五幕
クラス替えのないこの高校だからこそ、僕は一年も前から彼女のことを教室の中で見続けていた。
五十里さんの周りには常に誰かが寄り添っていた。女子グループの中心に立つ彼女は好かれキャラというよりは、威圧感に満ちた空気を漂わせていた。気に食わないことは納得するまで追求し、相手を言葉で押しつぶすのが彼女のスタイルだ。いろんな意味でも、そのまっすぐな姿勢に感化されたクラスメイトは彼女を好いて慕った。
身だしなみにはいつも気を遣っているようで、セミロングの髪には常に櫛が入れられ、服にはしわがそれほど立ってはいなかった。女子高生にありがちな見苦しい恰好の五十里さんを、少なくとも学校にいる間は一度たりとも目撃したことはなかった。
それが、僕が彼女に抱いていた印象の全てである。
まさか、演劇部の副部長として活躍しているなどとは、これっぽちも考え付かなかった。
「なんか怖いイメージあったけど、こうやって見ると根はまじめなんだろうねぇ」
と平和ボケな言葉を言う
部活動の見学もこれで四つ目だった。テニス、バスケ、バレー部と続いて、体育館のステージに居た演劇部が気になり、運動部から視点を離すことにした。
見学と言っても、正式には事前に担任の
ステージに上がらせてもらったのは演劇部からのご厚意である。遠目からの僕らの視線に気づいた三年生の部長が手招きをしてくれたのだった。
「クラスメイトのあんな姿を見るのは初めてかい?」
僕らを招いてくれた件の男子部長が
僕よりも数センチ背が高いからか、そこからでも五十里さんの姿はよく見えているらしかった。
「えぇ、まぁ」
「意外ですね!」
濁った返事の後に次いで、目移さんが言葉も選ばずに笑顔を咲かす。ウキウキとなにやら興奮している様子だが、きっとここの空気が新鮮に感じるのだろう。演劇の練習風景などそう頻繁に見られるものでもないから、気持ちは分からなくもなかった。
「羨はよく部に貢献してくれているよ。正直彼女がいなかったら、俺も部長としての仕事はまっとう出来ていなかった」
後輩というよりは参謀役みたいな感じか。
確かに目の当たりにする五十嵐さんの、新入部員への指導風景には頼もしさがあった。部長とて一人では部員全員をまとめることは難しいだろう。副部長の存在は部長からすれば欠かせないもののようだった。
「私、感動しちゃってます! 人は見かけによらないんだって、改めて実感してます!」
「ははは、羨は教室でも存在感がすごそうだな」
「それはもう、教室では暴挙を振るっ」
「いつも皆に優しいんですよ」
目移さんの言葉を遮り、咄嗟に声を上げる。
一瞬、首を傾げた部長さんだったが、そうかそうか、と満足げに頷いて笑ってくれた。心の中で安堵しつつ不本意そうな彼女をひと睨みし、耳打ちする。
「馬鹿っ。余計なこと喋るな」
「どうして? 本当のことなのに」
「彼女のここでの立場とかあんだろ」
納得しない目移さんを一方的に言い責め、場を収める。唇を尖らしてはいるが一応言葉を噤んだ彼女の頭に、軽いチョップを食らわした。これは個人的な怒りだ。
「きみたちは、彼女の友達なのかい?」
「え、あ、はい。そんなところです」
嘘だが仕方がない。本当のことを言えば五十里さんの印象を変えてしまいかねない。
「大親友なんですよー!」
「え」
いや過剰じゃないですか目移さん。
「そうなのか」
「はい! すっごーく気遣いさんで、優しくて、宿題とか見せてくれて。あ、私転校してきたばかりなんですけど、校舎案内とかしてくれて、あとあと、たまに
それじゃ親友を通り越してもはやパシリだろうに。
本当のことばかり言うなとは言ったものの、嘘をつくのも目移さんは下手だった。頭を抱えたがここまで言われればもう訂正もきかないだろう。
話を合わせるしかない。
「僕も何度かお世話になってます。五十里さんは、大切なお友達です」
自分で言って舌が痒くなった。
数日前にボールペンを飛ばしてきた相手を友と呼ぶのは不思議な感覚だ。ここまで庇うのも不本意だったが、先のことを考えれば妥当な判断だと思う。事を穏便に済ませなければ、世の中は平和に過ごせない。
「それは何よりだな。いや俺も、彼女の先輩として鼻が高い。誇りに思うよ」
ステージ上で声が上がる。
五十里さんの指導の下、新入部員の声出し練習が始まったらしい。
後輩の腹や背に手を回し、ひとりひとりの姿勢や喉の開き方、空気の吐き方などを丁寧にチェックしていく。数人のメンバーではあるが誰ひとり欠くことなく指導に当たる姿は、やはり教室で見る彼女の姿とはどうにも重ならない。
「これからも、羨のことをよろしく頼むよ」
そう言われて、違和感を覚えた。
声色が微かに変わったのを、僕は聞き逃しはしない。その言い方にデジャヴを覚え、嘘を吐いている自分たちと似ていることに気が付く。
五十里さんの姿を眺める部長の表情を見れば、その瞳には憂いの他の感情が隠れているようだった。
スッキリしない感情が、胸の中に渦を巻いた。
それから練習風景を眺めること十分。数分の休憩時間が設けられ、新入部員たちが見た目地味なその練習内容に反して体力消耗を訴えるように、ステージに尻をつけ、各々顔をしかめた。
先ほど部長から説明は受けていたが、演劇は体力勝負な部分が大きいらしい。ひとつの呼吸法にしても内臓をフルに活用しているのだから、そこらの運動部には劣らない体力の消耗があるそうだ。文化部と言えど、演劇部はそれともまた別格の部活動なのだと部長は誇らしげに話していた。
五十里さんがタオルを肩にかけ上手へやってくる。僕と一瞬目と目が合うが、その表情はゴミをあさるカラスでも睨んでいるかのようである。歓迎されていないことは見て明らかだったが。
「お疲れさま、羨」
ところが、部長の一言でたちまち険相が笑顔に変わる。
まるで人でも変わったかのように、五十里さんは頬を緩ませてその場に立ち止まると、背筋の伸びたまま丁寧な一礼をした。もちろん、僕らにではなく、部長に対しての挨拶だ。
「お疲れさまです! 伊達先輩!」
顔を上げ、声を張って部長の名を呼ぶ。教室では見たことも無い、気の緩んだ顔である。目の前の女子が本当に五十里羨なのか疑いたくなるくらいだ。
部長の側まで小走りで近寄ってきた彼女には、僕らの姿などこれっぽっちも見えてはいないようである。先ほどの唾でも吐きかけるような顔はどこへやら、そこらにいる女子高生よろしくクラスメイトをガン無視で部長を見上げた。
「五分の休憩を挟んで、一年生も含めて台本の読み合わせに入ろうと思います。よろしければ、伊達先輩にもお手伝い願います」
「もちろんだとも。すまないな、羨にばかり新入部員の指導を押し付けてしまって」
「そんな。伊達先輩は公演も近いですから、仕方ないです。そちらに集中してもらわないと」
そう言って五十里さんが振り向いた先には、疲労に座り込む一年生を挟み、
セリフ回しや、実際の体の動きなどのシミュレーションを行っている、というのは先に部長から説明されたことだ。
「そう言ってくれると、ほんとうに助かる」
丸眼鏡越しに部員を眺め、聡明な瞳を五十里さんに見下げる。
「羨がいてくれるおかげで、この部がまとまっている。感謝してるよ」
部長が言った途端、五十里さんの顔がトマトのように赤くなった。今にも湯気が立ちそうなくらいにだ。
「ななっ、なんですか急に! 大袈裟ですっ、いつものことじゃないですか!」
あわあわと開いた口を波打たせ、きゃっきゃと顔の前で両手を振って見せる。
口ではそう言うものの、まんざらでもない様子は誰が見たってうかがえた。
で、それは僕らも例外じゃない。目移さんと視線を交わし、ニンマリと微笑む彼女に次いで僕もははーん、と口許をにやけさせた。
「ああ、なんだか今日は暑いですね! ちょっと、お水飲んできます!」
きっと嘘の理由を述べ、五十里さんがステージ脇に消えていく。去る背中を目で追っていた目移さんが、おもむろに部長の顔をうかがった。
「好かれてるんですねぇ」
「おい、馬鹿っ」
止めに入るがもう遅い。
目移さんの言葉に、部長はキョトンとした面を浮かべる。
しかし僕の心配もよそに、その表情はすぐに緩い笑みを馴染ませた。
「彼女は照れやさんだからなぁ」
あぁ、五十里さんが不憫でならなくなる。
どうやら一方通行の好意のようで、その上部長はだいぶ鈍い性格にあられるようだ。気づかれない想いほど切ないものもないだろう、と恋愛経験など決して深くはない僕は人知れず肩を落とした。
「ねえねえ、五十里さんってやっぱり部長さんのこと」
「それ以上は野暮だろ。もう静かにしてろ」
声を潜める目移さんにクギを打って黙らせる。
他人の恋路に土足で踏み上がるなんてやるべきことではないだろう。ふたりの問題なのだから放っておけばいい。いちいち恋愛沙汰に首を突っ込むなど労力の無駄だし、第一僕には関係のない話である。
つまらなそうに頬を膨らまされるがそれさえもひと睨みして無視を決めこんだ。五十里さんに関わって、得があるとも思えなかったし。
「もう少し見学していくかい?」
「あ、いえ、僕たちもそろそろおいとまします」
「ええー、まだ居ようよ~」
「うるさい。ハウス!」
「犬扱い!?」
「居てもらっても構わないけどね」
と、笑顔の部長だったが気持ちだけ受け取ることにした。
礼を言い、駄々をこねる目移さんの後ろ首を引っ張ってステージを後にする。体育館を出てからやっと彼女の襟から手を離した。
「なんでさ!」
耳をつんざく声で怒鳴られる。不満いっぱいの顔は頭のおさげとも相なって、少し可愛いデメキンみたいだなと思った。いや、少しだけね。
「もうじゅうぶん見ただろ。これ以上見学してたら日が暮れる」
言っている側から西の空には陰りが生まれつつあった。夜の帳が今か今かと待ちわびるように、太陽を地球の下へと隠していくみたいだ。
そんな理由じゃ彼女が納得しないのは予想していた。ぷりぷりする目移さんをしかし甘やかすことはせず、下駄箱へと歩みを進める。部活動見学もここまでだ。
本当のところ、目移さんの無邪気さが気が気でならなかった。あのまま居続ければ、きっとどこかのタイミングで部長へ五十里さんの想いが伝わってしまっていた。それは避けねばならないことだ。
僕の見解だが、演劇部は今が最高潮に安定しているように見えた。バランスがよく取れたメンバーだという印象が強く、今日日見学してきた部活動の中では一番まとまりがあったに違いない。
要因は、五十里の部長への忠実さがあるからだろう。好きだからこそ最大限のフォローができるし、相乗効果で部の雰囲気も向上する。
しかし逆に言えば、そのふたりの関係が壊れれば、部も崩壊する危険性があるということだ。原因に成りうるのは、最悪なタイミングで五十里さんの好意が部長にバレること。目も当てられない現状になるのではないかという不安が、少なからずも僕の中には浮上していた。
そうなれば、間違いなく、僕らは五十里さんに責められる。いや、もしかすると殺されるかも。日頃の常でボールペンが飛んでくるのだ。それが殺傷力のある道具に代わっても何ら不思議ではないように思えた。
そういう意味で、目移さんは爆弾だ。すぐにでもあの場から離したく、無理矢理に連れ出したのだった。
これが考えすぎならば僕の思い過ごしで終わるだけだ。そう、終わってくれるのだ。終わらせてもらえるのだ。
僕は他人と群れたくない。つまり厄介ごとにも巻き込まれたくない。静かな時を、独りで過ごす。こんなささやかな願いくらい押し通したって罰は当たらないだろう。
でも、そんな小さな小さな願いすら叶わないのだと、翌週の月曜日、僕は思い知らされることになる。
目移さんに出会ってからすでに、我が日常の歯車は狂い始めていたのだった。
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