第421話クロトは悔しかったようですか?
「ほう、そう来ますか・・・なら、これでどうでしょう」
「・・・あ、だめ」
私の指した一手に、目の前の少年が呟く。
表情は常に読めず、言葉も常にぼんやりした喋り方だが、おそらく今のは焦っているのだろうというのは解った。
「気が付きましたかな?」
「・・・負けた」
盤面をじっと見ながら、自分の敗北を口にする彼の頭を撫でる。
ほんの少し残念そうな気配を見せる少年を慰めようと思ってなのだが、どちらにせよ表情が乏しくて効果が有るかどうかも分かり難い。
「今回はさっきよりも早く気が付きましたな。どこで負けたか解りますか?」
「・・・ええと、三手前で、こっちに逃げたのが、ダメだった」
「正解です。逃げ場がもうなくなってますな。いえ、一時的には何とかなりますが、後が続かない」
「・・・難しい」
少年は盤面のコマを初期の並びに戻しながら、首を傾げている。
おそらく先程の勝負の問題点を頭の中で反芻しているのだろう。
この遊びは昔から趣味でやっている物なので、そうそう負ける気は無いのだが、彼の成長速度は目を見張る物が有る。
「クロト君は凄いですね。一局打つたび、どんどん強くなる」
「・・・でも、まだ一回も勝ててない」
「いやいや、もう何度かやれば、すぐに勝てるようになりますよ」
この言葉はお世辞ではない。
彼との勝負は既に何度目か解らないほどやっている。
だというのに、時間はさして経っていない。
これは単純明快に、彼の思考時間が短いせいだ。
最初こそ、何も考えずに打っているからかと思ったが、そうではない。
彼は、彼がその時最適だと思った所をきちんと考えている。
彼に足りないのは思考力でも、思考時間でもない。
単純に知識量と判断材料だ。
単純明快に『経験』が足りないのだ。
そこを埋めてさえしまえば、彼はあっという間に強くなる。
そしてそれはきっと、他の事でも生きて来る。
その思考の速さを、思考の使い方を他の場でも使えるようになる。
「・・・もういっかい、いい?」
「ええ良いですぞ。今日は一日休みですので、時間はいくらでも有りますぞ」
少年の問いに、笑顔で応える。
そもそも最初に誘ったのは私なのだ。否がある筈も無い。
珍しく城内の散歩などをしていたら、中庭で教本をじっと見ながら、一人で打っているのを見つけ、声をかけたしだいだ。
この遊戯は、城内ではやっている人間も少なく、例えやっていても時間が合わない事が多い。
久々に同じ趣味を楽しめる人間を誘うのに、戸惑いは無かった。たとえそれがクロト君であっても。
いや、彼だからこそ、声をかけたのかもしれない。
「そういえばクロト君、その教本は、誰に貰ったのですかな?」
「・・・お母さんがくれた。アロネスって人から昔誘われたときに貰った物だって言ってた」
喋りながらも、相変わらずほぼ思考時間ゼロで駒を進める少年。
この少年は、思考の分割の類が出来るのだろうか。
それにしても、なるほど、これは元々アロネス殿の物であったか。
あの方は何故か行く先々で娯楽も広めようとしていたな、確か。
「これ以外にも、色々と有ったのではないですか?」
「・・・うん、でも、これが一番楽しい」
「そうですか。それは、嬉しいですな」
「・・・嬉しい?」
「ええ、同じ趣味の仲間が出来たわけですから、それに」
そこで、その次は余計な事かと思い、口を噤む。
少年が私の事情を知ってるとは思えないが、もし知っていた場合気にしてしまうかもしれない。
「・・・それに?」
だが少年は、その時に限って、完全に手を止めて首を傾げながら私を見つめて来た。
基本的に盤面を見ながら喋っていたのに、この時に限って。
そのせいで思わず、素直な言葉が、口から漏れ出てしまった。
「孫と遊んでいるようで、楽しいのですよ」
「・・・そっか」
私の返事を聞くと、何かを気にしているのか気にしていないのか、さっぱり解らない表情で盤面に目を戻す少年。
余り気にしていない、のだとは思う。おそらく私の細かい事情などは、流石に聞いていないだろう。
息子どころか、孫にも先立たれているなど、言っても聞いても楽しい事ではない。
だが、こんな穏やかな時間が有ったと、懐かしくて口にしてしまった。
「・・・じゃあ、もしよかったら、時間のある時に、また相手してね、ヘルゾおじいちゃん」
「――っ」
何気なく言ったのであろうが、とても懐かしい言葉。
かつて孫にもこうやって教えていた時に、似たような事を言われた。
無論、孫よりもこの少年の方がよっぽど優秀では有るが。
それでも、懐かしくて、そこに孫が座っているようで、目頭が少し熱くなった。
「ああ、勿論。私で良ければ相手をさせて貰えるかな?」
「・・・うん、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
「・・・?」
私の快諾に礼を言う少年に、こちらこそと礼を告げる。
少年はその言葉の意味を図りかねたのか、相変わらずの表情で首を傾げて私を少し見つめたが、すぐに盤面に目を戻した。
いかんな、これでは、この少年を手放したくなくなってしまう。
どうにかしてウムルに置いておきたくなってしまう。
まったく、いい年して何を考えているのやら。
この時間をめいいっぱい楽しんで、それで我慢しておけ、大馬鹿者が。
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