第10話 京四郎の過去
夢……。
夢を見ている。
シュザンナと呼ばれた、少女との夢を。
ぷかぷかと。
少女が水の中をたゆたっている。
白い、髪。
長い髪が、銀色にきらめきながら揺れている。
『きょう、しろう……』
つぶやく。
あどけない声。けれどどこか、艶めかしい声。
『シュザンナ?』
彼――京四郎は声をかける。
目を閉じたまま、少女は微笑む。
『すき……』
わずかにかすれたその声は、熱っぽい吐息を帯び。
表情に乏しい少女の頬が、かすかに紅潮していた。
ぴくりと、少女の指先が動く。
まぶたが、かすかに開く。
焦点の定まらない瞳は潤みを帯び。長いまつげが、ふるふると震える。
青い静脈がうっすらと見える、白い肌。それは人間のものとは思えぬほどに白かった。
滑らかな鎖骨の下、膨らみかけの薄い胸は、呼吸と共にかすかに上下している。その頂にある桜色のつぼみは、発育途上ゆえの妖しさを帯びていた。
少女は、服を一切つけていない。
焦点の定まらない瞳は蕩け、頬がかすかに赤みがかっている。
そして顔は、嬉しげに妖艶な笑みを浮かべている。
『だいすき……』
『シュザンナ!』
彼が怒鳴り、
『おっ、おう』
少女は目を開いた。
その瞳は血の色。淡く赤い。白皮症という先天性の遺伝子疾患であった。
『起きたか』
『起きた』
少女は周囲を見渡す。
場所は宇宙空間。少女は全長二千メートルの人型兵器の中にいる。他には誰も乗っていない。京四郎と呼んでいるのは人型兵器の制御ユニットで――生きている人間の脳を抜き取り、魔改造したらしい――搭乗者ではない。
敵が、機体を取り巻いている。異形である。ミジンコやワムシといった動物プランクトンに似ている。消化管まで透き通った身体に、細長い触手。大きな口。身体のそこかしこに孔があり、そこから星間物質を取り込み、ラムジェットエンジンの要領で排出して高速移動する。
目に付くのはその巨大さだ。小さいモノでも全長が三百キロ、大きいモノでは十万キロを越えている。地球の二十倍以上でかい。そんな奴らが千近く、機体を囲んでいる。
『あたし寝てた? それとも死んでた?』
『寝てた。四十秒ほど』
『よく死ななかったね』
『必死に避けた俺に感謝しろ』
『京四郎がいたら、あたしいらねーんじゃね?』
言いつつ、少女は機体を操る。
機体を襲うレーザーの雨を、共振周波数を利用して吸収。これで減っていたエネルギーを少しだが補充できた。無差別に爆発する核融合弾に対しては魔道障壁を展開して熱波を遮断。衝撃波は来る前に避ける。亜光速で放たれた誘導型の質量兵器を逆にハッキングし、敵に向けて撃ち返す。
『シュザンナの魔力がねーとろくな攻撃ができんだろが』
機体が、右手に持つ長さ千メートルの剣を振り上げた。
『京四郎の無能』
テレポートで三光分の距離を移動、ミジンコ型の敵を斬りつける。惑星級の大きさに対して与えた傷は毛ほどもない。
『言うに事欠いてそれかい』
毛ほどの傷が、波紋のように大きく広がった。
『何で寝てたの?』
惑星級の巨躯がぐにゃりと歪み、圧壊して球状になっていく。
『魔力の使いすぎ。炎の壁だけならまだしも、越影雪華の連発は脳に来るって警告したよな、何度も』
『しょーがないじゃない、太陽系級の相手がいたんだもん』
『まあそうなんだが省エネでいこうぜ。ところで、何かスースーしないか?』
『わ、服が脱げてる! えっち』
少女の透き通った肌が、羞恥で紅潮する。膨らみかけの胸を手で隠した。
『ようやく気づいたか』
『変態。京四郎の変態!』
『おーう。てめー喧嘩うってんのか?』
『うっせ、バーカ、覗き魔』
『見られたくないなら隠せボケ。だいたい実体化の魔法に頼らずインナースーツくらいは着てから俺に乗れとあれほど言っただろうが。露出狂か』
『洗うのがめんどくさいのよ。つか見てないで先に言えよ、このすけべ、変態』
少女が毒づき、右手の指をぱちんと鳴らした。
すると一瞬で、紺色のスクール水着が少女の白い素肌を覆った。
『こいつら殺った後、どうすればいい?』
掛け合いをしている間に、敵の数は十分の一にまで減っていた。
使った武器は剣である。その剣は魔術による毒を帯びており、斬りつけた物質の斥力を狂わせ重力崩壊を誘発する。重力崩壊した敵は自重を支えきれずに潰れ、質量によっては超新星爆発を起こして塵になる。
『司令部から通達がある』
『やー、聞きたくない』
『作戦は概ね成功した。人間達は天使の保護区域圏に避難を完了。
戦果は惑星破壊級・二万二千五百、太陽破壊級・百三十七、太陽系破壊級・二。
居住可能な星域に被害を与えんよう可能な限り敵を削れとのこと。
百九十二分後に魔王の本体が来る未来が見えた』
『まーたあの鬱陶しい本体が来るの』
『逃げるぞ』
『殺るチャンスじゃない?』
『分裂体はともかく本体はまだ無理だ。前みたいに一方的に殺される。あの時は逃げるまでにデスマーチを一万回近くも発動させたよな』
『TASモードに切り替えても駄目なん?』
『無理だ。てか、犠牲者の数を省みろよ』
『数字としてしか実感が湧かないのよねー、全員名前も覚えてない人だったし』
『その気持ちは分からんでもない』
『うっし、残敵掃討終わった。逃げよう』
『ああ。帰ったらシャワー浴びてとっとと寝ろ』
『ご飯が先よ、焼肉食いたい』
『タフだなシュザンナ』
それは、二億年以上も昔の話だ。
目が覚めた。
夕焼けの赤が街道を染めていた。
そこら中を駆けずり回り、結構な規模で現われたゴブリンの集団を殺して――全滅したのを確認したらどっと疲れが噴き出した。その後に道端で横になり、しばらくうたた寝していたらしい。
喉が渇いている。
京四郎は立ち上がった。
王都からは少し離れたが、街道沿いに歩けば宿場がいくつもある。金を払えば茶を飲めるし、食事も取れる。
歩き出そうとしたその時、彼は近くに人がいることに気づいた。
「いよー、京四郎」
スーツ姿。道化師の仮面をつけ顔を隠した少年がいた。
「どうも」
その後ろには、袴を着た黒髪の美女がいる。
京四郎はぽかんと口を開け、数秒呆けてから、
「シュザンナ……?」
呟いた。
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