郎にとっても私が始めての友達だった。世界は二人だけだったし、それで充実してた。

京四郎は、私の為なら死んでもいいと思っていたし、私も京四郎のためなら死んでもいいと思っていた。まあ、死んでもすぐ生き返るわけだけど。違う?」

「違わないが……しかしな」

「あ。あー、そっか」

 何かに気づき、シュザンナはにやりと笑った。

「恨まれた経験が多過ぎて、無条件に他人から愛されるのに慣れてないか」

「……」

 京四郎、ぐうの音も出ず。

 ディアボロ時代の京四郎は関わったパイロット全員から恨まれた。デスマーチの発動に伴い、彼女らの家族や友人や知人を殺していったから。ただ一人、シュザンナだけは例外であったが。

「あまり自分を責めるなよ。あと、甘えられるときは素直に甘えなさい」

「あのシュザンナに、そんな事を言われる日がくるとはな」

「負け惜しみ?」

「そういうことにしておこう」

「ふ。紅茶のおかわりいる?」

「いただきます」

 ティーポットをとり、カップに注ぐ。香ばしく、柑橘系の香りをした琥珀色の液体がティーカップに満たされた。

「さて。本題に入りましょうか」

「ああ」

 うなずいた、京四郎の顔が引き締まった。


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