第636話妹さんの内なる衝動ですか?
やってしまった。ちょっと焦り過ぎだったのは認めざるを得ない。
私はただあの日の事を謝りたかったのと、変な誤解を与えたくなかっただけなのに。
本人への謝罪は受け入れて貰えず、ステル様からも冷たく拒否され、両親にも自分でどうにかしろと突き放されている。お母さんは楽しんでるだけだと思うけど・・・。
兄さんは今回の事に怒っているので、絶対に助けてはくれないだろう。
シガルさんが居れば助けてくれるだろうか。いや、彼女こそ助けてはくれないだろうな。
だって私は彼女の目の前で彼女の愛する人を負傷させたのだから。
勿論謝罪が受け入れられないかもしれないとは思っていたけど、ここまで冷たくあしらわれるととても辛い。
せめて変な誤解だけは無い様にしておこうとしたらタロウさんは死んだ目になるし、兄さんには呆れられるし、他の皆には笑われるし・・・。
冷静になった今はやってしまった事に気が付いているが、ついさっきまでは色々といっぱいいっぱいだったんだ。
それもこれもあの良く解らない血の騒めきのせいだ。あれが無ければこんな事にならなかった。
あの時の私は間違いなくどうかしていたんだ。
普段の私なら絶対にやらない事、言わない事ばかりだった。
あれは私じゃない。私はあんな事は望んでいない。
・・・それでも、今後はこれと上手く付き合っていかなければいけないのだろう。
私はこんな物望んでいないのに、こんなもの欲しくないのに、私はお母さんと違うのに。
どうしても血が騒ぐ。抑えられない衝動が胸の内から沸き起こる。
今でこそ何とか落ち着いて会話が出来ているが、彼と戦った翌日は酷かった。
余りに自分が自分じゃ無さ過ぎて、部屋から一歩も出られなかった程に。
外に出たら今度こそ何をするか解らないのが、とてつもなく怖かった。
正直今でも暴れたくて仕方ないという感情が胸に渦巻いている。
気持ち悪い。こんな気持ち悪い物をずっと抱えて行かなければいけないのか。
こんな物のせいで人に迷惑をかけ、その上自分も苦しいなんてやってられない。
それは半分本当で、半分嘘だと自覚している。
元々の私は確かにこの力を拒否している。この想いを拒否している。
けど、やっぱりどうしても『愉しい』と思ってしまう私は確かに存在しているんだ。
これは私の想いであって私の想いではない。
そんな苦しさを数日抱えて、段々自分の理性と湧きおこる衝動の境が曖昧になって来ている。
私が今落ち着いているのはそのおかげとも言えるし、そのせいだとも言えると思う。
胸の衝動が自分の中に定着したせいで、逆に落ち着きを取り戻せているんだ。
今の私は正気でありながら気が狂っている様なもの。
お母さんもこれと同じなのだろうか。だとすれば何が戦姫だ。
いつかどこかで聞いた狂い姫の方がほっぽど正しいだろう。
こんなもの正気の人間の抱える物じゃないし、明らかに頭がおかしい。
こんな破壊衝動と被虐欲求を胸に抱えている人間がまともなはずが無い。
まだ『競い合うのが楽しい』という方が理解出来る。私のこれはそんな物じゃない。
自らが力を全力で振るい、その上で叩き潰されたいという訳の解らない欲望だ。
強者に叩き伏せられながらもそれを覆し、その上でなお叩き伏せられる事を望んでいる。
気持ち悪い。余りにも気持ち悪い。冷静な部分の私はそんな事を考える私に吐き気がする。
何をどう思えばこんな訳の解らない思考回路になり得るのか。
それでも、今の私の中にはその想いがずっと燻っている。
もう一度彼とやりたい。彼にあの気持ちの良い敗北を味合わせて欲しいと。
その結果による自分の死すら厭わないと、胸に宿る化け物は吠えている。
「辛い・・・」
皆が談笑をしているのを、少し離れた位置で眺めながら呟く。
せめてごめんなさいとだけは言っておきたくて来たのだけど、それだけじゃきっと駄目だろう。
彼にもステル様にも冷たくあしらわれた以上、何かしら謝意を示せる物を考えなければ。
と言っても本当に想いつかない。
金銭による賠償も考えたのだけど「ステル嬢ちゃんが小さく収めようとしてんのに、そんな記録残したいわけねぇだろ」とお父さんに言われてしまったし、そうなると貴金属等も不可になる。
個人的に渡す体でならどうかとも言ってみたけど、それも却下された。
そうなるとやれる事は余りに少ない。頭を下げる以外の手段が思いつかない。
人によっては自分の身を差し出す等も考えるのだろうが、流石に私はそんなのはごめんだ。
タロウさんは嫁を二人も持っている人だし、そういう事に抵抗なさそうだから案として口に出すのも不味い。この体は好きな人貰って欲しいもの。
私は貴族の娘でありながら、幸運な事に他国の令嬢の様な生き方をしなくても構わない。
もしこの国が良くある王国の体制なら、私は体を差し出されていたかもしれないだろうな。
そんな事になるぐらいなら、もっと彼に全力で叩き伏せられる方が良い。
とはいっても今の私では彼には全く届かないだろう。
先日の彼との一戦で今の私の限界は見えた。あれには恐らく今はどう足掻いても届かない。
どうせやるならば鍛え直して、もっと心躍る敗北を―――。
「ちがうぅぅぅぅぅぅ・・・」
皆には聞こえない様に小さく唸る様に自分の思考を否定する。
だから何でそういう方向に思考がいくの。違うでしょう。私はそんな事望んで無いの。
私は好きな人と一緒になって、可愛いお嫁さんになるの。
その為にも作法もちゃんと覚えたし、家事も自分でも出来る様にしたんだから。
けしてこんな変態じみた嗜好を満足させる様な事はしたくない。
大体叩き伏せられたいってなんだ。本当に意味が解らないでしょうが。
ああ気持ち悪い気持ち悪い。心底気持ち悪いはずなのに、それでもやりたいという欲求が一切消えない事が心の底から気持ち悪い。自分自身の思考に吐き気がするのに止められない。
「やっぱりつらい・・・」
思わず顔を俯かせ、状況に対する苦痛の呟きが漏れる。
まるでもう一人の誰かが私の中に住んでいる様な感覚が本当に辛い。
高揚感が消えた後にあれだけあった嫌悪感が、日が経つにつれ薄れているのがとても怖い。
「・・・大丈夫?」
「っ」
声をかけられて、慌てて顔を上げた。
目の前にはタロウさんの息子さん、クロト君が心配・・・してるのかな、これ。
よく解らない表情で気遣いの言葉をかけてくれた。
全く気配を感じなかった。声を掛けられなければ確実に気が付けなかった。
今の私は以前よりも色々と鋭敏になっているはずなのに。
「す、すみません、大丈夫です。気にしないで下さい」
「・・・うん」
慌てて返事をしたが、彼は小さく頷いた後は動かずにじっと私を見上げている。
何だろう、お父さんを怪我させた事に何か言われちゃうんだろうか。
子供にしたらお父さん虐めていた悪者だろうしなぁ。
「・・・多分、目が覚めたばかりのせい。だから、暫くすれば、大丈夫」
てっきりタロウさんとの事を言われると思っていたら、彼はよく解らない事を言い出した。
訳が解らず上手く返せずにいると、彼は静かに続けた。
「・・・想いが呪いの様になって宿ってる。けど、今のそれはもう貴女の物。だから、暫くの間は辛いかもしれないけど、大丈夫」
「――――もしかして、この衝動の事を言っているのですか?」
私の問いに、クロト君はこくりと頷いた。彼には一体何が見えているのだろう。
いや、そんな事よりも彼の言葉が真実だとすれば、この苦しみは今だけという事だろうか。
確認の為に小声でこそっと訊ねてみる事にした。
「いつか、消えるって事ですか?」
「・・・違う。ただ抑えられるようになるだけ」
「え、こ、この衝動は消えないんですか?」
「・・・それは貴女の持つ物。貴女本人の欲求も有る。全部が全部託された想いじゃない」
「え・・・」
まって、ちょっとまって。それはつまり、この衝動のどれかしらは私の欲求という事?
まってまってまって。そんなはずは無いよ。だって私今までこんな事考えた事無いもの。
戦いたいなんて欲求は元々無いし、力を競い合う事に楽しさなんて持ってない。
誰かに叩き伏せられたいなんて欲求は尚の事あるはずが無い。
「・・・その衝動が一番強く願う欲求は、おそらく貴女の物」
「一番強く・・・」
私の中でこの衝動が、私の中の化け物が一番強く願う物。
それは破壊衝動でも、強くなることでも、競い合う事でもない。
『全力を出し切った上での言い訳の出来ない完膚なきまでの敗北』
それが、この衝動の一番願う物。
戦う事が楽しい。競い合う事が楽しい。この異常な力をぶつけられるのが楽しい。
けど、一番願う物は、それでも届かないという被虐的な願い。
「ま、まって、そ、それじゃ―――」
もしこの想いが私自身の願いだったのだとするのなら。
それは、その結論は知りたくなかった。
「―――私、ただの変態じゃない」
辛い。さっきより現実が辛い。
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