第607話大公のお願いですか?
「うぃーす、ステルの嬢ちゃん元気かー?」
公国訪問の翌日、正装をしていなければどう見ても山賊にしか見えない男が訪ねて来た。
ナラガ・ディド公国、サラグナド・ゲナハ・アナグズ大公。
勿論彼が来る事は事前に聞いていたので驚きはしないが、屋敷に辿り着いた後にあたしを使用人に呼ばせるでもなく、自らずかずかと部屋にやって来るのは相変わらずの人間性だ。
ノックも無しの突然の部屋への侵入に、タロウとシガルは少しだけ驚いている。
一応この男が部屋に来るであろう事は伝えておいたが、大公が来ると聞いて山賊がやって来るとは思ってなかったんだろう。
クロトは相変わらずポーッとした表情だが、男を観察している様にも見えるな。
ハクは竜の姿のままで良いと言われているせいか、完全に気を抜いて丸まって寝ている。
「お久しぶり・・・という程久しぶりではありませんね。お元気そうで何よりです」
「おう、昨日は飲んでねぇからな」
「やはり二日酔いでしたか」
「あっはっは、息子から聞いたけど、やっぱお見通しだったか」
こちらは呆れた表情を隠していないというのに、カラカラと楽しそうに笑う大公。
おそらくこういう所がブルベの気に入った理由だろう。
あいつは貴族らしい貴族との付き合いは好きじゃないからな。
だからってあいつを潰すまで飲み明かすのは止めて欲しいが。
「今日は構いませんが、今度から最低限ノックをお願いしますね?」
「何だよ、何か見られて困る事でもあんのか?」
「ここには女性も居るのですが」
探知魔術で接近は解らないわけじゃないが、万が一の事はある。
あたしの事は勿論だが、シガルも居るんだ。
多分これに関しては、あたしよりシガルの方が怖いぞ。
「・・・そんな貧相なの見てもなぁ・・・いやでも、後ろの子ならまだ・・・」
「殴りますよ?」
「本気で拳を握り込むなって。冗談だから。俺が悪かったって」
少しばかり殺気を込めて言い放つと、怯えた様に後ずさる大公。
けどこの男はこのぐらいで丁度良い。大公相手だと思って相手をすると疲れるだけだ。
「あら、あなた。新しい女性が欲しくなったのですか?」
そして後ずさったその先に、にこやかな笑顔に似合わない殺気を漏らす女性が立っていた。
ストレリア・リェネア・ゲナジア・アナグズ大公妃。
あたしとしては「戦姫」という名の方がなじみ深い人物だ。
とはいえあたしが彼女本人と顔を合わせたのは貴族になってからだが。
「まてまて! 俺の女はお前だけだから!」
「そうですか? 別にあなたが望むなら構いませんよ?」
慌てて答える大公の言葉に殺気を消し、彼の腕を掴んで胸にしなだれかかる大公妃。
今の殺気は構わないという様な気配では無かった。
「ごきげんよう、ステル様。お元気そうですね」
「ええ、大公妃様もお変わりない様で何よりです」
「そうでもないですよ。最近皺が増えて来て、体力も落ちて、どんどんお婆ちゃんに近づいています。ステル様の様にいつまでも美しくありたいものです」
「私はただ童顔なだけですけどね。それに貴方はまだまだお若く美しいと思いますよ」
確かに彼女の顔に皴はあるかもしれないが、それでも美しいと言える女性だ。
タロウはもしかしたら嫌がるかもしれないが、あたしは彼女の様な年の取り方をしたかった。
最近はシガルを見ていて「羨ましい」と思う事も増えたな・・・。
「父上! 母上! 何をされているのですか!」
そこに昨日出迎えてくれた彼らの息子が慌てた様子でやって来た。
慌てるのは当然の事で、この二人は普通の貴族相手であれば失礼に当たる事を平然としている。
あたしは彼らがそういう人間だと知っているし、あたし達はそんな事を気にする人間でもない。
勿論色々と舐め腐ってる連中は別だが、この男はそういうわけじゃねぇしな。
「何をって、挨拶に来たんじゃん」
「そうですよ、サラ」
「ああもうこの人達は・・・!」
頑張れ息子。自由な家族が居ると大変だよな。
「ステル様、父が無礼を働き、申し訳ありません」
「おい待て息子よ、何故俺だけなんだ」
「気にしておりませんよ。大公様はこういう方だと存じておりますので」
「ありがとうございます。寛大なお言葉、感謝致します」
「いやだから、何で俺だけなんだって」
大公が不満を漏らしているが、あたしも息子も無視して会話を続ける。
暫くすると「あらあら」と言いながら大公妃が大公の頭を撫でていた。
「ところでステルの嬢ちゃん、何で全員一部屋に居るんだ」
「部屋が広かったので。皆で寝れそうでしたから」
複数の部屋を用意されはしたが、昨日は結局皆で一部屋で寝た。
ベッドは複数あるし、部屋も広い。この人数でも一切問題ない。
「はっ、相変わらずウムルの貴族様は面白れぇな」
「私は元々貴方と同じですから」
「あっはっは、ステル嬢ちゃんはそうだったな。けど俺なら洞窟でも余裕だぜ?」
「流石に好き好んで洞窟で寝泊まりはしたくありませんね」
今は貴族かもしれないが元はただの平民。
ブルベではないが、こういう気を遣わないで良い相手は楽で良い。
受け答えに裏が無い貴族など珍しいので、とても楽だ。
とはいえこの男の場合は別の意味で裏がある場合が多々あるので、完全に気を抜けはしないが。
「そろそろ言っておこうかと思いますが、私はもうステルではありませんよ」
「あー・・・そういやそうだったな。小僧の家名は・・・えーっと・・・た・・・た・・・」
「タナカです」
まだ自分でも言い慣れない。口にするたび小さな恥ずかしさと幸せな気持ちが沸いて来る。
タロウと一緒に慣れたという事実に。喜びを感じる。
「そうそうタナカだタナカ。今日はその小僧に頼みがあって来たんだよ」
「・・・それは本来の仕事以外に、という事でしょうか」
「ああ、うちの息子が、あんなひょろっこいの頼りねぇって言いだしてよ。ちょーっと手合わせしてやってくんねぇかな」
「なっ、父上! 私はそこまで言っていません!」
成程、彼はブルベの結婚式に来ていなかったはずだし、タロウの実力を知らないのも当然か。
タロウからは単純な立ち振る舞い以上の実力は解り辛いからな。
正直あたしだってタロウが弱い頃から知っていなければ、あれが強いとは欠片も思わない。
「タロウ、話は聞いていましたね」
「あ、うん」
「では、用意をしなさい。大公様、庭でよろしいですね?」
「おう、話が速くて助かる。やっぱウムルは楽で良いなぁ!」
かっかっかと笑い、大公妃を胸に抱きながら外に向かう大公。
その様子を見て困った表情になっている息子には同情する。
息子がしっかり貴族をやっているのは、周囲の教育と父親の反面教師からだろうな。
「申し訳ありません。その、ウムルを疑うわけではないのですが・・・」
「いえ、遺跡は慎重に対応するべき事案。心配をするのは当然です。お気になさらず」
「ステル様・・・ありがとうございます」
あたしの言葉に安堵して頭を下げるのは良いんだが、だからステルじゃねえって。
解っちゃいたけど、やっぱり中々タナカとは呼ばれねぇなぁ・・・。
「では、私は先に庭に向かっております」
「ええ、すぐに向かいます」
頭を軽く下げて両親の後を追いかける息子を見送り、部屋の中に視線を向ける。
タロウは言われた通り武装して、シガルも何故か武装していた。
シガルがやる機会があるかどうか解らないが・・・まあ良いか。
『きゅる~・・・ふあ~・・・んー、出かけるのかー?』
あれだけ騒いでいたのに、今になって起きたのか。
「ちょっと庭で運動するだけだよ」
『そうなのかー。じゃあ私も行くー』
シガルが答えると、ぴょんとシガルの胸に飛び込むハク。
それをクロトが解り易く嫌そうな顔で見ている。
本人同士の衝突は大分減ったが、ああいう所は変わんねぇな。
おっと、ボケッとしてねえでタロウに追加の情報与えとかねぇと。
「タロウ、多分息子と手合わせした後、大公妃もやると言い出すと思うからそのつもりでな」
「・・・え、それ、大丈夫なの?」
「大丈夫だ。元々彼女は戦闘狂だしな。いや、今も根っこは変わってねえっぽいか。本気でやらねぇと大怪我するぐらいつえーぞ」
あたしの言葉に困惑した顔を見せるタロウとシガル。
今日は体格の解り難い服装だったし、立ち振る舞いは貴族としての優雅さも有ったからな。気が付けねぇのも仕方ねぇだろう。
「シガルは『戦姫』って知ってるか?」
「うん、知ってる。割と有名なお話だよね」
「あの大公妃、そのモデルだぜ」
「・・・えー、あれ史実なの? 絶対創作だと思ってた」
「あっはっは、そんな事言い出したら、あたし達の事も似た様なもんだぜ?」
「あー、確かに」
内容自体はあたし達の戦争の活躍を物語にした物と大して変わらない。
ある国に、国内の誰よりも強い姫が居た。
彼女は単騎で戦場を駆け抜け、あらゆる敵をなぎ倒し『戦姫』と呼ばれた。
そんな彼女がとある男に出会い、女として生きる様になる物語。
まあ物語自体は大分脚色されてっから、完全史実では無いけどな。
「えーと、俺はよく解んないけど、とりあえず息子さんよりも大公妃様の方が強いって事で良いのかな」
「多分な」
「そっか・・・まあ気を付けるよ」
相変わらず解ってんのか解ってねえのか微妙な返事しやがって。
まあ良いか。あの大公妃は前に立てば解るだろう。
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