第757話、出発の瞬間まで面倒な土地です!
分体の魔術の練習を始めて数日後、流石にそろそろ出発しなきゃいけないという話になった。
むしろ本当はそっちがメインなんだから、俺が使える様になるまで待つなんて選択肢は無い。
なので事前に相談していた通り、車の中で練習を続ける事になるだろう。
「せめて喋りながら歩く、ぐらいは出来る様にならないとなぁ」
今まさに出発の準備の為に、虎を車につなぐ作業を眺めながら呟く。
一応まっすぐ歩く事は出来る。ただまっすぐにしか歩けない。
イナイが事も無げにやってたから、練習すれば動かすぐらいはと思ったんだけどな。
これの難しい所って、魔術の制御の問題じゃない所なんだよ。
魔術自体の制御は完璧だって自信が有る。けど問題は出来た魔術を動かす能力。
操作自体は完璧に出来るんだけど、操作する為の意識を割く事が出来ない。
「やっぱ慣れしかないのかなぁ」
シガルもハクも、分体を作り出す事自体は出来る。
ただ戦闘用に作れるかといえば、それは難しいらしい。
あくまで会話と日常行動レベルだと言っていた。
その点で言えば俺の方がリードしているはずなのに、俺は逆に日常行動が上手く出来ない。
多分これは魔術の技量の差は関係なく、俺と二人の脳の出来の差な気がする。
複数の事を同時進行は、イナイやアロネスさんに鍛えられてたつもりだったんだけどなぁ。
とはいえ決まった作業の複数思考と、体を複数動かす思考は違うってのはもう解ってる。
そりゃそうだよなぁ。歩くだけでも足場が違うと全然動きが違うもん。
無意識部分を意識して動かさなきゃいけない体が増えた訳だし、そりゃ混乱すると思う。
「・・・それにしても、この光景眺めてると、グレットが懐かしくなるな」
こっちの方は馬じゃなく、虎が車を引くメインの動物になっている。
因みに撫でに行ったら噛まれた。甘噛みだったけど涎でベタベタになってしまった。
以降向こうが気を遣うから、俺は虎に近づいてはいけないと言われている。
おかしいなぁ。しっかり調教されてる虎のはずなんだけどなぁ。
俺の前に立つと猫になるんだろうか。まあ猫科の動物なんだけどさ。
いや、この世界の虎は元の世界と違うから、猫科の動物って訳でもないのかな?
「タロウ、何をぼーっとしているのですか?」
「あ、すみません、王妃様。その、家のグレットを思い出してました」
車の準備が進むのをぼーっと眺めているうちに、リンさんの準備も終わって出て来たらしい。
リィスさんとシガル、ハクも後ろに控えて・・・ハクさん、寝てない? ねえ立って寝てない?
「シガル・・・良いの?」
「まあ、この後、どうせ移動だから・・・」
シガルさん、何で目を逸らして言うんでしょうかね。
まあ自分も寝起き悪いとこういう所あるから、あんまり責められないんだろうなぁ。
特に今回はリンさんの護衛って言う、護衛の意味あるのかっていう仕事だし。
「ふふっ、良いんですよ、タロウ。ハクはここ数日、頑張ってくれていましたからね」
「そう、ですか」
俺は良く知らないけど、ハクさんは頑張っていたらしい。
でも俺の探知には、ハクが何かしている所なんて感知してないんだけどな。
まあ良いか。王妃様がそう言うならそれで良いんだろう。リィスさんも何も言わないし。
「リファイン王妃!? ご用意が出来次第、お部屋までお迎えに行きますのに!」
「ああ、申し訳ありません。車の準備に少々興味が有りまして」
そこでリンさんの出現に領主が気が付き、慌てた様子で駆け寄って来た。
一応俺は邪魔にならない様に、すすっと横に退く。
決してシガルの隣をわざと陣取った訳では無いです。本当です。
「どの子も元気が良さそうですね。ですが無理のない程度で構いませんので、車を引くあの子達が潰れないようにしてあげて下さいね」
「はっ、お優しいお言葉に、奴らも感涙に打ち震える事でしょう」
リンさんの虎を見つめながらの言葉に、大げさな言葉で返す領主。
あの虎達は賢いだろうけど、そんな事で感動に打ち震えたりはしないだろう。
ご機嫌を取りたいのは解るけど、いちいち言う事がわざとらし過ぎる。
思わず半眼で呆れた顔になりそうなのを、シガルさんにつねられて我慢。
うん、我慢出来てませんね。シガルさんありがとうございます。
幸い俺の事は視界にほぼ入っていなかった様で、見られても大丈夫そうではあったけど。
そんなこんなで待つこと暫く、さして時間も経たずに準備は出来た。
ただ出発前にちょーっと面倒な事が発生してしまったんだけどね・・・。
「・・・え? ど、どういう事ですか?」
「いえ、タロウ様はどうやらこの娘をいたくお気に入りの様ですので、移動の間のお世話もこやつにさせようと思いまして。如何でござましょう」
困惑する俺に対し領主が突き出すのは、ここ最近俺についていた使用人さん。
魔術の訓練時以外はずっと彼女が傍に居て、断るのも可愛そうだと俺も甘んじていた。
それがまさかこんな事になるとは、流石に予想しないって。
若干嫌らしい笑み、じゃないのかもしれないけど、俺にはそうとしか見えない笑みだ。
対して使用人さんは俺が実際は何もしていない事実から、少し目を泳がせて困っている。
此処で断ったらこの人はきっと面倒な事になるんだろうなぁ。
でもどうしよう。そうなるとこの人が基本傍に居る事になる。
車の中で魔術の練習をする予定だったから、それはちょっと困るんだよな。
それに流石にここまで露骨なのは、リィスさん辺りが黙っていないだろうし。
そう思いチラッとリィスさんに目を向けると、吹雪でも吹くかと思う冷たい目をしていた。
いや、視線は領主だから大丈夫なはずなんだけど、俺が怖いのはどうしてだろうか。
「領主さ――――」
「ねえ、貴女、タロウに仕えたいの?」
リィスさんが何かを言おうとした瞬間、リンさんが割って入る様に問いかけた。
その言葉に使用人さんは驚き、そして俺も驚いてリンさんを凝視する。
何言ってんの事の人。俺が誰かを雇う様な甲斐性なんて無いですよ!?
ただこれには、何故か領主も狼狽え驚いていた。
「リ、リファイン王妃、何を」
「あら、彼女をタロウに付けると言う事は、そういう事でしょう。まさか貴方は私やタロウの傍に、自分の手の物を常に付けよう、なんて思っていらしたの? 使える人間をタロウに、という貴方の純粋な好意として受け止めていたのですが、もしかして違ったのでしょうか」
「―――――い、いえ、ま、まさかそんなつもりは」
「ええ、ですよね。信じていますわ。ですから私は彼女に確認をしたかったの。この地を去り、生涯タロウに仕える事に後悔は無いのかと。であれば、私は構いませんわ」
使用人さんに向けて告げるリンさんは、言葉は柔らかなのに迫力が有った。
顔は確かに笑っているはずなのに、何故か笑っているようには見えない。
むしろ怒っていると感じる程の威圧感を放っている。
何故リンさんが怒っているのか良く解らないが、領主の慌て様から何かやらかしたんだろう。
屋敷内で俺に人を付ける事は怒らなかったのを考えると、外でもつけるのは非常識って事かな。
「・・・お、お仕えしても、宜しいの、ですか?」
ただそんな中、当人である使用人さんは、目を見開きながらリンさんにそう返した。
大半は驚きなのだろうけど、何処か期待を込めた様な表情で。
待って待って。俺の事なのに俺の意見無視でまた話が進んでいる気がする。
「リンさ――――」
「貴女がタロウに仕えたいというのであれば、私はそれを拒否は致しません。ですがこの屋敷に留まりたいというのであれば、許可は致しません。私は、貴方の意思を、聞いております」
「お、お許しを頂けるのでしたら、付いて行きとうございます・・・!」
だから待ってって! リンさん今俺が喋ったの解ってて遮ったよね!
「良いでしょう。では私達は車を二台用意されております。本来はリィスと私が共に乗る予定でしたが、先ずは彼女と同乗し、ウムルの使用人としての心得を学びなさい」
「は、はい・・・!」
使用人さんは嬉しそうな顔で応え、リィスさんは小さく溜息を吐いて彼女を連れて行った。
二人の護衛にはシガルが付く事になり、またハクとコンビである。相変らず寝てるけど。
っていうか、結局俺は何も言えないまま、彼女が付いてく事が決定されたんですが。
因みに領主は、何とも言えない表情で護衛と共に車に乗って行った。
その際リンさんに同乗を誘ったけど、ニッコリ笑って拒否されている。
当然残りの俺たち三人は一緒に車に乗り、扉が閉まった所でリンさんが防音を指示した。
「あっはっは、タロウ、使用人出来ちゃったね」
「できちゃったね、じゃないですよ。作ったのはリンさんじゃないですか」
「まあ仕方ないと思ってちょーだいな」
「仕方ないって・・・」
「だってさー。仕方ないじゃん? 普通に受け入れたらウムルが女で動く人間をこんな事に連れて来ると思われる。あの子がここの使用人である限りは情報流される可能性も有る。なら本人の意思でタロウに仕える事を望んだ、っていう体にすれば丸く収まるんだもん」
「もしかして、リィスさんが事前に予想してたんですか?」
「タロウさぁ、偶にはあたしが思いついたって思わない訳?」
「思いついたんですか?」
「・・・リィスが昨日言ってた事だけどさ」
頬を膨らませないで下さい王妃様。普段の行いなんだから仕方ないでしょう。
ただリンさんは目を細めると車のカーテンをめくり、領主の乗る車を睨む。
「でもまあ・・・あんなにあっさりタロウに付いて来る事を選んだ辺り、どういう扱いかは鈍いあたしでも察せるよね。ちょ-っとイラっとした八つ当たりも有ったよ。ごめんね」
「・・・責めにくい事を言いますよね、リンさんって」
「あっはっは。まあまあ。彼女が望めばウムルで働き口探すぐらいはしてあげるから、取り敢えずこの旅の間だけは彼女が付く、ぐらいの気持ちでいれば良いと思うよ」
「まあ、それなら、良い、のかな?」
なんか勢いでごまかされている気が凄くするけど、取り敢えずそれで良いか。
俺も彼女が気の毒だ、と思っていたのは本当だし、文句を言うのは筋違いなんだろう。
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