第356話全力の一手ですか?
ここまで全力でやるのはいつ以来だろう。魔術そのものもそうだが、仕掛ける前の時点で、全力でやっている。
この勝負は、最初から全てを念入りに仕込んで仕掛けた。卑怯と言われかねない仕込みをして挑んでいる。
彼が断わればそれまでではあった。けど、彼はきっと断らないと踏んでいた。
ワグナの件で、力試しや訓練という名目なら、そうそう断らない人間だと判断していた。だからこそ、最初から仕込んで臨んだ。
彼に出会い、彼らに挨拶をし、彼の目の前で魔力を放ち、彼に魔術を仕掛けた私。
あれは、最初から幻影だ。あえて本物があるとすれば、取り出したナイフぐらいのものだ。
そして、だからこそ、彼はあの中のどれかが私だと思っている。どれかに本体が混ざっていると思っている。
実体のあるナイフを、何処からか投げているのだと。
ワグナとの勝負を見ていたおかげで、高い技量の体術、そして侮れない観察眼を持っている事が解っている。
その観察眼を持ちながらもあの幻影に違和感を覚えないのは、幻影全てが自然に動けているからだ。
彼の攻撃の威力は理解している。あれをまともに食らえば、私は一撃で動けなくなる。鍛えていないわけではないが、ワグナやバルフを下せるような一撃を貰って、立っていられるほど頑丈ではない。
そんな一撃を食らう可能性のある状況下で、いくら幻影を、認識阻害を駆使しようと、冷静にあの場に立っていられるわけが無い。
彼にその動揺を見逃してもらえるなど、希望的観測が過ぎる。すぐに本体を見破られて終わりだ。
けど、あれは全てが幻影。ナイフも、魔術で操作して放っている。
ただ彼は、ナイフにはあっさりと対応する。どれだけ魔力を隠そうが、彼はその身に迫る直前で気が付く。
全方位に目が付いているかのような敏感さで対応して見せる。当たり前に落とされる理由は、速度がまるで足りないのだろう。
ワグナの攻撃に、バルフのあの一撃に対応したんだ。その位は当然と思うべきだ。
そして一点を狙うような魔術では、彼には通用しない。当てるなら、発動した時点で既に着弾するような魔術でなければ当たらないだろう。事実、彼は私の魔術を躱し続けている。
だからといって、広範囲に攻撃すれば、当たるまでの間に転移で逃げられる。
何度も邪魔しているのに、当たり前のようにすり抜けて転移されている。魔術の阻害が通用していない。
そう、通用していない。何も。何もだ。
安全な位置から彼の位置を常に把握し、全方位から攻撃を仕掛け、徹底的に対処しているにもかかわらず、全てが当たり前にいなされる。
こちらは全力で魔術行使をしている。最低でも、私の存在を気取られないために、神経を尖らせている。魔術の、魔力の隠匿を、全力でやっている。
だというのに、彼は対処してみせる。すべての攻撃を躱し、防御してみせる。
勿論私の未熟が原因だろう。彼が当たり前に行使できる技術を超えられない私が原因だ。
バルフの時と違い、本気を出さずとも対処できる物しかないからだろう。
あの男、ほんの少し前まではあそこまで強くなかったくせに、あっという間に化け物になってしまった。
いや、元々素質は有ったから、当然と言えば当然なのかもしれない。単純な体術でも、元々ワグナより上だったのだし。
今のバルフが放つような恐怖を、身の危険を、死を、彼に感じさせられない。
きっとそれが原因。私の魔術が、彼の身に一切届かない事が、確実に彼が本気にならない理由。
なら、本気にさせてみせよう。私の本気をもって。私の全身全霊の一撃をもって。
詠唱のいる魔術じゃ駄目だ。発動までに時間のいる魔術は通用しない。彼が視認してから行動できる時間を与えてはいけない。
私が唯一、無詠唱で攻撃できる魔術。冷気と氷の魔術。それを使って仕掛ける。
相性が良いのか、この魔術だけは昔から無詠唱で使える。これならば通用するはずだ。
だが、普通に使っても躱されるだろう。
普通に顕現して、普通に飛ばしてぶつけるなどというのは、間違いなく躱される。
ならば、躱せない状況を作り出す。今までの攻撃を、全て布石にさせてもらう。
彼を挑発し、ここまでの攻撃が全て、彼を混乱させるための罠だったのだと。
詠唱など最初からいらず、加減をして見せていたのだと。
勿論、得意魔術を、唯一無詠唱で使える魔術を使っていなかった以上、私も本気とは言えないかもしれない。
けど、ここまでの魔術は全て、全力で行使していたんだ。全てを全力でやっていた。それが通じなかったからこその、奥の手。
奥の手を、全身全霊をかけた一手を打たないと通用しない。それを悟らせないようにしなければいけない。
強い言葉を使い、私自身の力を誤認させ、彼の底を、力を、引き出させようとする。
自分が現状で放てる最大火力をもって、彼の本気を引き出さんが為に、全てに全力をもって挑む。
ここまで繰り返して来た攻撃で、彼の意識は同じ攻撃に対する緩みが有るのは判っていた。また同じ目隠しだと、そう思うだろう。
そこでほんの少しでいい。私が魔術を構成し、放つための時間を稼ぐ時間を作る一瞬の罠。結果は上々。彼は上手く引っかかってくれた。
その足止めは簡単に破壊される。だがそれでいい。その時間さえあれば、この魔術ならば私は行使できる。
そしてこのタイミングならば、彼は本気を出さないと対処できない筈だ。
さあ、見せてみろ。あの時の力を。あの時の魔術を。
あの恐怖を、私に見せてみろ。
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