四幕

「先日にも話したように、今日の五、六限目は部活動紹介が体育館で行われる。二年のお前らでも、今からの部活動参加は決して遅くはないさ。一年遅れだろうがやりたいことあんならやるべきだと先生は思ってるから、少しでも興味あるやつはこれを機に部活動の見学にも積極的に参加してほしい。昼飯食った後だから、くれぐれも居眠りしないように!」


 今朝のホームルームでは、珠子たまこ先生はいやに張り切って本日の行事についての説明を述べていた。はりきっているというよりは、どこかヤケクソな態度にも見て取れる。どうせまた男に逃げられでもしたのだろう、と結婚適齢期で焦っているとの噂が目立つ珠子先生の事情を勝手に予想した。


「ねえ、どうして私たちも部活動紹介を見なくちゃいけないの?」

「んあ? いやなんだよその唐突な反抗は」


 背中にかかった小声に脱力的な返事を返し、僕は窓外を眺めるふりをして目移めうつり佳舞かまえの疑問符に満ちた顔を窺う。短いぱっつん前髪の下で、丸い目をクリ、っとさらに丸めている。

 眉間にしわを寄せて彼女を見やった。


「だって、私が前にいた学校は一年生だけの参加だったよ。二年生は任意で、希望しない人は帰宅できてた」

「おうおう、そりゃ羨ましい行事なことで。僕もできることなら見たくないさ、部活動紹介なんて」


 ひそめた声で答え、ため息を漏らす。

 もともと入部する意思のない僕からすれば、この行事には何のメリットも感じられないのだ。退屈な時間を二時間近くも拘束させられるのだから、そりゃ頬杖をついて目も細まる。


「でも、これはこれでアリだよねぇ。二年生でも入部したい人は絶対いるだろうしね」

「同学年のやつらより一年も差が開いてちゃ、そうとう苦労するだろうけどな」

「でも興味があるならやるべきだよね」

「現実的に差は埋まらねえだろ。楽しいだけじゃ部活は、とくに運動部はやってけねえよ」

「……平和ひらわくんって捻くれてるよねぇ」

「どんなひねくれ者もお前みたいに何でもは口にしねえよ」


 言い返し、そのまま外に視線を流した。

 本日もよく晴れている。中庭の木々が春風に揺られ、さわさわと音を立てているのがその情景からも聞こえてくるようだった。

 チラリ、と見やれば目移さんが配られたプリントを目に焼き付けるように眺めている。この学校に限存する部活動の一覧表だが、彼女はどこかへの入部を希望しているのだろうか。不意に浮かんだ疑問は、まぁどうでもいいか、という気まぐれで消し去った。

 二日前の昼休み。それを機に僕は彼女に対して少しだけ甘くなったのかもしれない。認めたくはないが、彼女の言葉が少しだけ胸の一部に引っかかってモヤモヤとさせていた。

 

 皆と一緒になって私を嫌っている。


 その言葉がどうしても頭の中にとどまって離れなかった。僕は自分で気づかない内に、周りの意見に流されていたのだろうか。

 気に入らないと思っていたクラスメイトと意見を共有させた。それは僕にしてみれば屈辱的な行為でもあった。そういうつもりが無くとも、目移さんから距離を置くということは、少なくともクラスメイトと同じ立場の立つということである。目移さんを嫌っていますか、という質問にみんなで揃って挙手するようなものだ。

 それはとうてい我慢できるものではなかった。群れることに等しい行為をやっていたのだと思うと、虫唾が走るほど自分を責めたくなった。

 しかし、だからと言って目移さんの見方をするつもりはない。

 これは、そんなに単純な繋がりではない。

 敵の敵は味方とはよく言ったものだが、僕の敵がクラスメイトで、クラスメイトの敵が僕と目移さんだとして、イコール目移さんが僕の見方というわけではないだろう。

 これは大袈裟に言えば三国志のようなものだ。三つ巴の戦いなのだ。

 目移さんを嫌ったあげくがクラスメイトとの共戦に繋がるのであれば、僕は黙ってその手を切る。クラスメイトとの縁切りのため、目移さんとは争わない。

 たったそれだけのことである。

 という言い訳を自分の中に繰り返し、なんとなく、目移さんとは話すようになった。他人の目が気にならないわけではないが、元から僕は好かれていない。

 そう思えば、何を今さら怖がる必要がある、と自分を励ませられた。


「どの部活がいいかなぁ」


 ブツブツと独り言。

 やっぱり入部を希望していらっしゃる様子だ。でも、やめたほうがいいんじゃないかと静かに思う。


「ねえねえ、平和くんはどれに入りたい?」


 あ、訊いてくるんだ。まあいいけれど。

 入部しない、ってさっき僕が言ってたの、聞いていなかったかな?


「入らない」


 横目で彼女を見やり、その一言だけを落とす。

 途端に目移さんがシュン、と萎んだ。おさげと肩が下がった。


「平和くんと、何か部活したいなぁ」

「どうして僕なんだよ。自分が好きなことやればいいだろ」

「えー、だって何がいいのか悩むんだもーん。それに、きみと一緒ならなんだって楽しめる気がするし」

「部活入れば僕以外にも話せるやつできるんじゃないか?」


 と言いつつもなんだか胸がざわついた。

 これは照れだろうか。いや違う、断じて。


「あー……」


 急にぼんやりと一点を見詰める目移さん。何かを見詰めているのではなく、考え事をしているようだ。

 十秒ほどの時が経ち、そしておもむろに、水でも弾くような声を落とす。


「それだよっ」


 ホームルーム中なので控えめな声量ではあるが、幾分か気分が高揚していた。

 僕は眉間にしわを寄せ、怪訝な表情をつくって見せた。


「なにが」

「部活でお友達つくるのっ」


 あぁ、なるほど。


「そっか、頑張れよ」

「うん、頑張ろうね」

「おいちょっと待て。なんだそのセリフ。まるで僕も一緒みたいな言い方じゃないか」

「うん、そうだよ」


 呼吸でもするかのような返事。

 勝手に進行していく話を、放っては置けない。


「ふざけるな。さっきから言っているだろ。僕は部活になんて入らないぞ」

「なんで?」


 群れるのが嫌いだから、とは言っても通じないだろう。


「僕も忙しいんだ。部活なんてやってる暇はない」

「ええー、嘘だー」


 嘘だ。

 でも半分は本当だ。


「帰ってから飯を作らないといけないし、犬の散歩もせにゃならん。放課後に残れる時間なんてとうてい作れない」

「平和くん、犬飼ってるんだ! 犬種は?」

「柴犬。いや、今はそんな話じゃないだろ」


 話が逸れる。自由奔放な彼女の相手をするのは疲れる。


「だから僕は入らないぞ。入部するなら一人でいけ」


 そこまで面倒を見るつもりはない。こうして会話してやってるだけでも有り難いだろうに、これ以上を求めるのはキャパシティオーバーだ。

 冷たいかもしれないが、彼女に自分のプライベートタイムまでやる必要はないだろう。頬を膨れさせる目移さんだが、ここで情をかけるつもりはなかった。


「――つうわけで、今朝のホームルームはここまで! そんじゃ日直」


 珠子先生の呼びかけに、本日の日直である生徒が起立と礼の号令をかけ、終了となる。先生が抜けた教室にはざわつきが戻り、僕は静かに一限目の準備を始める。

 背中への視線が気になったが、もう振り返らないようにした。


   ***


「うわ~、けっきょく決まらなかった~」

 

 頭をわしゃわしゃとかく目移さん。帰宅の荷造りをしながら、僕はそれを横目で見やる。机の上には入部希望届のプリントがあるが、記入欄は真っ白のままだ。

 二限に渡ってダラダラと続いた部活動紹介が終わり、教室に帰ってから配られた希望届のプリントを大半の生徒がカバンの中に即座にしまった。

 すでに部活に所属している者もいれば、僕と同じで鼻から部活になど興味が無い者がほとんどで、今さら部活動に励もうとする生徒は微々たる数だ。

 記入していた者はとっくにそれを珠子先生に渡し、今日の放課後からもさっそく見学にでも行く様子である。未だに空白のまま頭を抱えているのは目移さんくらいだった。


「まだ提出まで期限あるだろ。そんなに慌てなくてもいいんじゃないか」


 言いつつ、希望届のプリントが奥底に沈められたカバンを持って席を立つ。


「部活動紹介の記憶が新しいうちに決めたいのー」

「そうかい。まー頑張れ」


 カバンを肩に乗せ、適当に後ろ手を振って席を離れる。


「え、帰るの?」


 思わず止まる。止まった瞬間にしまったと思う。

 予測していたことが現実となって、反射的に歩みをやめてしまった。振り返らず、冷静を保つ。


「帰る。何が何でも帰るぞ」


 必要以上に強調した。

 足を踏み出そうとすれば、目移さんの寂し気な声が背中にかかる。


「……一緒に、見学とか」

「無理だ。じゃあな」


 早足にその場を後にして、教室を出た。

 振り返らず、足も止めず、考えることもしない。これ以上突っかかれば流れで付き合わなければならないことになりそうだ。目移さん相手だと気弱になる自分がいるのは目に見えていた。流される前に彼女から離れることが最良だと思えた。

 のだが。


「手、掴むなって」


 廊下に出た直後、目移さんの小さな手が、僕の手首をしっかりと握り、引き留められた。


「お願い、平和くん」


 振り向く。見下げる。少しだけ潤んだ瞳が眼下にある。その様子はまるで子供だ。中学生のようだ。もしくは小動物だ。どちらにしろ、弱弱しい姿があった。

 僕は鼻でため息をつく。掴まれた左手を眺め、気持ち強めに腕を引いて剥がす。

 素直に手のひらを広げる目移さんだったが、頑なにその場から退けようとはしなかった。唇をキュッと結び、ジッと僕のみを見上げていた。

 また、今度は口からため息が漏れた。


「ひとつ貸しだぞ」


 ぱあ、と明るくなる童顔。桃色に染まる頬を忌々しく睨んでやる。

 出会って一週間足らず、本当に僕は、彼女に対して甘ったるくなったようだった。

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