第391話ハクの慰めですか?
ハクは微動だにせず、ただ僕を見下ろしている。何をするでもなく、僕の目の前に立って、ただ見ている。
ハクが何をしたいのか解らない。少なくともハクは僕の事が嫌いな筈だ。
だから、誰が探していても、ハクが探しに来るなんて絶対ないと思ってたのに。
「あー、えーと、嬢ちゃんは、この坊主の保護者じゃ、ないん、だよな?ていうか、それ言葉なの?」
動かないハクと、ハクを見つめる僕に事情を聞いてくる男の人。
ハクがさっき端的に答えた事への確認だ。
ハクの鳴き声が言葉として認識出来ることに驚きながらも、狼狽えずに会話を続ける。
『違う。こいつの保護者なんて、死んでもごめんだ』
「そ、そうか。ん、てことは知り合いなのか?」
ハクは表情を変えずに男の人に言い、男の人はハクの言葉からハクと僕が知り合いと判断した。
だがハクは、その言葉には答えずに、僕を見下ろしている。
「もしかして、嬢ちゃんと喧嘩して、ここで泣いてたとか?」
『違う。こいつが私と喧嘩したところで、泣くはずがない』
「えーと、なんか事情が良く解らんのだが・・・」
『私だって解ってない』
男の人の言葉に淡々と答えるハク。そこの声には、僕を心配してやってきたという気配はない。
気に食わない、面倒くさいという気配が見える。
『シガルに迷惑をかけるな』
「・・・うるさい、お前に何が解る」
ハクが気だるげに僕に言い放つ。それがとても腹が立って、思わず言い返した。
こいつは、僕の気持ちなんか解ってない。僕だって迷惑をかけたいわけじゃない。
お母さん達に迷惑なんて、好き好んでかける物か。
僕はお前と違う。ただそこに有るだけで、あの人達にとって良くない物なんだ。
人に望まれて生まれたお前たちとは違うんだ。
『解らないな。お前の気持ちなんて私は一切知らない』
「・・・だったら、なんでここに来た!」
全く余裕がないせいで、ハクの事がいつも以上に苛立たしい。あの記憶を引きずってるのもあるんだろうと思う。いつもならしないような叫びが出た。
こいつは、ハクは、きっとあの女に近しい存在の一体になってる。それが余計に僕を苛立たせる。
ハクという存在そのものが、僕の中で受け入れられない物になって行っている。
『・・・』
ハクは答えずに、もう一歩僕に近づいて来る。その瞬間、さっきまで有った苛立ちが、恐怖に変わった。
背筋が寒くなるような感覚を覚えながら、思わず後ずさる。
そんな僕を見ながら、気だるそうに一歩、もう一歩と歩いて来るハク。気が付けば僕は、壁を背にしていた。
「お、おい嬢ちゃん、坊主怖がってんじゃねえか」
『・・・知らん。私は何もしてない。こいつが勝手に怖がっているだけだ』
「いや、勝手にって、そんなわきゃないだろう」
ハクは男の人の言い分を聞かず、僕の前に立つ。その目は、さっきまでの面倒そうな目ではなくなっていた。
明らかな、怒りの目。敵意。殺意。どうあがいても、僕に対する害意しか感じられなかった。
『ああ、面倒くさい』
ハクは低く唸ると同時に殴りかかってきた。僕の頭の上から、打ち下ろすように拳を振るう。以前ならきっと受け止めた。けど今は恐怖が勝ったせいで必死になって飛びのいた。
僕がよけた事で、ハクは地面を思いっきり殴りつける。その攻撃は殴りつけた地点を大きく破壊せず、腕が綺麗に地面にめりこんだ。こいつ、本気だ。
「うおお!?ちょ、なにやってんだ嬢ちゃん!」
ハクは男の人の言葉に答えずに腕を引き抜くと、僕の眼前まで一瞬で迫る。その目は怒りしか感じられない。
身体変化こそやっていないけど、振るわれる腕を食らえば無傷では済まないと確信が持てる。
「っ!」
僕は黒を足元に覆い、黒の力で大きく上空に飛び上がる。そのまま黒い羽を広げ、街の外に向かって飛び出す。背後の様子を見ると、ハクが追いかけて来ていた。
その表情は、さっき殴りかかってきた時と変わらない。明らかな怒りの表情だ。
それが、なぜか怖くて必死で逃げようとする。
『逃がすか』
けど、声が真横から聞こえたのと同時に背中に強い衝撃を受けて、そのまま地面に激突する。転移で僕の少し前に飛ばれ、叩き落とされた。
黒で覆っていたから落下で怪我はない。けど、背中の痛みは無視できない痛みだ。
あいつ、どんどん近づいてる。そう遠くないうちに、あいつは本物になる。
「・・・痛い」
背中の痛みを口に出しながら、よろよろと立ち上がる。
ハクはまるで立ち上がるのを待つように、僕にゆっくりと近づいていた。
「・・・くそ」
怖い。怖くて体がうまく動かない。力自体は使えるのに、ハクが怖くて体がすくむ。
ハクの目が、殺気が、動きが、全て怖い。
このままここで殺されるかもしれない恐怖が、体の動きを鈍らせてる。
『・・・』
僕が立ち上がった事を確認すると、まっすぐこっちに向かって走って来た。
反射的に黒を固めて殴りつけるが、真正面から粉砕される。これじゃ足りない。この程度じゃこいつを止められない。
ハクはそのまま射程内まで踏み込むと、僕の胸に打撃を打ち入れる。
「あがっ・・・」
直撃を貰い、よろよろと下がる僕に、強烈な後ろ回し蹴りが上段から打ち下ろされる。
ハクは地面に叩きつけるように僕をけり落とした。跳ねて逃げる事も叶わない。ハクの蹴りの衝撃で、大地が割れる感触を体に感じる。
「がっ・・・かはっ・・・・」
痛むからだに呻きが漏れる。ハクの攻撃が、纏っている黒では防げなくなってる。
その事実を痛みとして認識していると、ハクが身体変化を使っているのが視界に入った。
その拳が、本物に限りなく近づこうとしているその拳が、倒れている僕の頭に振るわれる。
あれをこのまま食らえば、きっとさっきの比じゃない。下手をすれば、痛いなんて感じる事も無いかもしれない。
ああ、僕ここで死ぬのかな。ハクが何を考えてるのか解らないけど、その方が良いのかも。
こいつに殺されるなら、敵意を向けられる相手がこいつなら、そんなに辛くない。
お父さんに敵意を向けられるより、よっぽどマシだ。お母さんに冷たい目で見られるより、よっぽどマシだ。
僕はお父さんたちに嫌われたくなかった。だから、嫌われる前に消えれば、それも無いかな。
――――嫌だ。
そんなの嘘だ。やだ、死にたくない。消えたくない。このまま死ぬなんて嫌だ。このまま消えるなんて嫌だ。
こんな寒いとこで、こんな暗いとこで、こんな何もない所で消えるなんて嫌だ。こんな所で一人で消えていくなんて、嫌だ。
死にたくない。生きたい。生きていたい。
何よりも僕は、やっぱりお父さんの所に帰りたい。
ああ、そうだ。あそこに、お父さん達の所に帰りたい。
どんなに嫌われても、どんなにお父さんたちにとって相容れない存在だとしても、僕はお父さんの傍に居たい。
お父さん達と、一緒に、生きたい。
今更だ。もうとっくに思ってた事じゃないか。昔の記憶なんてどうでも良いって。
僕は、僕だって、そう決めてたじゃないか。
『ちっ!』
殴りつけた腕から血を吹き出して、ハクが舌打ちをする。
それを視認した後距離を取る。こっちも痛みが引いてない。無理に行っても反撃を貰う。
『ふん、少しはマシな顔になったじゃないか』
ハクは片腕を抑えながら僕を見る。その目からは、さっきの怒りが見えなかった。
『でもまだ足りないな』
ハクは腕を魔術で治療して状態を確かめると、また突っ込んで来た。
僕はさっきと同じように迎撃しようと、ハクの攻撃に備える。
意識して多くの黒を一点に圧縮し、全力のハクの拳に合わせる。さっきもこうやって防いだ。これなら、ハクも砕く事は出来ない。
『ぐうっ!』
ハクの拳は砕け、腕も折れる。けどハクは止まらない。
折れた腕で黒を押さえつけるようにして、無事な拳で僕に殴りかかってきた。
その間も、腕はズタズタになっている。僕が黒を引き戻そうとしているから、その力がハクの腕にかかっている。
でも間に合わない。ハクの腕が壊れるより先に、僕がハクの一撃をくらう方が早い。
ああやだな。折角帰りたいって素直に思ったのに。目の前に迫る拳を見ながら、そんな事を思う。
けどその時、ハクの目が視界に入った。怒りでもない。殺意でもない。何かを見極めるような目が見えた。
その目を見た瞬間、何となくイラッとした。何で僕こいつにこんな目にあわされてるんだ。
大体なんで僕がこいつに怖がらされて、こいつにあんな試す様な目で見られなきゃいけないんだ。
なんかそう思うと、なんだかますます腹が立ってきた。
「ふざけるな・・・!」
黒を頭に纏い、全力でハクの拳に頭突きをする。一瞬意識が飛びそうになるけど、何とか持ちこたえて後ろに下がる。
頭がくらくらする。体中痛い。
でも、調子が戻ってきた。体が動く。ちゃんと力が上手く使える。
向こうは片腕はボロボロで、普通の人間ならおそらくもう使い物にならない状態になっている。もう片方も、僕の頭突きで砕けてる。
ぱっと見は向こうの方が重傷だけど、あいつならあれぐらい何とかなる。
『ふん、ふざけてるのはどっちだ』
ハクは折れた腕に治癒魔術をかけながら、胸を張って言う。
ふざけてるのは間違いなくお前の方だ。
「・・・お前だ」
『いいやお前だ』
言い返しても、ハクは一切聞く耳を持たない。元々僕の言う事なんて聞かない奴だけど。
『お前は私に勝ったんだ。お前は強いんだ。それなのに怯えて前を見ないなんて許さない』
ハクの言った事を理解すると、何も言えなくなった。呆れてしまったから。
つまりさっきまでの行動は、単純にハクに勝った僕が、何かに怯えるような事をするのが気に食わなかったって事。
「・・・やっぱりふざけてるのはお前じゃないか」
『なんだとー!ちゃんと加減してやったのに!』
「・・・どこが。死ぬかと思った」
『したもん!ちゃんと加減してたもん!』
目の前の馬鹿の叫びに少し苛立ちながら、もうどうでもいいやと話すのを止める。
これ以上話してると、余計な事を言いそうだったから。
こいつなんかに、ありがとうなんて、絶対言いたくないから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます