第640話魔神の恐怖。

「―――――っ!!」


嫌な物を感じ取り、熟睡していたにも関わらず飛び起きる。

慌てて周囲を確認するが、既に先程感じた感覚は無くなっていた。

それに安心はしたものの体の調子がおかしい事に気が付く。


「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


胸の臓物の音が煩い。呼吸が上手く出来ない。体が震える。

気持ち悪い。吐きそうだ。体も上手く動かせない。

吐き気を堪えて胸に力を入れ、浅い呼吸を繰り返して何とか気分を落ち着かせようとする。


「くそっ、今のは、覚えているぞ・・・!」


あれは、あの感覚は、あの女の物だ。あの女と同じ質の力だ。

俺を殺した力だ。まさかあいつが生きているのか。そんな馬鹿な事があるのか。

あの時確かに殺した筈だ。幾らあの女が『竜』だとしても生きているはずが無い。


いや、俺がこの世界にまた生まれたんだ。あの女がまた生まれていてもおかしくはない。

だが、もしそうならば、奴は今度こそ俺を亡ぼすだろう。

あの女はそれを望まれて生まれた存在なのだから。俺と真逆で、人に希望を願われて。


そしてもしあの女がもう一度生まれているのなら・・・あの男も、奴も、居るかもしれない。

俺を殺した、殺す事の出来る、あの男の力を持つ者が。

あの男は人間だから生きてはいないだろうが、血族が生きている可能性が有る。

子孫が居るならば、あの男の力を受け継いでいてもおかしくない。


もし出会ってしまえば今の俺では絶対に敵わない。なす術なく殺されるだろう。

あの時の様に、殺される。生前に殺された時の様に。


「ぐっ、落ち着け・・・」


あの時の、殺された時の事を思い出すと更に体が震えて来た。

歯がガチガチとなり、背筋に気持ち悪い物を感じる。

くそ、なんだ、何故こんなにも怖い。ここまで震える理由が解らない。

何故俺は怯えているんだ。これほど怯える様な事ではないはずだ。


確かに俺はあいつ等を恐れた。それは間違いない。

あの時点での俺ですら、奴らという存在との戦いには確かに恐怖を覚えるものだった。

だがここまでの恐怖ではなかったはずだ。ここまで怖くなかったはずだ。

怖い。奴と会うのが、奴と戦うのが、怖い。





――――死ぬのが、怖い。





「う、ぐ、ぅぅう」


震える体をどうにかしようと全身に力を入れるが、震えは余計に増してくる。

この身になってから、何度か死を覚悟したはずだろう。

その時はこんな恐怖を抱かなかっただろう。何故今更ここまで怖がっている。

相対しているならばともかく、ただ想定するだけでなぜここまで恐れているんだ。


隣で寝ている従僕に視線を落とすと、縋りつきたくてしょうがない衝動にかられる。

それは抑えたつもりだったが、無意識に従僕の手を握り締めていた。

くそ、なんだこの気分は。自分で自分の感情が全く解らない。


「いてぇ・・・んー・・・どうしたぁ・・・おい、本当にどうした、真っ青じゃねえか」


手を握り締めた事で従僕は目を覚まし、最初は寝ぼけた様子だったが俺の異常に気が付くと慌てて起き上がった。

震える俺の肩を掴み、俺の顔を覗き込みながら様子を窺っている。


「何でも、無い」

「その状態で何でも無いっていうのは無理が有るぞ。どうした、どこか痛いのか?」


震えながら従僕に答えるが、従僕は俺の言葉を否定する。

自身の主張を否定されたにもかかわらず少しだけ嬉しいと思うのは何故だろう。

それだけでほんの少し恐怖が和らいでいくのを感じる。

従僕が傍に居るという事実に安心感を覚える自分がいるのを自覚してしまう。


「・・・何故だ」

「・・・何が?」


俺の疑問の声に、従僕は困った様子で聞き返して来た。

だが俺は従僕の様子を気にする様な余裕は無い。


先程から全てが不可解で理解できない。自分自身の事だというのに解らない。

何故こんなに怖いのか、何故こいつが傍に居ると怖くないのかも全く解らない。

解らないからこそなのか、体は思考する俺を放置して従僕に縋りついていた。

従僕の胸に顔を押し付けしっかりと抱き着いている。


「・・・どうした、ほんとに。もしかして何か怖い夢でも見たのか?」


従僕は気が抜けた様子で俺を抱き留め、背中をさすり、頭を撫でて来た。

俺はそれらを振り払う気が起きず、むしろもっとして欲しいとすら願っている。

自分の思考と感情が解らな過ぎて余計に思考が纏まらない。

そして纏まらなければ纏まらないと思う程、従僕に力を込めて抱き着いていた。


「ま、いっか。気が済むまでそうしてな。落ち着くまでちゃんと起きててやるから」


優しい声音でそう言いながら、従僕は俺を抱きしめて来た。

従僕の体温を感じ、体を包まれている事に安心感が増し、震えが段々と収まって来た。

胸から逆流しそうだったものが無くなり、体の力も抜けてしまう。

あれだけあった恐怖が、完全に無くなっていた。


「・・・訳が解らん」

「・・・俺の方が訳が解らんのだが。今日の嬢ちゃんはいつにも増しておかしいな」


震えは収まった。呼吸も落ち着いた。思考は正常に動いている。

理由は解らないが、従僕のおかげで状態が戻ったのは確かなのだろう。

礼を言う気は一切無いが、俺の役に立った事は心の中だけで褒めておいてやる。


だが冷静になった頭は、すぐに現状への疑問で埋め尽くされた。

何故俺は落ち着いたというのに従僕から離れたくないのだろうか。

何時もは頭を撫でられたら振り払っている筈なのに、なぜこんなにも安心するのか。


今の体に思考が引っ張られているのだろうか。だとすれば何とも面倒な話だ。

これではもし出会ってしまった時、俺は戦えなくなってしまう。

忌々しい話だが、従僕が居る事で助かってしまう事になる。


「何怖がってんのかしらねぇが、大丈夫だ。俺が傍に居るからな」


従僕の一言一言に安心してしまう。こいつならきっと何とかしてくれると・・・。

む? 何とかしてくれる? ああ成程、そういう事か。この安心感はそういう事か。


確かに従僕の力であればそう滅多な事は無い。

たとえ相手があの『竜』であっても戦えるだろう。

有象無象の竜ならば尚の事話にもならない。


本能的にそれを体が理解しているからこの男に縋ってしまうのか。

成程、疑問が解けて少しすっきりした。

ただ恐怖に対する理由は解らないが、同じく体が原因で動けなくなっていた可能性が高いな。

そう考えると、腹立たしいが従僕に頼るしか術がないという事か。


いや、こいつは俺の従僕だ。どう使おうが俺の勝手だ。

俺が生きるために利用すればいい。どうせ逃げてもこいつは付いて来るのだから。

・・・そう、どうせ逃げても、こいつは俺について来るのだから。





ただ、もう暫くは、このままでいたい。

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