第818話、王女殿下の伝えられない想いですか?

「アロネス様・・・」


ベッドに転がり意識が戻らない彼の事が心配で、思わず手を取って名を呼ぶ。

けれど彼からの反応は無く、ただ自身の手の中に彼の温かさだけが伝わる。


「・・・馬鹿な方ですね、貴方は」


先程は突然の事態に何が起きたのか解らず、彼が殴り飛ばされた事でとても混乱した。

はしたない事に、なぜ彼にそんな事をと、王妃殿下に詰め寄る様な事までしてしまった。


『な、何を! 一体何どういう事だ! 何故彼にそんな事をする!!』


王女の仮面も被り忘れ、相手が誰なのかも頭から吹き飛んでいた。

後になってみれば、良くあそこで無礼討ちにされなかったものだと思う。

ウムル王妃殿下がポルブルから聞いたままの人物であったからこそ助かっただけだ。


『あー、ごめんね。アロネスの奴ってば今回ちょーっとやらかしてくれたから。ここで逃がすと仕返しできずに逃げ回られるし、こういうのは後々に伸ばすより、サクッと終わらせておいた方が良いからさ。ただ驚かせたのは本当にごめん。事情は説明するから』


申し訳なさそうにそう告げられ、そのおかげで怒りを抑えてぐっと堪えられた。

とはいえ怒りを抑える様子を見せてしまった時点で、抑え切れてはいないのだが。

そうして心を抑えて聞いた事実は、成程ウムルにとっては問題行動でしかなかった。


ポルブルはそこまで把握していた様だが、まさか公開するとは思ってなかったらしい。

ウムルにとっては全て予定通り。そういう事にしておくのだと思っていたそうだ。

だから私にその事実は告げず、けれどウムルは事実を隠さずに伝えて来た。


きっと、そんな彼女だからこそ、ポルブルは信じると決めたのだろう。

私が『アロネス・ネーレス』に全てを託したのと同じ様に。

彼は『リファイン・ウムル』という人間に託したのだ。


国益や、有利不利など後にして、何かを救う為に生きる彼らに。


「私を助ける為に、国を救う為に・・・あの子達を救う為に、本当に、馬鹿ですよ」


私は自分の事で精いっぱいで、彼の行動の真意を理解する余裕が無かった。

何故彼があそこまで派手に暴れたのか、あんなにも目立つ行動をしたのか。

むしろ彼の行動は、ウムルからの指示が有っての事だと思っていた。


「子供を救う為に、ただそれだけの為に、国に逆らうなんて、本当に馬鹿な人」


寝ている彼に向けた声が掠れる。喉の奥が苦しい。目が熱くて視界が歪む。

彼は一体どこまでの想いで行動を起こしたのだろうか。


一歩間違えれば、彼は大罪人になっておかしくない行動をした。

彼のやった事は突き詰めればそういう事だ。

大国の英雄で大貴族の地位から、国に逆らった反逆者にもなり得た暴挙。



それでも彼は救ってくれたのだ。私達を。そして子供達を。未来の子を。



「・・・ありがとうございます、アロネス様」


握りっぱなしだった彼の手を、胸に抱いて心からの感謝を告げる。

勿論彼への感謝は最初から持っていた。彼のおかげでこの身は助かったのだから。

彼が居なければ私は何も出来なかった。なにも成せなかった。


それどころかきっと、あの気に食わない連中の都合の良い人形になっていただろう。

そう考えると背筋が冷える。死ぬ事よりも恐ろしい未来でしかない。

牢の中の暗闇などよりも余程深い闇夜の世界だ。


「・・・お慕いしております。アロネス様」


寝ている彼に、意識の無い彼に対し、伝えられない想いを告げる。


王になる貴女の方が立場が上だし、これからも考えてアロネスで良いと彼は言った。

その時の私の心情は、こんな状況にもかかわらず浮かれ切っていたと思う。

彼の名を呼ぶ許可を頂けたと。理由はあっても近しい者として扱われると。


それは単純に、今後を考えてその方が都合が良い、というだけの話なのは解っている。

私はただ傀儡として存在するのではなく、ウムルと仲良く付き合っていられていると。

ウムルに強制されているのではなく、王女の私がそれを受け入れているのだと。


結局それはそれで文句を言う国も、横槍を入れる国も無くなりはしない。

けれど大多数は黙るだろうし、その矛先は我が国には向かわない。

彼が、アロネス様が、自らを悪役とする事で。


本当に不器用な、どこまでも不器用で優しい人だ。

そしてだからこそ私は、彼に想いを告げてはいけないと思う。

彼に想いの丈をぶちまける行為は、ただの自己満足で迷惑でしかないのだから。


「ツツィと、どうかお呼びください。アロネス様」


だから、彼の意識の無い今だけ、私はその想いを告げられる。

叶えてはいけない想いを、せめて吐露する事だけは許して貰おうと。

胸に抱いていた彼の手を頬に寄せ、男性にしては細めの手に口づけをして。


「・・・っ」


ああ、失恋というのは、こんなにも苦しい物なのだなと、変に冷静に理解する。

勿論彼に拒絶された訳ではない。きちんと彼に想いを伝えた訳でもない。

けれどこの想いはけして叶えられず、叶ってはいけない想いだ。


「・・・お許しを、アロネス様」


だから、せめて、今だけは、許して欲しい。今だけはただの少女で居たい。

貴方の意識の無い今だから。伝えても伝わらない今だから。

そんな想いが溢れて、意識が無く抵抗も出来ない彼の唇を奪う。


けれど我が儘を通して行った行為に、幸せどころか更に胸が苦しくなって涙が零れる。

もうこの先きっと、こんな機会は無いのだと、無駄に理解してしまう理性が邪魔をする。

彼の手をぎゅっと握り、漏れる嗚咽を堪えながらボロボロと泣き崩れてしまう。


けれどそんな私の頬に、そっと優しく触れる物が。

驚いて顔を上げると、目を開いた彼が私を見つめていた。


「あ、アロネス様、これは、その」

「・・・悪い、実はちょっと前から目が覚めてた。本当は気が付かない振りしようと思ってたんだけどな」

「――――――っ」


気が付いていた。それは何時からだろうか。どこから気が付いていたのか。

言及するのが怖くて言葉が出て来ず、声にならない吐息だけが漏れる。

そんな私の頬から涙を指で救い、彼は体を起こした。


「なあ、ツツィ」

「っ・・・!」


けれど、どこからなどと問う必要もなく、彼は私の名を愛称で呼ぶ。

その声音はとても優しく、それが嬉しくてとても辛い。


「俺は、貴女の想いには応えてやれない」

「っ、は、い・・・存じております」


そんな事は解っていた。解っていたからこそ、伝える気が無かった。

私はこの国の王になる。そして彼は大国の重鎮だ。

どちらも別の国に嫁ぐ事も、婿になる事も出来ない身の上だ。


それにそもそもこの思いは一方的な物だ。彼に私への想いは何も無い。


「それでも、それでも、私は、貴方が、貴方の事が・・・!」


既に想いを伝えてしまっていた。その事実が抑えていた何かを外してしまう。

溢れる想いのまま彼に言葉をぶつけ、そんな自分に嫌悪感も抱く。

なんて我が儘だ。何て卑怯な女だ。こんな人間だったのか私は。


彼の想いと自身への不快感で感情がぐちゃぐちゃになり、ボロボロと涙が溢れて止まらない。


「・・・想いは受け取っておく。貴女は何も悪くない。貴女がそれだけ想っていても、何も返さない俺を責めてしまえば良い。貴女はまだ子供だ。我が儘なんて当たり前なんだ。むしろ俺は貴女を尊敬するよ。その歳で個を殺し王として在れる貴女を。俺は未だに我が儘だからな」

「―――――ア、アロネス、様」


けれど、そんな私に対し、彼は私を抱きしめてそう言ってくれた。


私に想いに応えられないのは、全て身の保身を優先する自分が悪いと。

そんな訳が無いのに。そもそも私への興味もないだろうに。

この人は何処までも自分を悪者にして、損ばかりを引き受ける答えを出してしまう。


半端な想いを残さない為に。私が苦しみ続けない為に。

たとえ今身を引き裂かれそうに辛くとも、何時かの未来で私が幸せになる為に。

この人の幻影を追いかけ続ける様な女にならない様に、この場で想いを断ち切りに来た。


何も知らないふりをしていれば、気が付かないふりをしていれば、何も面倒がなかったのに。

私に恨まれる可能性まであったというのに、それでも彼は答えを出してくれた。

勿論これは女性に向けた親愛の行動ではなく、子供をあやしているだけなのは解っている。


それでも私を想ってくれての行動だ。彼は私の為に動いてくれたのだ。


「本当に、優しい方ですね、貴方は・・・そして、残酷な方です。でも、今だけは、どうか」


だから、彼の胸の温かさの中に、きちんとこの想いは置いて行こう。

私を救ってくれた騎士様。私は貴方の事を、心からお慕いしておりました。

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