第711話不可侵条約を結びに行くのですか?

「はっは! これは良いな! 世界中のどんな乗り物よりも最高だ!」

『だろう!』


真竜の住む土地への移動は、ハクさんの手に乗って向わせて貰う事になった。

あの地に住む人間は居ないし、当然転移しに行ける人間も居ない。

タロウさんなら行ける可能性は有るだろうが、流石に彼に頼むのは心苦しい。


これからの事を考えれば、相互不可侵の約束を取りつけに行く事は有益だろう。

ハクさんという協力者を得た今しか、それを容易く実行出来るタイミングは無い。

当然そこは理解しているし、だからこそ閣下が彼女に頼んだ事も解っている。


ただ、何でこの人こんなに楽しんでいるんだ。


「・・・楽しそうですね、閣下」

「当然だろう! こんな経験滅多に出来んぞ!」


少し嫌味を籠めて言ったつもりだのだが、一切意に介さずに返されてしまった。

最近余裕が出てきたせいか、素の部分が戻りつつある気がする。

正直今の閣下は目的を忘れているのではとすら感じてしまう。


『そっちは楽しくないか?』

「あ、いえ、申し訳ありません、そういう訳ではないのです。滅多に出来ない経験ですし、私もとても良い体験をさせて頂いていると思っています。ありがとうございます」

『そうか、なら良かった!』


私の返答にとても満足そうな様子を見せてくれたので、気づかれない程度にほっと息を吐く。

正直な気持ちを言うと、私は彼女の事が少し怖い。

たとえ意思疎通を図れるとしても、彼女は人間ではない。真竜だ。

私達にとって些細な事でも、彼女にとっては激怒する事が有るかもしれない。


一応閣下は彼女が個人的に友誼を持つタロウさんの友人、という立場なので大丈夫だとは思う。

更にタロウさんの伴侶のシガルさんと仲が良い様だし、彼女に迷惑をかけるのを嫌っている。

それらを考えれば私達を害する事は無いと解ってはいるが、それでも理屈じゃない恐怖が有る。


とはいえ彼女のおかげで、普通なら数日どころではない道のりを一日かからず辿り着け、道中の魔物や野生動物、野盗の類にも一切気を払わなくて良い。

しかも向かう理由は完全に私達の事情で、彼女は快く引き受けてくれた。

そこには感謝しか無いし、彼女の態度は友好的だ。だから恐怖を感じるのは失礼だとは思う。


理性ではそう思うのだが、どうにも体が理解してくれない。先程から上手く体が動かせない。

おそらく彼女を仮想敵と考えてしまっているせいだろう。

もし敵対した時に、どうやって閣下を逃がすか。そんな事を。

けど、どう足掻いても勝てる気がしないどころか、閣下だけを逃がせる気すらしない。


『そんなに怖がらなくても、何もしないぞ?』

「っ、失礼しました。ご気分を害されたのであれば、申し訳ありません」


しまった、覚られていた。

表面にはなるべく出していないつもりだったのだが。

不味い、こんな所で彼女の気分を害してしまっては話にならない。


『気にするな。竜が怖いなんて普通の事だ。それにお前達と私は殆ど会話をした事が無いのだから、私に不安を覚えるのは当然だろう。それで私が気分を害する様な事は無い』

「寛大なお心、感謝いたします」


これだ。これが余計に不安になる。

彼女は天真爛漫な様子であったかと思えば、唐突に高い知性の有る様子を見せる。

このせいで思考の底が読みにくく、こちらを試されている気さえする。


彼女を利用しようとも、害そうとも思っていないが、それでも不安になってしまう。

私達は、彼女が相手するに足ると認められているのかと。


「お前は細かい事を気にし過ぎだ。彼女は快活で話しやすい良い竜じゃないか」

「私は閣下の様にそこまで単純にはなれませんので」

「酷い事を言うな、相棒。俺だって何の理屈も無しにこの態度な訳じゃないぞ?」

「少なくとも今の貴方は新しい乗り物にはしゃぐ子供にしか見えませんが」

「間違いないな。凄く楽しいぞ!」

「・・・言動まで子供に帰ってませんか、ヴァイ」


思わず溜め息が漏れる。勿論閣下の事だから考え無しではない事は解っている。

けどそれを考慮しても、相変わらず傍からは能天気に見えるのはどうにかして欲しい。

とはいえそんな閣下の様子をハクさんは気に入っている様なので、わざとやっているのかもしれないが。


『ズヴェズは空を飛ぶのが怖いのか?』

「・・・正直に言えば少々・・・名前を、憶えていて下さったんですね」

『ん? 私は今まで出会った者達で名を聞いた者は大体覚えているぞ。覚える価値が無いと思った相手の事は、名前どころか顔も何処で会ったかもよく覚えていないけど』

「成程、では私は名前を憶えても良い、という程度には思って貰えているのですね」

『・・・私はな、全力で生きる者が好きだ。だからお前達の事も好きだぞ。覚えない訳が無い』


全力で生きる者。彼女が親友と語るシガルさんの事だろうか。

それとも彼女が付いて来る理由となった、タロウさんの事だろうか。

どちらの事かは解らないが、私達は彼女にとって友人達と同じ様に覚えて良い相手と言われた。

彼女には私達がどのように見えて、いや、何処まで彼女は私達を見ているのだろうか。


『だから大丈夫だ。守ってやる。竜がお前達に牙を剥こうと、私がお前達を守る。安心しろ』


――――やはり彼女は、何も考えていない子供の様子は擬態だ。

本当は深く人を見通す目と思考力が有る。だがそれをわざと出していない。

でなければここまで人の機微を読み取り、本当に恐れている事を言い当てられる物か。

真竜の下に行き、他の真竜が牙を剥けば彼女も同調するのでは、という思考を読み取られた。


「私は少し、貴女の事が苦手かもしれません」

『あはは、それは残念だな! 私はお前達の事は好きだぞ!』

「勘違いしないで下さい。苦手ですけど嫌いな訳では有りませんから」

『それは良かった!』


楽し気に鳴き声を上げるその様子は、もう先程の様な雰囲気が消えている。

きっと彼女なりの「敵対するつもりは無い」というアピールなのかもしれない。

そこでふと閣下に目を向けると、私の事をニヤニヤ見つめていた事に気が付く。


「だから言っただろう。大丈夫だと」

「はぁ・・・私は貴方の様に、そこまで良い目をしていないんですよ。頭で理解出来るまで怖いのは当然でしょう」


全て解っていたと言わんばかりの表情だ。流石にちょっとイラっとする。

とはいえここで喧嘩をするわけにもいかないし、実際その通りなのが何とも言えない。


『お、何だ、向こうから来たぞ』

「なにっ?」

「―――っ!」


ハクさんの言葉で前方に注意を向けると、緑色の何かがドンドン迫って来るのが見えた。

凄まじい勢いで向かって来るそれは、あっという間に私達の目の前までやって来た。

それは緑色の真竜。ハクさんと殆ど同じ大きさの真竜が、向こうからやって来た。


『・・・まさかと思ったが、他の地の竜がやって来るとはな。何の用だ、そんな下等な生き物を我が里に入れるつもりか』


呼吸が真面に出来ない程の威圧感を放ちながら、真竜はそう訊ねて来た。

下等な生き物とはきっと私達の事だろう。

けど話し方からすると、ハクさんを同格とは見ている様だ。

これならハクさんが上手く話してくれれば、取り敢えず願いだけは聞いて頂けるかもしれない。

だがそこで―――――更に空気が変わった。


『・・・おい、今何と言った。ふざけるな、貴様、私の友を愚弄したな。舐めるなよ、里から出る事も出来ない程度の竜が、私の友を貶せる価値が有ると思うな・・・!』

『――――な、なに、なんだこれは、体が、震え・・・!』


見た目以上の、言葉で言い表せない脅威。先ほど感じた恐怖が可愛いと思う程の恐怖。

向けられていないはずの私達がそれを感じているんだ。目の前の竜はそれ以上だろう。

恐らく今まで感じた事がないであろう恐怖に震え、困惑した様子が見て取れる。


『訂正しろ。それとも私と事を構えるか。選べ』

『わ、我らは、同族とは―――』

『知るか。私は相手が同族だろうが何だろうが、私の許せない事をした相手に容赦はしない。ただ生物として生きているだけの貴様等に、前を目指して生きる人間を貶す様な事は許さん』

『――――っ、わ、解った。下等と口にした事は謝罪しよう。だがそれでもその生物を里に入れる事は許可できない』

『何故だ』

『そ、それは』


ハクさんの問いかけに、真竜が狼狽える。理由なんて決まり切っている。

彼等は私達を下等と判断している。そんな生物を入れる事など許可できないだろう。

王族が平民を簡単に城に入れないのと考え方は変わらない。


「ハクよ、頼みが有る。俺達の事はここで降ろし、話を付けに行ってはくれないか。彼等にも彼らの事情が有るだろうし、こちらは願いに来た身だ。向こうの言い分も聞かねば」

『それだと、お前達の細かい願いは通せなくなるぞ?』

「構いません。元より我々は、ただお互いに不可侵でありたいと願いに来ただけです。圧倒的強者である彼らに、ご容赦願いたいと伝えて頂ければ結構です」

『二人がそれで良いなら別に良いけど』


閣下は真竜に恥をかかせない様に、この辺りで手を打っておく事にした様だ。

当然私もそれに乗りるが、ハクさんは少し不服そうに見える。

けど彼女なら上手く話を通してくれるだろう。

短い会話しかしていないが、彼女にはそう思える物が有る。


『じゃあ、安全そうな所に降ろして来るから、後で私が向かうと伝えろ』

『わ、解った。皆に伝えておく』


真竜はハクさんに応えると、凄まじい速度で消えて行った。

ハクさんはそれを見届けずに方向転換し、緩やかな速度で飛んで行く。


『さっきあの辺りに小屋が見えた。周囲に危険そうなのは居ないし、あそこで待っていれば安全だろう。ああでも、もし何かあった時の為に・・・』


ハクさんは少し黙って小さく鳴き声を上げると、私の手元に彼女の魔力が集まるのを感じた。

そして暫くするとそこから小さなハクさんが現れる。

私の両手に乗る程度の、小さくてかわいい竜が。


「こ、これは・・・!」

『竜の魔術の一つだ。と言っても私はこれ少し苦手だから、意思疎通ぐらいしか出来ないんだけど。でも何か危なくなったら、これですぐに解るからな』

「いえ、お気遣い感謝します」


竜の魔術はこんな事も出来るのか。これは幻影じゃない。しっかりと実体が有る。

もしかして彼女の成竜化もこの系統の魔術なんだろうか。

いや、しかし、それにしても・・・。


「可愛い・・・」

『あはは、ありがとうな!』

「え、え、こっちでも喋れるのですか!?」

『うん、だからちゃんと意思疎通できるぞ!』


凄い、この小さい竜状態でも話せるのか。というか、チマチマしていて本当に可愛い。

彼女と同一の存在というのは解っているけど、思わず全てこちらに返事をしてしまう。


『良し、じゃああそこに降ろすぞー』


その後はハクさんが先ほど言った通り、小屋の有る所に降ろして貰った。

どうやらもう誰も使わなくなった山小屋の様なので、勝手に使わせて貰う事にする。

それにしても先程から閣下がニヤニヤとしていて少しうっとおしい。

多分私がミニハクさんが可愛いと反応したせいだろう。


その後はハクさんはすぐに飛び立っていき、私達は大人しく待つ事になる。

戻って来たのは翌日だったが、どうやら話はついたらしい。

一応ミニハクさんから先に聞いていたのだけど、戻って来た彼女は傷だらけだった。

驚いて尋ねると、里の真竜全員をのして来た言われた。


『竜の恐怖を越える事も出来ず、越えようとも思わないくせに、大きな口を叩く連中だったが、私より強い人間が沢山居る事を話してやったら大人しくなったぞ!』


冷静な話し合いだけで済むとは思っていなかったが、予想以上に暴れた様だ。

とはいえ彼女のおかげで助かった。私達だけでは話す前に殺されていた。

出来れば穏便に行きたかったが、今回はこれが最上と納得しておこう。

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