第12話 予知


 殺される、と言われてテレーズははっとした表情を見せた。

「今から一ヵ月後に……先生が殺される夢を見ました」

「どういうシチュエーションでだ?」

 京四郎に聞かれ、テレーズは一瞬、父親に視線を送った。

「人型の、おそらくは天使らしき相手と一対一で戦っていました。人間の果し合いのように原始的で小規模な戦い方でです。私は助太刀に入ろうとしましたが、お父様に身柄を拘束されていました。お父様は見知らぬ女と共にその戦いを見守っていました。たぶんこの女も天使だと思います」

「ふぁっく」

 悪態をつく京四郎。ベルゼビュートを睨む。

「おい、どういうことだ?」

「んー。私にもよく分からん。……怒るなよ、落ち着け。一ヶ月も先のことだぞ。今の私が知らんのも無理はないだろう」

「心当たりくらいはあるだろう。俺の貸した予知能力で起こりえない未来を見る事はないぞ」

「仮定の話だぞ。憶測、推測だからな。後で間違ってても怒るなよ」

「ああ」

「十二使徒の誰か――熾天使が出張ってきて、私と何らかの交渉をしたかもしれん。京四郎も分かっていると思うが、殺し合いでは熾天使の奴らには絶対に勝てん。勝てん以上、話し合いをして適当な妥協点を見出したのだろう」

「その妥協点が、デスマーチの発動を見逃すってことか。それをされたら俺の家族が生贄になって死ぬんだがな」

「交渉材料が私の家族の命である場合は想定したか?」

 京四郎は棒を飲んだような顔になった。テレーズの顔を見る。

 テレーズは京四郎と父親の顔を見て、強く歯をかみ締めた。

「昔とは違って、私にも守るべきものが増えた」

「……悪い」

 小さく、京四郎は言った。

「すまぬ」

 ベルゼビュートが謝った。

 少しの間、重苦しい沈黙が流れ。

「息苦しいな」

京四郎が言った。

「しまった」

 ベルゼビュートがぶらぶらと右手を動かした。

 その動作と共に、空間の隔離が解除された。触れていないドアが開き、窓も開いた。

秋の夜の冷たい空気が流れ込み、こもっていた室内の空気をあらった。

「予定以上に話し込んだか」

「そうだな」

 盗聴が再開されていることを意識しての会話である。重要な事は言わぬ。もし言う場合は、虚実を織り交ぜる。

「テレーズ。少しお遣いを頼んでいいか?」

 と、京四郎。

「なんなりと」

 テレーズが答えた。

京四郎はどうやら、父と二人きりで話をしたいらしい。それを察した。

 この件。テレーズの手には余る。

 手に余る以上、彼女は必要最低限の情報を除いて知らない方が良い。

記憶を読まれる危険があるからだ。

 ベルゼビュートほどの強さ、器用さを備えた者は稀であるが、超能力タイプの能力者は天使側にもそう珍しくはない。その超能力者のうちには、読心術に長けた能力者もいるだろう。

一方、テレーズの能力は物理戦闘に特化している。彼女に、心を読まれるのを防ぐ能力はない。

「俺の店に行って、昼間に出てきた妖魔は全て駆除したことと、俺が古い友人に会ったから家に帰らずに飲み明かすと伝えてくれ。用件が終わったらこっちには戻らなくていい」

「かしこまりました」

「駄賃だ」

 と、京四郎は金貨を一枚テレーズに握らせた。

「ありがとうございます」

 彼女はそれを躊躇なく受け取った。

「失礼します」

「待て」

 ベルゼビュートがひきとめた。

「この子に貸している力は返してもらった方がいい」

「ああ……そうだな」

 うなずく京四郎。

 敵の狙いはテレーズではなく彼。正確には彼が持つデスマーチだ。そうである以上、今後テレーズに危害が及ぶ可能性はそう高くはない。ならば予知能力は当事者である京四郎が持っていた方が良い。本来の持ち主である京四郎の方が上手く扱えるし、何よりテレーズは自身の未来を予知しており、重要なイベントは既に知っている。

「わかりました。それで、その、どうすれば?」

「突っ立っているだけでいい。すぐ終わる」

言いつつ京四郎は彼女の頭に手をかざし、さらに近づけて額に手のひらをあてた。

「性に任せて逍遥し」

 呪文を唱えた。

それは古典系に分類される呪文――だが、分類や呪文自体にさほどの意味はない。

 例えばとある宗教では、南無阿弥陀仏と唱えれば死後に極楽浄土へ行けるという。

南無阿弥陀仏――南無は帰依する事を意味し、阿弥陀仏は無量の寿命の大仏を意味する。

南無阿弥陀仏――無量の寿命の大仏に帰依する。

よって極楽浄土へ行ける……らしい。

しかしその宗教いわく、呪文の意味を知らずとも、唱える事は出来るし利益も得られるという。重要なのは、現実世界にもたらす影響である。

魔力は、呪文に力を与える。

力を与えられた呪文は、物理法則を捻じ曲げる。

その魔力を、京四郎は持っている。

今、京四郎が唱えているのは肉体侵食の魔法であった。異なる細胞同士の融合、すり抜け、分離を意のままに操れる。

この魔法を覚えたのは、彼がディアボロの制御ユニットであった頃。人間でなかった頃のこと。もっともその時には圧縮言語を用い、口で呪文を唱えるという非効率な事はしていなかった。

 テレーズの額に当てた手のひらが、さらに前へと突き出された。

ずぶりと、指先が額の骨を超えて挿し込まれてゆく。

「縁にたってほうこうす」

 テレーズは微動だにせず、目を閉じたまま頭も動かさない。痛がる様子もない。

「但だ凡心を尽すのみ」

 ずぶ、ずぶと……手が、テレーズの頭の中へ入っていく。

 テレーズに傷はなく、血も出ない。それでいながら男の手首のあたりまでが、頭の中に入っている。京四郎の手が頭蓋を越え、脳の深い部分に物理的に触れている。

 と。

 手が、何かを掴んだ。掴んだその手が引き抜かれる。引き抜いた手を、京四郎は自分の額に当てる。ずぶり。彼の脳の中に彼の手が入る。

「別の聖解無し」

 朗々とした声を響かせながら。

 京四郎は握ったそれを己の頭の中で離し、指先で脳の基底部分に押し込んだ。

 それは小さな演算チップ。

ディアボロと呼ばれた人型兵器の補助脳の一部。

 かつての榊京四郎――ディアボロは数多の修羅場を潜り抜ける中で進化し続け、ついには近未来を予知する能力を身につけた。能力は八つの演算チップに格納され、その一部が人間に転生した京四郎の脳へと引き継がれた。

『予知能力を貸した』と言ったのは言葉通りの意味で、脳の適切な場所に適切なやり方でそのチップを埋め込むことで、誰でもその能力を手にすることができる。

 予知は、寝ている時に見る。

 夢で数日先の未来を見る。夢の中では自由に行動でき、行動するとさらに未来の夢が見える。その夢の中でもまた行動する。と、より先の未来が見える。

 予知夢の中で、選択はやり直せる。セーブとロードを繰り返し、最悪を避け、最善を模索することができる。つまり、この能力を持つ者にとってのよりよい未来を、最善の選択肢を選べる。

 危険な力である。

 京四郎も滅多には使わぬ。最善ばかりの未来を送る人生などつまらぬし、何より予知夢の中とはいえ何度も選択をやり直すのは疲れるからだ。

 それにこの能力、無敵でも無双でもない。

 第一に、未来の分岐点は無数にあり、最善や最悪の未来を取りこぼす可能性がある。

 第二に、どんな行動をしてもどうにもならない未来は存在し、そういう未来はただ見ていることしかできない。テレーズが予知した、京四郎が殺される未来のように。

「もういいぞ。終わった」

「では、失礼します」

 一礼して、テレーズが去った。

 二人きりになった。

「京四郎。手を」

 ベルゼビュートが手を差し出した。

「ああ」

 京四郎も手を伸ばした。

 二人の手が触れあい、握り合わされ。

 意識が飛んだ。


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