第5話 既に、魔の手は伸びていた


 通信機をオフにし、机の引き出しに仕舞い、鍵をかける。

「……」

 場所は京四郎の自宅の部屋。部屋にも鍵をかけ、しばらく誰も入らぬようにと娘と使用人に告げてあった。

 椅子の背もたれに身体を任せ、目を閉じ、京四郎は沈思する。

『お前のいる星の宙には監視衛星が飛んでいて、不測の事態に対処できるよう警戒されている』と、魔王は言った。

 言外の意味はこうだ。テレーズも自分も既にマークされている。彼が魔王と交わした通信内容は全てが盗聴されており、それを承知で話をしろ、と。

 彼らが超光速通信に用いた光量子暗号は、傍受も暗号解読も不可能であると数学的に証明されている。正規の解読鍵を持たずに傍受した瞬間、傍受した暗号そのものが変質してしまうためだ。しかし発信者と受信者のどちらかが特定されれば暗号化される前に傍受が可能であるし、暗号解読の必要すらなくなる。

 惑星上空に浮かんだ衛星により、京四郎はすでに監視されているらしい。

 とすれば、彼と魔王との通信は第三者に筒抜けの状態になる。

 国家元首として知り得た情報、特に魔界に所属していない宇宙警察の捜査状況を部外者に漏らすのは宇宙連邦が定めた機密保護法違反にあたる。さらに、魔王と京四郎しか知りえない秘密をあけすけに晒すわけにもいかない。

 その上で。

 魔王の話の、行間を汲み取るとこのようになる。


一、テレーズのみではなく、京四郎も監視されている。

一、監視には、テレーズですら歯が立たないレベルの者があたっている。

一、今回の事件は過激派のテロリストの仕業に偽装されており、黒幕がいる。

一、その黒幕は、おそらく“デスマーチ”のことを狙っている。

一、黒幕は天界のかなり上層部である可能性が高い。

一、近日中に黒幕の息のかかった者が、京四郎の護衛としてやってくる。

一、京四郎が想定できる最悪を超えた最悪の事態が起こる可能性があり、魔王は京四郎のもつ予知能力でそれを調べることを推奨している。

一、場合によっては、魔王自らが解決に乗り出すつもりである。


 京四郎は沈思する。

 予知能力はテレーズに貸してある。今はまだ使えない。だから頭を使って考える。

 まず間違いなく、敵の狙いはテレーズではない。テレーズのみを狙うにしては、費やされているコストも人材の質もあまりに大きすぎる。

 敵の狙いは俺。

 正確には、俺が持つデスマーチの力だろう。

 推測の根拠は、監視が敷かれたというこの不自然な状況だ。何より魔王もデスマーチという単語を口にしていた。

 特殊な魔術を解析する場合、普通は遠巻きに監視するなどという真似はしない。使い手を拉致監禁する。

 魔法の研究をする際、最も効率のいい方法はお目当ての魔法を使う者を捕らえて精神的な負荷をかけ、脳波をとり、血流と脳神経の変化を調べることだ。麻薬を注入し、あるいは脳に電極を刺すことなどは常套手段。細胞からクローンを培養して遺伝子要因を調べることもあるし、高レベルの治癒能力者がいれば殺す寸前までやってもモルモットが死ぬことはない。

 だが、敵はそれをしなかった。自分を捕らえることすらも。

その代わりにテレーズを撃ち、テロリストからの防衛を名目に衛星を用意するような回りくどいことをした。

 人権に配慮した、というわけではあるまい。

 おそらく敵は、デスマーチの事をかなり詳しく知っている。

 そういうやり方で解析できる魔法ではないことを知っているのだ。

 デスマーチという魔法は、二億年ほど前に発見された。当時は魔王グランベルドの在位であり、人類は絶滅寸前にまで追い詰められていた。

 そこへ、デスマーチの能力を持った悪魔が召還された。

 誰しもが、その悪魔とその魔法を恐れた。敵側である魔族も、味方側である人類も、戦には関わらぬ天使や竜族すらもが。

 デスマーチは、悪魔と契約した者のみが使う事ができる。

 使うたびに大きな代償を必要とし、その代償の大きさと引き換えに無類の殺傷能力を誇る。当時の絶望的な戦況の中、使用した者の数は三桁にも上るが、わずか二人の例外を除いて発狂死もしくは自殺した。

 例外の一人は、勇者シュザンナ。

しかし彼女は先代の魔王と相打ちし、既にこの世の人ではない。

 例外の一人は、榊京四郎。

 彼の中には、伝説の禁呪が眠っている。


「……さん」

 ノックの音。不意に聞こえた声に、京四郎は目を開けた。

「おとーさん、起きてる?」

誰も入らぬように、とは言っていたが、声をかけるなとは言ってはいなかった。

「ああ、どうした?」

「ご飯だよ、ごはん」

「もうそんな時間か」

 立ち上がり、京四郎は部屋のドアを開けた。

「たー」

 と。

 金髪の童女が声を上げ、京四郎に抱きついた。

 背が足りないので、彼の腰の辺りに童女の頭が来る。

「はやく食べよう」

「ああ」

京四郎は優しく、その童女の頭を撫でた。

 この童女の名前はクリスティーヌという。シャルロットとは歳の離れた妹になる。

京四郎の娘だ。

 ふっくらとした頬。くるくるとカールした金色の短い髪。ぱっちりとした藍色の瞳は、どことなく猫っぽい。

 小さな手で京四郎の手をとり、少女はとてとてと歩き出した。

 歩幅をあわせ、京四郎も食卓へ向かう。

 その日の夕食は鱈と長ネギのグラタンだった。

 骨をより分け、鱈の身を一口大に切って岩塩を振り、水分を抜いた後にオリーブオイルを少々たらしてこんがりキツネ色になるまで焼く。

次にぶつ切りにした長ネギ、白菜、しいたけに火を通し、小麦粉と牛乳を馴染ませるように混ぜながら、少しずつ鱈を投入する。

 味を調えるための塩胡椒を少々ふりかけ、適量のチーズを乗せてかまどで焼き上げる。

 少し臭みがあるものの、口に入れた瞬間にとろけるチーズと鱈のホクホクとした味わいがたまらなく。

「うまい」

 京四郎は言った。

「今日はね、おねーちゃんも作るの手伝ったんだよ」

「おお、旨いぞ。掛け値なしに」

「たまにはね」

 京四郎のほめ言葉に、シャルロットはそっけなく答えた。

 グラタンの他、テーブルにはコッペパン、ほうれん草の和え物、半熟卵とキャベツのサラダ、それにコーンポタージュスープがあった。

 かなり、気合を入れて作ったらしい。とはいえ作り置きのコッペパンは固かったが。

「あのねあのね。お向かいの舶来品よろず問屋の番頭さんが柚子醤油をくれたよ。東方から商船が着いたんだって。胡椒もいくらか分けてもらったよ」

「ほー。楽しみだ」

「うん。で、わたしもお料理の腕が上がったでしょ」

「ああ。すごいぞ」

「サラさんにお手伝いしてもらってるくせにえらそーに」

 サラとは家事を取り仕切っているメイドの名前で、歳は四十を過ぎている。子供が二人おり、本人はふとっちょの体系をしていた。

「メインはあたしなのー。だからいいのー」

「クリスは将来、料理人になるか?」

「んー。それもいいけど、もっとなりたいものがあるの」

「へぇ。何だ?」

「おとーさんのお嫁さん」

「ふ。はははは」

「笑うなんてひどいよ。血が繋がってないなら結婚もできるんでしょう?」

「ばーか」

 シャルロットが呆れた顔で言った。

「うっわ、むかつく!」

「結婚といえばシャル、お前そろそろいい奴を捕まえてこないのか? 学校じゃかなりモテてるって学園長から聞いたぞ」

「うざい。それに私はまだ十四よ」

「十五を超えたら二十まですぐだぜ。年増って呼ばれるぞ」

 公には抗生物質が発明されてないこの時代。人間の平均寿命はせいぜい五十程度であり、結婚適齢期は十五歳程度というのがごく一般的な常識であった。

「うるさい。兄さんは私に結婚させたいの?」

「できればな。お前の花嫁姿も見たいし孫の顔も見たい」

「まだ早いわよ。今度その話題を振ったら口聞いてあげないからね」

「分かった、悪かった。ま、いいのを見つけたらいつでも紹介してくれ」

「恋愛に興味はありません」

「そいつぁもったいないな。人生の半分を損してる」

 シャルロットの眉がつりあがった。

「あのね兄さん。月の半分以上も家を空けるとか、仮にも子持ちなのに遊郭に出入りするとか、どうかと思うんだけどどうなのよ。私にもそれを真似してふしだらになってもいいってことかしら?」

「お前はそうはならんだろ。そこは親として信頼している」

「都合よすぎるのよ」

「ケンカはやめよーよ。せっかくおとーさんとご飯を食べてるのに」

「クリス。貴方がそういう風に甘やかすから兄さんがダメ人間になっていくのよ」

「だって、お姉ちゃんがしじゅうそういう風に説教をしたら、お父さんがますます家にいづらくなると思うの」

「む……」

「悪かった」

 素直に、京四郎は頭を下げた。

「家を空けないように努力するよ」

「せいぜい期待を裏切らないようにね」

「おとーさん、ご飯食べたらお風呂一緒に入ろう」

 無邪気に、クリスが言った。


 その夜。

 京四郎は、娘と添い寝をしながらおとぎ話を聞かせてやった。

「――天界で暇を持て余した孫悟空は、太上老人というひときわ格の高い仙人の邸宅に忍び込み、食べたものを不老不死にする金丹を残らず平らげました。道中で仙桃を盗み、しこたまお酒を飲んで暴れた孫悟空に、玉帝は激怒して天兵を差し向けます。これに気づいた孫悟空は下界へ逃げ、手下の猿を集めて徹底的に争う構えをとりました」

「にゅ……」

 話が進むうち、クリスの目がとろとろとまどろんでゆく。目蓋が完全に閉じ、規則正しい寝息が小さな鼻から聞こえてきた。

 口元のよだれをぬぐい、京四郎は娘の布団をかけなおしてやる。

 ふと、思う。

『俺はあとどれくらい、娘に物語を語り聞かせられるだろうか……』

 人生は短い。

 一日が過ぎ、一月が過ぎ、一年が過ぎるごとに子供は成長する。親に甘えることも次第に減り、愛する誰かを見つけて自分の居場所を作り出す。いつか子供を産んで親となり、命のともし火は受け渡されてゆく。

 娘を愛している。

 シャルも、クリスも。

 だからこそ怖かった。

 この先にある、二人を殺してしまう未来が。


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