第569話魔王の体。
手を何度も握り直し、自分の状態を確かめる。
昔使えた力はほぼ使えず、身体能力も明らかに低い。
そもそも戦闘をするという意志を持たねば、その辺の人間どもと変わらん。
殺意を持って体を作り替え、そこでやっと戦闘が可能になる。
面倒な体だ。以前なら経験した事のない様な損傷も、何度もしている。
肌は簡単に切れるし、衝撃で体が痺れる。
その状態で体を動かそうとすると上手く動かず、力を発揮出来ないままの攻撃となる。
「だが、やっと把握は出来た」
あの男を練習台に、自身の状態を完全に把握できた。やはり今の俺はあまりに貧弱だ。
その辺の魔物を倒す程度なら何の問題もないが、奴の様な存在に会えば塵芥にすぎんだろうな。
この出会いそのものは僥倖と言っても過言では無いだろう。
「さて、そろそろ、行くか」
最早ここに用はない。あの男でやれる事も試し切った。
この体には食事が必要だという事と、あの吐きそうな物を口にする必要が無い事も解った。
あの男め、利用価値が在った事は良いが、あれだけは許さん。
あんな気持ちの悪い物を何日も口に入れた不快感は、いずれ返しに来てやるぞ。
「・・・まあ、感謝はしておいてやる」
男が眠る小屋を見て、そう呟く。
以前の自分なら理解できない感情だが、その気持ちが確かにある。
あの男がいなければ、俺はきっと力を自由に扱えないままだっただろう。
何をしたのかは解らんが、自身の意思で動けるようになった事だけは、感謝してやっても良い。
「先ずは、どこに向かうか」
兄弟に会えたとしても今の俺では意味が無い。せめて兄弟と肉薄できる程度にせねば。
ただ無意味に死ぬ程度では、兄弟を失意に落としかねない。
やはり予定取り、力を取り戻しに回るか。
そう思って一歩踏み出すと、体が浮くのを感じた。
ゆっくりと足が地面から離れ、自分の頭の高さ辺りで止まる。
地に足が付いていない事で体を上手く動かせず、慌てて動かした体は宙でこけた。
勿論地面は無いので衝撃は無いのだが、なぜか一定以上下に落ちずに浮かんでいる。
バタバタともがいてもどうにもならず、全力で足元であった所を殴ってみても何の効果も無い。
更に殴った反動で体がグルグルと回った。
くそ、なんだこれは。
「お前、どこに行く気だよ」
この状況に悪戦苦闘していると、男がぼりぼりと頭をかきながら小屋から出てきた。
眠そうな目をこすりながら、ゆっくりと歩いて来る。
あの態度、あの言葉、おそらくこれは男がやったのだろう。
寝ている間にと思ったのに、感づかれたか。
「放せ」
「断る」
俺の殺気を込めた言葉は男には通じず、眠そうな顔で拒否をしてきた。
一体何のつもりだこの男。大体俺を面倒だと言っていただろう。
面倒が去るのだから、そのまま放置していれば良いだろうに。
「つーか、どこに行く気だったんだって聞いてんの」
「お前には関係ない」
「おまっ、ここまで世話になった相手に言う事か、それ」
「俺がしてくれ等と言った覚えはない」
「か、可愛くねぇ! ずーっと思ってたけどお前本当に可愛くねえな!」
「知らん。容姿なんぞどうでもいい」
俺が何処に向かおうがこの男に関係はないし、容姿なぞもっと関係ない。
そもそも俺の姿を貴様に非難される理由もない。
大体貴様こそ、自身が何者かなぞ語っていないだろう。
何故俺が一方的に貴様に教えてやらねばいかん。面倒な。
「良いから放せ」
「断る。お前みたいな問題児放逐したら、何が有るか解んねぇだろうが」
「知るか」
「お前が知らなくても、こっちはもう放置できねえんだよ。姉さんに報告しちまった以上、適当な扱いとか出来ねぇしな」
姉さん。先日男が何かで連絡を取っていた相手か。
魔術とは違う何かだったな。この時代では俺が生きていた頃には無かった物がある様だ。
俺がただ見えてなかっただけの可能性も有るが。
「貴様の事情なんぞ知らん。俺は俺のやりたい事をするだけだ」
「そのやりたい事ってのを、ちょっとぐらい話せよ」
「貴様に語る事なぞ無い」
「お前、何で喋れる様になったのに会話が通じねえの?」
男との会話はいつもこんな物だ。
俺にとって最初の頃の男の質問は、答える意味もあったが故の行動だ。
だが今の俺にとって、男の質問に答える理由は何もない。
「とりあえず、お前が何かしたい事があるのは解った。けどこのまま放置ってのは嫌な予感しかしない。ついてってやるから、今日は大人しく寝ろよ。この真夜中に追いかけっことか嫌だぞ」
「知らん、貴様だけ寝ていろ」
「そうやってまた寝ないつもりか? また倒れんぞ」
「ぐっ」
男の言う通り、俺は一度睡眠をとらなかったせいで倒れた。
弱っている時はどうしても意識がなくなるので仕方なかったが、完調に戻っても睡眠をとる必要があるとは思わなかった。
三日ほど過ぎた所で頭が痛みだし、五日過ぎた所で気を失った。
「一人でずっと周囲の警戒とか、寝られねぇぞ」
「貴様は寝ているだろうが」
「俺は寝てても平気だからな。嬢ちゃんが一人どこかに行こうとしてるのに気づけるし」
「貴様は本当に腹立たしい男だな」
俺は確かに、睡眠中は何もできない。
男にベッドに寝かされた事も察知できないほど、完全な無防備だ。
だからこそ寝ない様にしていたのだが、寝なければこの体は動かせない。
男はそれを理解しているが故に、この様な事を言ってくる。
「一応面倒見てやるって約束もしたしな」
「貴様が勝手にした事だろう」
「あー、まだそういう事言う。そっかそっか、じゃあもう良いや。好きにしろよ」
「ふん、やっと気がすんだか」
これでやっと解放される。そう思ったが、何故か男は俺の手を掴んで小屋に戻って行く。
俺は相変わらず宙に浮いているので抵抗が出来ない。
バタバタと暴れてみるが、何の意味も無かった。
「き、貴様、何のつもりだ!」
「お前が勝手にするっていうから、俺も勝手にする。お前みたいな危険物放置できるかよ」
「何だと!? くっ、放せ!」
「やなこった」
男の手を外そうとするが、強化魔術を使っている様で力負けしている。
地に足が付けられないので地面を蹴るなども出来ず、なすがまま小屋に入れられてしまった。
そしてベッドの上に座らせられ、男は得意げに口を開く。
「ま、これで俺から逃げらんねぇ事は解ったろ。諦めな」
どうやらこの男、本格的に俺を放す気が無い様だ。
今までの事から、俺がどれだけ全力でもこの男に敵わない事は解っている。
なれば仕方ないか。今暫くはこの男を我慢して使ってやろう。
「ふん、従僕となりたいのであれば好きにしろ。貴様は利用するには良いだろうからな」
「お前、本当に心の底から可愛くないな」
貴様が俺を放さんと言ったのだろうが。許可してやったのになんだその態度は。
ふん、まあいい。せいぜい役に立って貰うとしようか。
最低限、睡眠が必要無い体になるまでは使ってやろう。
力を取り戻して行けば、その内前の体に近くなるはずだからな。
「・・・む?」
下半身に、何か違和感を覚えた。
何かドロッとした物が、股を濡らすような感覚。何だこれは。
自身が人間と同じ様に排泄が必要だという事も理解はしたが、この感覚は初めてだ。
気になって股に手をやり、それを拭って確認する。
「血が出ている」
「はっ?」
俺の行動に、男は間抜けな顔を見せた。今までにない程間抜けな顔だ。
俺自身も自分の体に何が起こったのかよく解らず、ただ困惑していた。
「えっ、ちょ、お前、か、体重かったり、痛かったりするか?」
「いや、特にないが。何故貴様の方が俺より慌てている」
男が何故か慌てる様子を見せた事で、俺の頭は少し冷静になっていった。
問われたような症状は特にないが、流れる物が止まらない。ただただ不快だ。
何だこれは。俺の体は本当に何がどうなっている。
知らないうちに内部に損傷を受けていたのか?
いや、それならばこの男がおそらく治しているはずだ。
あれだけの魔術を使えるくせに、治し損ねるなどそうそう無いだろう。
ならば、これは一体なんだ。
「ちょ、ちょっと待ってろ! 頼むから! すぐ戻るから、ほんと待ってろよ!」
男は慌てたまま、小屋から出ていった。
言われずとも、この訳の解らない状態を確認する前に動く気は無い。
だがどうやらあの男の様子から、俺のこの状態を調べにでも行ったのだろう。
以前話していた相手にでも聞きに行ったのかもしれん。
ならば大人しく待っていれば、俺が考えるまでもなく答えを持ってくる。
「痛い、辛いなどはないが、言われてみると少し体が重いか?」
よく解らんが、男が言う通り、そういった症状が出る何かなのだろう。
全く面倒な。次から次に対処しなければならん事が生まれる。
いつになったら俺は自由に動けるんだ。
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