第9話 妖魔の駆除
作業場でひとり、京四郎は研磨作業を行っている。
今現在、依頼を受けて預かっている刀剣類は五十におよび、それら一振りにつき三日から一週間程度の時間がかかる。とはいえこれでも、同業者に比べれば倍以上は早い。
『榊さんのやり方は曲芸すぎる』と、同業者は言う。
一般に、優れた刀剣は効率的に殺傷をすべく刃に計算され尽くされた傾斜をつけられている。包丁のように平たくはない。当然、研磨もこの傾斜を活かすよう慎重に行わなければならない。
ところが彼は、比較的荒い砥石でできる限界まで研磨する。その上で手戻りがなく、研ぎ過ぎる事もない。さらに、出来た刃の切れ味は同業者の追随を許さぬ。
加えて、京四郎は余計な工程を一切しない。
刃文を白く磨く事など無意味だから絶対にやらない。
実用の武器に、美術的価値は不用である。客は求めていないし、京四郎も提供する気はない。斬れて耐久性があって扱いやすければいい。
昼が過ぎた。
このとき、上の娘のシャルは王立院(大学)で午後からの講義を受けており、下の娘のクリスも初等部で授業を受けている。
研磨を行っていた京四郎の手が、ぴたりと止まった。
「ケェェェェ!」
立ち上がり、奇怪な叫びを上げる。
「誰かいるか! 狼煙を上げろ! 王都近辺の地図と筆と伝書鳩を持って来い! ゴブリンが来るぞ。規模は百前後が合わせて十、十数匹が三十程度!」
窓ガラスが震えるほどの大声だった。
心得たメイドが駆けつけ、地図と万年筆を持ち出す。手代の少年が鳩を持ってきた。
京四郎は地図の複数個所に×印をつけ、下に数を書いた。
王都から北、フスクス山脈の麓に二百。東部の大川沿いに百、南のサマルカンドに至る街道に百五十、その他の六箇所にそれぞれ百前後。その他、小規模の妖魔の位置を点で表していく。
数枚の地図に同じ印と数がしたためられ、折りたたまれて伝書鳩の足にくくりつけられた。放たれた鳩は王都の各所にある兵士詰め所、それに王と近辺の有力な貴族の住居へ向かって飛んでいった。
榊の庭から、香草を練り混ぜて紫色にした狼煙が高らかに上がっている。周囲の人々に、妖魔の襲来を警告するためのものだ。
京四郎は苦無を十数本収納したチェストベルトをつけ、愛用の刀を手に取った。作務衣を脱いで着替える。
下はジーンズ、上はチェストベルトを除けば普通の帷子の上にシャツ。それに刀。
「アルバート、アルエンド、留守を頼む」
「うぃっす」
「ご武運を」
さして驚いた様子もなく、二人の男は京四郎を見送った。
この男には、人間の位置と妖魔の出現を察知する能力がある。
探知範囲は数千キロに及び、ほぼ正確な出現位置と、大まかな数が分かる。
そして妖魔を察知するなり、駆除に乗り出す。当然、命がけだ。
榊の家から立ち上る紫色の狼煙、それは妖魔の出現を示すことを国中の人間が知っていた。黄色に近づくほど規模は小さく、赤色に近づくほど規模が大きい。紫色はかなり大規模な部類に入る。
ある者は地下水路に逃げ込み、ある者は家の戸をきつく閉じた。
数分後には手紙を受け取った各所が動き出し、妖魔を殲滅すべく兵を展開するだろう。
抜き身の刀を持ち、京四郎が街を疾駆する。早馬とほぼ同じ速度である。ときおり街の人々から、京四郎は人間ではないのでは、と噂されるが、さもあろう。人間の身体能力ではない。
榊通りを抜け、商家が立ち並ぶ街道を北に進む。幾つかの水路を越え、まっすぐに進んでいくと田園地帯が広がる。ここまで来るとシェルター代わりの地下水路は近くにない。
農夫達が畑作業を行っていた。いや、していたらしい。夫婦らしき男と女、それに歳の離れた少女と少年が一人ずつ。農作物を積んだ籠を背中に抱え、避難すべく早足で移動している。
「わあっ!」
少年が、叫び声をあげた。
「ギ」
こちらに来る、十匹程度のゴブリンが見えたからだ。
あわてて反対方向に逃げ出したが、ゴブリンの足は大方の人間よりも速い。距離が次第に縮まっていく。
捕まれば、撲殺され食われてしまうことを意味する。男も女も少年も少女も必死に逃げた。しかしやはり、ゴブリンの方が早い。
少女が道の石くれにつまずいた。
涎をたれながしながら、倒れかけた少女にゴブリン達が群がってきた。少女が悲鳴を上げる。
「アリッサ!」
父親らしき男が叫び、少女の下へ駆け寄ろうとする。母親らしき女が奇声を発した。
ゴブリンが少女にまといつく。解体して食うべく、邪魔な衣服に手がかけられ、引き裂かれた。また少女の悲鳴があがった。
別のゴブリンが棍棒を振り上げ、少女の脳天めがけて振り下ろそうとする。
「ああああ!」
京四郎が叫んだ。
同時に投擲され苦無が、ゴブリンの頚部につきたてられていた。
この時のゴブリンの数、十二匹。しかし六体は既にしとめている。
首から紫色の血が流れ、道と少女の身体を汚した。
生き残ったゴブリンはぎょっとして苦無が投げられた方向を見た。否。見ようとした。しかし見る前に刀で頚部を切り裂かれていた。即死である。少女を食うべく一箇所に集まっていたのが災いし、逃げる間もなく虐殺された。
「ひ……」
何が起こったかわからず、少女は恐怖に震えながら男を見上げた。
「大丈夫だ。もう終わった」
言いつつ、京四郎は刃についた血をぬぐい、死体に刺さった苦無を回収してこれも血をぬぐった。ベルトに戻す。
「あ、ああ、ありがとうございます」
近寄ってきた男が、震えた声で礼を述べた。京四郎へ向けるまなざしに、明らかな恐怖が浮かんでいる。
「膝と手をすりむいたくらいで大した怪我はない。あんたは父親か?」
「は、はい」
「これで代えの服でも買ってやれ」
言い、財布から数枚の銀貨を出して渡す。
「え、あ……」
「襲いかかってくるくらい近くにいる奴らはもういない。ただし今日は家に帰って戸を固く閉ざしておけ。俺は次の場所へ行く」
「はい。はい、分かりました。あの、貴方は――」
誰何の言葉を聞く前に、京四郎は走り去っている。
一番近い妖魔までおよそ七キロ。数は二十。近くに武装した自警団がおり、妖魔は自警団に向かっている。次が十二キロ先、数は十七。周囲に人はいない。さらにその次、十三キロ先に数は七。近くに子供がいる。自分がそこへ到着するのに、九分と数十秒。間に合うかどうか微妙な時間だ。
祈りながら、京四郎は走った。
この日、妖魔の襲来による死人は出なかった。
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