第753話、交渉人が出発する様ですか?
「さーて、あいつらはそろそろ間抜けを一人は懐柔した頃かね」
一応国家機密な事を菓子を食べながらさらっと語るアロネスに、思わずため息が漏れる。
聞かれても問題無い人間しかしないとはいえ、せめて防音をかけるぐらいしろよ。
つーか、クロトも同席させるって事は、ちゃんと関係ある事なんだろうな。
なんてあたしの気持ちなど察する気配もなく、アロネスは茶をぐっと飲み切った。
「これ美味いな。何処のだ?」
「その辺で売ってる茶だよ。多分かなり安いやつ。お前に高い茶なんて無駄だろ」
「今日は普段より一層扱いが酷くないか?」
「はっ、胸に手を当てて考えるんだな」
「まあ、安物でも美味いものは美味いけどな。茶葉を混ぜる人間の腕が有れば良いんだし」
「それを淹れたあたしの腕は無視かよ」
「茶を淹れるのが上手いなんて、イナイには今更な賛辞だろ。何時だって美味いよ」
そういう言い方をされると若干反論し難い・・・なんてお前相手に考えると思うなよ。
ニヤッとするアロネスをギロリと睨むと、口笛を吹いて顔ごと視線を逸らしやがった。
お前のおべっかには乗らねえよ。
「・・・お母さんのお茶は、何時も美味しいよ」
「ん、ありがとな、クロト」
クロトの言葉には思わず笑みを浮かべ、サラサラな髪を優しく撫でる。
ぽやっとした目が嬉しそうに少し細められ、その様子にあたしもクスクスと笑みを漏らす。
ただそれにホッと安堵の息を吐いた阿呆に向けて、再度ギロッと睨みあげてやったが。
「で、おめーはそんな世間話をする為に、態々前触れを出してから来たのか?」
アロネスは今回珍しく、訪問を事前に知らせてからやって来た。
その上に似合いもしねえ、しっかりとした貴族様な服まで着てやがる。
まあどこに行くのかは予想がつくし、ハッタリかます為の服装なんだろうが。
「そうだよ、って言ったら怒るか?」
「ぶん殴る」
にっこりと笑ってこぶしを握った。
「手を開こう。な。冗談だから。イナイの拳は本気でいてーんだって」
仰け反りながら許しを請うが、あたしが本気で殴った事なんぞ数える程度だろうに。
大体避けられるのにお前がよけねーんだろうが。悪いと思ってるなら最初からするなよ。
「んじゃま、本題に戻りますか」
「最初からそーしてくれ。お義父さんに迷惑かけてんだからな」
ただでさえ八英雄の一人が親族って事で、色々有るだろうに。
そこにお前が家に訊ねに来るとか、どんな面倒をかけるか解ったもんじゃねえ。
「んな事スタッドラーズが気にするかよ。あいつも国の立て直しの頃から仕えている人間の一人なんだぞ。それにむしろ、奥方はしれっとこれを利用するタイプだろ。違うか?」
「・・・否定はし難いな」
お義父さんは手放しに良い人だと言えるが、お義母さんは少し曲者な気配が有る。
勿論あたしを家族として受け入れ、シガルと同じように扱おうとしてくれているのは確かだ。
ただお義母さんは、あたしの親族という立場を使う事に躊躇しない人だと思う。
「どうした、はっきりしない返事だな。あのイナイ様がまさか姑にでもいびられてんのか?」
「んなわけねえだろ。良い両親だよ。ただお前の言う通り、あたしの名前を出す事に躊躇しない人なのは確かだ。変な擦り寄り方してくる連中に、馬鹿をやらかすなよって脅しでな」
「くくっ、流石あのシガル嬢ちゃんを育てた母ってか?」
「正直そっくりだと思うよ」
以前は父親似かと思っていたが、根っこの部分は完全に母親似だ。
悔しさをけして忘れない、むしろ悔しければ悔しい程それを力に変える。
強くて、何時だって前を向いていて、何処までも折れない心の持ち主。
ただお義母さんはセルと同じで、内心怒ってても笑顔を絶やさないのがちょっとだけ怖い。
あたしに対しても笑顔で怒るんだよなぁ。
とはいえ、無茶すんなっていうお叱りの類だから、甘んじて受け入れちゃいるが。
どうも二人目の孫が楽しみでしょうがない様だ。ほんと、良いお義母さんだよ。
「・・・シガルお母さんは、お爺ちゃんにも似てる。凄く、優しい」
クロト、お婆ちゃんはお爺ちゃんほど優しくない、って言ってるの気がついてるか。
「・・・お婆ちゃんは、優しいけど厳しい。シガルお母さんは、二人の優しさ、両方もってる」
あー・・・確かにお義母さんは優しいが、無条件な優しさじゃない。
強く在る事を努力して、その結果であれば優しく見守ってくれる人だ。
そこには確かな優しさがあるが、人によってはとても厳しい物だろうな。
「んでまー、その優しいシガルお母さんが、もしかしたら困る事になるかもしれねえんだよな」
「あん、どういう事だ?」
「新しく遺跡が見つかった。しかも先手取られてる」
「なに!?」
「軍の普段と違う動きを諜報員が調べて、それで解った事でも有るんだけどな。その頃には既に遺跡内部を調べ始めた頃だった。元々は今回の件での監視だったから、仕方ないと言えば仕方ない。てー訳でどうすっか、と考えていた所にお手紙が届きました」
態々遺跡が見つかった事を教えてくれた訳だ。ふん、お優しい事で。
「交換条件でも出して来たか」
「さすがイナイ様。ご名答でございます」
「ちっ、めんどくせえ」
今回あの国が喧嘩を売って来た件で、ウムルはじわじわと制裁を下し始めていた。
あたしとアロネスの人脈が有れば、有用な物を売買出来ない様に縛るのは容易い。
完全に締め切る事は不可能だが、それでもかなりの影響が出るはずだ。
当然ウムル王国としては、そんな事は一切していない。勿論あたし達もだ。
あくまであたしとこいつが、知り合いに「色々と」話して、誰かが勝手にやった事。
だからあたし達は何も知らない。ああ、知らないさ。お前らと同じくな。という態度を取る。
その結果苦しい状況に立たされている事に気が付いた領主達はどうするか。
いや、領主だけじゃねえ、内政や外交をやっている文官貴族達も身の振り方を考えるだろう。
さてはて王家は何処まで何をやれるか、お手並み拝見だなぁ。
寝返る人間がどれだけ出るか楽しみだ。
つー感じで真綿で首を絞める様に、リン達をゆっくりと目的地に向かわせていた。
勘の良い連中は既に異変にも、王妃様ご一行が一種の陽動なのも気が付いてるだろう。
という訳でウムルは特に脅しゃーしねえし、あくまで向こうの貴族に乞われて助ける訳だ。
表向きは救済。けど実際の所は容赦のない侵略。
勿論最初にやって来たのは連中な以上、文句は言わせねえ。
こっちは気に食わなくとも今まで手出ししてこなかったんだからな。
ってなるはずだったのに、このタイミングで新しい遺跡かよ。クソ面倒くせえ。
「それでクロトの同席を頼んだのか」
「ああ。場所が解るなら、ここからでも遺跡の中身が目覚めるかどうか解るんじゃねえかと思ってな。もし時間がかかるようなら、向こうが折れるまでガン無視するのも手かなと」
「ガン無視、ってこたぁ、やっぱ今回の件がらみの交換条件か」
「まあ当然だな。んで見つかった遺跡は今も王国軍が警備しててな、幸い棺は開けてない様だが・・・こっちの出方次第では開けるな、あれは」
「ま、あたし達が遺跡を探してる、って事自体は知ってるやつは知ってるからな。手つかずの状態が良い、ぐらいの認識は有るだろう。なら脅し文句はそれになるだろうな」
遺跡の危険性は、信頼できる国にしかハッキリとは語ってない。
だがウムルが各国の同じ様な遺跡を探している、という点だけはどうしても隠し様がねえ。
あらゆる国で探してんだ。全てを隠し通せるほうがおかしいだろうよ。
その結果自国で遺跡を見つけた国王は、遺跡探索の許可と引き換えに手を引けってか?
「いつも通りアロネス達がこっそりと・・・は流石に今回は無理か」
「内部を確認した後だからなぁ。無理だろうなぁ。何かしらの変化が有ればそれで訴えて来るぞ。実際ウムルぐらいしか、あの遺跡に手を出したがる国なんて無いからな。滅多に苦戦なんてしねーが、戦闘痕跡無しで終わらせられる確証は無いからなぁ」
「何時かそういう事も有るとは思ったが・・・普段なら要求の妥協点を探るんだが、今回に限ってはそんな事する気も起きねーしな」
こっちに一切非が無い様に叩き潰しに行ってたのに、トラブルってのは起きるもんだな。
遺跡に入る為に色々無視してごり押しすれば、どうしても周囲の国への印象も悪くなる。
やはりウムルは他国のルールなど無視をする暴君だ。なんて評価になったら意味がねえしな。
勿論今回の件で周辺国が味方している事を考えれば、向こうの主張は無視されるだろう。
おそらく周辺国も今回は無理しても見逃してくれるが、それとそれぞれの内心は別の話だ。
相手の要求は都合が悪ければ無視する、という印象自体を与えたくない。
ってーなると、手を出すっていう選択肢は無くなるわけだが・・・。
「・・・最悪、国が完全に滅ぶな」
「そーいうこった。で、クロトは何か解りそうか?」
アロネスの言葉に私も視線を向けると、クロトはフルフルと首を横に振った。
「・・・何となくそっちに遺跡がある感じはするけど、何時出て来るとかは、解らない」
「そっか。まあしゃあねえかな」
「・・・ごめん、なさい」
「クロトが気にする必要はねえよ。あたしがクロトの事を叱ってるように見えるか?」
「・・・ううん」
「だろ。だったら気にすんな」
コクリと頷くクロトに満足し、アロネスへと視線を戻す。
「で、お前はどうすんだ?」
「まー、とりあえず行って来るさ。わざわざ交渉したいってお手紙貰ってんだしな。本当は行きたくねーけど、セルの奴がまだ都合つかねーみてーだし。遺跡が無きゃ行く気無いんだがなぁ」
「交渉内容の相談は、別に要らねーんだよな?」
「あったりまえじゃねーか。交渉する価値あるか?」
「はっ、確かにな。無駄な交渉だ」
「あちらさんは無駄だとは思ってねーがな。本気で交渉材料になると思ってやがる」
遺跡の探索を交換条件に手を引く、なんて選択肢はあたし達には存在していない。
危険性を理解してないからこそできる愚行だ、という認識しかあたし達には無い。
もし遺跡の件で馬鹿をやれば、国が亡ぶ理由が別物のになるだけの話。
アロネスが向かうのは完全に別な理由だ。
「あたし達にとっては遺跡の対応が後手になる事が、それが面倒なだけだけだからな」
「ありがたい事に遺跡の近くには一般人が居ない。なら避難するぐらいの時間は有るだろ」
つまり、馬鹿どもが遺跡に手を出すか、中から魔人が起きてきた時の対処の為だ。
交渉する気なんて一切ねーが、事が起きた時に近くいれば動き易い。
「一般人以外は助ける気が無い、って言ってるように聞こえるぞ」
「当り前じゃねーか。自滅する奴を助ける程俺は優しくねーよ。大体軍人共はそういう職業だ。死は覚悟の上だろうし、あの国でそれなりに恩恵を享受してきたはずだ。助ける義理はねぇ」
もしこれでガキどもが犠牲になるような状況なら、絶対無茶やらかしただろうな、コイツ。
まあその場合、ブルベが絶対止めるだろうが。そういう意味ではセルが一番適任かもな。
「んじゃー、確認したかった事も終わったし、そろそろ行くかね。邪魔したな。次に会う頃はもうちっと腹が目立つようになってそうだな」
「かもな。実を言うとちょっと楽しみなんだよな。早く目に見えて解る様にならねえかな」
「もし体調悪かったら、すぐに連絡入れろよ」
「別に医者は居るんだから、お前がそこまで気にするこたぁねえよ」
「ヤブだったらどうすんだよ。良いから絶対に教えろ」
お前、あたしが医者にかかる時は城に行くんだぞ。それをヤブって言うのは駄目だろうが。
全く心配性め。普段適当なくせに、こういう時だけくそ真面目になりやがって。
「へーへー、心配性のアロネスちゃんの気遣いは解ったから、とっとと行って来い」
「適当な返事しやがって。ミルカも俺がそれなりに診てたんだからな。ちゃんと実績あるぞ」
「もう良いから行けよ。んでお前はあたしらよりも自分の事を気にしろ」
「あん、自分の事? 俺が何だってんだよ」
「お弟子ちゃんが大きくなる頃には、お前オッサンだろ。子供作る元気あんのかよ」
「怖い事を言うな! 俺はアイツをそういう目で見てねえって何度も言ってんだろ!?」
もう無駄だから諦めろよ。リンもミルカも「アレは逃げられない」って言ってたんだから。
だいたいてめーも無意識なのか、可愛がってる言動してんだよ。
認めてねーの多分お前本人だけだぞ。馬鹿じゃねーのか。
「俺は一生独り身で良い、って決めたの。イナイなら解るだろう」
「人の気持ちなんて移り変わるもんだよ。それで当然だ。大事なもんが出来ちまったら、それまでの価値観なんて何の意味もねぇ。少なくとも、あたしはそう思うよ」
お腹の子が愛おしくて仕方ない。まだ生まれてもいない子だというのに。
こんな気持ちを自分が持つなんて想像もつかなかった。
それはタロウを愛した事も、シガルを愛して嫉妬したことも、クロトを愛している事もだ。
この気持ちを押し殺す事は、今の私にはもうできやしない。
昔のあたしなら理解出来なかった感情だ。知らなかった気持ちだ。
だからきっと、もうあたしは昔とは違う。昔の様な考え方はもう出来ない。
それはお前だって、この平和を作り上げたお前だってそうあっていいはずだ。
なあアロネス。いい加減自分を責めるのは止めろよ。別にお前だって何にも悪くねーんだから。
お前が立場ある人間だから家族が被害に遭ったなんて考える必要はねーんだ。
それはただの要因の一つで、悪いのは実行した連中だ。そうだろう?
「・・・イナイ姉さんが幸せなのは良い事だ。けど俺にそれを望まないでくれ」
「そりゃー無理な話だな。あたしにとっちゃ、可愛い弟妹達だからな」
幸せになって良いだろう。お前だって、ずっと頑張って来たんだから。
「へっ、お優しいおねーさまです事。ならもうちょっと殴るの控えて貰えませんかね」
「殴られる様な事をするお前が悪い」
「そりゃあわるうございました。ま、俺は今でも十分幸せだよ。緩く楽しく生きてるさ」
「・・・そーかい」
ったく、頑固だな、こいつは。
ま、リンの目を信じるとしようか。何時かこいつの弟子がどうにかしてくれんだろ。
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