四幕

 今回のこと、あまり深入りしないようにな。

 珠子たまこ先生にそう釘を打たれたのは、昼休みに教室の入り口をくぐろうとしたときだった。どうやら待ち伏せしていたらしい彼女は、戻った僕を呼び止めて念を押すように言ってきた。不満げに理由を求めると、珠子先生はボブヘアの髪を耳にかけ、参っている様子で少々乱暴に言葉を繋いでくれた。


「あんたの気持ちは分かるよ。そこだけは勘違いしないでくれ。でもね、犯人探しとか、そういうのに費やする時間があったら、目移めうつりのことを見てやってくれないか。あいつも今回の件でけっこう参ってるみたいだからさ。寄り添えられるのは、平和ひらわだけだろうし。このことは、私ら教師で片付けるから」

 

 簡単に納得はできなかったけれど、強制的にもそうさせる意思を珠子先生から感じて、僕は頷くしかできなかった。不甲斐ない、と自分で思いながら、すでに教室に戻っていた目移さんの前席へ腰かけ、悶々と渦巻く思考をごまかすように、窓に叩く雨粒の流れる先を目で追い続けた。

 一瞬だけ目線を流せば、後ろでは、目移さんも同じように外を眺めていた。切りそろえた前髪に、左右の短いおさげ。いつも丸く開かれた瞳は伏せ気味で、視線は遠い。小さな指が淡いピンクの唇をつまんだり掻いたりしていたが、そこに意識は集中していなかった。

 いつもなら席につくなり話しかけてくるはずなのに、それが無いのは少々心細い。心細いと思えるほどには、僕は目移さんと親密な仲になっていたのだろうか。

 突如浮上した疑問だ。頬杖をついて、今の自分を少しばかり思い返す。

 出会って二か月。間もない機関だがそれにしてはずいぶん面倒を起こされた。席が前後同士だからという理由で一方的に気に入られ、連れまわされ、巻き込まれ、そうして今も、それは続く。

 突き放すことくらい、いくらでもできたはずだ。今までだってそうして人を嫌厭して遠ざけたのだ。ひとりが好きで、群れることが嫌いだからそうし続けてきたはずなのに、気づけば目移佳舞かまえという転校生に翻弄されるがまま、数人の人間と関わってしまった。

 僕は変わったのだろうか。いや、そういうわけではないことは確信できる。今でも群れることに関しては嫌悪感はあるのだし、ひとりの時間はやはり気楽で、ホッとする。感情の変化としては、ここは昔の自分のままだ。

 きっと変わったのは、環境なのだと思う。今までいなかったはずの存在が僕の目の前に現れ、日常を崩壊していった。話す気がなかった、もしかしたら一生関わることもなかったはずの連中と関わったのは、全て目移さんの行動や言動が招いた結果だった。僕はたまたまそこに居合わせ、世話を焼く羽目になったに過ぎない。

 それは、喜ばしいことだとは思えない。元から関わりなかった人たちなのだから、もしこの先知り合えなかったとしても何ら不備はないはずだ。むしろ面倒ごとの種ができないだけ、マシだったのかもしれない。

 けれど、やはりそこにも今までと違った思いが生まれている。無意識なものだが、こうして改めて思い返せば、なんとなくだが、そうなのだろうと、思える。

 きっと僕は、今の環境が嫌ではないのだ。面倒だと思いながらも、不機嫌になりながらも、行動する自分がいるのは、そういうことなのだろう。

 ある意味、無の境地だとも思う。感情的な思考ではなく、「嫌ではない」という立場は、掛け算で言う『1』であり、色で言う『白』のようなものだ。

 何にでもなれる。僕は今、そういう立場に立っているのかもしれない。

 そして、目移さんという転校生に彩られていく生活に、今は馴染んでいるのだ。

 故に、彼女らしさが欠けた目移佳舞の姿に、物足りなさを感じたのかもしれなかった。うるさく喋りかけられることが、もはや僕の日常と化しているから。

 ま、そんな分析をしたところで目移さんへの態度が変わるわけではないのだけれど、このままではどちらも鬱になりそうだったので、僕はごく自然な流れで後ろを振り向く。

 口許に手を当てたままこちらを見上げた目移さんは、さらに物悲し気な色を増して、瞳を伏せて見せた。視線を逸らし、窓外ばかりを眺めている。ふてくされた子供さながらの態度だ。

 かまってちゃんも伊達じゃないもんだな。ため息と同時、苦笑が漏れて、声に出た。


「ふん、お前もそんな顔すんだな」

「……ここは、慰めてくれる場面じゃないの?」


 ジト目で睨まれる。彼女が小声で発したセリフに、また笑ってしまう。


「僕がそんなことすると思うか?」

「思わない」

「即答かい。複雑だなぁ」

「でも、ちょっと期待した。そんで裏切られた」

「裏切った覚えはねえ。誰も、慰めないとは言ってないだろ?」

「へ?」


 瞳が丸に戻って、首をかしげる目移さん。

 勿体ぶるほどのことでもないけれど、頬を掻いて少し間を空ける。こんなことを言うのは気恥ずかしいのだ。僕は誰かを慰める行為など、この人生で数えられるくらいにしか経験したことがなかった。


「今日の放課後、ちょっと付き合え。甘いもん、奢ってやる」

「甘いもん……え、えっ。奢るって、え? なに、ええ?」

「戸惑いすぎだろ! いらないのか? いらないならこの話はなかったことに」

「いぃやああ、いるっ、いる! 甘いもん食べる! ありがとう平和くん!」

「別に、ただ、珠子先生からお前のこと頼まれたからな。それだけだ」


 ごまかしに言った言葉はもはや彼女の耳には届いていない。

 落ち込んだ影は消えて、目移さんはいつもの彼女に戻っている。両手を上げて、まさに両手離しで喜ぶ姿は微笑ましくて、ちょっとうるさい。でもうるさいくらいが、丁度よくて、自分の日常が戻ったように感じられた。

 あぁ、僕は完璧に麻痺してるんだなぁ。

 心の中で吐き出した本音は、そのまま胸の内にそっとしまい込んだ。


   ***


 学校の最寄り駅から十分ほど電車に乗れば、複合商業ビルと同化したターミナル駅に到着する。ショッピングセンターをはじめとして、飲食、映画、美容院からブライダルに至るまで、幅広い商業施設がその駅ビルと、同敷地内に新しく建った同じく複合商業ビルに集まっている。

 夕方の帰宅ラッシュに伴い、数え切れないほど多くの人間が駅とビルとを縦横無尽に行き交い、まるですべての目的地がここを中心に繋がっているのではないかと思えるくらいに、人の足は留まりを見せはしない。

 平日はサラリーマン、休日は観光客で賑わうターミナル駅から脱した僕らは、そのまま正面の、これまた車の通りがひどく多い大通りを足早に渡ってオフィスビルから裏路地に入り、すぐ脇に見えた、『Alone cafe』の字で立てられた看板が目立つ、一つの面がガラス張りになったウッドテイストのカフェのドアにかけてあった鐘を鳴らした。

 カランコロン、と軽快な音が心地よい。濡れた傘を静かに畳んで、植木鉢のような籠に立てる。軽い素材のデニムシャツに白黒チェック柄のサロンを腰に巻いた若い女性店員が接客に来たのは、目移さんが不器用に傘を畳み終わったタイミングだった。できるだけ手を塗らさないようにしたかった、というどうでもいい理由はいつものごとく、聞き流した。

 案内されたのは窓際の四人テーブル席だ。天然木をシンプルに加工したようなつくりで、ところどころに穴や傷があるのが味を醸し出している、ように思う。よくは分からないけれど、温かみはあるように感じる。

 この店はインテリアにこだわったモダンな内装を施してある。ベースは木材で、棚には洋書や観葉植物、アンティークな模型やフィギュアが飾られ、白を基調とした壁には現代アートのような絵画が数枚かけられている。天井は高く、奥の階段を上がれば少人数用のロフト席があって、隠れ家的な佇まいをしている。

 ここには、ひとりでよく足を運んでいた。高一のころにたまたま見つけ、暇があっては学校帰りに立ち寄ることもしばしばあった。

 今日は実に二か月ぶりの来店となる。目の前のかまってちゃんのせいで、この頃はずいぶんと暇が減っているのだ。焙煎からこだわるこの店のコーヒーは、高校生舌から見ても他とは断然異なって美味い。手作りケーキも絶品で、この機会に目移さんを連れてきたのは半分は自分が行きたかったからという口実でしかなかった。

 座った直後に、この場合は女性を奥の席に誘導すべきだったかと一瞬考えたが、相手が目移さんだからそこまで気にはしないことにする。メニュー表とグラスに注がれたお冷を置いてその場を後にした店員の背後を追うように、視線を入り口側の壁に向けた。

 そこには店の雰囲気にそぐわない唯一の張り紙がしてある。油性ペンで手書きされてある内容は「店内混雑の場合、相席をお願いすることがございます。何卒ご了承下さい」とのことだ。前から張られてある注意書きは、店内を見渡せば納得するしかない。

 もともと駅近の少ない土地に無理に建てたようなこのカフェ、『Alone cafe』の店内は狭く、ロフトとカウンター席を入れても十五席ほどしかない。『Alone cafe』の名のとおり、一人客をターゲットとしているようで、テーブル席だけでは僕らのところを含めても三席くらいしかないのだ。

 故に、時間帯によっては客が入りきらないことも多々ある。その場合、状況によっては相席を頼み込むこともあるようだが、僕は未だにその光景は見たことが無かった。

 たしかに席が埋まっているときはよくあるが、空きが無いと分かれば去っていく客の方が断然多い。駅の方にも腐るほどカフェはあるし、何より好んで他人との相席を望む者は少ないだろう。件の張り紙も、きっと念のためのおことわりとしての役割でしかないのだ。

 現在の店内を見たところ、席はロフトも含めて埋まっているようである。僕らが最後の空き席獲得者となったらしく、ラッキー、とテーブルの下でガッツポーズをしてみた。


「ねえねえ、何にする? すごーく美味しそうだよ! パンケーキとか、手作りプリントか! わっ、リンゴのシナモンタルトだってー、絶対美味しいよね!」


 三つ折りされたメニュー表を広げ、目移さんはすでににらめっこを始めている。花より団子。この雰囲気を味わおうともしない彼女をもったいないと思いながら、自分もメニュー表を開いて眺めた。


「予想以上にサイズでかいからな。食べきれるやつ頼めよ」

「大丈夫だよー。今なら私、これふたつとかイケちゃうかもよ!」

「昼飯抜いてるからって、さすがに吐くぞ、それは」


 指さすホイップクリームたっぷりの三段重ねのパンケーキは、見るだけで胸やけを起こしそうだった。イメージ写真にはメイプルやフルーツがたっぷり盛られ、これを一人前だと載せていることに関してだけはこの店に抗議したい。一度それを頼んで、一週間は甘味を見るだけで気持ち悪くなった過去があるが故、嫌悪感は否めない。


「えー、イケると思うけどなぁ」

「空腹時はたいてい誰でもそう考えるんだ。そんで食べて後悔する。バカがやることだな」

「私はちゃんと自分のこと考えれるもん!」

「どうだかね」


 ぶーぶー言う目移さんに早く頼むよう促し、僕も注文を選ぶことにする。

 口ではああ言ったものの、たしかに昼を食べてない分、空腹感はいつも以上だ。ポスター事件が発覚してからいろいろあって、僕らはそのまま昼飯を食べ損ねていたのだ。

 本当はファストフードとかがよかったんだろうが、僕はああいうところが好きではない。ガヤガヤと同年代が騒ぎ立てる店内では、うまい飯もまずくなるような気がした。

 とりあえず、食べ物は後に回してホットコーヒーを頼むことに決める。雨のせいで幾分か気温が下がっているから、店内の冷房が寒かった。

 さて、目移さんは決まったかな。急かすべく面を上げたと同時、新規の客がドアを開けて入店してきた。席はまだ、空いていない様子だ。

 残念だったな。なぜだか優越感に浸りつつ来店客を眺めていたら、その顔を見た直後、僕は思わず視線を逸らした。勢いよく頭を下げ、メニュー表に視線を戻す。

 嘘だろ。どうしてあいつらが、ここに。


「えー! 空いてないんですかー? せっかく来たのにー」

「カウンター席でもいいんですけど。すぐに空くなら、待ちますし」

「もう駅の方行こうよ! そっちが早いって!」

「でも妃愛ひめ、この店行きたい言うとったやん」

「いいよー、また今度で」

「私は、ここがいいんやけど」


 学校で何度となく聞く声。

 一瞬だが見た制服は、紛れもなく、我が高校と同じだ。

 額にジワリと汗がにじむ。寒さは吹き飛んで、空腹すら忘れてしまいそうだ。

 この場所は駅から隠れている。大通りを渡った裏路地にひっそりと建っている。客層は大人が多く、高校生が来るには少し落ち着きすぎていて、値段も不釣り合い。同年代なら駅内にあるファストフードかもう少しリーズナブルなファンレスやカフェに流れることを前提で僕はここに通っていたのに、まさか、よりにもよって、あいつらがこの場所を知るなんて、考えても見なかった。

 幸いなのは、席が埋まっていることだ。相席の選択肢など女子高生にはないだろう。偏見だが、だいたいは仲いい者同士だけで喋りたいはずだ。すぐ隣の距離に他人がいる環境など好まないに決まっている。だから、帰ることは目に見えている。

 それまで気づかれないようにしなければ。その一心で、僕はメニュー表を立てて完全に顔を隠した。

 が、


「ねえ、あの人たち、クラスの人だよね? えっと、天然てんねん妃愛さんと、浦出うらで御影みかげさん、だっけ?」


 無防備にも、目移さんが顔を上げ、振り向きながらそんな声を発してしまう。

 僕は静かに頭を抱えた。この二か月、何を学んできたのかと自分自身を恨んでも恨みきれない。

 どんなに僕が隠れようと、目移さんをどうにかしなければ、状況は必ずと言っていいほど最悪な方へと流れるのである。とんだお約束事だと歯噛みする。


「ん? ねえ御影。あれ」

「わ、なんつう偶然。てか、意外やね」


 ヒソヒソ話は、ヒソヒソしておらず、声量は大きい。動物園で動物に指さす園児のように、まるで見世物よろしく僕らに指をさしてくる。メニュー表の陰からそんな様子を窺った。

 それに気づいた店員が、僕らの方へ歩み寄る。見知った顔の店員だが、あくまで営業スマイルを崩すことなく、しかし申し訳なさそうな良い塩梅の表情を向け、目線を低くした。


「お客様、すみませんが、もしよろしければ、あちらのお客様方と相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」


 きっと、僕らが顔見知りだということを理解したうえで、ことわりを入れてくる。返ってくる答えでさえも、期待というよりは決まりきったことのように、女性店員は詫びた笑みを崩さぬまま構えていた。

 チラ、と視線を変えれば、クラスメイトのふたりがこちらを眺めている。何事かたまに話し、面白がっているような、煙たがっているような、そんな表情をころころと変えていた。

 帰らんのかい。本音を喉でぎりぎり止め、考えあぐねる。

 クラスメイトからまた視線を流して目移さんへ。メニュー表に指を置いたまま僕と目と目を交わし、不思議そうな面を浮かべている。小首まで傾げやがった。

 そういうつもりか。決定権は、僕に委ねるか。

 メニューを置き、頭をかき、整わない前髪を指で梳いて、「まぁ」と口を開く。

 目移さんの顔を睨みながら、どうなっても知らんぞ、と心で訴え、答えた。


「べつに、いいですよ」


 店員の顔が、満面の笑みを咲かせた。

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