第617話化け物の報告ですか?

「怪我の一つもしねーで平然と帰って来やがって。真面目に頭下げた俺の気持ちも考えろよ」


わが家へ帰り、遺跡での出来事の報告に父上の私室に向かうと、私の姿を見るなりそんな事を言われた。

帰って来れる様にと頭を下げてくれたらしいが、それなら無事に帰って来た事を祝って欲しい。


「無事帰って来て怒られるとは思いませんでした・・・」


思わずそう呟いてしまったが、元々の理由は私の我が儘だ。

父上の言葉も致し方ない事だろう。我ながら子供じみた事を言っていた自覚もある。


「サラ、本当に怪我はないんですね?」

「ええ、母上。私は見ているだけでしたから」

「そうですか。私は貴方が無事帰って来てくれて嬉しいです」

「・・・まあ、怪我をする様な事はありませんでしたから」


彼の後ろについて行き、彼の戦いを眺めていただけ。

戦闘に巻き込まれない様に離れた位置で待機させられ、彼の力を見ていただけだ。

怪我をする余地など、どこにもありはしない。


「腕の一本でも無くなって来るかと思ってたんだがなぁ」

「無くなっていた方が良かったとでも言いたげですね」

「その方が色んな方面に踏ん切りがつくだろ。てめぇも」

「・・・ああ、成程、確かにそうかもしれませんね」


怪我で戦う能力が落ちれば、それだけで諦めの付く材料になる。

大怪我であればなおさら出来ない事は増えて行く。

そうなれば私は、私の出来る仕事だけに集中する事になるだろう。


「ま、良いか。んで、満足するもんは見れたのか?」


父上の何気ない問いに、思考が止まってしまった。

問いに答えようとして、彼の眼を、あの戦闘を思い出してしまったから。

あの時は驚きの方が強かったからなんて事は無かった。

けど落ち着いてきた今は、状況を咀嚼出来るようになった今は、恐怖が心を支配しようとする。


「おい、どうしたよ、予想していたものは見れなかったのか?」

「・・・予想していたもの、は、期待していたものは、見れませんでした」


予想も期待も、どちらも裏切られた。彼は私のそのどちらにも応える様なものは見せなかった。

それを父上に伝えると、面倒臭そうな顔になる。

おそらく私がまた面倒な事を言うのではと思っているのだろう。


「んじゃ、お前はまだ納得いってねぇってか?」

「・・・いえ、諦めはつきました」

「あん? 見たいもん見れなかったのにか?」

「・・・彼が私に見せたものは、私の期待以上の物でした。あんなものは予想していなかった」


私の予想など、遥かに超えた代物を見せつけられた。

あれは、あんなものが、予想など出来るはずが無い。

あんなものを期待などするはずが無い。あれは常軌を逸している。


「彼は、あれは、何処か、おかしい」

「・・・何見て来たんだ。小僧はお前に何を見せた」


体を震わせながら遺跡での出来事を語ろうとする私に、目を細めながら父上が問う。

その答えを口にしようとして、一瞬喉が詰まって声が出なかった。

恐怖がせり上がって来て声が出せなかった。

感情が高ぶり過ぎている自分を自覚し、一度深呼吸をしてから口を開く。


「―――本物の化け物を見ました。私が見たのは『タナカ・タロウ』という化け物です」


化け物と呼ぶのがまさしく相応しい存在を見て来た。

勝てる勝てないではなく、そもそも存在として話になっていない、生きる次元の違う化け物を。

何よりも、彼のその在り方に恐怖を感じる生き物を。

母上との手合わせの時の感じたものなど、その片鱗でしかなかった。


「あの眼は、あの眼を出来る人間なのに、彼は穏やか過ぎる。心の在り方が明らかにおかしい。あんな眼を出来るのに、何故あそこまで穏やかに居られるのか」


遺跡で見た彼の眼。全ての存在を殺す覚悟を決めた様なあの眼。

目の前に立ち塞がる全てを殺すと語るような眼を向けられた恐怖を思い出す。

敵ではないはずの自分すら、殺されると思う程の意思を感じた。


だというのに彼の普段の姿は穏やかにも程がある。家族を見つめる姿も、私を気遣っていた時も、母上と手合わせをしていた時ですら彼はとても穏やかだった。

遺跡での彼の姿が幻覚なのではと感じる程に。


「・・・別によっぽどの戦闘狂じゃねえ限り、普段から殺意やら戦意振りまいてる奴は稀だぞ」

「解っています。でも、そうじゃない、彼はそうじゃなかった・・・!」


言葉に言い表せない違和感が彼には在る。

そこに居る筈なのに、居る筈の無い人間がすり替わった様な強烈な違和感が。

まるであの時の彼だけが、別の人間になっているかのように。


「あの時の彼も確かに彼だった。けど何処か彼と違う物があった」


心の底から恐怖を感じるあの眼を、殺意を持っているのに、彼の気配その物は変わらない。

目の前に居る存在が脅威であるはずなのに、脅威を感じられない矛盾した感覚。

明らかに常軌を逸した力を持ちながら、その強さを視認しないと微塵も感じられない恐怖。

彼には何も感じないのに、明らかに強すぎる。あれは、何かが、おかしい。


「自分でも考えがまだ纏まっていませんし、口に出す言葉も目茶苦茶な自覚があります。けど、あれは、絶対におかしい」


父上も荒事に生きていたからなのか、纏っている雰囲気と眼が一般人のそれとは違う。

母上も同じく、普通ではない何かを持っている。

そういった常人とは違うものというのが、彼からは感じられなさ過ぎる。


「・・・まあ、初めて見たんなら混乱するのも仕方ねーか」


未だに自分の中で彼の事を処理しきれていない私を見て、父は溜め息を吐きながらそういった。


「多少は気持ちもわかるぞ。俺も若い頃似たような経験が有るからな」

「父上も、あんな化け物に遭った、と?」

「おうよ。明らかに存在としてのモノが違うバケモンにな」

「父上は、怖くは無かったのですか?」


私は怖い。あれが何なのか解らな過ぎる。

父上はあれと対面して、恐怖を覚えずにいられるのだろうか。


「怖い怖くないとかじゃなく、あん時は『あ、これ死ぬわ』っつー感じだったな」

「良く、生きて帰ってこられましたね」

「本当にな。あの怪物が俺に惚れてなかったら死んでたな」

「あなた、愛する妻を掴まえて怪物は酷くないですか?」


父上の言葉に、母上が異議を唱えた。

まさか今の話は、母上の事だろうか。


「いえ、その、母上も確かに強いですけど、彼の強さは、その」

「凡そ人間が届くと思えない強さだった、ってところだろ」

「あ、その、はい」


確かに母上は強い。

けど母上が彼と戦った時の事を考えると、彼程の化け物という領域とは感じない。

無論強すぎる存在では有るが、彼の一線を越えた強さには達していない。


「全盛期を見てねーからそう思うんだよ。お前産んだ後から大分弱くなってっからな」

「確かにそう聞いてはいます。でも、少し衰えた程度ではないのですか? 妹を生んだ後はそこまで差は無かったかと」


母が私を生んで弱くなったというのならば、妹を生んだ後の母はどうなのだろうか。

いや、あの頃は私も子供だし、母の本気の動きは見ていない。

そう考えれば解る筈もないか。


「二人目の出産後にかなり身体能力が落ちてしまって、鍛え直して何とか今の状態なんですよ。全盛期ならウムルの英雄達ともいい勝負が出来たと思うんですけどね」

「つーわけだ。信じられねえかもしれねえがな」


あの領域を更に超えた強さを持っていたのか。

確かにそれは化け物と評するに値する。けど、それでも違うと思う。


「母上が強いのは、解りました。でもそれでも、母上と彼は何かが違うんです」

「ふーん・・・まあ、見てきたお前がそう言うならそうなんだろうな。とはいえ俺にとっちゃそこは特に重要じゃねーしどうでも良いが」

「ええ、解ってます」


父上にとって今重要な事は、私の我が儘の上での行動に、何を考えたのかだ。

その答えは、はっきりと口にしておこう。


「私はもう、武の努力をする事を諦めようと思います。勿論身を守る為の最低限はこれからも続けますが、母上を目指すのは諦めます。諦めざるを得ない」

「そーか。ま、別に誰も責めやしねぇよ。特にうちの国の重鎮共はな。あいつ等も同じく化け物を見てきた人間だ。全員お前と同じだよ」

「ははっ、それは大変ありがたく優しい言葉ですね。素直に甘えさせて頂きます」


すっぱりと諦めが付いた。あんなものを見てまだ前に進む様な何かは私には無い。

漫然とした母上へのあこがれを追いかけていただけだ。現実を見ていなかっただけだ。


「やっぱりサラは諦めちゃうんですね。残念です。いつか子供達と本気でお手合わせするのが夢でしたから」

「無茶いうなよ・・・」


母上の言葉に呆れた様に応える父上。その様子に少し申し訳なく感じる。

出来る事なら叶えてあげたいが、私にはあの領域すら厳しい。


「でもまだ私は諦めてませんよ」

「今から子供作るのはお前の体が心配だから、あんまりやりたくないぞ。お前はいつまでも若々しくて美人だが、体の中の衰えは誤魔化せねーだろ」

「それはそれで魅力的ですが、私達にはもう一人可愛い子がいるじゃないですか」

「・・・そっちの方が無茶だろ」

「そうですよ母上、妹は少々おてんばではあっても、戦いに興味など無いんですから」


母が言うもう一人の子とは、確実に妹の事だろう。

父が隠し子でも作っていない限り、この家の子は私と妹だけなのだから。


「実は内緒だったんですけど、あの子サラより強いですよ」

「・・・は?」


母上の口から理解しがたい内容が聞こえて来て、間抜けな顔を晒してしまう。


「お兄様が落ち込むと嫌なので、私がお兄様より強い事は絶対に内緒にしてくださいね、って昔から言われていたんです。でももう武を諦めるなら言っても良いですよね?」

「ストレリア、それは俺も初耳なんだが」

「だって母と娘の内緒ですもの」

「だったら最後まで内緒じゃないと駄目じゃないのか・・・」


・・・そうか、私はそもそも身近な存在にすら気遣われる程度だったか。

ははっ、滑稽だな。これは笑うしかない。


「くっくっく、ああ、馬鹿らしい。本当に馬鹿ですね私は」


妹にすら、私は勝てないのか。そんな事すら今まで気が付けなかったのか。

諦める諦めないなんて話ではないな。最初から話になっていない。

ああ・・・自分の馬鹿さ加減を直視して、色んな事が吹っ切れてしまった。


「父上、私はもう少し肩の力を抜いた方が良いようですね」

「おう、抜け抜け。んで憧れる俺みたいにな―――」

「ですが父上の様になる気は一切ありませんので、あしからず」

「・・・可愛くねえなー」


不満を口にする父上に苦笑を返し、一つ息を吐く。

今度、妹を彼に会わせてみようかな。妹はまた私達と違う物が見えるかもしれない。

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