第758話、ウムルで生きる心得ですか?

使用人の女性とリィスさんと私、三人で車に乗り込む。

私とリィスさんは隣に座り、正面に使用人の女性。

彼女は明らかに緊張して見え、少し脅えが有る様にも感じる。


貴族用の車に乗る緊張、という訳じゃないだろう。

タロウさんに付いて来ると頷いたのに、その本人から離された怯えかな。


彼女はタロウさんを貴族と勘違いしている。とても優しい貴族様と。

その優しい方の居ない空間は、彼女にとって何が起こるか解らない恐怖なんだろう。

リィスさんはそんな彼女の様子を鋭い目で見てから、私に念の為と防音を指示した。


「さて、先ず貴女の名をお聞きしても宜しいですか?」

「は、はい。ニノリと申します」

「そうですか。ニノリ様はどういった経緯で領主館にお勤めに?」

「っ、それは・・・」


防音をかけ終わる前にリィスさんは使用人の女性、ニノリさんに訊ね始めた。

けれどその会話は防音をかけ終わってすぐに止まってしまう。

どうせ碌でもないんだろうな、なんて思いながら彼女が口を開くのを待った。


「・・・両親に、売られて、来ました」


やっぱり禄でも無かった。ああ、もう、この国本当に嫌い。

これがあの領主だけの話じゃなくて、この国全体で当たり前そうなのが嫌だ。


「それは、奴隷として、でしょうか」

「・・・一応は奴隷ではありません。ですがいざという時に使える女として、買われました」

「貴方の意思は無く、と言う事で宜しいですか」

「・・・はい」


この国の事を聞けば聞く程嫌になる。

自分の国が平和で豊かで条件が違う事は解ってるけど、それでも腹立たしい。

彼女が自分の意思でそこに居るなら良い。けど彼女に自由意志はきっと無い。


だからって彼女自身が拒否したとしても、買われた身である以上ここを逃げ出せない。

この国の様子からして、逃げ出せばどうなるか想像に容易いだろう。

貴族が貴族をしていない国。責任や義務を背負わず、利権だけを貪るのがこの国の貴族だもの。


「ならば貴女がされたのは、重大な契約違反、という事は理解されておりますか?」

「・・・え?」


けれどそんな怒りの思考は、リィスさんの冷たい一言で止まってしまった。

契約違反って、こういう契約は本人の意思が無かったら、それこそ無効になるべき契約なのに。

いや、それはウムルでの話だ。この国では話が違う。確かに彼女の言う通りなんだろう。


「確かに貴方は売られてきたのでしょう。ですがそれはこの国法律上、使用人契約としてなのではないでしょうか。貴方には多少は給金が支払われているはずです。それは貴方が何時か領主の望まれた事をする、というのも契約の範疇。であれば貴方の行為は契約違反です」

「それ・・・は・・・!」


ニノリさんは何かを言いたくて、けど反論出来るような言葉が頭に浮かばない様だ。

口をパクパクさせた後、顔を伏せて押し黙ってしまった。


「何か勘違いされているようですが、私は貴女を責めている訳ではありません。この国の体制を良しと思っていない以上、貴女の契約違反を否と言いたくも有りませんし」

「え、で、では、なぜ・・・」

「貴女はもう後戻りは絶対に出来ない。その認識をされておいた方が宜しいと言う事です。私どもにとって好ましくなくとも、この国と貴族にとって問題を起こしたのは貴方なのですから」

「後、戻り・・・」

「領主は貴女を上手く使ったつもりで失敗しました。その怒りは我々にではなく、貴女に向く事でしょう。それはすなわち、最早貴女に帰る場所は無いという事。たとえ不服でも従っていれば生きて行けたかもしれない場所に、もう二度と戻れない。その認識をお持ちさない」


後戻りはできない。そうか、リィスさんが言っているのは彼女の不用意さだ。

今回の件で彼女は二度とこの国に戻れない可能性が高い。


けれどもし、タロウさんが思っていた人と違い、むしろもっと酷い目に合う所だったら。

彼女はもう、何処にも逃げ場がない。ただ苦しみに耐えるだけの人生が待っている。


他にもタロウさんと領主がグルで、彼女を騙しているのだとすればどうだろう。

その場合でも領主館に彼女の居場所は無く、下手をすれば国からの脱走扱いにまでなるかも。

なれば罪人扱いだし、奴隷の様な日々が待っているかもしれない。

彼女は救いの手だけを見て、足元に有るかもしれない罠を疑っていなかった。


「貴女が弱い立場という事に多少の同情は致します。ですがもう少し頭を回しなさい。周囲を疑いなさい。貴女のこの選択は、貴女を苦しめ死に至らしめる選択だったかもしれませんよ」

「じゃ、じゃあ、わたしは、どうすれば・・・!」

「どうすれば良いかを常に考えなさい。ウムルの重要人物に仕えるとは、ただ主の言葉に従う人形ではありません。生き方は自分で決め、自分で誰に仕えるか決め、あの方達の為に心身を捧げて働く場です。特別な能力も無ければ意思も無い、そんな人形は要りません」

「人形・・・」


人形と言われ、悲痛な顔で俯くニノリさん。

リィスさんの言う事は解る。私だって自分で生き方を決めた一人だ。

ウムルの上位陣は信念をもって国に仕え、自分の意思で働いている。


けどそれは、最初からそう生きられる環境だったからだ。

彼女は違う。貴族には絶対に逆らえない様な、この国に生きていたから。

さっきの契約だってそうだ。不服でも本人には何も言えない。


不服なら出ていけば良い、なんて言うのは簡単だろう。けど出て行ってどうするの。

貴族に逆らい、領主館を出て、力の無い彼女がどうやって生きていくのか。

自分が強く在れば何とでもなる、なんていうのは強い人間だから言える事だ。

少なくとも見つかる所では暮らせない。真面な生活は絶対に望めない。


ならそんな彼女が一縷の望みに手を伸ばしたのは、しかたがない様にも感じる。

けどリィスさんの今までの言動を知ってる以上、この話は責める為ではないと思う。


「貴女が仕えたいと告げた方は、ウムルの重要人物です。世間に知られている以上の大きな物を背負った方です。である以上、貴方が本気で彼に仕えるのであれば、人形では話にならない。今回の件は貴方の決断ではありません。貴方はより楽な所へ逃げただけなのですから」


ああ、そういう事か。タロウさんに仕えると言う事は、国の機密の触れかねないという事。

彼女がただ救われたいが為に縋って来たのであれば、彼女との関係は一時的な物になる。

この国居る間は当たり障りなく使用人をやらせ、ウムルに帰ったらその関係は終わりだろう。


流石に何も持たせず放り出す、なんて事はしないだろうけど、雇い続ける事は無い。

彼女はその辺りの認識はきっと出来ていないだろうし、おそらく出来ないんだろう。

今までが支配される側が当たり前で、使って貰う生き方しか知らないんだから。


「私は、どうすれば、良かったのでしょうか・・・」

「それを考える時間を貴方に差し上げます。今暫くはタロウ様の使用人として振舞いなさい。私達も貴女をそう扱います。ですがこの国でやる事が終わりウムルに戻れば、その後の生き方は自分で決めなさい。決められない様でしたら、彼の使用人は務まりません」

「自分で・・・」

「ただし、その時は今回の様な救いを求めた逃げは許しません。本気で彼に仕える気でなければ認める気はありません。ただ流石にいきなり放り出すような事はしないのでご安心を」

「わかり、ました・・・」


彼女の事を可哀想だとは思う。両親に売られ、領主の道具として勤め、その日を脅えていた。

そしてとうとうその日が来たと思ったら、苦しい環境から救ってくれる人が現れた。

そう思っていたのに、現実はそうじゃない。彼女はまだ本当に救われてなんかいない。


チャンスは確かに有るけど、それを掴むのは自分自身だ。

今まで自分で決められなかった人間に、自分で決めろというのはとても酷な話だと思う。

それでも安易に彼女を雇う何て私が言うのは、きっと本当の意味の救いじゃないんだ。


彼女を救うべきは彼女自身。そして今、それが出来る機会が有る。

手を伸ばせば自分の意思で生きられる世界が在る。それこそが救いで、大事なのはその先。

ならきっと、この件が終わっても決められなかったとしても、それが彼女の為になるだろう。


ウムルなら生きて行ける。あの国なら自分で決められる。

決められない彼女が自分の意思で生きて行ける様にきっとなるだろう。

勿論努力は必要で、リィスさんはそれをこの場で求めてるんだけど。


「では、タロウ様の事で何よりも大事な事をお伝えしておきます」

「は、はい・・・!」

「隣に居るこのお方はタロウ様の奥様です。失礼無き様に」

「え、あ・・・!」


彼女は私を紹介された瞬間、さーっと青ざめたのが解った。

おそらく領主に指示された内容から、私に責められると思ったんだろう。


「気にしないで下さい。この件でもし責めるとすれば、手を出した夫にですから」


まあ、出してないの知ってるから、特に責める事も無いんだけど。

いやむしろ責めたいんだけどね。別の意味でなら凄く責めたい。

本当の事言うと、この間の夜とかすっごい押し倒したかった。


「あ、い、いえ、あの方は、私には・・・」

「解ってます。ですからこの話はここで終わりにしましょう。ね?」

「は、はい・・・申し訳ありません、奥様」


奥様って慣れてないから何かむず痒い。

お姉ちゃんと偶にふざけて言い合った事は有るけど。


「それと、タロウ様にはもう一人奥様が居られます。その方は我が国の英雄。つまりタロウ様に仕えるという事は、その方にも仕えるという事。努々その事を忘れなきように」

「英雄、様、ですか」

「ええ、貴方の立場では知らない可能性が有りますし、今この場で名前を告げる事に意味は無いでしょう。なのでそれはまたいずれ」


この話はそこで終わりにして、その後はリィスさんの使用人講座が始まった。

と言ってもウムルの使用人として働く上での、ウムルの常識みたいな物だったけど。

価値観がまるで違うという事を考え、ウムルの考え方を先に教えて起きたかったから。

ただ最後の方で、領主の行動がウムルに対し如何に悪手か、という話になった。


「それにしてもあの領主、女をあてがうにしても、どんな女性が有効か見極めも出来ないとは」

「あはは、タロウさんにこういうのって、悪手ですからね」

「・・・あの方は、お優しいですから」

「ええ、生娘は確実に逆効果でしょうね。どうせなら押しの強い百戦錬磨の慣れた女性、むしろ女性側が主導なぐらいの女性の方が効果的でしょう」

「あー・・・否定できない」


いや勿論タロウさんは拒否すると思ってるけど。信じてるけど。

ただタロウさんの性格上、好きでやってる人が来たのなら嫌悪感は無いだろう。

好きでなくともこれが自分の仕事だと、そう納得してやってる場合も同じかな。


あとまあ、タロウさん押しに弱いから・・・うん。

そういう所が可愛いんだけどね。可愛くて楽しくて好きなんだけどね。

イナイお姉ちゃんとタロウさんの反応は、ほんっっっと可愛いから止まらなくなっちゃう。


「何よりも奥方様が傍に居る時点で悪手です」

「ですねー。正直に言うと思いっきり殴ってやりたいぐらい腹が立ってます」

「・・・す、すみません」

「あ、いえいえ、腹が立ってるのは領主に対してなので。気にしないで下さい。そんな事よりも今後どうするのか、その事をちゃんと考えて下さいね」

「・・・は、はい」


若干最後の会話内容がおかしかった気もしたけど、ニノリさんはおおむね納得した様だ。

ただ彼女が本気で仕えるって言いだした場合どうしようかな。樹海の家の掃除でもして貰う?

まあ、取り敢えずお姉ちゃんに相談が最優先かな。


・・・多分慣れた人間をタロウさんに当てなかったのは、普段使うのは奴隷だからだろう。

彼女は言い訳の為の存在だ。奴隷じゃないから抱いても問題無いだろうという言い訳。

奴隷を否定する国の人間が公に奴隷を抱けないだろうという、ゲスな気遣いの存在だ。


今までもそうやって、何度も『使用人』が使われたんだ。きっと、他の領地でも。


リィスさんはそれを解っていて黙っている。それなら私も黙っていよう。

むしろ言える訳が無い。貴方は奴隷の代わりに使われたんだ、なんて。

この拳の怒りのぶつけ所は、きっと何処にも無いんだろうな。

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