第12話―契約―


 洞穴へ足を引きずりながら戻ると、エイリーネの元まできでとうとう倒れてしまった。

 体力の限界、貧血、意識が朦朧としていた。


 だが、突き刺さっていたナイフが倒れたことにより押され、臓器に突き刺さり意識が飛んだ。


 ――が、すぐに目を覚ました。


「……ク……ライク……! ああ、良かった……!」


 目を覚ますと、俺はエイリーネ抱きしめられていた。腹に刺さっていたナイフはいつの間にか拔かれており、大きな傷跡を残して完治していた。


 今までも母の回復魔法により傷一つ残らず回復してきていたが、今回はそうもいかなかったらしい。治療までに時間がかかったのが理由だろう。


 豊満な双丘が押し付けられ、母という存在の温かさを感じるが、そんな余裕はない。

 俺はホッとしたのも束の間、母の肩を掴んだ。


「エンリは、エンリはどうなった!?」


「お、落ち着いてライク。エンリならそこよ」


 エイリーネは俺の勢いに気圧され、ヨロヨロと、倒れているエンリを指をさす。


 俺は急いでエンリの元へ駆け、抱きかかえ、エイリーネの方へと戻る。


「母さん、どうしたらエンリは治る!? もう消えてしまいそうなんだ!」


 マントをずらせば、肩が完全に消えかかっているエンリを見て、ますます焦燥にかられる。

 だが、エイリーネは俺を諭すように言った。


「落ち着いてライク。今の状態なら、まだ時間はあるわ。だから大丈夫」


 大丈夫という言葉にひとまずこ安心を覚えた俺は、母の次の言葉を黙って待つ。


「この子を助ける方法は一つ。契約よ」


 契約。

 精霊と契約をすると魔法が使えると言っていた、あれだ。


「この子は核が傷ついていて、魔力が漏れている。なら依存する魔力を他のものに変えればいい。でも……」


 母は一呼吸置いた後、神妙な面持ちで続ける。


「ドッペルゲンガーとの契約なんて、今まで聞いたことも記録に残ってるって話も聞いたことがないわ。ドッペルゲンガーという種族自体何を考えているのかもよくわかっていないし、第一にその子、死にたがっていたでしょう? 契約は精霊の意思がまず尊重され、次に人間の意思が合って初めて契約が成立するの。その子とできるかどうかは――」


 心配そうにそう言うエイリーネ。

 多分無理だと思っているのだろう。

 そして、助けられなかった後の俺の姿を想像して、どうしようかと考えているといったところか。


 けれども俺は。


「大丈夫」


 一言、自信を持っていった。

 自分でもわからないほどに、その一言には説得力が合ったと思う。


 するとエイリーネは押し黙り、ふっ、と息を吐くと、


「契約は当人、当霊の合意だけ。私は見てるわね」


 そう言って、俺とエンリを見守ることに徹するよう。


 その顔は、笑顔であった。





 俺は抱きかかえているエンリを見る。

 エンリはいつの間にか目を覚ましていたようで、同じく俺の方をじっと見つめていた。


 真剣。

 ただそれだけを込めた言葉で、俺は問う。


「エンリは、生きたいか?」


 ここで死にたいなんて言われたら終わりだ。

 これまでやれることだけのことはやったが、エンリに拒絶されれば全てが終わる。


 俺はただの迷惑な奴だっただけだ。


 でも、それでも――そうではないという自信があった。

 するとエンリは――笑った。

 笑顔でいたエンリは、キュッと顔を引き締めると、ぽつりぽつりと話し始めた。


「アタシは、貴方が知ってるドッペルゲンガーじゃない。全く違う、別物かもしれない化物。そんなアタシでも……契約してくれるの?」


「あぁ、当たり前だ! 俺はエンリに助けられたし、その力に助けられた。それにほら見ろ、よっぽど俺の顔のほうが化物に近いぞ!」


 反応を恐れるように。

 消え入るような声で話すエンリに、俺は迷わず大声で言った。


 俺自体ドッペルゲンガーのことをよくわかっていないが、例えどんな者であろうとも、エンリはエンリだ。


 今までの無感情、そこから少しずつ興味を持ち、最後には俺を助けてくれた。


 人を襲うのがドッペルゲンガーなら本当に別物なのかもしれないが……俺には関係ない。


 エンリには生きて――俺が経験した生きたって喜びを味わってほしい。


 エンリは俺の言葉を聞くと、信じられないと言った表情のまま、ポロポロと涙を流した。

 虹色の瞳から溢れる涙は、雨上がりの清々しい空のように見える。


「貴方、は……あたじを、必要としてくれる……?」


「あぁ、俺はエンリが必要だ」


「あた、じを……認めてくれる……?」


「もう十分認めてるさ。エンリの力も、エンリ自身のことも」


 涙ぐんでいるせいで、声はくぐもり、途切れ途切れになっているエンリの質問に、俺は迷いなく丁寧に答えた。


 やがてエンリは手で涙を拭う。

 その顔は、決意した表情であり、活力に満ち溢れていた。


「アタシは……生きたい。あなたのせいで生きたいって思った。だから――」


 俺の背中へと手が回される。

 エンリから、俺に抱きついてきたのだ。


 最初、助けた頃とは違い、温かい。

 エンリの変わってきた一つ一つのことが、自分のことよりも嬉しく感じる。


 だが、温かさは熱さに変わった。

 主に心臓の辺りだ。


 何かが流れ込むようで、息が苦しくなる。

 何事だ、どうなるんだとエイリーネの方を向き助けを求めるが、エイリーネは何やら口元を手で抑え心底驚いた様子でいる。


 エンリはといえば黙って俺に密着するように、自分の胸を俺の胸へと押し付けるようにしている。


 ナイフを拔いた時に脱がされたのか、俺も上半身は裸であった。


 これはあれか。

 童貞であった俺にこういった耐性がなかったから動悸が激しくなって呼吸が荒くなっているのか。


 と思ったのも束の間で、すぐにそれは収まり、エンリはパッと俺の元から離れる。


「へへ、よろしく、主!」


 消えてしまっていた肩は完全に治っているようで、マントに肩の形が浮かんでいる。

 美しい白髪の、虹色の瞳を持ったドッペルゲンガーの少女は、満面の笑みを浮かべて、俺を主と呼んだのであった。

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