第827話、何気に珍しい自己紹介です!

「それはニノリさん、貴女を雇うにあたって大事な話があります」

「はっ、はい。何でしょうか奥様」


ニノリさんが落ち着いた後、イナイは改まった様子で彼女に声をかけた。

当然ニノリさんは緊張した面持ちで、一体何を言われるのかという様子だ。

けれど何を言われようとも乗り越えて見せよう、という気概も見える。


そんな彼女の様子をじっと見ていたイナイは、唐突にニヤッと笑った。

更にあからさまに態度を崩し、若干チンピラにも思える様子を見せる。


「さっきまではアンタが外様だと思っていたから貴族をやっていたが、本来のあたしはただの技術屋だ。流石に家族の前までかたっ苦しい態度では居たくねえ。普段通り過ごさせて貰う」

「へっ? は、はい・・・」


てっきり自分に対して何かを言われると思っていた彼女は、イナイの言葉に目を丸くする。

いや、これは言葉というよりも、豹変したイナイの態度に驚いているのかな。


「がっかりしたかい。ウムルの大貴族が、アンタの惚れこんだ人間の妻がこんなので」


椅子の上で胡坐をかいて尋ねるイナイに、ニノリさんは少し深呼吸をしてから応える。


「いえ。ただ驚きはしました。奥様は私を認めて下さった、という事で宜しいのですか?」


その答えにイナイはやけに嬉しそうな笑みを見せる。


「認めるも認めねえもねえさ。うちの旦那様が雇うって言ったんだしな」

「・・・いいえ、きっと違います。奥様方、本当にありがとうございます」


ニノリさんは解っているんだ。彼女を雇おうと言い出したのは誰なのか。

本当の意味での雇い主と、自分の価値を示さなければいけない相手は誰なのか。

だから俺に仕える事が出来た状況に、それを作り出してくれた二人に感謝を述べた。


「そうかい。まあ、頑張んな」


そこでイナイは何時もの優しい笑みを見せ、笑みの相応しい手つきで頭を撫でた。

恐らく軽く試したのだろう。勿論問題無い答えが返ってくると確信して。


「はい、誠心誠意、お仕えさせて頂きます」


ニノリさんはその手に暫く撫でられ、手を離した所で顔を上げる。

その顔にはもはや、怯えも悲しみも無く、決意に満ちた表情だった。

思わずかっこいいなと思う程に、今の彼女は力強く見える。


「あ、因みに私達はそんなに変わんないから安心してね」

『変わらないぞ!』

「・・・ん」

「がふっ!」


そこで少し茶化す様にシガルが宣言し、ハク達も同じ様に宣言する。

ただグレットは言う必要が無いと言うか、変わりようが無いと思うんだけど。

つーかお前賢過ぎるんだよ。なんでそのタイミングで乗れるんだよ。


乗り遅れた俺はというと、コホンと咳払いをしてから口を開く。


「ようこそ、タナカ家へ・・・で良いのかな?」

「タナカ以外に名乗る家名が有んのかお前は」

「あたしはタナカ・シガル以外になってるつもりはないんですけどー?」


半端な事を言ったら、奥さん達にジト目で叱られた。

いや、えっと、なんかこれで良いのかなって、ちょっと不安になって。


「ま、改めて自己紹介でも良いかもしれねえな。話を聞くに、そこまでしっかりとはアタシらの事聞いてないんだろ。多分タロウの事すらも」

「そう、ですね。リィスさんからは、とても大事な仕事をなされている方、程度にしか」

「間違っちゃいねえな。タロウに関しちゃ話せねえ事も多いしなぁ・・・」


イナイはどこまで話したものか、という様子で天井を見つめる。

けれど暫く施行した所で視線を戻し、優しく笑って口を開いた。


「タロウは我が家の旦那様で、国王陛下の直臣だ。ただしその事は基本的には伏せられている。あくまで立場としては、タナカ・イナイの旦那、って見られ方をする事が多い」

「私もそう思って振舞えば良い、という事ですね」

「理解が速いな。その通りだ。とはいえ今じゃタロウ本人もそれなりに名が売れていて、知ってる奴は知ってる程度の人間ではあるがな」

「旦那様のお力であれば、それも納得できます」


そうなんだよなぁ。俺の立場って物凄く微妙な感じなんだよなぁ。

本来ならブルベさんから受けていたはずの仕事も、中に浮いてる感じだし。

ただ未開地探索の仕事というか役目というか、それはそれでそのままになってる。


その方がどこに行っても怪しまれない、という理由も付いてるみたいだけど。

どの道俺が何の為に国を飛び回っているのかは、伏せ続ける事しか出来ない。

公開すれば不要な混乱を招きかねないし、悪戯に行動を起こす輩も出かねないから。


本当に、そこが面倒だよなぁ。公開して皆協力してくれたら一番楽なのに。

とはいえ情報が簡単に出回ると、届いちゃいけない所に届く可能性も高いけど。

少なくともヴァールちゃんを生み出した連中には、絶対に届けてはいけない。


そんな訳で俺自身は、今の自分の立場に思う所は一切無い。

給料も有るし。無いのは実績と明確な立場だけだ。はっはっは。


「理由は訊ねないんだな」

「訊ねるべきではない事だと思いましたので」

「・・・本当に馬鹿だな、アンタ使い潰そうとした領主は。呆れるぜ」


イナイは彼女を罠に使おうとした領主に対し、本気で呆れた表情を見せた。

けどそんな事を言う彼女に対し、ニノリさんは首を軽く横に振る。


「私の事を評価して下さるのは嬉しいのですが、今の私が有るのはタロウ様と王妃様が、そしてリィスさんがお救い下さり、シガル様が認めて下さったからです。今の私とは余りに違います。あの時の私は、きっと使い潰されても仕方ない人間でした」

「潰されて仕方ねえ、か。そんな人間は悪党だけだと思うがな」

「ふふっ、ありがとうございます」


・・・本当に、人間変われば変わるものだ。初対面の時とは余りに違う。

そして彼女の本質を見極めていたシガルには感服する。

同時に俺の見る目の無さと、判断力の無さに少し悲しくなる。


「んであたしは・・・まあ、一応ウムルでは大貴族の肩書は持っちゃいるが、今は殆ど何も仕事をしちゃいねえ。妊娠中なんで休職中だ。だから多分、あたしが一番世話になると思う」

「はい。高位貴族の使用人としては力不足ではありますが、精いっぱい頑張ります」

「いやぁ、あたしは貴族らしい活動とかしねえから、肩透かし食らうと思うぜ?」

「そうなのですか?」

「おう。少なくとも夜会やら何やらって行事は、陛下に呼ばれねえと行かねえしやらねえ」

「そう、なのですね」


ニノリさんは多分、自分の国の貴族を思い出し、常識の違いを頭の中で正している。

ウムルの貴族は貴族って言うか、その地域の役人みたいな所あるんだよな。

貴族社会が周辺国家の常識で、それに合わせている国って感じがする。


だからあんまり夜会というか、言い方悪いけど無駄に金を使う事は少ない。

そもそも情報伝達という意味では、結構密にやってるみたいだし。

私腹を肥やす為に顔を広く、という類の事をやればほぼ排除されるっぽい。


少なくとも、それをやりたいなら次の世代にならないと無理と、誰か言っていた。

何せ領主にイナイのファンがクッソ多いから。マジでイナイさん国の要過ぎる。

勿論他の英雄のファンも多いんだけど、イナイは格が違うとか。後アロネスさん。


身近過ぎると納得いかないけど、あの人本当に英雄なんだよなぁ・・・。

ただ問題行動も周知されてるらしいから、その点で目を逸らす人も多いみたいだけど。

むしろ俺としてはそっちの方がアロネスさんって感じがするけどな。うん。


「んじゃシガル」

「はーい。って言っても、多分この中で一番ニノリさんと接してるのあたしなんだけどね・・・ええと、私は前に話した通りウムルの魔術師隊の隊長職で、今回は特別任務でウムル王妃の護衛だったけど、普段はまあ・・・色々公にできない仕事が多いかな?」

「タロウ様と同じ、という事ですね」


まあシガルは何て言うか・・・ハクとクロトの面倒役、みたいな所が大きいからなぁ。


「そういう事になるかなぁ。でも家の中では特にそんな事気にせず、今まで通り仲良くしてくれたら良いかな。あたしも勿論、使用人と雇い主の一線はちゃんと引いた上で接するから」

「はい、ありがとうございます、奥様」

「んじゃークロト君、次どーぞ」

「・・・ん、タナカ・クロト。息子です。よろしくお願いします」

「ご丁寧にありがとうございます、クロト坊ちゃま」


ぺこりと可愛らしく頭を下げるクロトに、ニノリさんも笑顔で頭を下げ返す。

ただそれだけの事だったけど、何だかふんわりした雰囲気が生まれた気がした。

後何気に『息子』とはっきり言った事が俺としては嬉しい。


「最後はハクだね」

「がふっ!」

「あ、ごめんごめん、グレットもだね。でもハクが先ね?」

「がふっ」


・・・お前絶対言葉が解ってるよね。何で俺の言葉だけ解んねえの。

いや、なんか伝わってる時はあるんだけど、俺の時はニュアンス感があると言うか。


『私はハクだ! シガルの友達で、真竜だ! 宜しくな!』

「はい、宜しくお願いします。ハク様が大きな竜になられた姿は驚きましたが、飛び立つ姿の美しさには目を奪われました」

『そうか! それは嬉しいな!』


ハクはストレートに嬉しさを笑顔に見せ、裏表のない様子を見せる。

実際コイツ、黙ってれば凄い綺麗な白竜なんだよな。黙ってれば。


『それでこいつはグレットだ』

「がふっ」

「ふふっ、宜しくね、グレットちゃん」


ハクに紹介され、可愛くお座りをして胸を張るグレット。

お前犬なのか猫なのか良く解んないな。虎なのに。


「んでまあ最後は俺になるけど・・・あれ、俺の紹介イナイが終わらせてない?」

「終わらせたな」


じゃあ前に出た俺はどうしたら良いのだろう。何この恥ずかしい感じ。


「・・・じゃあ、えっと、まあ、その、宜しく?」

「ふふっ、はい、宜しくお願い致します、旦那様」


全く持って締まらない俺の言葉に、ニノリさんは心から嬉しそうに応えた。

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