第8話 親娘の再会

 王都ロクサーヌから真北へ九十キロメートルほど進むと、フスクスという高い山にたどり着く。このあたりは森が多く、伐採には王管轄の国土保全院の許可状が必要なため手付かずの自然が残っている。

 狩りのシーズン以外、山にも麓の森にも人は滅多に立ち寄らない。

 そこかしこで鳥が嘶いている。

 時刻は昼を少し過ぎたあたり。日差しは深緑にさえぎられ、スーツ姿ではやや肌寒さを感じる。

 いい星だ、と彼は思った。

 太陽と月がある。重力は適度な強さ。窒素が八に、酸素二の割合の空気。水が液体で存在できる気温。どれもこれもが、平均的な惑星にはありえない理想的な条件だ。人間が生きていく為の。

「ところで……」

 スーツを着た少年はつぶやくように言った。顔に、道化師の仮面をつけている。

「私に何の用だ?」

「何故、このような場所に?」

 袴を着た女が聞き返した。

「なんとなくだ。人の目につかない場所ならどこでもよかった」

「私が聞いているのは――」

「テレーズはどうしてここへ?」

 言葉をさえぎる形で少年――ベルゼビュートに問われ、テレーズは少し考えた。

「ここに来て、陛下と出会う夢を見ました。来ずにやりすごす夢も。迷った末に前者を選びました」

「夢……夢か。京四郎から予知能力でも借りたか?」

「ええ」

「そうか。なるほど、あいつも迂闊な真似をする」

「いったい、何がどうなっているのですか?」

「私もそれを知りたい」

 ベルゼビュートの言葉に、テレーズは咄嗟に二の句が告げられなかった。

「これから何が起こる? 何を見た?」

「榊先生が……得体の知れぬ相手と戦って首を切り落とされました。私は陛下に身体を拘束されていて、陛下は見知らぬ女と一緒に、決闘の様子を見守っていました」

「それから?」

「その後は、分かりません」

「そうか」

「いったいどういうことですか?」

「色々と思い当たる事がある。あるが、この状態でくどくどと説明することはできんな」

 言いつつ、ベルゼビュートは人差し指を空に向けて突き立てた。指先をくるりと回す。

 それは暗に、上空から会話を盗聴されていることを示唆していた。

「聞かれるのが困るような話ですか」

「今回の件、天使どもは敵だ。こちらの手の内を知らせるわけにはいかぬ」

「天使と戦うのに、榊先生を見殺しにする必要があると?」

「何故、そういうシチュエーションになるのかは今の私にはわからんよ。思い当たることはあるが、まずは京四郎と話をして確認してからだ」

「理由が何であれ、先生を見殺しにするなら貴方は私の敵です」

「ふうん?」

 殺気立つテレーズを前に、にやりと、ベルゼビュートは笑った。

「惚れたか?」

「何を莫迦な」

「ま、止めはせんよ。ただしあいつは一筋縄では――」

 言いかけて、ベルゼビュートは口をつぐんだ。

「どうしました?」

「気づかぬか?」

 肌に感じる空気の圧力。それが変化していた。

 獣臭がかすかに鼻につく。森林に住む者達のそれではない。

「ギ」

 ゾロゾロと。

 背丈が小さく、背骨が曲がって老人のように前傾姿勢をした生き物達がどこからか現れた。まさしくどこからか、としか言いようがない。空から来たわけでも地面から生えたわけでも、物陰に隠れていたわけでもない。突如として現われた。

 その生物には、髪がない。目はまん丸で、鼻と口が人間の倍以上に大きい。耳は尖っており、皮膚全体が焼け爛れたようにしわくちゃであった。

 異様に長い指先に、棍棒を持っている。

 ゴブリンと呼ばれる妖魔の一種だ。人間の肉を好み、徒党を組んで襲い掛かって来る。この時、二人の周りに現われた数は百を越える規模であった。十重二十重に彼らを囲んでいる。

 一様に、獰猛な笑みを浮かべていた。獲物を見る目つきだ。

「殺しても?」

 テレーズはベルゼビュートに尋ねた。

 普段の彼女なら、問答無用で駆除している。放置すれば人間を襲って食い殺すからだ。

 しかしゴブリンも一応は魔族に分類される。魔王からすれば国民にあたる。向こうから襲い掛かろうとしているこの状況で、さすがに無抵抗というわけではないだろうが、さりとて殺しはしないだろう。

「いや」

 否定の言葉と共に、ベルゼビュートは右手を前に出し、

「お前が手を出すには及ばぬ」

 指を鳴らした。

 響いた音に、テレーズは身をすくませた。口に、無理やり氷の杭を突っ込まれるかのような不愉快な感覚が沸き起こる。

 同時に、ゴブリン達が倒れた。一匹残らず、全てが。

 ぴくりとも動かない。

 口端から紫色の血がつたい流れていた。顔が青白く変色している。

「いったい、何を……?」

「指を鳴らして居竦みの術を使い、被暗示性を高めた。次に思念を飛ばして死ねと命令した。催眠術の一種だな。命令を受けたこやつらの肉体は、自発的に肺を潰して心臓を破裂させた」

「私にも……?」

「まさか。死ねと命令したのはこやつらだけだ」

「容赦ないですね。一応は魔族でしょうに」

「魔族? こやつらは天使のできそこないだぞ」

「え……?」

「そんなことも知らなかったのか?」

「下級の魔族を使って、人間を食い散らかす真似を推奨されているのでは……?」

「悪質な冗談だ。馬鹿馬鹿しい。誰から聞いた?」

「ミーナ姉様からです。証拠もありました」

「ミーナは、操られていたよ」

「は?」

「人間の勇者に誑かされて、脳にチップを埋め込まれていた。分かったのは私の使徒がやむなく返り討ちにした後だ。検死の際に判明した」

「証拠は?」

「検死記録がある。ミーナに施術を行った屑どもの残したカルテもな。もっとも、私が証拠を捏造したと言われればどうにもならぬが」

「何故、それを教えてくれなかったのですか?」

「教えて信じるような冷静さが当時のお前にあったか? 姉に騙され、人間の勇者に誑かされて私を暗殺しようとした。その結果、お前以外のお前の仲間は私が全員処刑した。そんな状況で真相を話したとて、信じるどころか否定して意固地になるだけだろう?」

「仰る通りですが、実際に陛下の仰っていることが嘘でないという保証もないでしょう」

「まあな。ともあれ、その件は今は棚上げしよう。いいか。いいな?」

「……」

「今、いちばん重要な話は京四郎の命がどうなるかだ。違うか?」

「ええ」

「説明はする。必ずな。盗聴や盗撮を防ぐ手段もある。お前の疑問にもなるべく答えよう。だがその前に、京四郎に会って話をせねばならん。あいつの知る情報と私の知る情報を刷り合わせなければ、今回の事件の真相がつかめぬ」

「榊先生の居場所はご存知ですか?」

「ああ。私の探知能力の射程範囲内にいる」

「付いていっても?」

「むしろ頼む。お前が借りている予知能力も必要だ」

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