五幕

 気まずい空気が流れている。それを感知しているのは僕と、きっと隣に座る浦出うらで御影みかげというクラスメイトの女子だけだろう。

 毛先の切り揃った首までの短髪に、つり目が特徴的な女子である。シャープな体付きで、運動が得意だが勉強は苦手なタイプだ。それと、人見知りするタイプであることは今知った。彼女は僕に似た性格なのかもしれない。

 現在、四人テーブルの窓際に僕と目移さん。店内側に裏出さんと、その友人の同じくクラスメイトの天然てんねん妃愛ひめが目移さんと肩を並べて席に座っている。

 天然さんの方は、浦出さんと対照的な容姿をしている。ウェーブのかかった長髪に、垂れ目でふくよかな胸。太っているわけではないが女性的に脂肪がついており、運動は苦手でも頭は良い。クラスでも成績は上の方だ。性格も、浦出さんとは正反対のようで、一見して人見知りをしているようには見えない。

 とはいえ僕らとの間には心の壁が分厚く立つ。相席を了承したはいいものの、こうなることは目に見えて分かっていた。

 それぞれ窓外と店内側に視線を集中させて目を合わせようとはまずしない。テーブルの真ん中にペーパーナプキンを容器ごと置いてテーブルを仕切っているが心もとない。肩を揺らせば当たってしまうほどの距離に相手がいるのでは、割り切って互いを無視することなど不可能だ。

 しかし向かいのふたりは僕らと様子が違っている。目移さんと天然さんは、互いに会話をしているわけではないのだが、ふたりしてメニュー表を眺め、注文を確定させることに必死になっていた。このふたりは、ペーパーナプキンの仕切りだけで十分互いの距離を保てているようだった。

 

「ねえ御影、なんする? 私これに決めた」

「え、え、ちょっと待って、早いって。わ、けっこう種類あるのね」

「はよしてよ、お腹空いちゃってもう耐えられん」

「待って~」


 マイペースな天然さんに急かされる浦出さん。僕との距離に唇を尖らすことにひ必死になってメニューすら見ていなかったようだ。それを横目に、ふんと鼻を鳴らす。


平和ひらわくん、決まったの?」

「ん? あぁ、コーヒー頼むわ」

「それだけでいいの? お腹空かないの?」

「食べたくなったら追加する」

「そう? じゃあ、オーダーしちゃうよ」


 浦出さんが決まっていないにも関わらず、目移さんが呼び鈴を鳴らす。それを浦出さんが一瞥する。少し不満そうだったがこれに対して僕は何も思わない。

 四人一緒にオーダーする必要は果たしてあるのか。否だ。相席だからといって行動を同じにしては余計に居心地が悪くなる。僕らはあくまで別席の客なのだから、オーダーだって別で当たり前だろう。特別悪いなどと思うわけがない。

 店員が注文票をもってやってくる。僕はホットコーヒーを、目移さんはパンケーキとトロピカルフルーツジュースなるものを頼んだ。

 店員が復唱していると、その様子を浦出さんがもの言いたげに眺めている。もともとつり目だからか、僕らを睨んでいるようでもある。

 店員が一礼して、その場を後にしようとしたときだった。

 

「すみません、うちらも注文」


 浦出さんが頭の上に手のひらをかざす。歩行を止めた店員が、職業癖か反射的に踵を返してテーブルに向き直る。顔は笑顔のままふたりのオーダーを承っていたが、内心どういう気持ちか少しだけ察してしまう。

 悪いことをしたかな。

 そう思った直後に、浦出さんが僕を見た。真顔で、どうだと言わんばかりに。

 こいつ、わざとそのタイミングで店員を呼び戻したのだ。自分らの注文が決まったからではなく、僕にそう思わせるために、わざわざタイミングを見計らったのだ。

 陰湿なやり方だ。聞こえないように舌打ちを漏らすと、それを打ち消すかのように浦出さんと天然さんが女子トークを開始した。



 注文の品が四人とも揃ったのが二十分後。食べだして十分が経って、目移さんの皿はすでに空っぽになっていた。最初に品が来たのもあったが、早食いしてしまうほどお腹が空いていたようだ。満足げな彼女は、グラスの縁にハイビスカスが飾られたトロピカルフルーツジュースをストローでちびちびと飲んでいる。僕もコーヒーをすでに飲み干している。

 隣では、まだ半分以上も食の進んでいないふたりが会話に盛り上がっている。喋りすぎてモノを食う隙もないのだろう。

 内容は身の詰まらないものばかりだ。四限目の早退のことだったり、ゴミ当番のことで愚痴をこぼしたりしていた。どうやら浦出さんの日直の仕事を天然さんが手助けていたみたいだ。どうりで今日の昼休みの教室は静かだったなと、何となしに思い返すが、どうでも良すぎて直ぐに飽きた。よくみる女子会の風景みたいで、僕はますます居心地が悪くなった。

 時々、斜め向かいの天然さんと視線が合うことがあった。けれども僕がすぐに視線を逸らしたのと、浦出さんとの会話が止まらなかったことが相成って喋り出すきっかけには至らなかった。べつに構わないが、気にはなった。

 僕らも会話をしていないわけではない。目移さんが切り出す内容に頷き、返答し、また頷く。いつもの流れだが、隣の騒がしさにやりづらさはあって、いつもの調子にはなかなかならなかった。相席を了承したことを今さらながらに後悔する。

 またしばらくそういった状況が続いてから、空気はふとした拍子に切り替えられた。


「ねえ、ちょっと訊きたいことがあるんやけど」


 そう切り出したのは、斜め向かいの天然さんだった。

 好奇心に満たされたような眼差しは人畜無害ではあったが、どことなく目移さんのそれと重なってあまり気は進まない。けれども拒否する言い訳も思いつかず、


「僕らに?」


 そう訊き返していた。


「というか、そっちにやけど」


 指さす方向は目移さんだ。キョトン、と目を丸くする彼女の返答も待たず、天然さんは軽々と話を始める。


「目移さん、部活つくるらしいやん。でもポスター剥がされちゃったんだって? 犯人、誰だか分かったん?」


 それは今する内容にしてはタイミングが悪すぎる。治らない傷口に塩を塗る行為だ。案の定、目移さんは固まってしまう。忘れかけていた記憶が蘇ったかのように。


「犯人はミステリー研究部、って噂もあるじゃん。自演して部活を盛り上げるためだとか」


 そう重ねて述べたのは浦出さんである。今日の昼に起きた事件なのに、もうそれほどの噂が立っているとはとうてい信じられなかった。

 が、学校の噂話は風のように早い。そんな短時間でも様々な尾ひれがついてもなんらおかしくはないのかもしれないと、納得しかける自分もいた。

 

「個人的な恨みでもあったんかな? それにしては陰湿というか……目移さん、そんな嫌われてんのって感じやけど」


 アイスカフェモカのグラスを持ってにやける天然さんの表情は、同情しているというよりは半分面白がっているようにしか見えない。事実、そうなのだろう。口端に浮かんだ笑みは隠せていない。

 僕は膝の上で、拳をかためる。


「部活もよく分からんやん。自由、とか書いてあったっけ。あれって活動内容なんなの?」

「自由に遊ぶんじゃない? あ、だったらうち入ろうかな」

「入らんでも御影いっつも遊んでるじゃん」

「たしかにー!」


 きゃっきゃと盛り上がるふたり。

 勝手に訊いて、勝手に答えて、勝手に笑っている。

 小さく微笑みながらもうつむく目移さんの気持ちも知らず、そうやって簡単に口を動かす。あぁ、嫌いだ、と思う。

 忘れていた感情だったように感じる。目移さんのおかげで少しは人馴れしたように思っていたが、勘違いだったかもしれない。

 人付き合いは今でも得意ではない。けれども幾分かマシにはなったと思っていた。群れるのが嫌いだった自分が誰かと話すことを「嫌いではない」と思えるようになっていたから、これもひとつの成長なのだと信じていたのに、また、症状がぶり返したようだ。

 人ってやつは、どうしてこうも、平気で他人を傷つけられるのだろう。


「あのさ」


 不思議だった。

 嫌悪感に満たされているはずなのに、口許はなぜだか笑っていた。それが僕の中の何かが吹っ切れた証拠なのだろうと、気づく。怒りが一周すると、人間は笑ってしまうらしい。

 ふたりのクラスメイトがこちらを見やる。目移さんも控えめながらに、上目遣いで僕を見た。


「そんな笑うことか?」


 言うと、天然さんと浦出さんの表情が変わる。


「は、なん急に」

「なにその顔。怒ってんのか笑ってんのか分からないんだけど」


 怪訝に眉を歪めるふたりは、まるで鼻で笑うかのように憎たらしい面を浮かべた。挑発的な態度だと思う。でも爆発的な怒りは不思議とやってこない。


「いや、だからさ、そんなに笑うことかよ。一生懸命つくったポスター剥がされて傷ついてるのに、なんでお前ら、そいつの目の前でそんなに笑えるんだよ」


 爆発的ではないが、言葉が口をつく度にじわじわと感情が膨らんでいく。息を吹き入れて風船を膨らますように、徐々に徐々に、大きくなる。

 たまらず、鼻で笑うように息がもれてしまう。おかしいのではなく、笑うほど、呆れているのかもしれない。


「噂とか、嫌われてるとか、僕らにとってはどうでもいいんだよ。どんな理由があろうと剥がしたやつが悪いんだろ。彼女は完璧な被害者だろ。だったら笑ってんじゃねえよ。無責任にべらべら喋んなよ」


 語尾になるにつれて早口になる。止まらなくなる。胃が押し上げられるような感覚がする。熱い何かが込み上がる。

 目の奥が痛くなるほどに瞳を見開く。


「平和くん、私、大丈夫だから」

「お前は黙ってろ」


 目の前で笑われて平気なふりをする目移さんの気持ちが分からない。へら、と無理して笑う様子にも腹が立つ。僕よりも辛く腹立たしいはずのお前が何も言わないことが、一番むかつく。

 どいつもこいつも、本当に。


「ちょっと、勝手にキレんでよ。ふざけただけでしょ。マジにならんで」

「怒るなら犯人に怒れって感じ。うちら悪くないしねー」


 バンッ、とテーブルを叩いて立ち上がったのは反射的な行動だ。

 周りの客や店員がこちらを振り向く。中には迷惑そうな人もいたが、赤の他人為なりふり構ってはいられない。

 さすがにクラスメイトのふたりも口を閉ざす。浦出さんにいたっては隣だからか肩をすくませた。

 けれども姿勢は負けじと前のめりだ。ふたりは一瞬崩れた表情を戻し、さっきよりも険しくした。


「ちょ、まじ、そういうのシラケるわ」

「やめてよ。恥ずかしい」


 嫌悪感に満たされた表情。

 逆ギレってやつだ。どうしようもない連中だと改めて実感した。もはや、口を開く気力すら消失する。


「行くぞ」


 目移さんを一瞥してそう促す。

 返事もきかずに荷物を抱えて席を離れる。


「ちょっと待って平和くん。伝票!」


 必死に後を追う目移さん。

 それも待たずに僕はカウンターにふたり分のお金を置いて、ひとりさっさと店を出た。傘すら持たずに。そうしてまでも、店内にいたくはなかった。

 会計を済ませた目移さんが、二つの傘を手に出てくる。店先の小さなテント屋根の下、黙って突っ立つ僕の目の前にそれを差し出して、顔を覗き見てくる。


「大丈夫?」

「お前が言うな」


 強く当たる相手を間違えてはいけない。目移さんに非はない。分かっていても、そんな言葉が口をつく。必要のない彼女の優しさに、冷たくしてしまう。

 ふと店の大窓を見れば、窓際に席を移ったふたりが楽し気に盛り上がっている。きっと僕らのことで話が弾んでいるのだろう。悪口には最適なネタだろう、と自分の行動を思い返し、ぐるぐると胸の奥が気持ち悪くなった。

 無言のまま傘を広げ、道に出る。目移さんは僕の斜め後ろをついてくるが、やはりそこに、会話はないままだった。


   ***


 電車で学校近くの駅まで戻った僕らは、いつも分かれる歩道橋の前にたどり着くと、しばらくそこで立ち尽くした。互いに顔も見合わせず(僕が一方的に背けているだけなのだろうが)、雨音を耳にかすめながら、沈黙を貫く。

 まだ、あのふたりの声と顔が頭の中で反芻している。嫌味な笑みと、うざったらしい戯言。なにを意図して目移さんにあんな厭味を放ったのかは知らないが、やり方は悪質過ぎて、人間性を疑うくらいだ。

 五十里さんの取り巻き。部活をしているだけ、五十里さんの方が何倍もマシに思えてしまう。彼女もあんなことをする人間なのだろうか。ふとした疑問は不毛だと思い、すぐに思考を止めてビニール傘の隙間から灰色の空を眺めた。

 目移さんが糸のように細い声を落としたのは、それからまた数分経って、不意のことだった。


「もう、やめようかな」


 弱気な口調に視線が下がる。

 僕はその言葉が聞き間違いであると最初思った。もしくは、そう願った。

 けれど意思に反して、彼女は言葉を止めない。


「誰かが私の活動を嫌がってるみたいだから、もう、やめようと思う。人を嫌がらせてまで、そうまでして、やりたいことじゃ、ないし」

「ふざけんな!」


 言葉を遮るように、大声が出た。

 目移さんが怖がった様子で僕を見上げた。

 緊張して体を強張らせているようだ。

 彼女は傘の下で、ただただ気まずげな面を浮かばせた。

 そんな顔を、僕は見たくはなかった。


「そんなことで、諦めんな」

「……でも……だって」


 時が長く感じる。

 雨音が妙にうるさい。

 隣の通りを走る車のタイヤの音も、耳に障る。

 学校を出たときよりも空は薄暗くなっている。

 歩道の街灯が一列になって点灯し橙色に道を照らす。

 気温がまた下がった。ヒヤリとした風が体温を奪っていっている。

 それでも、なかなか足は、帰路につこうとはしない。

 

 「諦められる、もんか」


 息のような、声。返答は、なくなる。

 僕らは何かを待つように、歩道橋の足元に、だた立っているだけとなった。

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