第6話 朝のシーン
凛とした秋の空気が、周囲を満たしていた。
午前四時。庭に立ち、京四郎は稽古をしている。
重量三キロのウォーハンマーを両手で持ち、気息を整え、ゆっくりと振り降ろしては振り上げてゆく。速く動かせるがあえてしない。遅筋を鍛え、繰り返し重心の位置を確認するための訓練だった。
そうこうしているうちに。
「おはようございます」
番頭のアルエンドが現われ、京四郎の横で素振りを始めた。
獲物は木刀である。庭の物置小屋にはさまざまな武器が収納されていた。
「おはよう」
素振りを続けながら、京四郎は挨拶を返す。
やや遅れて、身軽な格好をした使用人達が続々と庭に集い始めた。集まった者は、男もいれば女もいる。ただし肥満の者は一人もいなかった。
この鍛錬への参加は強制ではない。ないのだが、住み込みで働く使用人の半数程度は自主的に参加して身体を鍛えている。シャルロットやクリスティーヌも、気が向いた時は参加している。
どこかで、雀が鳴いた。
厨房からスープの香りがただよってきた。
榊では朝食は奉公人と主人の区別なく用意され、特に理由がない限りは一緒に食べる。
「いただきます」
海水を漉したミネラル塩で味付けした浅利と若布のスープと、ライ麦のパン。パンはつくりおきで固いのでスープに戻して食べる。
「むぅ……」
眠そうな目をしながら、もそもそとシャルが口を動かしている。その隣ではクリスがパンを噛み切ろうと悪戦苦闘していた。二人とも起立性の低血圧なので、寝起きに失敗した朝は特にしんどい。
「旦那様、今日はどうなされますか?」
アルエンドが聞いた。
「仕事に専念する。それとしばらく、新しい依頼は断ってくれ」
「かしこまりました」
「センセ、昨日テレーズさんが来られたって本当ですかい?」
尋ねた男に、皆の視線が集まった。この男はアルバートといい、用心棒として夜間に金蔵の番をして貰っている。
「私と同じ抗魔館の門弟ですよ」
抗魔館とは街にある武芸道場である。京四郎はこの道場の師範代として月に数度、出稽古を勤めていた。
「サマルカンドの魔法道具屋の店主じゃなかったの?」
シャルが京四郎に尋ねた。
「剣を習う商人がいたっておかしくはないだろう。物騒な世の中だしな」
「昨日の用事は何だったの?」
「得体の知れない奴に斬りつけられたらしい。相手は逃げて、また狙われる可能性があるんだと」
「まともな用事だ。勘違いしてた、ごめん」
「許す。で、テレーズの件は伝手を使って探りを入れている最中だ」
「手が必要なら、腕の立つ知り合いに声をかけましょうか?」
アルバートが聞いた。
「いや、今はいい」
それ以上の問いを阻むように、京四郎は食事に専念した。
母屋から少し離れた場所に、研磨を行う仕事場がある。
京四郎は刃のついた代物全般を研ぐが、切れ味を重視するタイプの刀剣類の注文を受けることが多い。この時代、武器は防具を身につけぬ妖魔と戦うためにあり、鈍器での打撃や刺突よりも斬撃が最も殺傷効率がよいと考えられていた。
斬撃に特化したサムライソード、その中でも玉鋼を用いず鍛錬回数を少なくした無垢鍛えは、巧く研磨を施せば鉄筋すら切断できる。
“榊で砥がれた刀は鋼鉄すら斬れる”という話は誇張ではなく、ただし非常に高いレベルの武器があって初めて可能な事だ。
「……」
凝っと、京四郎はその刀を見つめた。
普通の刀ではない。この星の人間の技術で造れる代物ですらない。京四郎が惑星の外から持ち込んだ彼自身の所有物である。形状記憶性のある超硬度ナノチューブと通常のダイヤモンドの三倍の硬度を持つカーバインを練り合わせた代物だった。
ダイヤモンド砥石ですら研磨は不可能なので、粒度をさまざまに調整したカーバイン製の砥石を用いる。
「お待たせ」
声をかけ、シャルロットが入ってきた。作務衣を着ている。まだ腕は半人前だが、彼女は榊の二代目として京四郎から研ぎを学んでいた。
「ああ」
義娘に背を向けたまま、京四郎。
その手元は刀身をつかんでおり、一定のリズムで砥石の上を滑らせていた。
研ぎの音から察するに、仕上げ工程の最中らしい。
「どうし……」
言いかけて、少女は口をつぐんだ。
彼の背中から、鬼気迫る気配が漂っている。
心が、ざわついた。
「ここが限界か」
つぶやき、京四郎が刀を置いた。
「もう終わったの?」
「元々、研ぎがほとんど必要ない状態だったんでな」
答えつつ、京四郎は手馴れた動作で刀身の茎(なかご)を柄に収め、目釘を打つ。
「誰の?」
「俺のだ」
「ちょっと触っていい?」
「駄目だ。下手が刃に触れただけで指が落ちる」
「む」
刃を鞘にしまう京四郎。その鞘のつくりも、シャルロットが見たことのないものであった。少なくとも鉄や木ではない。
「お前の分はそこにある」
京四郎が目で示した先には布地があり、その上には数本の刃物が並べてあった。
「うい」
うなずいて、シャルは刃を手に取った。
刃先に注がれた少女の眼光は鋭く、唇はきりりと引き締められている。
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