九幕

「ねえ、せん、いったいどうしたのよ?」

「最近元気ないやん。あんたが喋らんとつまらんってー」

「ちょっと、それどういう意味よ。うちが面白くないみたいな」

「あ、ごめん、つい」

「つい、って、否定せんのかい……あちょっと、羨?」

「行っちゃった。本当どうしたん、あの子。もう一週間もあんな感じで」

「先週のこと、まだ引きずってんのかな」

「演劇部の? 何があったか知らんけど、けっこう揉めたらしいしね」

「あいつらも関係してるってさ」

「え、うそやん。まじ? なんかますます状況が分からんくなる……」


 教室の隅から視線を指され、僕は半笑いで五十里いかりさんの取り巻き二名から視線を外した。

 ヒソヒソ僕らの陰口大会がまた始まってしまう。いや、聞こえてるから。せめてもう少しボリューム下げて。

 そんな平常運転な学校生活で、唯一変わったのが五十里羨の態度だった。

 あれから早くも一週間が経った。五十里さんをステージから引きずり下ろした後、顧問の教師の指示により騒動を起こしたふたりはしばらく部活への参加を禁じられた。

 事件の翌日に、目移めうつりさんが勇敢にも五十里さんへのコンタクトを図った際、殺意交じりに怒鳴られた内容がそんなことだった。

 で、それから一週間後の昼休み。五十里さんはずいぶん弱った様子で、静かに暮らしている。僕らを咎めることもイジメることもせず、ただ空気のように学校へ登校し、放課後にまっすぐ帰宅していた。仲良しグループからのお誘いもそっけなく断っているようで、中には彼女に見切りをつけている者もいるみたいだ。

 取り巻き二名は根気強く励ましている方である。彼女らの他に、五十里さんを気遣う者はいなくなってしまっていた。

 痛ましい光景だと思う。でも、僕にはどうすることもできないので、ただただ、アリの巣作りを眺めるように観察するしかなかった――


「私、なんとかしてあげたい」


 ――ただひとりを除いては、だが。


「なんとか、って。何ができるんだよ」


 怪訝に後部席に首を回し、問う。

 目移さんは机の上で両こぶしを握り、唇をキュッ、と結んでいた。


「何かできるはずだよ。あんな五十里さん、かわいそうで見てられないよ」

「静かでいいじゃないか。元気になったら、取って食われるぞ」


 演劇部に近寄らない約束を破った手前、五十里が勢いを戻してしまえばその件を咎められる恐れはある。その上、目移さんを筆頭に憎き一年男子への復讐も妨げられている。恨みつらみは相当なもんだろう。


「でも、放っておけない」

「お前がそこまで気張る必要ねえって。時間が経てばほとぼりも冷めるだろ」


 根拠はないがそう説得するしかなかった。変に関与して、とばっちりを受けるのはきっと僕なのだから。


「……私、責任感じてるんだよ」

「なにが?」


 唐突に言い出すもんだから、眉をひそめる。


「言おうとしてたから、私も」

「なにを」

「五十里さんのことだよ。伊達先輩のこと好きなの気づいたとき、何も考えずに、それを言おうとしてた」

「あぁ、そのことか」


 部活動見学のときだ。五十里さんの態度を、僕も目移さんもすぐに気づいた。目移さんが部長へ失言をしようとしてたから、僕がそれを止めた。

 彼女が責任を感じているのは、そこだった。


「でも、言ってないだろ。お前に責任ないだろ」

「気持ちはあったよ。未遂に終わっただけ。もしかしたら、あたしがあの一年生の立場になってたかもしれないもん。たまたま、彼が先に言っただけだもん。だから」

「考えすぎだ。気にするな」

「……無理だよ、気にしちゃう」


 こっちもこっちで気負っているようだ。

 なんだか陰鬱な気分になる。ため息が漏れたのは無意識のことだ。

 どうしたもんかね。

 悩んでいると、おもむろにブレザーの袖口を引っ張られる。見やれば、目移さんが二本の指でつまんで、丸い目で僕を健気に見つめてきていた。


平和ひらわくん、お願いがあるんだけど」


 ああ、やっぱりこうなるのか。

 拒否しよう、と思っても出来なさそうだ。僕はこういうのに弱いらしい。

 これを正義感と言うのかは別として、人助けなんて性に合わない気はする。でも、目移さんは、放ってはおけなかった。

 なぜだかは、自分でも理解に苦しむところである。


   ***


「えーっと。そういうわけで、ちょっとこいつの話、聞いてあげてくれないかな?」

「そういうわけで、って。なんなんすか一方的に」

「まあまあ」


 不満げに面を歪める一年男子をてきとうに宥め、目移さんに目配せをする。僕の後方に立っていた彼女は、コンクリートの壁にもたれた男子生徒の前に満を持した態度で進み出た。

 放課後。一年生の下駄箱付近で待ち伏せること十分ほど。探し人はカバンを肩にかけ、同学年の帰宅組に交じってひとりでのこのこ現れた。演劇部員の、活動停止処分を下されている一年男子である。

 僕と目移さんが目の前に現れると、男子部員は途端に苦い顔を浮かべたが、逃げも隠れもせず僕らの誘いに頷いてくれた。

 移動した場所は、地下駐輪場だ。二メートルほど掘り下げられた駐輪場は地上からの人の目を妨げることができる。この時間は部活動無所属の帰宅組しか来ないため、校舎内で話すよりは演劇部員から見つからずに済む場所だ。一年生用の駐輪場だから、五十里さんがくるおそれもなかった。


「あのさ。きみから五十里さんに、謝ってほしんだけれど」


 さすがというか。目移さんの交渉には前置きも順序も存在しないらしい。単刀直入な言葉に男子部員も引いている様子で彼女を眺める。地下の薄暗い中でも、彼の怪訝な表情はじゅうぶん窺える。


「なんで俺が。いい気味ですよ、あんなやつ」


 それでも、彼も彼でモノははっきりと言うタイプのようだ。あんな事件があったにも関わらず、五十里さんへの怒りを収めるつもりはないらしい。

 唇を尖らせ、目移さんを睨む。


「そんなに五十里さんのこと、嫌いなん?」

「ムカつきます。え、ムカつきませんか?」


 ムカつきます。

 おっと、口が滑りそうだ。危ない、危ない。


「んー、口調荒いけど、ムカつかないよ」


 まじかよ。平然と言う彼女の言葉が信じられない。心のどこかでは腹を立てていると思っていたのに、予想をばっさり切り落とされた。根太い神経を垣間見せられた気分になった。

 男子部員も同様に、眉をひそめる。目移さんの発言をまるで理解できていないみたいだった。


「……おかしいですよ、それ。あんな人間に何も思わないなんて……あ、そうでしたね。あんた方、あいつの友達でしたね」


 伊達だて先輩の話に付き合ったあげくにつくことになった嘘は、まだ演劇部内では浸透しているままのようだ。

 友人だから五十里さんの言動を許してしまっているのではないか。男子部員が言いたかったことはきっとそんなところだろうが、見当違いにもほどがある。まぁ、騙してしまっているのはこちらなので、そこを責めるつもりはないのだけれど。

 にしても、あまり気持ち良くはない見解だ。本音を言えば僕だってこの男子部員と同じ心境ではあるのに、嘘が祟って五十里さんの仲間扱いされてしまっているのだ。不本意にもほどがある。

 見えないところでぷりぷりしていたら、目移さんがきっぱりと、顔の前で手のひらをぱたぱたさせながら口を開いた。


「あ、それうそうそ。私たち、五十里さんとはお友達でもなんでもないよ」


 言っちゃうんですね、目移さん。あなたはどこまで我が道を行くのでしょう?


「は? え? だって部長が」

「うん。そっちの方が見学させてもらえると思ってん。ごめんね、騙したみたいになっちゃって」

「なんだよその嘘。うわ、なんか嫌な気分だ」


 ごもっとも。

 頭を抱える男子部員に、陰ながら手のひらを見せて謝罪する。

 と同時に不安が募った。淡々と言ってしまったが、これが部長にバレても平気かどうかは未知のところだ。後々の説明文は近いうちに考えておいた方がよさそうだろう。

 そんなことを考えていたら、男子部員が濁った瞳で僕らを見上げてくる。その眼には信頼の色さえ失われつつありそうだった。


「てか、だったら尚更、あんたらに五十里先輩への謝罪を要求される謂れはないように思うんですけど」

「あー、うん、そうだね」

「納得すんなよ……」


 思わずつっこむと、目移さんは「ごめんごめん」とビニール片ほど軽い言葉を吐いて、改まる。

 コホン、と咳払いするのは腹立つから、やめろ、マジで。


「たしかに私たちは、五十里さんの友達じゃないよ。それは認めるし、なんだったら、仲悪いかもしんない」


 かも、じゃなく誰がどう見たって絶対的に仲悪いわ。と思ったが、余計なことは言わないよう努めた。目移さんの顔つきが微かにも変わっているように見えた。

 男子部員の顔色が変わる。

 仲が悪い。その単語に引っかかったのだろうということは見て取れた。嫌われている奴を庇おうとしている僕らが、滑稽に見えたのかもしれない。


「でも、なんだか放っておけないんだ。最近、教室でも元気ないの。もしかしたら家に帰っても、あんな感じなのかもしれない。そう思うとね、胸の奥がきゅっ、て苦しくなるんだよ。このまま演劇部を辞めちゃうかもしれないし、そしたら、きみたち一年生の面倒を見てくれる人、いなくなっちゃうんじゃないかな」

「ふん、そりゃ好都合ですよ。俺はもともと、あいつを辞めさせたかったんですから」


 言葉を聞いた途端、腹の底が熱くなったように感じた。胃が持ち上げられる感覚を覚えた。突然起こった自分の中の異変が怒りなのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 吐き捨てるような言いぐさで、男子部員は言葉をつなぐ。


「面倒なんて、誰も頼んじゃいないですよ。部員は他にもたくさんいるんすから、違う先輩に代わるだけです。あんなやつ、いない方が気楽でい……っぐ」


 無意識だった。

 何かをしようとは考えてはいなかった。ただ少なくとも思考は回っていて、男子部員の言葉の意を理解した瞬間、体が、腕が、勝手に彼の胸元をどついていた。


「あ……すまん、つい」


 やった後で、とりあえず謝った。

 淡々と言ってのけたが、そこに気持ちが乗っかっているかは、また別の話だ。少なくとも申し訳なさよりも、今は腹立たしさの方が勝って仕方がなかった。


「平和くん! 暴力はだめだよ」

「お、おう。そう、だな。うん、わりぃ、まじで」


 焦った様子で間に割って入った目移さんが、不安げにこちらを見上げてくる。

 その丸い目を見たら、次第に冷静さも取り戻されていった。が、反して男子部員は、完全にキレた。


「っにすんだよ! ぁあ!?」

「きゃっ」


 目移さんが乱暴に押され、駐輪場の固いコンクリートの床に手をついて倒れた。それを意にも介さず、男子部員は丸眼鏡の奥の目を充血させて、僕の胸ぐらを破らんばかりに掴んで引っ張る。彼女を心配してやる暇もなく、グイ、と幼さが際立った高校一年生の顔が近づいた。

 

「っざけんなっ。何が謝れだ! こんな乱暴されて頭下げてたまるか!」


 乱暴してるのはきみだろうに。とは口が裂けても言えなさそうだ。

 まあ言ってることは間違っていないようにも聞こえるし、彼を否定する気は無いのだけれど、ちょっと、これはさすがに、ないんじゃないかね。


「偉そうに、謝れだの心配だのと言ってるけどな、じゃああんたらどうなんだ! 部長に嘘ついて、クラスメイトっつう地位使って、友達気取って見学しにきて、それで他人に説教たれられる立場なのか! だったらまずは、あんたらの失礼を部に詫びて見せろよ!」


 駐輪場は帰宅生徒の出入りが激しい時間帯である。行く人来る人、皆が隅っこの僕らに不審感を抱いた視線を浴びせ、行き交っている。

 彼はすでに周りが見えていないようだ。浴びせられる視線をもろともせず、無遠慮に地下の天井や壁に自分の声を響かせていた。


「目移さん、行こう」


 できるだけトゲ無く、けれどもいっぱいに力んで男子部員に手を離させる。牙を剥いて来なかったことに対して拍子抜けしたらしく、いとも簡単に手は解け、首辺りが楽になった。

 地面に尻をつけたままの目移さんの側へ近寄り、手を差し伸べるか躊躇っていると、彼女はひとりで立ち上がった。強い女子だと素直に関心した。


「お、おい。何も言い返さねえのかよ」

「いや、だって、怒ってるし」


 お尻の砂ホコリをポンポン払い落す目移さんの隣で、目を細める。


「この方がきみも好都合だろ? 安心しろよ、きみにはもう関わらねえから」

「なんだよ。んなあっさり引き下がるのかよ。マジでふざけてんのかよ!」

「えー、じゃあ、もうちょっと食い下がった方がいい?」

「うぜえ! とっとと消えちまえ!」

「はいはい。んじゃ、さよなら」


 半場投げやりにそれだけ言い捨て、僕らは駐輪場を後にする。目移さんが気にかけた様子で後ろばかりを振り返っていたが、僕の足取りに背こうとはしないようだった。変に懐かれたもんだと思うが、今はこの状態が好ましい。


「……失敗、しちゃったね」

「ま、仕方ねえさ」


 僕が手を出したことが原因だろうが、心の中にとどめておく。そのまま咎められても面倒だし、そんなことで時間の浪費は避けたかった。


「あの人が謝ってくれたら、解決できると思ったのに」

「んな単純な話じゃないと思うけどな。どっちにしろ、交渉は断念するしかないだろ」

「そう、だね」


 半歩後ろを歩む目移さんの頭が下がる。

 しょんぼり、と萎れた雑草のようだと思った。

 責任感じてるからこそ、彼女なりに何かを果たしたくて仕方がないのだろう。気持ちは察するが、やっぱお前の単純さでは叶わないことの方が多いんだ。

 だてに『友達いない歴』が続いたわけではないだろう。人から避けられてきた分、同年代の気持ちを理解することは、彼女にとって難しい。

 

「だからさ」


 だからと言って、諦める理由にはならないのだけれど。


「やり方、変えるぞ」


 先導して向かった先は、演劇部が練習中であろう、体育館である。

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