第527話ミルカさんの今後ですか?

「ただいま」

「おかえり、ミルカ」


家の扉を開けて帰りの言葉を告げると、夫が笑顔で迎えてくれた。

見るだけで安心する、ぽやっとした笑顔。

彼を見ていると肩の力が抜けるのを感じる。


「・・・ただいま」


何となくもう一度ただいまと告げて、夫を抱きしめる。

相変わらず細いな。思いっ切り締めたら折れそう。

私より少し小さいから余計にそう思う。


「うん、お帰り」


夫はそんな私の頭をポンポンと優しく叩き、ゆっくりと撫でる。

この手の温かさで、ちゃんと生きてこの人の元に居ると実感できる。


「やりたい事は、全部出来た?」

「・・・うん」


夫の言葉に、抱き付いたまま頷く。

やりたい事は全部やり切った。


タロウには全てを見せたし、教えられた。

今は無理でも、きっといつかは使いこなしてくれる。

それにイナイが傍に居るし、シガルにも追いかけられている。

そんな状態で怠ける事は無い。タロウはそういう子だ。


ギーナにも、私じゃ通用しない事が知れた。

今の私じゃ届かないという事が判っただけでも良かった。

本当に全力で、全てを込めた殺す気の一撃が通用しなかった。


おそらく追撃をかけても勝てないだろう。

あれは私が動くまで彼女が動かなかったから出来ただけだ。

ハンデを貰った上で当てる事が出来たにもかかわらず、ギーナにはかなりの余力があった。

今の私じゃ何か奇跡でも起きない限りギーナを上回れない。

これじゃリンねえにも届かない。今の私は、結局その程度だった。


「全部、やり切ったよ。後はもう、家で大人しくしておく。もう隊にも、そう言ってきた」


けど総隊長職とドアズの名は、暫く保留とされた。

ワグナに譲ろうかって話をしたら、首がもげるんじゃないかと思う程横に振られてしまった。

なので私は休職扱いで代理がワグナという事になる。


隊の皆はさっそく「ワグナ総隊長」と呼んで揶揄っていた。

彼が「頼むから代理を付けて下さい」と必死に頭を下げたのには少し笑ってしまった。


うん、やりたい事もやらなきゃいけない事も全部終わってる。

ちゃんとやって来た。


「・・・やりたい事、やったのに、ね」


やり切った筈なのに、悔しさが込み上げてくる。

もうタロウに今の自分すら見せられないかもしれないのが悔しい。

これからはリンねえを追いかけられないのが悔しい。



私の業がギーナに通用しなかった事が、悔しくて悔しくて堪らない。



20年鍛えてきた。

戦えない筈の体を戦えるようにして、技術を身に付け、力も手に入れた。

止まらずに、ずっと鍛え続けていた。


けどその先に辿り着いた技すら、彼女をかろうじて転ばせる事が出来る程度。

あんな物、本気の勝負であればただのかすり傷だ。


「ハウ、私―――」

「良いよ、好きなようにやって」


私が何かを言おうとすると、夫は優しい声でそう言った。

その言葉に夫から少し離れて顔を見ると、彼は優しい笑顔を私に向けていた。

夫は呆然としている私の頭を撫でながら口を開く。


「昔言ったよね。君が君であり続けるのを止める気は無いって。君は君で良いよって」

「・・・うん、結婚前にも、言ってくれた」


夫は、彼は、拳しか知らない私にそれで良いと言ってくれた相手だ。

私は女らしい事は殆ど出来ない。仕事に関わる事はある程度出来るけど、それ以外は何もない。

ただこの拳を磨く事だけに人生を費やしてきた女だ。

彼はそんな私を、いつまでもそんな私で構わないと言ってくれた人だ。


「ミルカ、僕はミルカらしく生きている君が好きだ。君は君のやりたいようにやればいい」

「―――いい、の?」

「前にも言ったよ。心配はして気持ちは伝えても、君を無理に止める気は無いって」

「約束、破る事に、なるよ」

「破っても良いよ。許すよ。それで君が君らしくあれるなら、僕が愛したミルカ・グラネスであれるなら構わない」


嘘だ。

彼の本心は、本当なら今すぐにでも止めてほしい筈だ。

この子の為にも、私の為にも、無理はしないで欲しいと彼は思っている。

今だけの話じゃない。子供が出来た後も大人しく母親をしていて欲しい筈だ。

傍に居てほしいと、そう思っている筈なのに。


「ハウ、そんな事言うと、私甘えるよ?」

「良いよ。心配させられるのは一度や二度じゃない。僕は一生君を心配し続けるよ」

「そのうち髪真っ白になって、お腹も痛くなってそう」

「ははっ、ありえなくないなぁ」


私の言葉に、いつもと変わらぬ笑顔で返してくれる。

そんな彼の強さと優しさに、じんわりと目元が熱くなるのを感じる。


「―――大好き、愛してる。ううん、そんなんじゃ足りないって解ってる」

「いいよ、言葉なんて気にする必要はないよ」


これだから、私はこの人に惚れたんだ。

戦う力なんか無いし、下手をすればその辺の子供にも負ける。

とても家庭的で、傍に居ると女としての自分が霞む様な人。


「ごめんなさい。私は、私を通す」

「うん、それで良いよ。それがミルカだからね」


だけど強い。私よりも彼の方がよっぽど強い。

私は諦められない。自分を曲げられない。


一度は諦めるつもりだった。

この子の為に、彼の為に、今までのミルカ・グラネスを辞めるつもりだった。

けど、どうしても私には無理みたいだ。

この拳を磨く事でしか、私は私でいられない。


「子供は絶対守るし、絶対産むから。貴方との子供を産みたいから」

「うん」

「けど、母親としてはやっぱり失格だと思う。ごめんなさい」

「それを言うなら僕も父親失格だよ。君の気持ちを優先しているんだから」


親失格の夫婦の子か。生まれる前から迷惑な話だ。

けど、その分愛情はいっぱい注ぐから。だからごめんなさい。

やっぱり私は私を止められそうにない。まだ立ち止まれない。


「ハウ、心の底から愛してる。ありがとう。私の伴侶が貴方で本当に良かった」

「どういたしまして。僕も君を愛しているよ。だから無理しなくて良い」


本当にこの人は素敵すぎる。

私に無理をするなと、本気で言ってくれている。

本気で心配しているのに、本心から私にそんな事を言ってくれる。


お腹の子がこの人の子だと思うと、この子が一層愛おしく思える。

夫の子を産めるのが誇らしい。


「この子には、貴方の様な素敵な人になって欲しい」

「僕は君の様に強い子であって欲しいけどね」


良く言う。強いのは貴方の方だ。


しかし、やっぱり私はリンねえの妹だと実感した。

あの人の背中を追いかけてきた影響か、肝心な部分で我儘だ。

でも良い。それならそれで最後まで追いかけ続けよう。


私の最愛の人はそれを許してくれる。

ならもう立ち止まらない。私はずっと走り続けるだけだ。


それでも先ずは、この子を無事産む事が最優先だ。

流石にそれだけは変えるわけにはいかない。

・・・元気な子で生まれて来て貰わないとね。

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