第630話恐るべき才能です!
―――――――やばい、追い付けない。四重強化で置いて行かれている。
時間が経てば経つほど際限なく速度が上がっていく。どこまでギアが上がるんだよ。
くっそ、もう完全に視認しての対応が出来なくなってきた。
見てからじゃ反応が間に合わない。予測込みの対応をしなければ防御すらまともに出来ない。
幸いは彼女の動きが未熟である事だろうか。動きに精密さという物がない。
そのおかげで速度的には完全に負けているにも関わらず、何とか相手を出来ている。
後は悔しいけど技工剣のおかげもかなり大きいか。
これを警戒してくれているおかげで少しばかりの優位がある。
とはいえ、その警戒も多少警戒している程度なせいで動きが鈍る事は期待出来ない。
でも、ああ、くそ、よく解るよ。これがこの世界ので有数の才能ってやつなんだろうな。
彼女はきっと大した訓練を積んでいない。たいした努力を成していない。
でなければ俺はとうに四重強化で戦う事を諦めている。
消耗で先に倒れる可能性を解っていても二乗強化を使っていただろう。
完全に速度で負けている俺が攻撃をいなせるのは、彼女と俺に大きな技量差が存在するからだ。
恵まれない身体を鍛え、強者を屠る為の技術を磨く事を知らないから戦えている。
彼女の動きは完全な素人ではないが、鍛え上げた技術を持つ動作とはけして言えない。
これか、この気分か。ミルカさんの味わって来た気持ちは。
技術を磨いて、磨いて、磨いて、その先に辿り着いて尚蹂躙される才能という力の塊。
クソッタレ、このままじゃ勝てる気がしねぇ。上限が見えなくて奥の手を使うのが怖すぎる。
あれに二乗強化が何処まで通じる。既に速度では二乗強化でも一つだけでは負けている。
二乗強化の三つ重ねを使って勝てるかの確信が持てない。
ああくそ、負けたくねぇ! この子がどれだけ強くても、この子にだけは負けたくねぇ!
リンさんが強いのは解ってる。でもあの人には確かに磨いた技術がある。
ギーナさんが強いのだって解ってる。でもあの人の強さは実戦を繰り返し続けた経験がある。
けどこの子はそのどちらも持っていない。持っていないと解ってしまうからこそ悔しい。
せめて仙術が通用すれば勝ちの目も見えるが、彼女は仙術を悉く躱している。
目の動きから見えているわけではない様子ではあるが、放った仙術は全て躱された。
浸透仙術で撃った分も躱されたのだから堪らない。
俺があれを避けるのにどれだけ苦労したと思っているのかと愚痴りたい気分だ。
勘というには余りにも精度の良すぎる反応で躱され、仙術での攻撃に効果は望めない。
であれば消耗を抑える為にも、確実に当てられると判断出来ない限り撃たない方が良いだろう。
浸透仙術の命の吸い上げも一点集中は躱され、広範囲だと即座に距離を取られる。
休憩するには使えるが決め手にはならない。
だからと言って魔術が通用するかと言われれば、精霊石の攻撃すら彼女はその拳で打ち払った。
一瞬ではあるけど、ステル・ベドルゥクの魔力の剣を歪ませて躱しもした。
それどころか魔力の花を中央突破しやがった。
その際に衣服がボロボロになっているが、完全に吹き飛んでいない辺り衝撃を殺したんだろう。
尋常じゃなく強すぎるだろ。明らかに人間としての規格を逸脱してる。ふざけた化け物だ。
魔術も、仙術も、技術も無く、只々純粋な暴力のみで蹂躙出来る力。
ああくそ、本当にクソッタレだ。バルフさんの時でもこんなにムキにならなかったぞ。
悔しい。今まで積み上げてきた物がただ暴力の前に負けているのが悔しくて堪らない。
「くっそ・・・!」
思わず悪態が口から洩れる。その言葉が耳に届いていたのか、彼女は足を止めて笑った。
至近距離で笑顔を見せつける様にしている事が彼女の余裕を物語っている。
俺はの笑顔を一度も崩せていない以上、それは致し方ない事だろう。
「随分と余裕が無くなってきている様子ですね。とはいえこちらはあれ以降一撃も入れる事が出来ていませんが」
最初に食らった一発以降はまともに貰っていない。だがそれは向こうも同じ事だ。
むしろこちらからの攻撃を当てられていない分、こっちの方が負けていると言える。
このままいけばいずれ俺が完全に追いつけなくなり始める可能性の方が高い。
「目の前の方が思っていた以上に出来るんで、最初から余裕なんて無いですよ。そちらは随分と余裕そうで羨ましい限りですね」
「あらあら、それはそれは。ですが私も貴方が言う程の余裕なんてありませんよ?」
軽口で返すと彼女は変わらず笑顔で返してくる。だがその笑顔と纏う雰囲気が一致していない。
余裕が無いなどとどの口が言うのか。
本当に余裕が無い人間が笑顔で魔導技工剣に突撃したりなどしない。
そもそもこの剣を素手で弾こうなど、正気の沙汰ではない。
「そんな風には見えませんけどね」
「もし私が余裕そうに見えるなら、それは貴方が素敵だからです。貴方と戦うのが、自分の力が何処までも通用しないのがとても楽しい。私の胸中はそれで埋め尽くされています」
とんだ戦闘狂だ。リンさんも似た様なものかもしれないが、彼女の場合は種類が違う。
どうやら勝つ事よりも勝てない事が楽しいらしい。
「けど、そろそろ貴方に追い付けそうですわね」
「それはどうですかね」
「あら、まだ上が有るのですか。なら早く、もっと見せて下さい」
「それは貴女次第ですかね」
ぶっちゃけ余裕なんて完全に無いが、無理矢理心に余裕を持たせる為に軽口で返し続ける。
彼女はそれを知ってか知らずか心底楽しそうに口元を歪めていた。
「見せてもらう為にもダンスの続きと行きましょうか。いえ、それよりも楽しい時間ですわね」
「なら俺程度が相手では不足だと言われない様に頑張らさせて貰いましょうか」
そこでお互いに口を閉じ、再度戦闘に意識を向ける。
どちらともなく動き出して攻防を重ねるが、もうこちらの攻撃は見てから避けられている。
例え彼女の攻撃を受けて躱せても、見てから対処出来る速度差で躱されてはどうしようもない。
これはもう諦めて二乗強化を使わざるを得ない所まで来ている。
「はっ!」
「あら?」
魔力を少し多めに注ぎ、魔力の剣を軽く周囲にうち放つ様に薙ぎ払って少し距離を取る。
そのすきに精霊石を三つ取り出して飲み込み、魔力補充を済ませて二乗強化を使う。
準備が済んだら即座に彼女に迫り剣を振るうが、予想はしていたけどあっさりと躱された。
やっぱり二乗強化でも速度で負けている。
「あははははは! 凄い、凄い凄い凄い! さっきとは段違いの速さです! 貴方はどこまで、本当に何処まで私を楽しませてくれるのですか! ああ貴方と出会えてよかった!」
彼女は心底楽しいと俺に伝えて来るように、笑いながら叫びに近い声で語る。
ただ今回はその間も動きは止まらない。
二乗強化でも完全に追いきれない速度での攻撃を放ちながら、彼女は俺に語り掛けている。
「貴方が、貴方がこんなにも素敵だから! ああ、だから私は私を抑えられなくなった! 今の私は貴方に恋い焦がれている。もっと、もっともっと貴方を見せて!」
まずい、更に動きが速くなった。全然追い付けねぇ。
くそ、こっちが速度を上げたら向こうも上がるんじゃ何の意味もねぇ。
むしろ二乗強化の身体損耗を考えるとマイナスしかない。
ああくそ、ふざけんなよ。本当に何処まで強いんだよこのお嬢さん!
「がああああ!」
「あはははは!」
即座に二乗強化を二つ重ねに移行するが、それでもまだ追い付けない。なんて速さだ。
精霊石の魔力補充からごり押し気味に魔力量を増やした剣も通用していない。
体が軋む。思考が霞みはじめている。
魔力は何とかなるが、このままだと体の方がもたないだろう。
浸透仙術で無理矢理体の機能を上げているが、それもどこまで持つか。
この様子では二乗強化の三つ重ねもおそらく対処されてしまう。
目算からの予想でしかないが、おそらく今の彼女は二乗強化の三つ重ねの速度に近い。
ギリッと、奥歯を音がなるほど噛みしめてしまう。
悔しい。ここまで通じないとは思わなかった。
鍛えてきた技術が、弱者の自分が勝つために作り上げた技が通用しない。
相手が同じく鍛え上げてきた相手ならまだいい。
けど俺が相対しているのは碌な訓練も積んでいない人間だ。
純粋な才能相手になす術なく、このまま手も足も出ずに負けるのか。
―――――そんなもの、認めない。
彼女をではなく、このまま何も出来ずに負ける自分なんて認めない。
出来る事をやり切らずに負けるなんて、今の俺には許されない。
そんな姿を彼女に見せるわけにはいかない。シガルにそんな無様は見せられない。
手が無い? 本当にそうか?
そんなわけはない。危険だから考えない様にしていただけの物が有る。
あえて目を逸らしていた技術がある。やれる事はまだある!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます