第599話親父さんの願いですか?

「・・・お爺ちゃん、落ち着いた?」

「ああ、ありがとうクロト君」


娘達が衣装を変える為に宴会場を離れ、暫くの休憩時間が出来た。

その間に心を落ち着けようと、少しばかり会場を抜けさせて貰った。

宴会の席とはいえ、いつまでも泣いてばかりでは娘に悪いと思ったしだいだ。

今はクロト君と共に飛行技工船の通路の窓から外を眺めている。


船の事とこれからの事を考えているうちに、少しだけ心が落ち着いた。


この船の脅威が本当に理解出来る人間が何人居るのだろうか。

人と物資を障害無く運べる、空飛ぶ大きな船。事実を並べればそれだけでも素晴らしい事だ。

だがこの船の本当の脅威はその設計理念に在る。その事実にどれだけ人間が気が付けるか。


いや、気が付けんだろうな。今の時代の常識に囚われている者達ではけして。

私も詳細を教えられていなければ、間違いなく気が付けていない。


こんな物を作り出してしまう人間が娘になった事がいまだに信じられん。

今でも彼女が目の前に立つ事が幻か何かではと疑う時がある。

だがこれは夢でも幻でもなく、私は重い役目を背負っている事も自覚している。


誰も言葉にはしていない。言葉に出来るわけがない。だがそれでも皆が願っている。

彼女をけして手放すな、と。


イナイ様はここ数年、いつでもウムルの地を去る事が出来るよう準備をしている。

民衆は知らないが、王宮勤めの人間にとっては周知の事実だ。

だが殆どの人間がその事実を口にしない。したくない。


当たり前だ。彼女ほど望まれている英雄は他に類を見ない。

どの国にも英雄と呼ばれる者や、神輿となる存在がいるだろう。

国王陛下が英雄足りえないなどと不敬な事は言わんし、事実大英雄と言って差し支えない。


だが、その前提があった上でも、彼女が偉大過ぎるのだ。功績が大きすぎるのだ。

陛下が王でなければ、英雄の上に立つ王でなければその存在が霞む程に。

勿論我々は陛下の素晴らしさを理解している。陛下が居るからこそのウムルだと。

だがそれでも目に見える功績の量が多すぎるのだ。


今もなお国に利益を出し続ける数々の道具。この船の様な新しい道具や技術。

彼女の技工具は戦後に多くの民衆を救うに直結し、今も国を豊かに、そして強くしている。

そして民衆だけでなく、領地を背負う者達の多くが彼女を支持している。

下手をすれば陛下よりも、彼女に付く人間の方が多い可能性すらある程にだ。


そんな彼女を、ウムルから去る様な真似をさせないようにと、暗に言われているのだ。

親類が碌におらず、婚約者の男もいつ国を出るか解らぬ身。

なればこの国に根を張って生活をしているスタッドラーズだけが、その楔になり得ると。

私の娘が、英雄イナイをウムルから離さずにいられる道具になると。


娘の幸せを願う場で、そんな無粋な感情が渦巻いているのがやるせない。

勿論陛下や英雄方は純粋に祝っているのは解っている。

式の方に出ていた方達も彼女がどこでどう生きようと、彼女達が幸せならば肯定するだろう。


私も出来るならばただ娘の幸せのみを願いたい。

その願いが余計に、感情を高ぶらせてしまった。親として祝いの気持ちをせめてと。


妻は色々と割り切る人間だし、シガルも妻に負けず劣らず強い女性になってしまった。

だからきっと、あの二人は「だからどうした」と思っているに違いない。

それでも、やはり、純粋な祝福の心で娘の門出を見送りたい。


だが、流石にもう心も落ち着いた。いつまでも無様を見せるわけにもいかんだろう。

妻の言う通り、今日は娘の幸せな日だ。娘の幸せを願うならば全てを受け入れねば。

そう自分に言い聞かせて一つ深い溜息を吐いた後に、付き添ってくれたクロト君の頭をなでる。


「クロト君は会場でのんびりしていても良かったんだよ?」

「・・・でもお爺ちゃん、寂しそうだったから」


凄い子だな、この子は。とても優しい子だ。

この年齢の子供でそこまで気を遣えるのは、この子が優しい故か、それとも小僧の教育故か。

どちらにせよそのおかげで少しばかり気が楽になったのは確かだ。


「ああ、そうだね。少し寂しかった。ありがとうクロト君」


クロト君を抱き上げ、片腕に彼を座らせて頭を撫でる。

可愛い子だ。例え娘と血が繋がっていなくとも可愛い孫だ。

静かな心の内でもそう思える程、この子はとても可愛らしい。


血の繋がりなど無くともこの子は小僧達を親と慕い、小僧達も息子として扱っている。

私は元々純粋なウムルの人間ではない故、多少の抵抗はある。

だがそれでもこの子は可愛い孫だと心から思える。

この子も私を慕ってくれているのに、どうして邪険に扱えようか。小僧は別だが。


「・・・お父さんの声だ」

「む、私には良く聞こえなかったが、耳が良いね」


どうやら小僧が戻ってきている様だ。私には雑音や兵士達の話し声と混ざって解らなかった。

既に会場に入っているかもしれんな。早めに戻った方が良かろう。


「戻ろうか、クロト君」

「・・・うん」


私の言葉にコクンと頷き、薄く笑顔を見せるクロト君。

そんな彼の頭をひと撫でして、会場の入り口へ向かう。


「だから本当に違うんだって!! 信じて!」


会場の方へ足を向けると、途中で大きな声が聞こえた。

今のは小僧の声だ。何を叫んでいるのだあ奴は。祝いの席でみっともない。

本来なら私が言えた事ではないかもしれんが、小僧に対しては別だ。


「お前ぶん殴んぞ!」


流石にその言葉には少し驚いた。小僧があのように声を荒げるのは初めて聞いた。

いつも飄々としていて、娘の尻に敷かれている様子からは想像できん声音だ。


「クロト君、すまん、少し揺れるぞ」

「・・・ん」


何か問題が起きたのかと思い、クロト君が辛くない程度に走る。

そして会場前に辿り着くと――――小僧が何処にも居ない。

おかしい、確かにこちらから聞こえてきたはずだが。


声が反響していたとしても、最後に聞こえた声はかなり近い位置だった。

間違いなくこの周辺に居なくてはおかしいはずだ。


「結婚、おめで、とう。かわ、いい、ね、タロウ、さん、似合、ってる、よ」

「・・・え、ちょ、うそ」


顔を隠している、可愛らしい声の婦人から小僧への祝いの言葉が贈られる。

だが贈られた人間は小僧ではなく、可愛らしい少女だ。

黒いフリルドレスの良く似合う、可憐な少女に対して向けていた。


内容が一瞬理解出来なかったが、夫人に驚いている少女を見つめ、小僧の面影を確認した。

先の驚きの声も少女というには少しばかり無理がある声だ。

信じられないが、そこに居る少女が誰なのか、解ってしまった。

それでも信じられないという思いが、疑いと確認の言葉となって口から出た。


「・・・まさか、本当に小僧、なのか?」

「・・・お父さん可愛い」


クロト君の言葉で、最早返答を待つ必要もなくなってしまった。

間違いなく目の前の美少女は、娘の結婚相手の小僧だと。


余りに、余りに似合っている。否、似合い過ぎている。

まるでこの姿になるために、祝いの席でこの姿を披露するために準備をしていたかの様に。

何よりもその小僧の姿を完全に受け入れている娘達と周囲の人間達。


小僧はまさか、女として生きようとしているのか。

そう思うと、私の立場では言ってはいけない気持ちが胸に浮かぶ。

陛下が見届け人をした夫婦にケチをつけるなど、私の立場でやって良い事ではない。

そして公職に就く者として、国の在り方に反する言葉を口にしていいはずが無い。


だがそれでも、娘の幸せを願う身としては、娘に子を成してやって欲しいと思う。

ウムルの考えではズレているのは自覚している。

そもそも子を成す事が幸せになるという考え自体が古いのだろう。

だがそれでも、そう願わずにはいられない。


クロト君が不満という訳ではない。あの子は可愛い孫だ。それは絶対に嘘ではない。

だがそれとはまた話が違うのだ。

これは古い人間の願いだ。本来口にしてはいけない私の我が儘な願いだ。






ただそれでも、小僧ならば私の願いを聞き届けてくれると、そう思ってしまった自分に少し腹が立った。





そうではない。私は認めたのだろう。小僧を家族だと。

あ奴ならば娘を幸せにしてくれると、娘が心から付いて行っていると認めたのだろう。

ならば小僧に否定の言葉が出せない頼みは、私の願いの言葉は卑怯ではないか。

既に小僧が絶対に否定できない願いを、娘を幸せにしろとの願いを口にしているのだ。

小僧が自身で願う生き方が有るならば余計に、私が言ってはいけないのではないか。


そんな矛盾した思考のまま宴会が終わり、終わった後もずっと悩んでいた。

クロト君はそんな私の様子を察してくれたのか、ずっと傍に居てくれた。

だからこそ、この子が可愛いからこそ、私は小僧に素直に想いを告げる事を決めた。


イナイ様の耳に入れば確実に問題が有るだろう。それでも小僧には想いを伝えねばと。

そうでなければ私はきっとこの先、小僧とクロト君に今までの様には振舞えなくなる。


対話の場はわざと人の目に付きそうな場所を選んだのだが、小僧がやってくる頃には何故か誰も居なかった。夜遅いとはいえ、兵士の一人すら居ないのは流石におかしい。

だがそんな事に思考を割く余裕などその時には無く、小僧に全てを打ち明けようとするしか私には出来なかった。


結局のところは全て私の勘違いで、要らぬ恥をかいただけに終わったのだが。

そして全てを素直に話したせいで、小僧に私の考えを多少なりとも言ってしまった事になる。

娘と子を成して欲しいなど、まともな思考の時であれば絶対に口になどせんというに。


冷静になれば、他人の式や宴会であれば特に気にしない自分が居た事を思い出せる。

ウムルでは男性もドレス姿で式をする地域も在るのだから。

ただただ自分の娘という一点で、完全に思考が停止していた。

そんな自分を恥ずかしく思いながら部屋に戻る途中、通路でクロト君が迎えてくれた。


「・・・お話、終わった?」

「ああ、終わったよ。ごめんね、こんな事にお使いに出して」

「・・・ううん、大事なお話なんだろうし、気にしないで」


嬉しい事を言ってくれる彼を抱き上げ。頭を撫でる。

この子は本当に気を遣う子だ。


「・・・赤い人にお願いしたけど、ちゃんと二人で話せた?」

「赤い人?」

「・・・お爺ちゃんがお父さんと真面目なお話したいみたいだから、邪魔しないであげてって、赤い人といつも笑顔の人にお願いしたの」

「・・・まさか赤い人というのは、赤い髪と目の方かな」


私の問いにこくりと頷くクロト君。

何故あの場に兵士の一人すら居なかったのかそこで理解した。


クロト君は小僧を呼びに行く前に、リファイン王妃様に態々頼みに行ったのだ。

そしておそらくもう御一方はセルエス殿下の事では無いだろうか。

とんでもない話ではあるが、クロト君の立場であれば可能だろう。


「・・・まだちょっと怖かったけど、頑張った」


シガルの癖とよく似た、胸元で手を握る動作をしながら彼はそう言った。

そういえばクロト君はリファイン様を怖がっていたと聞いた覚えがある。

今は以前ほどでは無いが、一時期は怯えて泣き出すほどだったそうだ。

そんな相手に、私の為に自ら会いに行ったのか。


「良い子だなぁ、クロト君は! 本当に可愛い子だなぁ!」

「・・・おじいちゃん、夜だから、あんまり騒いじゃ駄目」


嬉しくて全力で褒めたのだが、叱られてしまった。

だがそれすらも今の私には嬉しい。本当にこの子は愛おしいと思える子だ。


「おお、これはすまないな。じゃあ今日はお部屋に戻って早く寝ようか!」

「・・・うん」


色々ありはしたが、クロト君のおかげで気分の良い終わりを迎える事が出来た。

何事も無く、何も問題なく、全てが上手くいって終わった。





それもでやはり、後日自ら報告に行くとしよう。

私は公職でありながら国の法に背く言葉を口にしたのだ。報いはどこかで受けねば。

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