第536話ビャビャさんのお説教です!
ビャビャさんがアロネスさんに向けたものは、イナイの様な怒りをぶつけるものでは無かった。
彼女がした事は、ペチンと小さな音が響いた優しい平手。
それはどこか叱るような、静かに咎めるようなものだった。
ビャビャさんは触手の手だから、平手っていうのはちょっと違うかもしれないけど。
アロネスさんは平手をされた後、少し驚いた後に何ともいえない表情で彼女を見つめていた。
それを見たイナイが大きくため息を吐いて、少し落ち着いた様子を見せたので俺も間に入る。
若干情けないのは理解しているけど、動けなかったんですもん。
んで、とりあえず皆に落ち着いて話し合って貰おうと、お茶の場を用意する事にした。
返事を聞く前にテーブルを用意し、皆が大人しく席に着くのを見て安堵のため息を吐く。
良かった、素直に座ってくれて。
「えーと、少しは落ち着きました?」
全員の様子を伺いつつ、お茶を出しながら問う。
全く落ち着いていないのは解っているが一応表面上は静かになっているので、暴れないでねって気持ちを込め口にした。
さっきのイナイは本当に怖いので勘弁してほしい。
「う、ん。ごめん、ね、タロウ、さん」
「・・・おう、一応な」
「俺は最初から落ち着いてるよ」
ビャビャさんは声音は申し訳なさげな感じだが、体が相変わらず蠢いている。
イナイは一応と答えたが、鼻先にしわが寄っている時点で落ち着いているとは言い難い。
アロネスさんだけはいつもの飄々とした雰囲気に一見見えるけど、多分あれは違うと思う。
「で、てめぇ本国には何て報告するつもりだよ」
イナイは俺から受け取ったお茶を一口飲むと、アロネスさんに向かって口を開いた。
その声音は先程よりは落ち着いてはいるものの、やっぱりどこか怒りが見える。
それにビャビャさんが居るのに普段の口調な時点で平静じゃない。
そういえばビャビャさんは驚いてないのかな。多分初めて見ると思うんだけど。
「事実そのまま報告するに決まってんだろうが」
「てめぇがやった事も全部か?」
「当たり前だ。お前だって解ってんだろ。セルとブルベは俺の判断に賛同するぞ。ロウとアルネ辺りもな。俺達は感情論で仕事する立場じゃねえんだよ」
イナイの問いに当然の様に胸を張って応えるアロネスさん。
それは先程と同じように、一切揺ぎ無い声音だった。
セルエスさんなら確かに賛同しそうだ。ブルベさんも立場的に考えればあり得ると思う。
ウッブルネさんはどうなのかな。あれで優しいおじさんなんだけど。
アルネさんは最終的に上手く行くなら良いんじゃないかって言いそう。
「ガキ共に万が一があったらどうするつもりだったんだ」
「そんなへましねぇよ」
「けど発見が遅れたら万が一はあっただろう」
「今言ったぞ。そんなへましねぇって」
イナイが何と言おうと、やはり彼は余裕の表情を崩さない。
いつもならそれが頼もしく思えたり、呆れたり出来た。
けど今回は、今回の事に関しては俺も複雑な気分だ。
さっきの話と合わせて判断すれば、いくら俺でも彼が何をしたのかぐらいは解る。
彼は子供達に毒を盛ったんだ。それも自分が極力疑われない様に人を選んで。
硬鱗族の人達がどれだけ疑ったとしても、状況証拠すら一切出ない様に。
子供を狙った理由は解る。
単純に許容量の問題で、大人を狙うわけにはいかなかった事が一つ。
そして子供達を狙う事で、この土地で子供達を育てられないと思わせるのがもう一つ。
それはきっと、最終的な状況を考えれば正しい事だと思う。
あれらがいつから自生していたのかは解らない。
集落の人達がどれだけ毒素に汚染されているのかも解らない。
いつ彼らが倒れるかも解らない。
なら、解りやすく危険を見せる必要があった。
それに遺跡の事も有る。
彼らにはどちらにせよこの地を離れて貰わなきゃいけない。
様々な要因が、今回の事で片付く可能性が高い。
けど、子供に毒を盛った。
アロネスさんが、毒を人に盛った。
その事実がどうしても胸につっかえる。
例えちゃんと助ける気で、対策をしていたのだとしてもだ。
「も、う、いい。これ以上、は、無意味」
俺が悶々としている間にもイナイとアロネスさんの言い合いは続いていたが、ビャビャさんが途中で口をはさんだ。
相変わらず可愛い声。さっきまで怒ってたとは思えない静かな声だ。
いや、今も怒っているのかもしれない。体は相変わらず動いている。
けどその声はとても優し気で静かだ。
「イナイ、さん。貴女も、解ってる、はず」
「・・・それは」
彼女がイナイに静かに言うと、イナイはろくに返事を出来ずに俯いた。
悔しいような、悲しいような表情で。
「アロネス、さん」
「・・・なんだ」
「間違って、ない。貴方は、そう、言った」
「ああ、間違ったとは思ってねえ」
優しく問うビャビャさんに、さっきまでとは違う少し困った感じでアロネスさんは答える。
「じゃあ、何で、彼女の、怒りを、受け入れた、の。私の、平手を、受け入れた、の」
「・・・」
彼女の言葉に、アロネスさんは答えない。
ただ少し眉を寄せて、眉間に皴を作って彼女を見ている。
「確、かに、貴方は、結果的に、正しい。一切、間違えた、とは、思って、ない」
「・・・ああ」
「けど、違う、でしょう。『貴方自身』は、そう、じゃ無い、でしょう」
彼女の声は、とても優しい。
まるで小さい子に諭すような雰囲気を感じる。
貴方は仕方ない子だねと、そう言っている様だ。
「・・・あんた俺の苦手なタイプだわ」
彼女を困った表情で見ながらアロネスさんはそう言った。
そして一度天を仰いで深く息を吐き、今度は俯いてもう一度息を吐いてから顔を上げる。
顔を上げた彼からは、先程までとは違ういつものアロネスさんの雰囲気を感じた。
「イナイ」
「あんだよ」
「俺だって、こういう事はやりたかねぇよ」
「んな事知ってんだよ」
やりたくはなかった。ただそれが最善の手だと思ったから実行した。
何の感情も無く、嫌悪無く実行したわけではない。
そしてイナイはそれを感じ取っていたからこそ、謝らない彼に余計に怒りを見せた。
素直に言ってくれなかった友人に腹が立った。
・・・そんな所かな。
この辺りは流石に詳しくは解らない。
彼らの信頼関係はここ数年で出来上がったものじゃ無い。
俺には理解できない何かもきっと在るだろう。
こういう時は少し寂しいな。身近なはずなのにちょっと遠い所にいる気分だ。
「わりぃ」
「はんっ、最初っから素直にそう言え大馬鹿野郎」
素直に謝ったアロネスさんに、イナイは呆れたように返した。
多分これで全部納得したわけじゃないだろう。俺もまだ少しもやっとしている。
けど彼が今回の事を素直に謝った事で変なわだかまりは残らないと思う。
そう思っていると、ビャビャさんが立ちあがってアロネスさんに近づいて行く。
彼女の体の触手は蠢いていないし、多分もう怒ってはいないと思う。
どうしたのだろうかと見守っていると、彼女はアロネスさんの頭をなでた。
「ちゃんと、言えた、ね。良い、子」
彼女の言葉はどこまでも優しくて、心地よく感じる声だった。
撫でられている本人は物凄く困った顔してたけど。
あのアロネスさんが何も言えない相手って、中々貴重では無いだろうか。
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