第668話英雄は現地に走るのですか?
「さて、今更な質問で悪いんだが、ここが何処かは解るか?」
イナイ・ステルがタナカ・タロウを連れて転移したのを見届けると、アルネ・ボロードルは当たり前の様に訊ねて来た。焦りも気負いも何も無い、とても自然体な様子で。
その事に少し気を取られてしまったが、すぐに口を開く。呆けている時間など無い。
「はい、解っています」
「そうか、どちらに向かえばお前達の領地かもすぐに解るか?」
彼に問われて空を見上げる。山で森の中とはいえ全てが木で隠されている訳では無い。
日の傾きや樹木の生え方から方向を確認し、領地の方向を指さす。
「あちらです、あちらに向かえば殿下の領地です」
「距離は? 転移で逃げたんだ、歩いてすぐの距離ではないだろう?」
彼は殿下の血を見てから軽く周囲を見回す。
周囲には血の跡が無い以上当然の判断だろう。
「徒歩ならば恐らく一日はかかる距離かと」
「そうか、ところでお前達は転移は使えるのか?」
「いえ、申し訳ありません。ここまでの転移も道具を使ってですので、自力での転移は・・・」
その質問をして来るという事は、彼は転移を使えないという事か。
いや、彼は帝国に来るのは初めてのはず。
たとえ目印があったとはいえ、転移して来られたタナカ・タロウが異常なだけだ。
とは言っても、彼は不明瞭な点が多過ぎる人間だ。何が出来るのか良く解っていない。
勿論ウムル王国の誇る鍛冶師であり、それ相応の実力が有る事は知られている。
だが彼の英雄としての力は、殆どの国が把握していない。
ウムル八英雄が一人、アルネ・イギフォネア・ボロードル。
様々な武術に長けているという事以外、戦闘能力が一切広まっていない異端の存在。
鍛冶師でありながら戦闘職の人間と肩を並べ、英雄と称される男。
彼は亜人戦争時以外でその力を振るった記録は無い。
勿論国内で基礎鍛錬をしている姿は周知であり、ある程度の実力者だという事は解っている。
だが、ただそれだけだ。それ以外の何の情報も無い。
有るのは戦争時に彼の戦いを見たという人間の、とても強かったという言葉のみ。
それも他の英雄達の魅力に呑まれ、殆ど前に出ていない。
彼は一体どこまでやれるのか。本当に強いのか? いや、ここで疑問に思っても仕方ない。
あのイナイ・ステルが任せた男だ。それ相応の実力は有るはずだ。そう信じるしかない。
「そうか、ならば仕方ないな。走るか」
「いえ、この近くに村が有ったはずです。そこで足を調達すれば」
「確証は有るのか? 確実に足が有る確証は」
そう問われると弱い。無くは無いだろうが、必ず有るとは言えない。
もし村に寄って足が無ければ時間の浪費になってしまう。
だがそれでも、徒歩で向かうには距離がある。
「それにその程度の距離なら、余程の生物でない限り走った方が早い」
「・・・は?」
「皇子はまだ意識が無い。少しばかり本気で走るから、首に負担が無い様に押さえておけ」
「いや、ちょ――――」
彼は殿下ごと私をその大きな腕の中に抱え、有無を言わさずに走り出した。
暴風が走り抜ける。まさしくその表現が正しい速度で。
殿下の首が揺れない様に強く抱きしめながらその速度に慄く。
彼は強化魔術も何も使っている様子は無い。素の身体能力のみでこの速度を出している。
人間離れ、等という言葉では陳腐過ぎる。彼は本当に人族なのか。
人族に見えるだけの亜人ではないのか。そう思う程に彼の走る速度は化け物じみている。
「なるほど、お前女だったか。これはすまんな」
「―――! なぜ、気が付かれました」
「筋肉と骨格がな。抱いて解った。だが今は非常時だ。許せ」
「そう、ですか。いいえ、お気になさらず。出来れはその事を内密にして頂ければ大変ありがたいですが、強制はできません。私共は救われる立場ですから。いえ、私は既に救われた」
殿下には申し訳ないが、私にとっては殿下が全てだ。殿下が生きる意味だ。
だからこそ、殿下の想いに反してしまった。
殿下を助けたいという一心であの石を使ってしまった。
きっと殿下が目を覚ませば私を責めるだろう。彼の目的に完全に反してしまったんだ。
「お前の考えている事は解らなくはない。だがここに至っては皇子の手は悪手だ。おそらく皇子もいきなりやられ、負傷で頭が回っていなかったのかもしれんな」
「え・・・な、何を」
「他の皇子の排除をしてからの魔人討伐とその後の帝国崩壊。だがそのシナリオはもう不可能だ。先程のお前の話で俺もイナイもそう判断した。今の落ち着いた頭なら気が付けないか? もし皇帝が本当に意思を持って皇子を狙ったのならば、今すぐ行かんと民は助からんぞ」
「どうい―――」
言われて疑問を口にしようとして、すぐに意味を理解してしまった。
皇帝陛下は意志を持って殿下を狙った。
つまりそれは皇帝陛下に記憶があり、それを魔人が利用したという事だ。
そして現地では、きっと仲間達が、もう何人も殺されている。
「――――殿下の狙いが全てばれてしまっている!」
「そういう事だ。お前以外に事情を知る人間も戦っている以上、早めに向かわんと全てが無駄になる。流石にお前の殿下もそこまで秘密主義ではないだろう?」
「はい、民達を確実に逃がす為にも、その辺りの情報共有はしっかりと」
「そして今回魔人の特性のせいで、それが裏目に出る」
「それは、ですが・・・!」
「ああ、すまん。責める気は無い。むしろ褒められるべきだろう。今回は相手が悪かった。ただそれだけの話だ。気にするな」
少し違和感がある。今までに手に入れた彼の情報と、今の彼の印象が合わない。
情報に在った彼は雑で細かい事は気にしないおおらかな男、という印象しか持てなかった。
だが今の彼からはそんな気配は感じない。むしろ頼りになる歴戦の将という方がしっくりくる。
「魔人がゆっくりと進行し、帝国以外を狙わんのもそれが理由だろう。皇帝の記憶を知った事で、兵隊を増やす為に、他国に邪魔をされない為に帝国領のみを進行した。おそらくだがな」
「一気に攻めないのは、皇子達を戦える様に維持する為、ですか」
「そうだ。一気に攻めて頭を討っては兵が散り散りに逃げてしまう。それでも魔人であれば何とかなりはするだろうが、出来るだけ確実な兵力の確保を優先したんだろう」
「そして殿下がそうと気が付けない様に、ある程度の兵力が溜まるまでは死体達に意志が有る様には見せなかった・・・完全に嵌められた訳ですね」
いや、意志自体は実際どうかは解らないが、それでも完全にしてやられた。
私達がどれだけ待ったとしても、魔人は他の皇子を討つ気は無かったんだ。
そして戦場に出て来ない殿下を先に狙い、殿下が避難させている民も全て殺す気だ。
「すみません、もう少しあちらに方向修正をお願い致します」
「む、こっちか。すまないがまた修正が要る時は頼む」
「いえ、むしろこの程度の事しか出来ず申し訳ありません」
「気にするな。お前は良くやった。むしろお前があそこでタロウを呼ばなければ全てが終わっていた。とはいえタロウが居て、皇子を助けられたからだがな。全くあいつはやってくれる」
走りながらポンポンと優しく私の頭を叩く彼に、やはり今までの印象と差異を感じる。
集めた全ての情報が無駄に感じる程に、目の前に居る男性が知っているアルネ・ボロードルとは思えない。
そして彼はその後は無言で走り続け、私も殿下を抱きしめて彼を誘導していく。
「建造物が見えた。あれか?」
「――――はい、あれです!」
もう着いたのかという驚きに、一瞬言葉に詰まりつつも応える。
皆、どれだけ生きているだろうか・・・。
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