第239話来るべき日が来たのですか?
自室で書類の精査をしていると、扉を叩く音が室内に響く。
「なにか」
それに対し、短く答える。
「タロウ様が、お見えです」
侍女が、扉越しに告げる。
それを聞いた瞬間、手が止まる。どくんと、心音が鳴る音が聞こえる気がした。
いや、まだだ。まだ肝心なところを聞いていない。
「タロウ様お一人で?」
もし、一人ではないなら、きっと。
「はい、お一人です」
ああ、そうか。とうとうその日が来たのか。来てしまったのか。
理解してしまうと、急に息苦しくなった気がした。体の感覚が、浮いているような、地に足がついていないような感覚になっていく。
手汗が、すごい。
「出迎えに行く」
それらを表面では出さないように、努めて静かに侍女に告げ、書類をとりあえず端に追いやり、部屋を出る。
「いつもの部屋にて、お待ち頂いております」
客人を待たせるための部屋に待たせている、か。別にあの方ならば直接ここでも構いはしなかったが。
兎角、会いに行こう。まずは、それからだ。
部屋に向かう城の廊下が短く感じる。あっというまに、部屋に着く感覚を覚える。
あの人に会いたくない?いや、そんなわけがない。会いたい。顔を見たい。声を聞きたい。あの人に触れたい。触れて欲しい。
けど、だけど、きっと――――。
気が付くと既に部屋の前まで来ていた。思考を止め、扉を叩く。
「はい、どうぞ」
どこか緩い、まったりとしか雰囲気のある声が扉の向こうから聞こえる。
ただそれだけで、愛おしくなる。それだけで、嬉しくなる。なのに、この扉を開けたくないと、心の奥底が叫んでいる。
「失礼致します」
扉を開け、頭を下げる。
顔を上げると、いつもと違う雰囲気で、タロウ様が立っていた。
それで察せてしまった。確信してしまった。予想が正しかったと。
この人が一人でここに来るはずがない。この人が好き好んで王城に来るはずがない。この人が一人で、私に会いに来るはずが、ないんだ
「本日は如何致しました?」
そんな感情は一切表面に出さず、笑顔で問う。
違っていて欲しいという、一縷の望みを託して。
「えっと、その」
言いにくそうな表情と声音。相変わらず優しい声音。
おそらく次は、顔を外に向けるか、目線をそらして、言い出すのだろう。この人は言いにくいことは、そうする癖がある。
あれからずっと、この人を見ることが出来る時はずっと見ていた。だから、わかる。
そう、思っていたのに。
「俺達、そろそろ、別のところに向かおうと思ってるんです」
目を逸らさずに。まっすぐにこちらを見て、どこか申し訳なさそうな顔でそう告げた。
「そう、ですか、寂しくなりますね」
少し、予想外の事に動揺しつつも、タダ寂しくなるなという、ただそれだけに見えるように表情を作る。
「それで、その、君には、ちゃんと言っておかないとと、思ったんです」
――――来た。
「大事なお話ですか?」
分かっている。何を言われるのかなんて分かっている。聞きたくない。耳を塞ぎたい。この場からすぐにでも逃げ出したい。
「大事な、話です」
けど、辛い顔も、悲しい顔もするわけにはいかない。だって、こんなに申し訳なさそうな顔で、この人が目を逸らさずに、まっすぐに言うんだから。
「王女様の気持ちは、良く解ってるつもりです。本当に頑張っているのも知ってます」
「――――」
息が詰まった気がする。上手く呼吸ができない。苦しい。辛い。
「でも、ごめんなさい。貴女のことは、どうしてもそういう目では見れません」
胸が苦しい。体の感覚が自分でよくわからない。
目を逸らさずにそれを告げるあの人の事が、とても愛おしいのに、その人が紡ぐ言葉が胸を締め付ける。
「クエルエスカネイヴァドさん」
――――初めて、名前を呼ばれた。
それがとても。とてもとても嬉しくてたまらない。そんな嬉しい事なのに、告げられる事が一番聞きたくない言葉なんて、なんて皮肉。
「あなたの覚悟も、気持ちもすごく嬉しい。けど、俺一人に全てを捧げるには、まだ貴女は若すぎると思います。最後まで一人なんて、さみしいことは言わないで欲しい」
一度も目を逸らさずに、本当に申し訳なさそうに、私に告げる。
なんでこの人はこんなに優しいんだろう。なんでこんなに暖かいんだろう。
告げられてる言葉は別れの言葉だ。間違いなく私は振られているのだ。けど、彼の言葉から彼の優しさを感じてしまう。
辛いのに嬉しい。今現在振られているのに、尚好きになってしまう。
この人は私なんて興味がなかったはずだ。一切の興味が無い相手だったはずだ。
いや、それどころか、国に、父に、そして私自身にも害を与えられた。なのに、そんな私に、こんな言葉を言うんだこのひとは。
この身は、切り捨てられていてもおかしくない。それだけのことをやった自覚が有る。
一切の興味も持たず、ゴミのような目で見られていてもおかしくない。それだけのことをやった覚えが確かにある。
なのに、なのにこの人は。あくまで、この人は、私の好意を受けられないことを申し訳ないと。あまつさえ私のことを案じている。
ああ、本当に。この人に惹かれたのは、間違いじゃなかった。この温かい人を好きになるのは間違いではなかった。
どうしようもない。もはや私はどうしようもない。たとえ振られたのだとしても、異性としての興味がないのだと言われたのだとしても、どうしようもなくこの人が好きだ。
だから笑え。いつものように笑顔を作れ。この人にこんな顔をさせるな。
「ありがとうございます」
ニッコリと笑い、彼に礼を言う。すると彼は驚いた表情でこちらを見る。おそらく、礼を言われるとは思ってなかったのだろう。
「ちゃんと、私の想いに、応えてくれたこと、嬉しく思います。それが例えどんな形であっても」
あくまでも悪いのは自分だというていで私に告げた彼に、感謝を。本心からの感謝を告げる。
そこの奥底に確かにある、悲しさや、辛さは一切出さずに。
「・・・タロウ様。改めて申し上げます。私は、あなたのことを、お慕いしております」
私があえてもう一度、自分の気持ちをきちんと告げた事に、彼は困った顔をする。
「タロウ様のお気遣い、嬉しく思います。ですが、私はあなたをお慕いしています。
それはあなたに見られていないとわかっていても、どうしようもなく、あなたを慕っているのです。
だから、そんな顔をしないでください。私は嬉しいんです。あなたの事を、好きになって良かった」
この人に出会えなかったら、きっと私はくだらない女だっただろう。つまらない女だっただろう。
いまでも、根っこの性格は変わってない自覚が有る。どうあがいても私は私だ。けど、それでも、この人を好きな自分なら、この人の優しさを知った自分なら、以前の自分よりはマシだと思っている。
だから、曲げない。この人を好きなことを、諦めない。今の自分なら、この人のことが好きな自分なら、人に誇れる自分になれそうだから。
だから、迷惑だと思います。申し訳ないと思います。相変わらず性格の悪い女のやることだと思います。けど、だけど、せめて。
「あなたのことを好きで、いさせてください」
貴方のそばに居られなくてもいい。たまに思い出してくれるだけでもいい。
「私は、この国で、責務を果たします。それは、それなりの立場につくことになります。
だから、もし、私が力になれそうなことがあったら、私を思い出してください。それで、十分です」
せめて、この人の記憶に、片隅にでもいい。キチンと残る私でいよう。
胸を張って、笑顔で、この人の優しさに応えよう。
「・・・それで、いいんですか?」
「ええ、いいんです」
それでも、悲しそうな、辛そうな顔をする彼。優しいな、本当に。
「・・・つらいなら、こういう時ぐらい、ちゃんと泣いてもいいと思いますよ」
――――一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「私は大丈夫ですよ」
大丈夫なはずだ、ちゃんと笑顔なはずだ。そのはずだ。
けど、彼は私の目元を拭う。
「君にとって辛いことを言っているのは分かっています。だから、君に応えられない俺に、文句のひとつぐらい、言ってもいいんですよ。泣いたって、いいんですよ」
「わた、わたし、は」
笑顔だったはずだ。ちゃんと笑顔だったはずだ。そのはずなのに、なんで、なんで。
「君は、最近頑張りすぎだと思いますよ」
そう言って、いつかのように、頭を撫でられる。
ただそれだけで、張り詰めたものが切れたように、涙が溢れだした。
「ふあ、あ、うあ、うああ、ああああああああ!」
思わず、彼に抱きつく。頭なんて全く働かない。いつものようなふりなんてできない。
ずっとこれが欲しかったんだ。あのときからずっと、これが欲しかったんだ。
この人の優しい声と、言葉と、手と、体温を感じたかったんだ。
「わたし・・わたし・・・本当に・・あなたの、ぐすっ、ことが・・・うああああああ」
なりふり構わずに、言葉にならない言葉を告げながら泣く。あなたが好きだと。本当に好きだと。
「うん、ありがとう。ごめんね」
彼は優しい声で礼と謝罪を何度も口にし、私が泣きやむまで、ずっと、抱きしめてくれてた。
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