第556話抑える日常。

「ぎ・・・ぎぎ、ぐ・・・ぐぅぅぅ・・・」


拳を握り、殺す、歯を食いしばり、殺す、全身に力を込めて、殺す、自身の持てる全ての力と、殺す、心の内にある全ての想いをもって、殺す、何処から溢れているのか解らない、殺す、感情を押し殺す。


「・・・ふむ」


そんな俺の様子を、男は首を傾げながら観察していた。

俺の殺意の籠った視線など意に介さず、俺が抵抗している努力を観察している様だ。

その顔を見ていると更に殺意が膨れ上がっていく。


「うぎゅぅぅ・・・ぐ、ぎぎ・・・」


どこまでも膨れ上がっていく殺意に、只々その感情に抵抗する為だけに力を籠める。

誰かを殺す為じゃなく、自分の感情こそを殺す為に。

それでもこの感情は俺をあざ笑うかの様に、ゆっくりと俺の思考を塗りつぶしていく。


「うぐうぅ・・・ぎにゅ・・・ころ、す」


殺す。その一言が口から洩れてしまったと同時に、思考が一気に塗りつぶされた。

目の前の男を殺そうと、殺すべきだと、殺さなきゃいけないと、全ての思考が埋まる。

あれだけ抵抗する為に内に向けていた力が解け、外に向ける為に体が準備をする。


「・・・殺す」


男を睨みつけ、全力で飛び掛かる。

だが男は何事も無かったかのように俺の全力の一撃を障壁で受け、未だ俺を観察している。

俺は男の様子などより、一切の問題なく受け止められた事に怒りを覚え、追撃を重ねていく。

だが男はどの角度からの攻撃も、どれだけの力を入れた一撃も、一歩も動かずに魔術障壁で全てを防いだ。


「そういえば、お前って名前あんの?」


そしてもう飽きたとでも言わんばかりの態度で、いつも通り俺を魔術で拘束して地に落とす。

拘束された状態で地面に転がる俺は男を睨みつけるが、男は変わらず動じない。

当然だ。この男は俺程度の相手なんて何の問題にもならないと思っている。

俺がどれだけ暴れた所で、男にとっては子供が暴れているのと大差ない。


「俺の名がどうした! 貴様に何の関係がある!」

「いや、何の関係があるって、お前がそこまで元気になるまで看病したの俺なんだけど」

「俺は俺だ! 離せ! 殺す! 殺してやる!!」

「そりゃお前はお前なんだろうけどさ・・・うーん」


男は珍しく少し困った様子を見せながら、俺を抱きかかえる。

そしていつも俺が寝かされている小屋へ入って行き、俺はベッドに転がされる。


「ま、頑張んな。約束通りせめて街に入れる程度になるまでは付き合ってやるから」

「うるさい! 死ね! 殺す! がああああああ!!」


男の言葉に殺意と怒りをまき散らす俺を見て、男は軽くため息を吐く。

そして若干疲れたような顔を見せて、ボヤく様に口を開いた。


「・・・しかし、いつになったら街に入れるんだろうな。拾っちまった以上放置できないし、全く厄介な嬢ちゃんを拾っちまったな。面倒な約束をしちまったもんだ」


そう言って、男は小屋を出て行く。

そして男が見えなくなると同時に、ゆっくりと感情が落ち着いて行った。

男への怒りと殺意よりも、全力で暴れた疲労感の方が感じられる様になってきた。


「・・・今日も無理だったか」


俺は小屋にある数少ない家具である机に向かい、ペンを手に取る。

そして今日の記録と男への報告を書く。これがここ最近の俺の日常だ。


何故かは解らないが、俺はこの土地のこの時代の人間達の文字を書く事が出来た。

この体を構成する為に必要とした人間達の影響か、もしくはこの地で回復する為に吸い上げた力の影響か、顕現する際に世界に接続したからか。

理由は解らないが文字を書く事は出来た。だから、俺はあの男に手紙を書いた。


『俺が人間を殺さずに済ませる様に貴様で慣れさせろ』


そう書いた紙を、部屋に置いておいた。

男が気が付くかどうかは解らなかったが、今はそれが自分の意志を伝える唯一の術だった。

そして男はその一文に気が付き、襲い掛かる俺をあしらいながら質問をし、その質問にこうやって書いて返す。


奴の質問はそこまで多くない。いつも聞いて来る事は多くて3つほど。

俺が覚えていられる余裕がないとでも思っているのか、本当にその場ではそれしか疑問に思っていないのか知らないが、いつもそんなものだ。

その結果、男は俺が人間相手に殺意を抑えられる様になるまで、最低限街に入れる様になるまでは付き合うという約束をした。


あの人間が物好きだという事ぐらいは俺にも解っている。

でなければ俺のような存在を助ける事はしないだろう。

少なくとも2度目、3度目の襲撃時に命を絶っているはずだ。


「今日は名前か」


男に今日言われた事を思い出し、俺の名前を書く。

好きでも何でもない自分の付けられたその名、ヴァルハウルと短く書いておく。

ただ質問を思い出す為にそこそこの労力を必要としたので、やはりあの男の質問の数と短さは正解なのだろう。


余り多く言われても、あの状態の俺では覚えていられるか怪しい。

頭の中は負の感情で埋め尽くされているし、目の前の存在を滅したいとしか考えられていない。

そう考えると、あの男が俺を真剣に観察している事がうかがえる。


「物好きめ」


男の真意は結局解らない。だから俺はただそう結論付けている。

もし俺を何かに利用するつもりでも、企みがあっても別に構わん。

今はあの男に頼る事で自分を生き永らえさせる事が出来る。そう割り切っている。


だが先の通り、少しだけ襲い掛かるのを我慢出来るようになったが、結局最後は襲い掛かる。

我慢すればするほど、あとからあとから殺意が増えて来る。

今まで殺意に身を委ねない事が無かったせいで、殺意への抵抗の辛さをひしひしと感じている。


だが抵抗しなければ、それはそれで別の負の感情も増していく。

今だって俺の中にはじわじわと腹の底にムカつく感情が少しずつ増えて行っている。

今はこうやって思考ができる。男が傍にいなければ耐えられる。

だがこのままでは、時がたてば完全にこの感情に飲まれた行動だけをしかねない。


「はっ、泣き言なぞ言ってる場合か。力を十全に引き出している兄弟の方が辛いはずだ」


俺よりも、もっと俺に近しい兄弟の方が衝動は大きいはず。

もう今頃は完全に感情にのまれて暴れているはず。この程度で泣き言なぞただの甘えだ。

自分の弱さに唾を吐くつもりの感情でいると、名前を書いた紙が目の前から消えた。

俺の手が止まったのを察知して、男が手元に転移させたらしい。


あの男はただの魔術師では無いだろうな。明らかに魔術師としての能力を逸脱している。

ただ強いだけではない。根本的にあいつの魔術は何かがおかしい。

それが何なのかは知らないが、少なくとも自分にとっては好都合だ。

このまま変わらずあの男でうまく自分を作り替える。


そう思っていると、小屋のドアが開いた。

そこには男が俺の名前の書いた紙をもって、俺を見下ろしていた。

普段男はこんなにすぐにやってくる事は無い。

なので警戒して無かった俺は、感情を抑える暇ながなかった。


「死――――」


一気に殺意に塗りつぶされて襲い掛かろうとしたものの、動く前に拘束された。

今回は珍しく、体だけではなく口も塞がれている。

男は今まで見せた事が無い真剣な顔で俺を見下ろしている。

そして倒れている俺に手を伸ばし、ボソッと俺の名を呟いた。


「ヴァルハウル・・・ふん、成程」


男が名を呼び、俺を見つめる。ただそれだけで増々負の感情が膨れ上がる。

この男が恨めしい。憎々しい。妬ましい。苛々する。

その全てを消す為にも、この男を殺したくてたまらない、と。


「んーー! ふんぐ! んん!」

「嬢ちゃんには似合わない厳つい名前だ。クソッタレな名前だ。そうだろう、嬢ちゃん」


男は俺が暴れる様子を気にしていない。

そして俺の耳に男の言葉は届いているが、その内容は頭に届かない。

だが何か、何か解らないが、男が何かをしようとしている事だけは解った。


男が、俺がここにきてから初めて感じる程の魔力を、体に纏う。

今まで見た事のない、人間がそんなふざけた魔力を纏えるのかと、一瞬全ての意識がそれだけに行くほどの魔力。

この俺が、恐怖を覚える程の、異常な力。


鳥肌が立つ。体の内側に気持ち悪い感覚が昇ってくる。

生まれて初めて恐怖したあいつらと相対した時と同じ、殺されるという恐怖が自身の中で浮かび上がる。恐怖が、他の全ての感情に勝ってしまう。

そのせいか、そのおかげか、奴の言葉が意味として頭に入った。


「此処に、我が力をもって命じる。呪われし名、世界の負を背負いし呪いの名を、我が力によって破棄を命じる。抵抗は許さず、認めず、ただ従え。その名はヴァルハウルに非ず」


言葉に魔力がこもる。尋常じゃない魔力が、言葉に宿る。

そして何よりふざけているのが、その莫大な魔力の一切が、世界を通していない。

全てこいつ本人の魔力。こいつ、本当に人間なのか。


男は世界が拒否をしている現象を、自分の力で捻じ曲げる。

貴様のルールなど知らんと。世界の在り方など知った事かと。

自分の望む形に無理矢理作り変えている。


「我が名はグルドウル・ファウ・グラウド・ウムル。世界よ、我が下に跪け」


男が最後にそう言ったと同時に、自分の中にあった何かが壊れる感覚を覚えた。

そして、ついさっきまでずっと膨れ上がっていた感情が、綺麗に消えていった。

いや、底の方に何かが燻ってはいる。だが、それでも今までよりは随分ましだ。


「・・・ちっ、完璧にはいかねぇか。俺もまだまだだな」


男は俺を見ながら、舌打ちをした。

まるで俺に聞かずとも俺の状態が解っているかのように。

奴の言う呪いが、まだ俺の中にあるという事を理解している様に。


「貴様、一体、なん、なんだ」


既に拘束を解かれていた俺は、呆然と男を見上げる。

目の前の存在が、最早何なのか理解が出来ない。

こいつは一体何なんだ。


「俺は魔法使いさ。まだひよっこだがな」


男は俺に、何時もの態度で、何でもない様にそう言った。

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