第310話今回は諦めるのですか?

「おーい、そろそろ昼食だよー!」


下の方から、老婆が叫ぶ声が聞こえる。見ると、少し大きめの手提げを片手に、にこやかにこちらに手招きをしていた。


「わかった!今行く!食事だそうだ、行くか」


叫んで応え、相棒に声をかけ、段々畑を降りていく。高さとしては相当なものだが、降り易く通路が作られているので、下まで降りるのにそこまで長時間はかからない。長時間かからないというだけで、そこそこの高さなので、やはり少し時間はかかるが。


「なんで自分たちは、農作業してるんでしょうね」


ため息を付きながら、相棒は俺の後ろを付いて来る。


「宿の支払い代わりだろう?」

「家の掃除だけでいいって言われたじゃないですか」

「退屈だった」

「貴方は掃除してませんからね!」


俺の答に相棒が怒鳴る。そんなに怒鳴らなくてもいいではないか。それに暇だったのも事実だが、単純に農作業に少し興味が有った。

ここまで広大な農地を見たのは初めてだったので、個人でどこまでの作業が出来るものかと、少し気になった。

やって見て分かったが、全く終わらん。広過ぎるし、かなり作業量が多い。人手がない広大な農地と言うのは、あまりにも重労働だ。これをあの老婆たちはやっているのだから、頭が下がるな。


「しかし、農作業も、案外楽しいな」

「家捨てて農家やるとか言い出さないで下さいよ」

「はっはっは。出来たらいいな」

「貴方が言うと冗談に聞こえないので止めて下さい」


冗談に決まっている。流石にすべてを捨てて逃げる程の能力は無いし、簡単に捨てられる程、何も持ってないわけでもない。

持っている物を守る為にも、逃げることは許されない。相棒意外の部下は、国で帰りを待ってるしな。


「それにしても・・・」


俺は畑を3分の1辺りの位置から、上を眺める。山一つを切り開いた段々畑。この畑は、たった数日前には無かったそうだ。

ほんの数日前。本当につい最近まで、何の手も入っていない山だったそうだ。それを、たった二人の人間がここまで開いた。

お伽話か何かかと思う。だが、あの老婆自身も、自分の目で見た事だというのに、未だに信じられない気持ちだと語っていた。


「どうしました?」

「いや、俺が追っている人間は、悉く想像外の生き物のようだと思ってな」

「ああ、これですか。おそらくあの街の事もそうですけど、これも、本人の記録に詳しく残る事は無いんでしょうね」

「そうだな。きっとそうだろう」


タナカ・タロウの記録。それは、確かに国を救った英雄として有った。だが、ただそれだけだった。

奴の記録は、あの国で秘蔵され、国外には人の口からしか語られないお伽話となる。勿論組合本部に行けば、奴の仕事と、業績の記録はあるだろう。

だが、奴は、偉業を成し得た人間としての権利を放棄した。何を思ってかはわからんが、奴の記録は、悉く口伝のみで語られる、あやふやな物になっていくだろう。

奴の成した事が確実に語られるのは、あの国の中だけ。後は草を放っている国が、眉唾物の伝説を語り聞くことになるだけだ。


「王女殿下は、どうも奴の事をあまり話したがらなかった。入れ込んでいるとの外聞のわりに、あまりに口が堅い。

もしや、作り上げられた人物なのかと疑ってしまいそうになった」

「ですが、確実に存在はします。あの街で、タナカ・タロウの名を知らぬ者のほうが少なかったので。表の人間も裏の人間も」

「あの街での外聞だけならば、大凡は気の良い、穏やかな少年、だったな」

「ええ、一部の人間以外は、ほぼ口をそろえて言っていましたね。戦いの場に出る性格の人間ではないと」


穏やかで、優しく、どこか気の抜けた雰囲気の有る少年。奴を知るらしき者達から入ってくる情報は、殆どがそれだった。いくつかの例外を除いて。


「だが、奴はその力を示している」

「ええ。だからこそ、何がしたいのかわからないのが、不気味ですね」


子供達に揶揄われても穏やかに笑う人物でありながら、自身に牙をむいた貴族の腕を容赦なく切り落としたという話も有った。

大量の亜竜を単独で倒し、街を跡形なく焼き払う魔術の技量が有り、体術でもあの国の騎士達複数人を圧倒する技量を持ちながら、自身で土地を切り開く技術も有り、その辺の店が顔負けな料理を振る舞う腕も有る。

どういう人間で、何が成したいのか良く解らない。少なくとも、この段々畑は少し作りは甘いものの、キチンと使える形で仕上げていたと老婆が言っていた。

つまり、農業の知識も、多少はあるという事だ。


「薬の知識も有るみたいですし、話によると、錬金術も使えるみたいですよ」

「知れば知る程、人物像がぼやけて来るな」


他にも、孤児院に私財を使った事や、裏家業の者達の拠点に乗り込んだりと、穏やかなのか激しいのか、さっぱりわからん。

奴の人柄に詳しいという男には、タナカ・タロウはただの馬鹿だと言われたが、ただの馬鹿があのように様々な知識を持つはずも無く、あの少年も王女殿下と同じく、語りたくない何かが有るのだろう。


「そういえば、あの少年は残念だった」

「あの少年?ああ、宿の少年ですか」

「ああ、あれは良いぞ。将来化けるぞ」

「でも断られちゃいましたからね。しょうがないでしょう。彼、どうやら王族のお気に入りのようでしたから」

「組合支部の長か。確かにあの男は曲者だ。言いくるめられる気がせん。むしろ良い様に遊ばれそうだ」


王族でありながら、王族の座を捨てた男、だったか。だが、王位継承権は完全になくなったわけでは無く、最下位だったと思うが。

まあ、あの国は危険な国だったので、手を出せないが故に、そこまで詳しい情報を集めてない事が悔やまれる。

宿の親父も誘ってみたが、にべもなく断られた。


危険な国だったというのは語弊があるか。


「しっかし、また面倒な国が増えたことになった」


今までは攻めなければ良いだけだった。だが、あの国の背後には、大国が控えている。

ウムルとリガラット。まさかの二国だ。相対する二国と手を組んだ国。普通ならどちらかに咎められる事案だが、どちらの国もそれを良しとしている。

つまり、あの国に手を出すことは、化け物共を大量に相手にすることになる。


「王女殿下からの言葉を信じてるんですか?」

「お前は信じていないのか?」

「・・・どうでしょうね。常識から考えると、あまりに荒唐無稽すぎて」

「俺は、真実だと思うぞ」


でなければ、俺を脅したりなどするものかよ。ウムルとリガラットの紋章の入った置物をわざわざ見せつけるように部屋に飾るものかよ。

あれは警告だ。余計な真似はするなと言う警告だ。


『あの方の事を調べるのも、追うのも自由ですが、その身に不幸が起こらぬよう、お気を付けください』


俺の身分を知った上であの発言だ。あの女は、帝国なぞ、何も問題視していない。間違いなく、あしらえると踏んでいる。

あの国の兵にそんな力は無い。見た限り、騎士ですら、俺でも勝てそうだった位だ。


「それはそれとして、そろそろ帰らないとダメな時期なんですけど」

「・・・だなぁ」

「まさかこんなに追いつけないと思って無かったでしょう」

「・・・王都を出た時期と、途中の街に留まった期間のわりに、移動速度が速すぎる」


普通なら追いついている筈だ。いや、追いつかずとも、もう少し傍まで迫っている筈だ。

だというのに、あいつらはここで数日暮らしておきながら、既に俺達より数日前に出ている。馬車の類は使っていないと聞いているんだが・・・。


「流石に、今回は諦めるしかないか」

「国元に新しい情報集まってるかもしれませんし、その方が良いかもしれませんね」

「新しい情報、か。そういえスィーダの内乱はもう終わった頃だろうか」

「終わってる頃でしょうねぇ。こんな山奥じゃ、情報なんて来ないので全くわからないですけど」


スィーダの王子もそこそこ腕が立つと聞いていたんだが。結局動かなかったのか、噂だったのか。

どちらにせよ、俺には関係ないか。


「お疲れ様ぁ。はい、お水とタオル。疲れたでしょ」

「おお、ありがたい」

「ありがとうございます。助かります」


降りてきた俺達に、にこやかに水とタオルを差し出す老婆に礼を言って、水を飲む。山で取れる冷水らしいが、汗をかいた後ならばたとえ生ぬるくても許せる。美味い。


「お嬢ちゃんも、汗だくになるまで頑張ったねぇ」

「え゛」


老婆はそう言って相棒を労うが、言われた本人は何とも言えない声を出して狼狽えている。面白いからもっとやっていいぞ。


「あ、あの、俺、男なんですよ」

「あら、そうなのかい?綺麗な顔してるし、線も細いから、てっきり女の子かと思ったよ」

「あっはっはっは!!」

「笑わないで下さい!五月蠅いですよ!」


最近背も大きくなって言われることが減ってきたが、汗をかいた事で上着を脱ぎ、体の細さが目立ったのだろう。

普段は大きさを誤魔化す為に、中に何か入った上着を着ていることが多いからな。


「まあ、怒るな、有りがたく食事を貰おうじゃないか」

「・・・全く」


俺が手提げを開き、中身を相棒に向けると、相棒はむすっとしつつも食事に手を出す。


「あらあら、仲がいいわねぇ」


その光景を見ながら笑う老婆の言葉が、なんだか少しおかしくて、楽しくて、心地よかった。

いいな、この地は。けど、ダメだな、この地は。とても心地いいが、何かが鈍る。ここは早めに出なければいかんな。

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