第656話アルネさんの周辺事情ですか?
「さて、荷物はこんなものか・・・」
久々の長期間の遠出に備え、荷物の整理を進める。
腕輪が有るからどれだけ持とうが困る事は無いが、俺にはそこまで必要な荷物は無い。
着替えと多少の武具と、後は鍛冶道具ぐらいの物だ。
いや、今回は行く理由が理由だし、それなりの武器も持っていくか。
久々に魔人相手に戦う可能性が有る。出来る限りの準備はして損は無いだろう。
とはいえイナイが共に行く事を考えると、そこまで気を張る必要も無いかもしれんが。
・・・いや、それは甘いな。
ブルベが遺跡から出て来た魔人を即座に切り捨てる理由を思い出せ。
奴等の脅威はただ本人の強さではない。その能力だ。
初めて会った魔人の様な存在が現れたら、手に負えなくなる可能性が有る。
あれは俺やロウでは倒せなかった。リンが居なければ全滅していた存在だ。
今回は一応能力は判明している様だが、それしか使えないと思うのは止めておいた方が良い。
だからこそ、イナイだけではなく俺も行く事になっているのだと思わねばな。
とはいえ俺とイナイであれば、俺は露払いで本命がイナイだと思うが。
イナイが勝てない相手に俺が勝てるとは思えん。あいつの外装はリンに匹敵する武装だ。
そもそも純粋な戦闘能力という点で言えば、俺は八英雄の中では最弱だからな。
生産職の癖にふざけている程強いイナイとアロネスがおかしいだけだ。
大体それを言い出すとブルベの方が俺より強い。あいつの本気の一撃はもう躱せない。
家臣より遥かに強い王など、騎士達もやり難いだろうな。
ああ、忘れていた。一応貴族として行くわけだから、それ用の服も要るか。
これを忘れたらイナイに怒られる。
俺の体に合う服など気軽に用意出来んし、忘れると面倒だ。
「師匠、もう出発の準備をされているんですね」
「ん、おお、早めにしておかないと俺は忘れるからな」
背後で茶の用をしてくれている弟子に応えながら、手早く荷物を纏める。
纏めた荷物をベッドの端に放り投げ、この体には少し小さい椅子に座って茶を受け取る。
「美味いな。お前は鍛冶師よりも茶屋でも開いた方が良いんじゃないか?」
「冗談でも止めて下さいよ、そういう事言うのは」
「あっはっは、冗談と解っているならそんな拗ねた顔をするな」
俺の言葉に拗ねた態度を隠しもしない弟子だが、俺も本気で言ったつもりはない。
弟子の実力はきちんと理解しているつもりだ。
こいつは弟子の中では一番俺のやり方に近い所に居る。
今ではタロウよりもこいつの方が、俺の弟子としては正当な弟子だろう。
タロウはいつでもそれなりの物を作りはするが、日常的に作っているこいつの様な生産速度は望めない。鍛冶師としては今では間違いなくこいつの方が優秀だ。
俺達は出来るだけ時間をかけずに、望まれる質を望まれる量用意する必要がある。
そういう意味ではタロウは鍛冶師としては半人前だからな。
ま、あいつの場合は出来る全てを利用すればその限りじゃないだろうが。
タロウは鍛冶師としては半人前だが、生産者としては一流だと言えるだろう。
「お前が居るなら留守を任せられる。そう思ってるぞ?」
「っ、そ、そうですかね。自分はまだまだ未熟だと思いますが」
「未熟と言うならば俺も同じ事だ。人間完成したなどと思ったらそこで終わりだろうよ」
「は、はい! 肝に銘じておきます!」
弟子は最初こそ俺に良くかみついて来たが、最近はそんな事は無くなった。
それどころか暇が有れば部屋に押しかけて来て世話を焼いて来る。
俺が鍛冶以外には無頓着だからと、身の回りの事をやらせて欲しいと頼んで来たのが最初。
それ以降はこうやって、仕事の時と寝る時以外は俺の部屋に良く居る様になっている。
余りにべったりなせいで、俺と恋仲なのではという噂が立ったのには困った。
ブルベはやけに優しい目を向けて来るし、ロウはお前が良いなら何も言うまい等と言って来るし、リンは解っていると言いながらまるで解っていない表情で接して来るし・・・周囲の目を余り気にしない俺でも厳しいものがあったな。
今はその誤解も解けてはいるが、一部ではまだ信じて貰えていない。
それどころか応援してます等と鼻息荒く言う人間もいる程だ。勘弁してほしい。
ウムルに住む以上どんな性癖も同意であれば悪という気は無いが、俺に男色の気はない。
俺に負けず劣らずな筋肉の塊になっている弟子に、どうしてそんな想いが抱けるのか。
そういった事が好きな者達には悪いが、俺は自分がそうなる事は想像すら気持ち悪い。
勿論他の者が、想い合って同性同士の恋仲という事ならば、それは素直に祝福しよう。
そもそも弟子に同性が好きな人間が居るし、祝福出来ない訳が無い。
ただ対象を自分に向けられるのは困るというだけだ。
女っ気などほぼ無い人生だが、それでも伴侶にするなら女性が良いと思う。
俺の好みはイナイの様な世話焼きな女性だ。勿論見た目はもっと成熟した方が良いが。
あの平らな体型では何も感じん。多分これを口に出したら殴られるだろうな。
因みに弟子もこの事は知った上で、今もこうやって世話を焼いているらしい。
「別に勘違いされても困りませんし。あ、俺もその気は無いですよ?」
との事だ。もしかすると弟子は俺よりも大物かもしれない。
余り無頓着だと、俺と同じ様に伴侶が出来ないまま歳を取る事になりそうで心配ではある。
ま、若い頃はその手の事を言われてうっとおしかったし、言うつもりは無いが。
「そのうち筆頭補佐の役職でもやろうか? 今居ないし丁度良いだろ」
「そう言って役職押し付けて、事務仕事も全部押し付ける気でしょう」
「はっはっは、解ってるじゃないか!」
俺は王宮鍛冶師筆頭なんて役職を持っちゃいるが、実際のところ王宮に仕える鍛冶師なんて大した数は居ない。
元々仕えてた爺様連中や俺と同世代の数人の鍛冶師だけで、それで賄えない物は外の鍛冶師に頼んでいた。
言ってしまえば、王宮で即座に対応出来る鍛冶師なだけだ。
ただ先の戦争で俺の名が広まり、俺の作った物が広まり、人が集まって来た事で、王宮内で専門の部署を作ろうとブルベが言い出した。
他の連中が責任者をやりたがらなかったが為に、英雄の名と一緒に押し付けられた様な役職だ。
そしてそれを形にする為に集められたのが弟子達であり、今の王宮鍛冶師達だ。
だから補佐の役職は空のままだし、俺の気分で誰にしても構わない。古株共は嫌がるしな。
「とはいえ俺がいない間の代わりは要る。昔と違い爺様共がのんびりやる様な環境じゃなくなっているしな。俺が出ている間は任せたぞ、ミトル」
「――――はい、師匠!」
弟子は嬉しそうに返事をする。張り切り過ぎてヘマしないと良いが。
しかし、気がつくと俺もいつの間にか師匠顔が板に付いてる気がする。
昔は面倒だったが、今は楽しいと感じるのは歳を取ったせいかな。
若い連中が張り切っているのが微笑ましい。
さて、死ぬ気は無いが、死ぬ覚悟はしておかないとな。
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