第337話セルエスさんの報告ですか?
「たーだいまー」
ノックも無く、唐突に入って来たセルに苦笑いで返し、作業の手を止める。
一応報告そのものは既に来ているが、直接話したい事でも有るのだろう。
「おかえり。お疲れ様」
「んー、今回はそうでもなかったわねー。自由に動けたから楽だったわー」
「みたいだね」
「多分次はもっと自由に動けるわよ。というよりも、当てにしてくると思う。そんな感じだったわー」
今回の事が上手く解決した場合、恐らくは、そうなるとは思っていた。
あの国は、武力を持っていない国だ。多少の治安部隊程度の規模しか、存在していない。
組合員を集めた方が、よほど戦力になる。
亜人戦争の時は、他国も共に戦い、その役割分担が存在していたが故に、あの国は変わらずに有った。
だが、今回は違う。人族が人族の地に攻め入った。いや、攻め入ろうとした。
あの国は亜人戦争以外で攻められる対象になった事が無い。だからこそのあの国の穏やかさであり、同時に緩さでも有った。
今回その緩さが、命取りになりかねなかった。
勿論、戦争時に食料の支援や、戦後も良くしてくれている国である以上、見捨てる気は無いが、それでもうちの国とて万能じゃない。
今回は偶々、あの国の内乱の延長線上に面倒事が存在したから、直ぐに対応できただけだ。
「スィーダ王は、どうだった?」
「うーん、若いわねー。単純に年齢じゃ無く、精神的に若いわー。子供って言っても良いわねー。頭は悪くないみたいなんだけどねー」
「そうだろうね。でなきゃ、あんな暴挙には出ない。仮にも一国の王がやる事じゃない」
「周りを引き込める内容か、単独でも勝算が有るならともかくねー。ちょっと無謀すぎるわねー」
一応、報告にあるだけの情報でしかないが、現スィーダ王は、馬鹿ではない。
あの国と私達の関係、その国力を、互いの戦力差をある程度は理解していた筈だ。
だが、その上で、理解した上であの王は行動に出た。
勿論身内が危険だったという事も理由にはなるだろう。だがそれでも、宣戦布告もせず、ただ感情に任せて国を攻撃するのは愚行にも程が有る。
それでは、周囲の国に、手を択ばず攻撃することを良しと言っているようなものだ。
もし、そうなっていたら、私は真っ先にかの王の首を取り行っただろう。そんな物が長引けば、一番の被害は罪のない民に行く。
どれだけ不評を買う事になったとしても、最短で解決する手段を取る。
「大事にならなくてよかったよ」
「そうねー。良かったわね。兄さん、万が一の時は、スィーダ王を自分が斬りに行くつもりだったでしょー」
内心の覚悟を、見透かしたように言う妹に、また苦笑してしまう。
「まあ、セルが行った以上、有りえない万が一だけどね」
「ええ、そうねー。もしそんな愚を決行できていたら、あの場で全部吹き飛ばしたからねー」
「最悪の結果は勿論の事、そっちにもならなくてよかったよ」
セルは今回、スィーダ軍がセルの到着より前に来ることが叶わなかったからこそ、温情をかけた。
誰も殺していない、攻め込んでいない。あくまでその事実がある以上、セル自身に、彼らを攻撃する理由は無い。
だから警告で留めたし、スィーダ王を止める提案にも乗った。
だがもし、彼らが警告を無視していれば、たとえその事実が有ったとしても、セルは行動に移っただろう。
セルは、そのあたり、一切の容赦がない。
「一応、こっちの力の一端は見せておいたし、軽く脅しもかけておいたから、派手に動くことは無いと思うわよー?」
「軽く、か。セルの軽くは怖いな」
恐らく、軽くと思っているのはセルだけで、向こうにしてみれば心底震え上がる脅しだったんじゃないだろうか。
少々、スィーダに同情の気持ちが芽生えるが、彼を留めるにはその位でちょうどいい。
そして今回の事で、スィーダ王にとって愚行を行うに至るような、大事な人間であるベレセーナ元王妃は、きっと人質として要求される事になるだろう。
スィーダが不穏な気配を見せれば、それは即座に彼女に害が行く形になる。
それ自体はあまり好ましく思えないが、流石にそこは私達が口出しする事では無い。謝罪と賠償の話をする国同士で決める事だ。
彼はウムルの、いや、セルの圧倒的な力を見てしまった。
単純に、正々堂々の戦争を仕掛ければ、あれと相対する事になる事実を知ってしまった。
ギレバラドアに非が有るならば、私達も動きにくい。だが、そうでないなら、あの国は私達と事を構えることになる。
ただ、前からその認識は有った筈だ。だが、その中に『セルエス』という脅威が認識されていなかった。
私達の力量が、彼の認識の範疇外だと、理解できていなかった。
今の彼にはそれが有る。である以上、私達の干渉を避けられないと解っている以上、ギレバラドアの要求には逆らえないし、彼が強硬策を取る事は、一切の生存の可能性なく、滅びを迎えることになる。
それは同時に、自分が大事に思っている人間達を殺す事だと、母も、仲間も、全てを殺す行為だと、理解している筈だ。
もし、万が一、理解していなければ。
「その時は・・・」
「はいはい、一人で思考に耽らない。戻ってきてー兄さんー。大丈夫よー」
スィーダが、もし無謀な事をしようとした際の事を考えていたら、セルに現実に引き戻される。
とはいっても、実時間はそこまで長々と考えてはいない。
「あ、ああ、すまない、セル」
「考えすぎるの、良くないと思うわよー。これでもし馬鹿な事するなら、もうそれはしょうがないわよ」
ほんの少し、堅い声音でしょうがないというセルエス。しょうがないで片づけられてしまうのが、妹の強い所だ。
本当に、立場を交代してほしい。
「やっぱり、セルの方が王に向いてるね」
「じょーだんじゃないわよー。無理無理ー。私、やりたくない事はなるべくやらないものー」
「この書類の事かい?」
「そっちもだけど、そっちじゃないわよー」
セルの言葉におどけて書類を抱える。本当に毎日毎日終わらない。終わらせても終わらせても次が来る。
だがセルは、それもやりたいわけでは無いけど、そこじゃない。
セルは、自分では人の心を恐怖で抑えられても、人の心をつかむことは出来ないと思っている。
「私はどこか、ずれてるものー。リンちゃん達が居なかったら、もっとひどい人間だったと思うわー」
「そうかな。私はそうは思わないけど」
「それは兄さんが優しいからよー」
私だって、誰にでも、何処までも優しい訳じゃない。優しくなれない相手だって存在する。
その優しくできるふり幅が、少し大きいだけだと思う。
「まあ、なんにせよ、助かったよ。セルエス」
「うん。あー、そうそう、イナイちゃんの事、許してあげてよねー?」
「解ってるさ。それに接触してきたのはあちらだ。姉さんからは音声記録も届く手筈になってる。問題ないよ」
「流石イナイちゃん」
スィーダ側から接触し、スィーダが非を認めるまでの会話の全てを、イナイ姉さんは録音している。
今回の事でウムルが裏で糸を引いてると、また面倒なことを言って来る連中が現れた時用に、ちゃんと記録しておいたそうだ。
用意周到で、やはり頼りになる人だ。抜け目がない。
「ある意味では、姉さんのおかげで、誰も傷つかずに済んだんだ。私にとっては何よりだよ」
「そうねー。でもそういう意味なら、一番の功労者はタロウくんよー?」
「ああ、そうみたいだね。彼にもそのうち礼を言わなければ」
報告によれば、彼女に接触したのはタロウ君であり、それも完全な偶然。
その後の対策も、彼女を放置せず、彼女にイナイを頼る形に持って行かせた。
全ては偶然だが、その偶然のおかげで丸く収まった。
勿論、何もかもが全て丸く収まったわけでは無いけど。それでも、戦いが始まり、大量の死傷者が出る事態だけは避けられた。
「彼は、あまり目立つのは、好きではなさそうだった印象があるけど、どうかな」
「多分正解ー。個人的にこっそり言う位でちょうどいいわよー」
「そうか。なら式の際にでも、個人的に話そうかな」
それなら、多少人の目が合ったところで、特に問題は無いだろう。何より彼はイナイ姉さんの夫になる人間だ。
流石に多少の人の目位は許容してもらわねば。イナイ姉さんの為にも、そこは譲れない。
「なんとなく、何考えてるか分かるけど、イナイちゃんは別に式は興味ないのよー?」
「姉さんはちゃんと式しないとだめだよ。あの人はいろんな人に祝われるべきだ」
「・・・兄さん、イナイちゃんの事になると、むきになるわよねー」
「そうかな」
「そうよー」
自分ではそこまでむきになっているつもりは無い。ただ、あの人には幸せになってほしいだけ。
頑張って、頑張って、私達を支えてくれたあの人が幸せになれないのは間違ってる。ただそれだけ。
「まあ、イナイ姉さんの意志に反してまでやるつもりは無いよ」
「どうかしらねー」
流石に姉さんが本気で嫌ならやらないよ。残念だけどね。
「まあ、私達の式の準備ももう終わるし、一度帰ってきてもらうようにも伝えたからねー」
「解った。ありがとう」
「じゃ、喋りたい事喋ったし、帰るー」
「ああ。彼によろしく伝えておいてくれ」
セルエスの結婚相手とは、旧知の中だが、最近忙しくて全く顔を合わせていない。
無論向こうも同じように忙しいからだけど。流石に式の直前には、顔を会わせたいな。
「はいはーい。じゃあねー」
「お疲れ様」
セルは入って来た時と同じように、適当にドアを開けて出て行く。
足音が聞こえない辺り、出てすぐ転移したのだろう。一応セルなりの礼儀なのか、いきなり部屋に転移や、部屋から転移して出るという事はしない。
緊急時はその限りじゃないけど、一応セルなりに気は使っているらしい。
「さて、再開するか・・・」
妹との会話で少し気分転換できたので、私はまた戦いを始める。勝利の見えない果てなき戦いを。
「いつになったら終わるかなー・・・」
書類の束を見つめ、遠い目に成りつつ、作業の手は止めない。
ああ、最近稽古の時間が一番楽しいって、本当に疲れてる。
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