第728話とうとう告白するのですか?
「はぁ――・・・ぐずっ・・・ああくそ、泣かせやがって・・・」
鼻をすすりながら通話を切り、あたしを泣かせた男への文句を口にする。
そして深呼吸を繰り返し、やっと平常心が戻って来た。
いや、平常心とはまた違うか。胸の奥にじんわりと表現しようのない暖かい物が在る。
「・・・お母さん、良かったね」
何時ものぽやっとした顔を向けながら、クロトがそんな事を言って来た。
あたしは今どんな顔をしているんだろうか。少なくとも笑っているとは思う。
ただ良い笑顔で笑えているのか、そこには少し自信が無いが。
胸の奥に幸せな気持ちを感じる今の気分、それに相応しい笑顔が出来ていると嬉しい。
「なあクロト、もしかして、お前は全部気が付いてたんじゃないか?」
「・・・なにを?」
「全部だよ。あたしの体調が悪いのも、原因が子供が出来たからなのも全部。だからお前は文句も言わずに素直に残った。もしかしたら戦えないかもしれないあたしを守る為に。違うか?」
「・・・幾ら僕でも、そこまで解らない」
クロトの表情は読みにくい。何時もぽやっとした顔で、声音も殆どぶれない。
だからコイツの嘘は解り難いし、真意も気づきにくい。
それでも毎日面倒見てりゃあ、多少は雰囲気の差ってのは解る。
こいつ、今すっとぼけやがったな。
「そうかい。じゃあ改めて護衛を頼むぜ。今はまだ良いが、腹が膨らんで来たらちーっと戦うのはきついしな。今ならまだ戦え――――」
「だめ」
珍しく人の話を遮り、その上はっきりとした口調だったな。
ニマッと笑いながら目を向けると、クロトは少しだけ目を逸らした。
「随分反応が早かったな。何か気になる事でも有ったか?」
「・・・お母さんも、その子も僕が絶対守るから、動かなくて良い」
「はっ、そうかい」
その子も、か。こりゃ確定だ。こいつあたしの腹にガキが居るの気が付いてたな。
何時から気が付いてたのか知らねえが、本人が否定するならそうしておいてやるか。
しかしそうか、ちゃんとこの腹に居るのか。本当に、居るんだな。
予想外の所から、しっかり確認出来ちまった。
ああくそ、泣き止んだのにまた泣きそうになる。
上を向いて涙を誤魔化しつつ、クロトの頭をわしゃわしゃと撫でる。
そうだ、こいつも兄貴になるんだよな。
「宜しく頼むよ、お兄ちゃん」
「・・・うん。絶対守る。お母さんも、その子も。お仕事は・・・仕方ないけど、戦いは絶対に駄目。今はまだ、不安定だから」
隠す気あるのかコイツ。今ので解ってたって白状したような物なんだが。
まだ確定じゃねえかも、って話をしていたのをこの場で聞いていたんだ。
賢いコイツが確定事項じゃない事を確定として語るとは思えない。
可愛い奴だな全く。素直に頼って甘えておいてやるか。
優しい兄貴になるんだろうが、過保護な兄貴にもなりそうだ。
「妹か、弟か、どっちになるかな」
「・・・どっちでも、きっと、可愛い。お父さんとお母さんの子だから」
お、どっちなのかは解んねーのか。まあそこは流石に楽しみにしておくか。
クロトの言う通り、どっちだって可愛い子供だ。
いっぱい愛してやろう。いっぱい可愛がってやろう。
「童顔で小さい子供にならないと良いんだがな」
「・・・それは・・・・・・・・・ある、かも」
そんなに溜めて言うなよ。タロウはともかくあたしはもうそこまで気にしてねえよ。
この事はブルベ達にも近いうちに伝える事にしよう。
アロネスには口留めをしておいたから、多分気が付いてないだろうし。
仕事も流産しない様に肉体労働類は止めておこう。軽くはやるが、流石に普段通りはな。
「あー、いや、その前に報告する相手が居たか」
親に報告をしないといけない。多分あの二人は祝ってくれるだろう。
この際に、ついでに口調の事も言ってしまおうか。
「・・・いや、でも、なぁ・・・彼らにとっては英雄で、娘が、この口調って、なぁ・・・」
一応元々目上の人間への敬意という物は、両親からちゃんと教えられていた。
だからそれなりの言動も普通に出来るし、むしろ今となっては大人として当然の事。
ただそれは、やっぱり他人相手の言動だ。
自分にとって身内という判断の外の人間相手の態度。
家族だと認めた相手にそんな態度を取り続けて良い物か、という思いはある。
けど、彼らにとってあたしは生きた英雄の一人だ。
憧れや夢を見ている部分は絶対に有るし、それを崩さない事が意欲向上にもなる。
ウムルという国であたし達八英雄は、そういう想像を崩してはいけない神輿だ。
まあリンみたいな、本性知られたら印象が悪い方にがた落ち、って程ではない自信は有るが。
いや、ある意味あたしの方がひでぇかもな。この口調に態度だからな。
長々と接してれば一番質が悪いのはアロネスだが、猫かぶりが上手いからな、奴は。
「いや、まてまて、また思考が逸れてんぞ。タロウじゃねえんだから」
この事を考えたのは一回や二回じゃない。だけど未だに素の自分を見せられないでいる。
そうしてどうするかと考えているうちに、それを考えるのが嫌なのか別の事を考え出す。
多分答えが自分自身にしかない物だからだ。明確な正解がない問答だからだろう。
結婚する前に話してればもう少し楽だったと思うのに、ズルズルと語れないままだ。
何よりも最近は、多分自分自身があの両親を好きなんだと思うから、余計に。
少しでも嫌われる可能性、嫌がられる可能性、失望される可能性を口にしたくないんだろう。
「・・・お爺ちゃんと、お婆ちゃんが、お母さん嫌いになる訳、ない」
「クロト・・・ああ、そうだな。そうかもな」
あたしの思考を全て読んだようなクロトの言葉に、思わず苦笑が漏れる。
最近あたしは、頼れる姉さんも、頼れる親も、頼れる妻も出来てねえな。
優しい家族に支えられてばかりだ。
「ありがとな、クロト。ふんぎりがついた。行って来る」
「・・・うん。僕も、一緒」
「ああ、一緒に行こうか」
クロトを連れてシガルの部屋を出て、居間に居る二人の所に顔を出す。
「お話は終わったんですか、イナイ」
「はい、お母様。先程終わりました」
タロウと少し大事な話が有るので部屋にこもらせて貰う、というのを二人には伝えていた。
仕事の話とも私用とも言っていないが、内容を詳しく聞いて来ない二人は流石だ。
「そうか、ではお茶でも――――どうしたのです、その眼は。小僧に何を言われたのですか」
お義父さんはあたしをソファに誘導しようとして、あたしの目が少し赤い事に気が付いた。
そのせいか喋り方が以前の物に戻っている上に、凄まじい怒気を感じる。
シガル相手にもそうだが、彼は基本的に「男側が悪い」と考える傾向が有る気がするな。
彼の妻の性格を考えれば、何となく理解出来なくもない。
むしろ自分の旦那も割とそっちの思考の口なので人の事は言えないか。
あたしに思いっきり腹殴られても一切怒らねえからな、あいつ。
勿論理不尽に殴った事なんて無・・・照れ隠しで殴った時ぐらいしか無い。
「いえ、これは嬉しい話を聞いたせいです。お父様とお母様にもお話をしておきたいのですが、今は宜しいでしょうか」
「ええ、構わないわ。でもお茶を入れてくる時間ぐらい良いわよね?」
「はい。ありがとうございます、お母様」
「それなら先ずは座りなさい。クロト君もこっちにおいでー」
「・・・今日は、お母さんの隣が良い」
「そ、そうかい・・・い、何時でもお爺ちゃんの膝の上に来て良いからね?」
お義父さんには申し訳ないが、クロトはあたしから離れる気が無いらしい。
流石にこの先もずっとべったり、ってこた無いだろうが、今はちょっと様子がおかしいからな。
多分兄貴になるって事で、少し気分が高揚してるんだろう。
暫くしてお義母さんが人数分のお茶を用意し、席に着いた事で子供の件を話した。
「あらあら、良かったわねぇ。今度お祝いしましょうか」
「そうか子供か。それでか。よく頑張ったな!」
喜んでくれるとは思っていたけど、二人ともかなり喜んでくれた。
シガルの子が初孫じゃないのに、実の娘じゃないあたしの子を、心から。
そこに英雄の子、という想いが、あるのかどうかは解らない。
「・・・お母さん」
「うん、解ってる」
クロトに袖を引かれ、笑顔で返してから二人に真剣な目を向ける。
それで何かを察したのか、二人共が真剣な表情を見せた。
シガルもそうだが本当に察しの良い両親だ。
「私は今まで八英雄として、仮面を被って過ごしていました。戦時と戦後の神輿として、英雄を演じていました。今ではそれなりに堂に入っている自信も有ります」
貴族らしい振る舞いは、セルエスやブルベに頼んで本職に色々教えて貰った。
だから最初は付け焼刃だったが、数年もやってりゃそれなりに慣れて来る。
それに貴族共との腹の探り合いは、商人共との腹の探り合いとさして変わんねぇ。
だからあたしは今迄それなりに貴族と英雄をきっちりやって来れた。
「ですが私は、本当の私はおそらく、貴方達の羨望を受ける様な人間では在りません」
あたしの言葉に問い返す事をせず、二人共ただただじっと話を聞いている。
まるであたしの緊張を理解し、核心を口にする迄口を挟まないと言うかの様に。
それを見てから一度深呼吸をして、わざと態度を少し崩して首を傾げながら口を開く。
「・・・あたしは、元々はただの街の技工士だ。確かに才能は有ったんだろう。だけど根っこは何処までいってもただの技術屋で、貴族英雄なんて本来柄じゃねえ。理想を壊して申し訳ないが、本来のあたしはこんなもんだ。口の悪い技術屋の女だ」
そう、普段の口調で語ると、二人は驚いた様に目を開いた。
だがすぐに普段の、シガルやクロトを見る優しい目をあたしに向ける。
「今まで気が付いてあげられなくてごめんなさいね、イナイ」
「ああ。ここはお前の家で、私達はお前の親だ。むしろ何故今まで言わなかった。居心地が悪かっただろう。全く小僧め、自分は気を抜いてのほほんとしているくせに、妻の事に気を割いてやらんか、馬鹿者め。帰ってきたら説教してやる」
―――――力が抜けているのが解る。無意識に体中に力が入っていた事に今気が付いた。
何よりも二人の言葉に、また泣きそうになっている自分も自覚する。
先の通り腹の探り合いや人の変化には自信がない方じゃない。
二人の態度が取り繕った物じゃないと感じるには、今の言葉で十分な物だった。
そしてそれだけ真剣に二人を見て、今までずっと観察をしていた自分の緊張に呆れもする。
完全に無意識に、ずっと二人の日常の動作を探ってやがった。馬鹿じゃねえのか。
「ありがとう、ございます」
上手く言葉が出て来ない。色々考えていたはずなのに思考が回らない。
それでも感謝の言葉だけは口にして、笑顔を二人に向ける。
するとクロトがあたしから離れてトテトテと二人の下に向かい、その手を取った。
「・・・お爺ちゃん、お婆ちゃん、大好き」
「あらあら、ありがとうクロトちゃん。私も大好きよ」
「も、もちろん私もだぞ! 狡いぞシエリナ、先に言うのは!」
ああ、そうか、成程。隣に居たのはそういう理由か。
あたしが言いたい事が言えない事が無い様に、お前は隣に居てくれたんだな。
ったく、どっちが保護者なんだか。
二人はクロトの望む通りの言葉を発してくれたんだろう。
優しい大好きなお爺ちゃんとお婆ちゃんを信じて、その結果が信じた通りだったからの言葉だ。
一番物を良く見てるのはお前なのかもしれねえな。
「・・・全く、恐れ入るよ」
お義父さんに抱き締められながら、視線をあたしに向けるクロト。
かすかに笑っている様子が見え、思わず苦笑で返してしまう。
お前はタロウやあたしよりシガル似だな。
成長したら何も敵わなくなりそうな気分になる所までソックリだ。
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