第609話イナイの感じた違和感ですか?
大公妃が素手でやるなら自分も素手の方が良いだろう。
おそらくそう思ったのであろうタロウが剣を鞘に納め、あたしに目を向ける。
剣を預かって欲しいのだろうと思い手を出すと、嬉しそうな顔をして渡して来た。
「ありがと、イナイ」
多分今のは預かった事じゃなく、願いを理解してくれた礼だろう。
タロウは自分の想いを理解して貰った時、いつも嬉しそうな顔をする。
解り易い行動に応えてやっただけでそんなに嬉しそうな顔されてもな。
「別に剣でも構いませんよ?」
「え、いやでも、素手の人相手に剣は、ちょっと・・・」
静かな笑みをたたえながらタロウに告げる大公妃だが、タロウは戸惑いの声で返す。
タロウの性格上、無手の相手に武器を振るうのは、そうしないといけないと思った時だけだ。
今のタロウにとって、大公妃はその相手としての認識はされていない。
「なら魔導技工剣を使いますか?」
「いや、それこそもっと使いたくないんですけど」
「あらあら、それじゃしょうがないですね」
タロウの答えに大公妃はにこりと笑い、次の瞬間その姿をブレさせた。
二人の距離はかなり開いている。
だがその距離を一切感じさせない踏み込みで距離を潰し、タロウに大公妃の拳が迫る。
「先ずは一撃―――」
タロウはまだ構えていない。完全な不意打ちだ。
だが今ここに居る者であれを卑怯と言うのは、彼女の息子ぐらいだろうな。
タロウも、私達も、そして大公も、彼女の行動を責める様な事はしない。
そして彼女の力量で不意打ちをすれば、躱せる人間は少ない。
「ふっ!」
「あら、危ない」
だがタロウは不意打ちに対応し、その上反撃を打ち込みに行った。
大公妃はあっさり躱された事に少し驚いた様子だったが、タロウの反撃は難なく躱す。
そして軽くバックステップをして、タロウから距離をとった。
「あらあら、思ったより隙が無い上に鋭い打撃ですね・・・目を覚まさせてあげようとしたのですが、どうやら寝ぼけていたのは私のようです。認識を改める必要がありますね」
「寝ぼけている人の攻撃じゃなかったですけどね・・・こっちの打撃もアッサリ躱してますし」
大公妃の笑みが、静かなものから少しばかり獰猛さを感じるものになっている。
そんな彼女にいつもの調子で返すタロウ。口調も雰囲気も普段通りだ。
彼女の攻撃を躱した時は驚いた表情だったし、今も彼女を怖がる様子を見せている。
だが、明らかに今日のタロウはいつもと違う。
大公妃の攻撃は、本気の時のバルフに匹敵する速度だった。
その速度の不意打ちに完全に対応して見せたタロウに驚きを隠せない。
今までのタロウなら防御はしても、攻撃を食らっていた可能性が高い。
「・・・シガル、今のタロウ、多分四重強化使ってたよな」
「うん、あの速度はそうだと思う。仙術はちょっと解らないけど、少なくとも強化魔術は全部発動させてたよ。タロウさん、初対面の相手にしては珍しく最初から力が入ってる」
シガルも同じように感じているらしい。
相手が大した強さでなければ、タロウは今の対処を難なくとれただろう。
だが大公妃は明らかにその領域の強さではない。
「その上魔術の展開が速い。もしかしていつものアレの状態か?」
タロウは集中力が高まるか命の危険を感じる状況になると、魔術の発動速度が格段に上がる。
先の動きは、大公妃が動いた瞬間には強化が済んでいた様に見えた。
大公妃が攻撃してから準備したにしては、反応が速過ぎる。
タロウの普段の力量じゃ、最初から強化状態で行くつもりじゃなきゃ躱せねぇはずだ。
「・・・多分違うと思う。今のタロウさんは普段通りだよ」
シガルはタロウを凝視しながらそう答えた。
おそらくセルやタロウと同じ目で見ているんだろう。
どう違いが有るのか、あたしにはさっぱり解らない。
「多分いつでも発動出来るように仕込んでたんだと思う」
「あいつにしちゃ、用意周到だな」
一応大公妃の強さについては伝えておいたし、タロウも何かを感じ取っていた。
準備をするのはおかしな事じゃない。だが、何か、違和感を感じる。
その違和感の正体を拭えないまま、二人の状況が動く。
タロウがゆったりとした動きで手を前に出す。
それは普段通りの半身の構えだが、その手の直線状に立ってはまずいと直感が訴える。
大公妃も同じ感覚を感じたのか、その場から即座に飛びのいた。
その動きに合わせタロウが踏み込む。まるで予定通りと言わんばかりの動きで。
大公妃が地に足をつけると同時に懐まで入り、打撃とは言えない優しい掌打を打つ。
ポンッと触れる様な、優しい動き。
「ぐっ」
だがその一発に、大公妃の動きが完全に止まる。
目を見開いて驚きの顔を見せ、歯を食いしばり痛みに耐えている様に見える。
あいつ、いきなり仙術を叩き込んだ。即座に勝負を決めに行きやがった。
「はっ!」
その大公妃の顔面に、全力強化であろうタロウの右拳が迫る。
だがその一撃は大公妃の眼前で止められ、二人はその状態から動かなくなった。
大公妃は驚愕の表情を消し、タロウを真剣な顔で見つめている。
対するタロウは拳を突き出した体勢から動かない。
「ふふっ、本当に良く解らない子。まるで強そうに見えない。まるで恐怖を感じない。全く負ける気がしない。・・・なのにこんな強くて怖い。戦いにくいですね」
大公妃が口元に笑みを浮かべて口を開く。その内容はタロウと戦った者達共通の感覚だろう。
見た目は全く強そうには見えない。その本質にも恐怖を感じない。
強者から発せられる恐怖という物が、タロウからは一切感じられない。
力量差が有るなら解る。だがタロウは誰が相手でもそれを感じさせない。
目の前に居る存在の持つ空気と実際の力量に乖離がある。
本気での戦闘であればあるほど、タロウの力は把握し難い。
「ねえ、坊や。我が儘を聞いて貰えますか?」
「何ですか?」
「もう少し続けても構いませんか? このままじゃ消化不良になってしまいます」
「構いませんよ」
大公妃はタロウの目を見つめながら続行を口にし、タロウは拳を突き出した体勢のまま答える。
タロウの返事が余程嬉しかったのか、彼女は心底嬉しそうに口元を歪めた。
「ありがとう、坊や・・・いえ、タロウさん」
彼女はタロウの手を払いのけると、タロウの右側に回って死角からの打撃を入れようとする。
その動きは初撃の不意打ちよりも速い。
だがタロウは片足を軸に体を回すだけで躱し、ほぼ同時に彼女の手首をとった上で胴に打撃を叩き込もうとする。
大公妃は取られた手の位置はそのままに跳び上がり、前宙返りをして打撃を躱す。
タロウは手を放して立ち位置を一歩ずらし、着地後の彼女の背中に肘打ちを入れに行った。
攻撃を予測していた大公妃はしゃがんで躱し、ついでにタロウの足を蹴りで刈りに行く。
タロウは大公妃の蹴りを飛んで躱しながら、大公妃の首目掛けて飛び蹴りを放つ。
後ろに体を落とす事で何とか蹴りを躱した大公妃は、そのまま後方転回して距離をとった。
「ふぅ・・・ああ、楽しい。久々にドキドキします」
「こっちは予想以上に良い動きで焦ってますよ」
大公妃はとても楽しそうだが、タロウは少し困った顔だ。
「ふふ、その言葉自体は真実なんでしょうけど・・・今の一合、貴方が本気でしたら既にもう一度負けていますね」
「あー・・・その」
「ふふ、誤魔化さなくても良いんですよ。それが解らないのでしたら、続けても良いかなどと聞きませんから」
大公妃の言葉にタロウは微妙な顔で返す。何と返して良いのか困っている顔だ。
「手を取られた一瞬。あの一瞬で本当は勝負を決められたでしょう?」
「・・・まあ、正直に言うと、はい」
タロウは言い難そうに肯定する。
おそらくあの一瞬に仙術を叩き込めば、それでまた勝負が終わっていたと言いたいのだろう。
以前のタロウなら無理だったと認識していたが、どうやら今のタロウは本当にやれる様だ。
ミルカとの一戦以降、仙術の精度が変わったのかもしれねぇな。
「解っていますよ。付き合ってくれているんですよね。もう少し我が儘に付き合って下さいね」
「あー・・・はい」
大公妃の言葉に諦めた様子で応えるタロウ。そしてまた始まる打撃の応酬。
二人の勝負を眺めていると、タロウから感じた違和感の正体に気が付く。
今のタロウは普段のタロウに見える。普段の、相手の力量に合わせて相手に付き合うタロウに。
今までと違うと感じたのはそこか。
相手が先に不意打ちをしたから解り難かったが、やっと解った。
無手である事以外は、最初から一切相手に付き合わなかったんだ。
それに違和感を感じたのか。
・・・何だろうな。別に悪い事じゃないはずなのに、何か、嫌な感じがする。
今回タロウがとった行動は、勝負という観点で見れば正しい行為だ。
訓練や目的があっての制限ではなく、これは一応勝負なのだから。
むしろ普段の、勝負ですら相手に付き合う戦い方の方がおかしいんだ。
勿論相手を打倒する事だけが目的の場合、あいつは仙術を容赦なく使う。
けどそれが手合わせとなると、使わないと勝てないと思った相手にしか使わない。
その判断に行くまでに少し時間がかかる。
それを考えれば、今回の判断は間違いなく良いはずだ。
けど、だけど、これは一体何だろうか。
胸の奥に嫌なものを感じる。今のタロウを見ていると何か不安になる。
・・・原因は自分でも解らねぇが、少し気を付けておいた方が良いな。
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