第631話化け物の領域ですか?
強い。今までこんな『人』には出会った事が無い。
彼の力はただ強いだけの力じゃない。
ほんの少しだけでも、未熟ながらも技術を教えられているから解った。
彼の動きはとても洗練されている。無駄な動きと言えるものが殆ど無い。
あれは武術を真剣に修めている人の動き。とても綺麗で見惚れる動きだ。
単純に速度で上回っただけでは彼に一撃も入れられない。
武術を真面目にやっていない私では、彼に劣る速度では絶対に勝てないのは当然だ。
魔術で勝つなんて更に不可能だ。私は魔術を碌に扱えないのだから。
遠距離では話にならない以上、距離を詰めるしか私に戦う手段はない。
彼はそれが解っているのか、最初の段階では複数の魔術を放って来た。
どれもこれも容赦の無い威力。あの大きな魔力の花は流石に死の気配がちらついた。
けど、それが楽しい。勝てない。全然届かない。今の私では彼に脅威を与えられない。
だから私は私に眠る物をもっと引き出して行く。
魔術も、あの花も正面から打ち破れるように。彼と戦える様に。
そのおかげか、彼の使う仙術という技は見えていないが、何となく撃つ瞬間が解る。
あれだけは食らってはいけないと、他のどの攻撃を受けてもあれだけはいけないと本能が叫ぶ。
あれを食らったらもう楽しめない。そこでこの楽しい時間が終わってしまう。
けどそれでも届かない。追いかければ追いかける程に彼は引き離そうとする。
彼の上限がまるで解らない。彼からは相変わらず何も脅威を感じられない。
なのに彼は私に追いつかさせてくれない。距離が殆ど縮まらないんだ。
何も持っていない様に見えるのに、びっくり箱の様に後から後から色々出してくる。
ならもっと早く、今よりも早く、それで届かないならば更に早く。
私はまだ行ける。この人とならもっと踊れる。
彼ならば私をもっと引き上げてくれる。彼だからきっと私は追いかけられる。
ただ巡り合わせだったのか、彼だからなのかは解らない。
けど、私を起こしてしまえる彼ならば、きっともっと楽しい所へ連れて行ってくれる。
彼はその想いに応えてくれる。どこまで応えてくれるのか解らない程に。
やっと追い付きそうだと思った瞬間、胸の中には残念な気持ちがあった。
けど彼はそんな私を更に引き上げてくれた。もっともっと高みを見せてくれた。
「あはははははは! 素敵、貴方は本当に素敵です!」
「そい、つぁ、どうも!」
接近戦をしながら叫ぶ様に賛辞を贈ると、彼は余裕がない様子で返して来た。
ただここまでの事を考えると、その余裕の無さもどこまで本気か疑わしい。
ここまで全力で追いかけ続けていて、未だに追いつけていないのだから。
それにしても、我ながら感情が降り切れていると思う。
高揚感で満たされていて思考が鈍っている気すらする。
いや、きっと確実に鈍っているのだろう。
ほんの少し、頭の片隅に居る冷静な私は今の私を異常だと思っているのだから。
それでも止まれないし収まらない。胸の内から湧き上がる欲求に逆らえない。
目の前の『人間』と心行くまで戦う事を我慢なんて、今の私には考えられないんだ。
―――『私』に敗北を味合わせてくれる相手との戦いを、止めたいなんて思うはずが無い。
これはきっと私の思考じゃない。私は、ストラシアは本来こんな事を考えたりしない。
まるでお母さんから聞いた昔話の様だ。あの人が叶わなかった想いを今晴らしている感覚。
けど間違いなくこの思いは私の想い。奥底に眠っていた切実な欲求。
ああ、きっと叶わないと諦めていたんだろう。だから『私』は眠っていた。
それがあり得ない化け物を見つけた事で、期待してしまったんだ。
彼ならば、と。
「ああ、もう、本当に、本当に素敵。本当の意味で貴方に恋をしてしまいそう!」
「それ、は、光栄ですねっ!」
彼の魔導技工剣を弾いて懐に何度も入っているのに、速度は完全に上回っているはずなのに、足りないならばとまだまだ速度を上げているのに、これでもなお届かない。
純粋に技術で防がれる事も有れば、仙術らしき気配を感じて私から離れる事も有る。
何よりの脅威はこの高速戦闘の最中、転移魔術で躱す事も有る事実だ。
あんな速度の魔術構築は今まで見た事が無い。
彼にとって魔術構築は呼吸を意識的にする程度なのだろう。
でなければあの速さに納得がいかない。あんな物常人の行えるものじゃない。
「―――やるしか、ないか」
私が今だからこそ理解出来る彼の脅威に打ち震えていると、そう小さく呟いたのが聞こえた。
次の瞬間、彼は見覚えのある構えを取り、魔力の花を咲かせた。
けどこの花からは初撃ほどの脅威を感じない。これなら正面から余裕で打ち抜ける。
「今頃この程度の威力、何のつも――――」
腕を思いきり振り抜いて花を真正面から打ち破り、真っ直ぐに突破した瞬間、目の前に居る人物への恐怖が蘇って来た。
いや、違う、高揚感はまだ残っている。体はまだ戦いたいと叫んでいる。
まだまだ動けるし、恐怖で竦む様な状態にはなっていない。
ただ、見た瞬間に感じ取ってしまったんだ。
魔導技工剣を杭状に戻し、杖の様に地面に突き刺している無防備なはずの姿。
何かを堪える様に歯を食いしばって、戦闘中だというのに視線がこちらを向いていない。
意識を全て内に向けている様なその姿を見て、私の心に明確に浮かんで来る物があった。
――――あれは、勝てない。
理屈なんて解らない。ただ『私』はそう感じてしまった。
あの彼には『今の私』ではどれだけ走っても追いつけないと、理解するしかなかった。
それ故の恐怖に、私は口元を歪めてしまう。
「・・・あは、あはは、あははははははははは!」
それを、望んでいた。この恐怖を待っていた。だから『私』は起きたんだ!
ああ、最早ここに至っては貴方を愛おしいとすら感じる。
私は貴方を尊敬する。きっと貴方は何も持っていない『人』だったのだろう。
才能なんて言葉で片付けてはいけない物を、貴方はいくつも持っている。
『私』だから解る。こんな化け物な『私』だから貴方の強い想いを感じる技術に打ち震える。
貴方のそれは『化け物』を倒す為の『人間』の技術の境地と言って良い物だ。
私は貴方を化け物だと思った事を謝りたい。
貴方は『人間』のまま『化け物』の領域に足を踏み入れる大馬鹿者だ!
「ああ、本当に―――」
持てる限りの全力で飛び掛かりながら口にしようとした心からの賛辞は、意識を刈り取られて最後まで口にする事が出来なかった。
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