二幕
部活を立ち上げる。
そう
この一か月ほどはずいぶん目移さんに振り回された。まず活動するにあたって何から手を付ければいいのかも分からなかった僕らは、とりあえず担任の
珠子先生はふたりの珍しい来客に最初目を丸くしていたが、内容を伝えると妙にコーヒー臭い職員室から仕切られた応接間に通してくれ、腰を据えて話を聞いてくれた。
アドバイスを簡略に述べると、部活の立ち上げはシンプルにできることではないらしい。学校規則に反しない範囲での活動内容、一定人数の部員の確保、顧問になってくれる先生の内諾などなどの細かな条件をクリアしなくてはならないし、いざ立ち上げたとして、活動における部費などは限られた生徒会予算から、既存の部活の分を削って集めることになるのだという。他にも、部室や活動時間などは場合によっては他の部活から分けてもらわなくてはならないこともあるみたいで、こちらの都合だけでは動けないことの方が多いらしいのだ。
それらを前提に設立を進めるのだとすれば、無理に部活にこだわらず、『生徒活動』という形で動いてみてはどうか、というのが珠子先生の提案だった。
意外にも事細かな説明をくれた担任に少しばかり面食いながらも、僕も目移さんも二つ返事でその案に乗ることにした。
部活でなければ手続きの手間も省けるという。あくまで教養を育む社会科勉強の一環、という名目で顧問さえきちんと立てれば、人数などの条件も問題はない。あとは活動内容のレポートだったりの提出は免れないが、それに至っては目移さんも俄然やる気なようなので、それほどの問題はなく話は進むに思われた。
が、たとえ簡素な活動にしたって最低限の条件はある。手探りでやっているものだからすっかり意識が遠のいていたが、思い出せばこれを解決せずにして活動もクソもあったものではないだろう。
顧問と活動内容。このふたつを、目移さんはまだこれっきしも考え付いてはいなかった。
というわけで、約一か月。放課後になれば彼女は決まって珠子先生の許へ相談を持ち掛けに行っていた。
もともとどの部活の顧問もやっておらず、幸か不幸か(彼女にとっては不幸だろうが)独り身で実家暮らしの珠子先生は放課後の時間に融通が利いた。転入してきたばかりの目移さんを気遣っているのだろ、先生もできるだけ彼女のバックアップに励んでいるようで、この頃はそのふたりでいる組み合わせをよく目にした。
僕は週に一日から二日ほど、そんな目移さんに半場無理矢理つき合わされ、手助けをしている。とは言うものの、手助けほどの貢献は自分でもやっていないと実感していた。
やることのほとんどは立案なのだ。活動内容を一緒に考えて。そんなくだらない内容に、放課後一時間も二時間も一緒にいらされるのだから、少なくとも二週目くらいで飽き飽きしてしまっていた自分がいた。
それは珠子先生も例外ではない。というか、先生こそ少々お疲れ気味みたいだ。無理もない。毎日のように同じ内容につき合わされるのだから、我がクラスの教え子と言えど綺麗ごとばかりでは精神は持たないだろう。
だからこそ、早々にひとつ目の問題は解決することになった。
きっと目移さんからの相談事をひとつでも減らしたかったのだろう、珠子先生は生徒活動の顧問を自ら引き受けると言ったのだ。それは僕も目の前で聞いていた。こめかみを指で押さえ、流れに身を任すように、若干投げやりに、目移さんに向けてそう言った様子はまるで拷問に心折れた捕虜だった。
もしや、目移さんは精神攻撃をしかけていたのだろうか。
一瞬そう思ったが、驚いたように声を張り上げ、飛び跳ねて喜ぶ彼女の様子はナチュラルそのものだった。
なんとなく流れるがまま、事は順調に進んでいく。
そんなこんなで本日、長かった目移さんと珠子先生とカッコ僕の話し合いも何とかまとまりそうである。放課後になると、ずいぶん慣れた様子で目配せをしてくれる珠子先生の許に、目移さんは帰り支度の整ったカバンを持って駆け寄っていく。僕はそのあとを、あくまでしらけた面で追って歩いた。
「いいじゃんいいじゃん。なんかこう、若さの主張って感じでさ。内気な生徒の励みにもなるんじゃないの」
「ほんとですか! いいですか! すごく悩んだんですけれど、これ、私たちにも無関係なことじゃないような気がしたんですよね!」
「誰にでも関係あることだよ。まあ強いて言えば、もう少し、具体性はないといけないがな」
「具体性、ですか」
「なんつうか、このままだと地に足がついてないでしょ。サッカー部や軽音部と違って、一目見ただけじゃどんな活動をするのか分からない。だからこそ、活動内容ははっきりさせておかないとね」
「活動内容……どうすればいいですか?」
「あのなぁ、目移。なんでもかんでも一から私に訊いてどうする。前にも言ったが、まずは自分で考えて悩め。どうにもならんときに、はじめて人に訊くようにしないとな」
「難しいですね~」
「まぁ、とりあえず土台はできたんだ。まずは活動してみよう。やってみて気づくことも多いだろうしな」
そう言って、珠子先生は組んだ腕をほどいてコーヒーに手を伸ばした。椅子にもたれ、シャツに羽織ったカーキ色のカーディガンの前ボタンを開けて楽にした。
ショートのボブカットを指で耳にかけ、一口啜る。口紅のついた唇が紙コップに触れる仕草には、三十路手前になるからこそ湧き出る大人の色気があった。女子高生だと、まずコーヒーでさえも似合わない。
職員室からほど近い談話室にて招かれ、僕らは三人で長テーブルを囲んだ。窓際に珠子先生、入り口側に僕と目移さんが座っている。テーブル上には売店の自販機で購入した各々のドリンク類と、目移さんのものであるファイルと、そこから出したA4サイズの紙が一枚だけ中央に広げられていた。
赤ペンで囲われた部分には、活動目的がでかでかとメモされている。
『自由人』。
それが、活動内容の大まかな題材だった。
「テーマが決まったなら、次は何をする?」
すぐに訊かれることを見抜いたのか、コーヒーに吐息をふきかけた珠子先生は、その姿勢のままに僕らに問うた。どちらかと言えば、目移さんに視線を合わす。
案の定訊く気満々だったようで、目移さんは眉を傾けた。あれほど自分で考えろと言われているのに、こいつはまるで何も分かってはいないように、僕にばかり目配せをしてくる。
ため息。
「勧誘、ですかね。メンバーはいた方がいいかと」
遠慮がちに答えてみたら、意外にもベストアンサーだったようで人差し指をさされる。
「あんた、いっつも地味な存在感のくせに、気づく男だね~」
「あの、それ失礼極まりないですよ」
「教え子に失礼も何もないでしょ。いや、貶しているわけじゃなくてね、褒めてんのよ、純粋に」
「釈然としないです……」
腹立たしさに自分もコーヒー(に砂糖とミルクを混ぜたもの)を啜る。ずいぶんぬるくなってしまっているせいか酸味が増えて、思わず舌が出た。
「深く考えなくていいのよ、こういうのは。とりあえず、喜んでおきなさい」
「はぁ」
教育者みたいなことを言うが、言いくるめられている感は否めなかった。
珠子先生は普段教室では見せない姿を、僕ら三人のときだけは見せるようになった。特に理由は無いようで、単に一か月という日数が彼女の中にあった僕らの壁を取っ払ったみたいだ。
教育者としてはまだ若い方の珠子先生だが、本人なりに教師としての自覚を大切にしているようで、そういう意識から教室での喋り方は日頃よりもだいぶ丁寧に気を遣っている。態度もおしとやかで、今よりも優し気な雰囲気は醸し出されているかもしれない。
本当の彼女は、いや、先生の素の性格の全てを知ったわけではないのだけれど、少なくとも僕らの前のみで見せる性格を踏まえれば、本当の彼女はひねくれ者のようだった。それはもう、僕を上回るくらいの素質である。
人生経験がある分、口周りが違うのだ。高校生である僕と対面的なのは、感情的にはならないことだろう。時に先ほどのようなトゲある言葉を吐いても、そんな自分の皮肉事さえ正当化させてしまえる話術を彼女は兼ね備えていた。大人の余裕、というものだろうが、僕にとってそれは鼻につくことだった。
だから、あまり珠子先生を好きになれないのは事実だ。目移さんの手前、自分を落ち着けてはいたが、いちいち癇に障られては気も収まらない。
この一か月、僕は不本意の中で彼女と面合わせをしているようなものだった。
再びカップに口をつける珠子先生に、目移さんがわざわざ挙手をして質問を述べた。
「それって、つまり、もう活動できるんですか?」
「そういうことよ。活動も宣伝効果あるし、早いとこ行動に移すべきね。部室じゃないけれど、そういう集まれる場所は人員を確保してまた決めましょ」
「やった! ついに部活だよ、
目を輝かせてこちらを見やる。満面の笑みは、生まれて初めてサンタクロースの存在を知った子供のようだ。
「部活じゃない、あくまで生徒活動だろ。まだ問題は山積みなんだ、浮足立つのは早いんじゃないか?」
「いいじゃん、浮足くらい立たせてあげれば。楽しいことは、素直に楽しまないとね」
また、説教染みたことを。
閉じた口の中で歯ぎしりするが、こちらの意図など興味も示さず、珠子先生ははしゃぐ目移さんの対面で同じように笑っていた。
やっぱり、釈然としない。ムス、と頬杖をついていたら、早々に珠子先生が立ち上がった。
「んじゃ、今日はこの辺で。活動に関しては私が話し通しとくから。とりあえず、勧誘のポスターでもつくって学校掲示板に張り出しなさい。張る際は申請をお忘れなく」
「え、もう帰っちゃうんですか?」
残念そうな顔を浮かべる目移さん。他にも訊きたいことがあったのだろうか、名残惜しさが前面に現れている。
そんな彼女の意も介さず、珠子先生は踊るように談話室のドアノブに手をかけ、こう言うのだ。
「今日はコンパなの。ちょっくら男ひっかけてくるわ」
さっきまでさんざん教師ぶってたやつの発言とは思えない捨て台詞だと思った。
さいなりー、と古めかしい挨拶を一方的に吐いて談話室を後にした珠子先生だったが、しばらくして顔だけを開けっぱなしの入り口から出してくる。
「言っとくけど、コンパのことは内緒よ? バレたら口うるさいアホ教頭から説教されるし、あんたたちの顧問も引き受けられなくなるからね」
うわ、最後に脅してきやがった。
んじゃ、と上機嫌のまま今度こそ去っていった後の室内には、空虚な間がしばらく広がり続けていた。
***
人員募集のポスターつくりには二日を費やすこととなった。
珠子先生に最後に相談をもちかけたその日と、次の日の二日間だ。
一日目はまだ時間が余っていたこともあり、そのまま談話室に残ってポスターの下書きを終わらせた。
意外にも目移さんが発揮した絵の才能に僕は驚かされた。綿雲の浮かぶ空の下、五人の人間が宙を持ち上げるように手を伸ばし、膝を曲げて飛び跳ねているような絵だった。絵の空白部には『青空(?)』や『人影』といったメモ書きが記され、一見して分かりやすい下絵が出来上がった。ちなみに、五人の人影とポーズは僕の案だが、本当に僕のアドバイスが必要だったのか疑問に思うほど、小さなヒントから彼女はここまでの絵を描き上げてしまった。
鉛筆での走り書きにしては完成度は高く、僕は素直に感心した。
二日目の放課後も僕はつき合わされた。図工室から漫画などに使用されるアルコールマーカーを拝借し、また談話室を借りて作業に没頭した。
とは言っても作業のほとんどは目移さんが終わらせた。僕はと言えば、長テーブルの向かいでジュースを飲み、たまに二階下の窓外を眺め、あくびを漏らし、目移さんの相談にひとつふたつ答えるくらいだ。その相談も、色合いがどうかだとか、濃さがどうかだとか、差ほど影響のないほど小さな内容ばかりだった。
そうして完成したポスターは、白い雲と真っ青な空、五人の影が高くジャンプし、それがボリビアのウユニ塩湖をイメージした湖に映り込んでいる、という風な絵に納まった。
僕らはすぐさま、一階の来客用玄関側に設けられた学生生活支援課の窓口にポスター掲示の申請書を提出した。
そうして翌日の朝、学内各所にある掲示板には、カラーコピーされた目移さんのポスターが、部活情報欄の一角に綺麗に張り付けられていた。僕は廊下の道すがら発見しただけだったが、目移さんは我慢ならずに、今朝から学内を歩き回って各所の掲示板を確認したようだった。
喜ばしいことがひとつあった。学内掲示板の利用度ナンバーワンである新聞部の学内新聞に、目移さんのポスターが小さな欄に印刷され、こう書かれていたのだ。
『新クラブ、現る! 運動か、文化か。謎に包まれる【自由人】の一文字の意味とは!』
その一文字とは、ポスターの真ん中に縦に綴った、目移さん提案の活動テーマだ。彼女自身が発見した記事らしい。小さな枠でも、その行為に目移さんも高揚感に浸るほど嬉し気だった。
その日の午後、ポスターは紛失した。
珠子先生に見せる。その意で目移さんが彼女を引いて職員室側の掲示板に向かったことで、発覚した事件だった。ポスターが張られていたことは珠子先生ももちろん今朝から知っていたから、僕らと同じくらい、目の前の光景には愕然としていた。
たった数時間の間だ。その間に、目移さんのポスターは無残に引き剥がされ、跡形もなくなっているのだ。悪戯にしては、性質が悪すぎる行為だった。
「……ここに、あったはずなのに」
そう言って、画鋲に刺さった切れ端を撫でる彼女の背中は痛々しい。
見てられなかった。だから僕は踵を返し、廊下を走る。
「あ、こら! 廊下走らない!」
こんな状況でも珠子先生は教師の維持を張る。苛立って仕方がなく、無視を決め込み階段を駆け下りた。
犯人はふたりに絞られる。
僕は迷わず、体育館に向かって駆けた。
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