第551話願いと決意。

ぐっう、何だ、体が重い。

全身に異様なだるさを感じながら、浮上した意識をはっきりとさせる。

首を動かすのも重く感じるが、それを堪えて周囲を見渡す。

どこかの屋内で、どうやらベッドの上に転がっているようだ。


「ぎ、ぐぅ」


体中が軋むような痛みを感じるが、それを無視して体を起き上がらせる。

上半身を完全に起き上がらせたところで頭がふらつく。

ベッドが部屋の端にあるおかげで、壁に手をついて何とか倒れるのを堪えた。


「どこだ、ここは」


頭が痛い。体が重い。喉の奥が痛い。下腹部が気持ち悪い。何故か知らんが吐き気もする。

俺は一体どうなった。あの後、倒れた後一体何があった。

疑問を持ちながら周囲を深く観察するが、部屋にある物はベッドと机、そして机の上にあるペンと紙だけだった。


「何で俺は、こんな所に寝ている」


まるで今の状況が解らない。

体の調子は倒れる前より更に悪くなっているという事以外、何も。

くそ、頭痛のせいなのか、思考が回らなすぎる。

今すぐにでも倒れたいと願う体に逆らい、ベッドから降りて立ち上がる。


そして鍵の掛かっていなさそうな扉に手をかけて、外に出る。

どうやら此処は部屋では無く小屋だった様で、扉を開けた先は外だった。

視界が霞んでいるが、それでも、ある存在がはっきりと目に映った。

目の前に、先ほど俺を倒した男が、何処を見ているかわからない目で静かに佇んでいた。


「殺す」


足に力を籠め、奴の下に駆ける――――はずだった。

だがその足には殆ど力が入らず、意識だけが前に行った事で体は前のめりに倒れる。

そして今回は手もつけずに顔から地面に激突し、思い切り鼻を打った。


「うぐっ・・・!」


痛い。今まで感じた事が無い程に痛い。

何だこの痛みは。死ぬ前はこんな痛みを感じた事なんかない。

この脆弱な体はこの程度でこんなにも痛みを感じるのか。

鼻からぼたぼたと血が流れるのを感じながら、自分の貧弱さに歯噛みする。


殺したいのに、あいつを殺したいのに、恨めしいのに、殺したいのに、妬ましいのに、殺したいのに、憎いのに、殺したいのに、何もできない。

微かに動く体をどうにか動かし、這ってでも男に近づこうとする。

憎しみと恨みと妬みと殺意を込めて、意志だけで殺せる事を願うほどに男を見つめながら。


「おいおい何してんだ嬢ちゃん。自分の体の状態も解んないのか? ったく、可愛い顔が台無しじゃないか」


男はそんな俺の意思を無視するように近づいて、俺の鼻を治癒魔術で治した。

違う、今のは魔術じゃない。

そうだ、倒された時もそうだった。こいつの魔術は少しおかしい。

魔術の様だが、魔術では無い。何かが根本的に違う。


「よし、これで綺麗に治ったろ。しっかし、あーあ、折角着せた服が土だらけの血だらけだよ」


そして男は俺を抱え上げ、小屋に戻ろうとする。

無防備な首を、俺の目の前にさらしていた。

その首を掻っ捌いてやろうとして、腕すら上がらない事実に気が付く。

先程まではかろうじて動いていた体が、最早完全に動かなくなっていた。


後ほんの少し、腕が一瞬動けば首を刈れる距離だというのに、指がかすかに動くのが精一杯。

さっき踏み出した一歩で、全ての力を使い切ってしまった様な倦怠感。


「止めとけ嬢ちゃん、寝てる間に色々調べさせて貰ったが、大分衰弱してんだろ。そんな状態じゃどう足掻いたって、俺に指一本触れられねぇよ」


男は動いていない俺を見て、それでも俺が何をしようとしていたのか理解していた。

俺の殺意を理解して、俺の行動を理解した上でこんな隙を見せているのか。

男はそれでもにらみ続ける俺をベッドに優しく寝かせ、はぁと深くため息を吐いた。


「お前、そこまで人を恨むほどの目に遭ったのか?」

「ぐっ、遭ったか、だと!? 有った! 会った! 遭った!! ふざけた生を受けて、理不尽な目的を持たされて、貴様らを恨まない日など一度もなかった!!」


問われた内容に一気に頭に血が上り、のどが痛いのも構わず叫ぶ。

貴様らを恨む理由なぞ考える意味もない。必要もない。貴様らこそが元凶だ。

貴様らが、貴様らが俺を生み出した。生み出した癖に否定した。

俺の中から湧き上がる俺の物では無い感情以外でも、貴様らへの恨みは在る。


ふーふーと息を荒くしながら睨む俺に、男は悲しそうな目を向けてきた。

なんだその哀れそうな目は。何故俺を哀れむ。

初めて向けられた感情に少し戸惑う。


いや、そんな事は無いか。一度だけ、あの女だけ、あの竜だけは俺を哀れんでいたか。

それでも、あの時の俺にそれを意に介する感情など無かったが。


「・・・色々恨み言もあるんだろうが、お前そのままだと死ぬぞ」


男は悲しげな瞳のまま、静かに事実を伝えて来る。

そんな事は解っている。明らかに今の俺の体は異常をきたしている。

このままだと、間違いなく、死に至るだろう。

だからどうした。貴様を殺したい事とそれに何の関係が在るのか。

貴様らを恨みながら消えるなど、最後まで恨みながら消えるなど当然の―――。


「やりたい事とか、思い残してる事とか、ないのか。お前には恨みを晴らす事しかないのか?」


―――――――有る。


やり残した、やりたい事。初めて本当に自分の心から、やりたいと思えた事が、有る。

兄弟を助けたいと、救いたいと、お前を理解してやれる奴がいると。

兄弟に、会ってやりたい。たったそれだけのささやかな願いが、在る。


「どうやら、殺す以外の目的もあるみたいだな。なら回復するまで看病してやるから、少しその殺意を抑えてくれ」

「断る。殺す」

「はぁ、本当に何なんだこの嬢ちゃん。こんな調子じゃ街にも行けねぇ。・・・とりあえず転がってな。胃に優しい食事作ってきてやっから」


男はため息を吐きつつ、俺を置いて外に出ていった。

それと同時に俺の心から殺意が薄まっていくのを感じる。

見ていなければ、存在を近くに感じていなければ、まだ耐えられるな。

以前なら無理だったが、別の存在になったおかげかそこは大分違う。


男を殺そうとするのは悪手だ。どう足掻いてもあいつには勝てないと解る。

その上今はこの状態だ。奴が助けるというなら助けられてやろう。


それにこのままでは本当に兄弟に会えずに終わる。初めて手に入れた自分の意志も通せない。

どうにか、せめて殺意を持っていても体は動かさないようにしなければ。


やれるか? いや、やれるかじゃない、やらなきゃならない。

兄弟に会う為には、救う為には、絶対に出来なきゃ話にならない。

これからもきっと沢山の人間に会う。それなのに毎回こんな事をしていたらすぐに死ぬ。

絶対に、制御しなくては。


幸いにもあの男は俺が全力で戦っても勝てないと解っている。

その上で俺に対する害意が何故かない。

なら、この呪いの様な感情を制御する練習相手になって貰うとしよう。

奴は俺のこの体の状態についても知っているらしいし、その辺りの認識もしなければな。


「兄弟、今回はへまをやらかしたが、次は上手くやる。俺は必ずお前に会いに行くぞ」


今回はおそらく運が良かった。

この俺が運が良かったなんて笑ってしまうが、間違いなくそれが正しい。

けど、次は運を介在させん。絶対に、絶対に会いに行くぞ、兄弟。

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