ハーレクイン命乞い

『……かようなやむべからざる物語を通して、若き私は殺人者となったのだ』道化は語り終え、厳かに涙した。衣装は乱れほつれ、指一つ動かせない。




 数十の影がそれを見下ろし、凝視を注いでいた。

「お頭よう」

 仲間に耳打ちする者がある。

「あ?」「こんにゃろが今惨めったらしくまくし立てやがったんは、全部有名な歌劇の筋書きですぜ。他の御仁らも気が付いておいでだ」「おう」


 修道女が顔をぐちゃぐちゃにし、長燭台の柄をいっそう捻じ込んで慟哭した。

「道化よ。懺悔はそれきりなのですか!この期に及んで汝は!真に、心よりの言葉を持たないとでもいうのですか?神、天に坐します大御神よ!私は彼をどうしたらよいのか!」


 道化は血を咳いて答える。

『それは怒りですね?怒りは無意義の最たるものです。身を任せてると実にイイよね』

 優雅な髭の剣士が女を宥め、まず穏便に輪の外へ追いやった。

「ん。では道化よ、手前が奪った累々たる命たちをどう思う。例えば我が愛する妻の事を」

『君は呆れているか?憐れみか?もはやどうとでも料理できるものな。しかしわかったぞ、蓋しそれは驕りだ。おれはおれを置いては関心がない。貴君の失い、失わせたがっているご大層なる何かを、こちとら得てすらいない。無意義な勝利だな』

 道化はじわじわとニヤついた。剣士は半分ほど抜剣していた己に驚き、制止した。


 男は気分を害したようで、むすりとしたまま離れた。




 新たに声を上げるのは、八つ眼の近眼鏡で顔を覆った若い学者だ。

「さっきから聞くに堪えんぞ。こいつ他人の望んでることを話す気がさらさらないし、人の神経を逆撫でして楽しみたいだけじゃないか。つまり論理的にむ……無意義だ」

『結構、毛だらけ、こけこっこ。流石に学が高いから弁えてらっしゃる。僕ら、自然におんなじ結論に至ってるね』


 学者は腹立ち紛れに道化の尻を蹴り浮かせて、頭を掻きつ行ってしまった。

『でもひどいや。こんな聡明な僕ちゃんとお喋りしたくならないだなんて』

 道化は指を折り曲げて目のあたりで動かし、しくしくと口に出した。


 その額に警官がラッパ銃の銃口を突き付けた。

「貴様が四の五の言った所で関係ない。本官個人の感情も今は関係ない。法の裁きを受けさせるだけだ。たわ言の続きは監獄の臭い飯を食いながらでも考えるがいい」

『ふぅーん、あ、ふーん。どちら様だっけ。あんただけ知らんなあ。ごめんよ、本当わからない。もしか人違いじゃないかな?おーい部外者が入り込んでるぜ。ご退出願ったら』

 道化は唇に手を添えて、ウェイターでも呼びつける時のようにした。

 婦警は少し血管を浮かせたが、耐えた。

『あっそ』

 道化は銃身を掴んで逸らし、もう片方の手で婦警の指を引き金に押し込んだ。

「貴様!」

 道化の後方に立っていた野卑な身なりの一団の、一人が土手っ腹を押さえて倒れた。

『あれれのれのれん?大変!無実なのにすんごい大怪我した人がいるぞお。誰が銃なんか使ったんだろう?』




 賊の首領らしき者が挑みかかる。

「やいやいお巡りさんよ!勿体ぶらんとさっさかぶっ殺さにゃそいつは、まだまだいくらも道連れを増やせるんだぜ!なんだってそう優しくしてやる必要があんだ!」

「いや、だが、しかし、法廷までは。それと、私は撃っていないからな」

「あ?何ちぢんでんだ。どうせこいつの仕業だろ。シャンとしてろや」


「…………待てよ、お前たちの顔。何人か見覚えがある。亡命中の一味だな。ついでに同行願おう」

「ち、勘弁してくれよ。どう考えたってこの蛆野郎が優先じゃねえのか?」

「両方だ。正義は天秤にかけられない。こいつが片付いてしまえば、貴様らの方は逃げる余力もある。違うか?」


「あ~~~。うし、てめえら」

「待て、抵抗はよせ。抵抗しなければ悪くしない。まだそこまでの罪状じゃない。やめて。どうしてだ。撃ちたくないんだよ」


 賊一味も警官隊も、手に手に武器を握ったまま、転がるように場を離れた。さほど間もおかず、幾つか銃声が続いた。


『おほっ!ラブラブなこって。詰まる所さ、脳味噌ぶち撒き合いがしたくってたまんないくせにさ、変にカッコつけちゃって。素直じゃないよねつくづく』



「…………儂の元へ来んか?罪にまみれし者よ。ぬしに今一度、人並みのむがぐ」

 威厳に満ち満ちた長衣姿の老賢人が躊躇いがちに開いた口に道化はいそいそと犬風船を詰め込み、片手間に言った。

『君子曰く、モーロクジジイの繰り言は一生続く。よって無意義の骨頂。さもあらん』

 賢人が卒倒していく所を、鍛え抜かれた腕が受け止める。そのまま穏やかに横たえると、見る間に介抱し、息を吹き返させる。


 それは顔を隠した験者だ。

「拙僧には御身を責められた義理などない。ただ、御身の如く殺人術に酔っていた若き手前の姿が偲ばれる。これは辛い。よって拙僧の我がままの為、御身にも人の道に戻って頂きたい」

『やだよ辛気臭えーの。厭にござる。どうすんの?』

「であれば命脈絶つ」

『なんだ、まだお仲間じゃんよ』道化はごますり仕草をした。

「余人の為也」

『ちぇっ連れないねえ。どっちにしたってもう助からねえんだからさ。大目に見てよ。頼むこの通り。同族のよしみ。末期の頼み。武士のお情け!土下座腹切り介錯御免!』


「……もう殺さぬか」

『うん誓う!』

「誠だな」

『うんうん!バーカ死ねよ』

 道化が指を鳴らすと、験者の後ろで風船が爆ぜ、中から毒針が飛び散った。それは験者の露わな肌を掠めた。数瞬とおかず、験者は蛙のようにひっくり返った。


『先へどうぞ。お顔は拝見~っと』

 道化が素顔を暴かんとするので、験者は虚無僧笠の下で泡を吹きながら抗った。

「畢竟野良犬……生かせば……噛むか…………」

『全くだ!重みが違うね』

「御身に……言うた」

『へえ?』

「奮!」

 験者が握り込むと、道化は両手首を砕かれた。験者は事切れた。

 道化は飛び出した尺骨を眺めて、しばしつまらなげな顔つきでいた。それから験者の顔がわからぬままになったので、唾を吐き掛けた。




 とうとう道化といくつかの屍の他には、場違いな星柄パジャマの子どもだけが残った。恐る恐る、しゃくり上げる声に混じって、何やら言う。

「おじちゃん、嘘ついたの」

『違わい。そん時ゃ心底本当だ』

「ぼくの絵。ひぐ、ぼくの絵を見たじゃない。にっこりしたんじゃ、ないのお」

『ダメダメ坊や。すぐピーピー喚いて丸め込もうとすんだから。断っておくけど、あたしゃ別にきちがい専門科医じゃないんだよネ。いちいち懇切丁寧に教え諭してあげちゃう義理なぞありゃしねーーーーって。のけのけけえれ、お呼びでないってば行っちまいなクソジャリ!』

「おじちゃあん」

『パッ!』

 道化は白い顔へ湯気の立つ血を塗りたくった。

『あら不思議!ヒョホホホホホ』

「こわいよ。こわああいよおお」

『ヒョホホホホホーウ!』

 道化は、死の予兆からかガチガチ歯を鳴らしながら、覚束ぬ足で舞い狂った。左膝が逆に曲がってぶらりんぶらりん、右はとっくに笑い出している。横倒しになって、跳ね起きて。尺取り虫じみた運動の都度、体中に仕掛けられた造花がばつばつ咲く。


『キョハ!キョハ!嬉しいねえ!嬉しいねえ!無意義でかわゆい、最後のお客さんだねえ!超うざってえぜ!』

「ああ……」

 子どもは身震いがひどくなり、少しずつ後ずさっていった。




「……そうだ。自分の芸歴は、全幕に渡って壇上にあった。次から次へと観衆を舞台に引きずり込んでこその殺り甲斐だった。

 だが、どうしたことだ、今宵だけは。開かれた胸底より迸って戻らぬこの血の毒々しさだけが、自分は惜しい。こんな意義深いひとときに、どこぞの若輩どもを横入りさせてはたまらぬ。もっと大勢を傷付けていたかった」

 道化は一頻り笑い、泣き、怒り、恍惚し、抑え、弛緩し、衰え、喚き、澄み渡り、どっと噴き出しておどけ、やがてすっかり糸が切れた硬直に落ち着き、死んだような寝顔を作った。



 以後その一帯は柵に囲われ、禁足地になった。

 大人になった男児は執拗に道化師の具象画を描くが、ことごとく酷評され、一山いくらの山中に没したという。数ある聖句が定めたごとく、後には塵さえ残らない。めでたしめでたし。

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