第693話消える気配。

おかしい。近づいているはずなのにどんどん気配が遠ざかっている。

いや、距離が離れている感じはしない。だがその存在を段々感じられなくなってきている。

やっと見つけたというのに、兄弟を見つけたというのに見失う訳にはいかん。


たとえ俺より先に現れた兄弟とは違うとしても、俺の兄弟に変わりはない。

ならば見逃せるものか。逃がしてなるものかよ。


「おい、まだ見つからないのか?」

「煩い! そんな事は俺が一番思っている事だ!」


後ろを走る従僕の問いかけに怒鳴り返してしまった。

そのせいで自分の心に焦りが生じているのが理解できてしまう。

このまま見失うのではないかと、兄弟達を救えないのではないかと。


だが俺一人で向かっても兄弟を救う事は出来ない可能性が高い。

兄弟を殺す為には、どうしても従僕を連れて行く必要が有った。

だから先に従僕の願いを果たし、確実に仕事をさせるつもりだったのだが・・・。


「見つからなかったら、それはお前がごねたせいだぞ、従僕!」

「・・・いや、普通ごねるだろ」


一番最初に兄弟の殺害を頼んだ時、従僕は俺の頼みを拒否した。

殺しの依頼、なんてのを受ける気は無いと。

特に事情も話さずにただ殺せなどという事を聞く気はないと。


魔人の発見と排除はその為の交換条件。

それでも渋った従僕に、殺す事こそが兄弟を助ける為だという事だけは話しておいた。

だがそれを果たしている間に、ここまで気配が消えるのは想定外だ。

確実に距離は縮まっているはずなのに、近づいている気がしない。


「とりあえず落ち着けって、その調子で走り続けてたら、兄弟とやらに会う頃にぶっ倒れるぞ」

「むっ・・・ちっ」


従僕のいう事は尤もだが、素直に認めるのは悔しく舌打ちをしながら速度を落とす。

焦りからどんどん速度を上げ、力の加減を上げていた様だ。

この体は貧弱極まりない。余り力を使い過ぎると強すぎる疲労感を眠気が襲って来る。

兄弟に会えたのに気を失った、では流石に馬鹿馬鹿し過ぎる。


とはいえ今も気配は遠のき、最早微かに感じられる程度。

一応全く感じない訳では無いが、余りに弱弱しくて不安になる。


いや、むしろそれは好都合なのかもしれない。

ここまで弱弱しいという事は、俺より弱い可能性が出て来た。

最初に感じた気配は強烈で俺を越えると思ったが、そういう事でもない様だ。


「・・・む?」


まて、よくよく考えれば今俺が兄弟の気配を感じられているという事は、兄弟も俺の存在に気が付いているはずだ。

だというのに兄弟は先程から殆ど動いていない様だ。

俺から離れるなり、暴れまわるなり、もしくはこちらに近づくなりしそうなものだが。


「っ!?」


兄弟の気配がいきなり移動した。転移したのか、それともさせられたのか。

もし前者ならここまで弱弱しい意味が解らんが、後者ならば俺と同格か弱い事が確定する。

グルドウル程のふざけた魔術ならともかく、普通の魔術師の魔術が俺達に通用する訳が無い。


それが解ったのは良いが、距離が遠くなった。

ただでさえ気配が弱くなり続けているというのに、こんな事を繰り返されたら見失いかねん。

必要以上に従僕に頼るのは腹立たしいが、意地を張り続けてもいられんか。


「ちっ」


舌打ちをしながら足を止めると、従僕は俺を追い越していった。

そそしてキョロキョロと周囲を見回しながら俺の傍に寄って来る。


「どうした、いきなり止まって。この辺りに居るのか? それらしい気配は何処にもないが」

「距離が更に離れた。腹立たしいが従僕、俺を転移させろ。お前なら出来るだろう」

「させろって言っても・・・どこまで」

「向こうに、それなりに遠くだ」

「いや、それじゃ解らねえって。ちょっと待ってろ」


従僕はごそごそと荷物入れをあさり、中から地図を取り出す。

広げて俺に見せる様にした事で意図は解るが、地図の見方なぞ知らんぞ。


「どうせ地図の見方なんて解らねえとは思うから説明してやる。先ず現時点は大体この辺り。走り出す前がここ。お前がさっき迄向かっていた方角がこっち。今指さした方向がこっちだ」


従僕は地図に指を這わせながら、今迄の移動の方向と距離を俺の教えて来た。

その縮尺を見て兄弟の位置を割り出そうと、俺も指を這わせながら少し思考する。

そうして予想のついた位置を指で押さえて顔を上げた。


「ここだ。誤差は有るだろうが、大体この辺りだ」

「・・・まじかよ、お前の兄弟ってお前みたいに暴れる可能性が有るんだよな」

「そうだな。可能性は大きいだろう」

「ちょっと待ってろ」


従僕は少し焦った様子で腕輪を触り始めた。

何を焦っているのか解らないが、早く移動をさせろ。

このままでは本当に兄弟を見失ってしまう。


「姉さん、イナイ姉さん、聞こえる?」

『ん、グルドか。聞こえるぞ。さっきブルベから話しを聞いたが、お前が魔人をどうにかしてくれたんだってな。あの野郎、お前が帝国内に居る事ずっと黙ってやがったから知らなかったぞ』

「ああ、それはごめん。ちょっと事情が有って兄貴にも口止めされててさ。その辺りはまた今度話すとして、急ぎで聞きたいんだけど、そこで何か異変は無いかな。誰かが暴れてるとか」

『は? いや、特にそういう事は無いが・・・まあ色々あってゴタゴタしているから、それに乗じて盗みをする奴ぐらいは居るとは思うし、細かい状況までは解らねえけどよ』


従僕は話している姉の言葉を聞き、眉間に皺を寄せる。

そして俺もその会話に不可解なものを感じた。

恐らく従僕の話している相手は、今俺が指を差した辺りに居るのだろう。


もし兄弟が暴れているのならば、そんな何事も無い様子は有りえないはずだ。

少なくとも周囲に人間が居るならば、兄弟は確実に殺しにかかるはず。


「そ、か・・・んー、姉さん、後で姉さんの所に向かうかもしれない」

『・・・何か有ったのか?』

「解らない、有るのかもしれないし、何も無いのかもしれない」

『要領をえねえな。まあ良いが、今はこっちもちょっと面倒が有るから、タイミング次第じゃゆっくりと話してる時間はねーかもしれねーぞ』

「ん、了解。忙しい所ごめんね。また後で」

『おう、お前も何急いで焦ってんのか知らねえが、気をつけてな』


通話を切ったらしい従僕は、困惑した顔を俺向ける。

向けられている俺もどういう事か良く解らない。


「ほんとにこの辺りなんだよな?」

「その、はずだ」

「お前の兄弟って、もしかしてお前みたいになってない可能性とかは無いのか?」

「・・・解らん。有るかもしれんが、その可能性は低いと思っていた」


俺ですら、こんなに貧弱な俺ですら、あの殺意に囚われていた。

全てを憎み、全てを殺し、最後には自分すら殺したいと。


「取り敢えず、街の手前に転移してみるか」

「ああ」


従僕の提案に素直に頷き、従僕の手を掴む。

すると従僕は何故かクスッと笑ってから魔術を使って転移した。

何故笑われたのか解らんが少し腹が立つ。

だがそんな苛立ちも、意味の解らない状況に驚き消えてしまった。


「・・・従僕、あそこにあるのは、街か」

「ああ、あれがさっき抑えていた所だ」

「・・・兄弟はあそこに居る気配がするんだが・・・本当に何も起こって無いのか?」

「姉さんの話からすれば、そうみたいだな」


弱弱しいが、確かに兄弟の気配はそこにある。有るはずなのに何も起こっていない。

もしかして、死にかけているのか。変な顕現の仕方をしたせいで体が維持できていないのか。


それは、それならば、良いのかもしれない。

死ねるならば、それは幸せな事だ。


「――――違う!」


死は救いだ。俺にとっては、俺達にとっては確かに救いだ。

けどそうじゃ無いだろう。俺は何の為に兄弟を捜すと決めた。

この手で救う為だろう。せめて救われた自分を見せてやる為だろう。

死ぬならば良いかなどと、そんなふざけた事を考えるなど!


「行くぞ、従僕!」

「あっ、おい、ったくもお」


従僕に声をかけてから走る。今にも消えそうな兄弟の下へ。

もし死にかけているなら、もう少しだけ待ってくれ。

俺を見せて、俺の手で殺してやるから、後少しだけ待っててくれ、兄弟。

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