第211話ハクは心の整理をつけられるのですか?
「・・・広いな、ここは」
パタパタと羽を動かしながら、ゆっくりと船内を飛ぶ。
客室の通路を抜けた先に、人の気配が多い部屋がある。扉が無いので覗いてみると、中には人が沢山居た。
そこに居たものたちは私の姿を確認すると、一様に驚いた顔を見せる。
なんだろう、入っちゃだめな所だったのかな?くるりと方向転換し、外に出ようとすると、声をかけられた。
『ハク殿、いかがされました?』
温和そうな雰囲気を持った老人が、私に話しかけてきていた。
見覚えがあるけど、名前が思い出せない。
『私の事はお忘れですかな?』
「顔は覚えてる。名前は覚えてない」
『なるほど、そうでしたか』
そんな心情を読んだような言葉をかけてくる老人に、素直に答える。
老人は別に気を悪くした風でもなく、にこやかだ。
なんだろう、何か用なんだろうか。
『では、自己紹介を。私の名はヘルゾと申します』
ヘルゾ。ああ、そういえばそんな名前だった気がする。
ブルベの家にいた時と、ここに来た時に会った。
「私に、何か用?」
『用というわけではありませんが、何やら彼らの視線を感じ、出て行かれようとしているように見えましたので』
「うん。入ったらダメな所なのかなって」
『・・・なるほど』
老人は私の発言に何かを思案する仕草を見せたが、直ぐに笑顔になった。
『ここは皆が利用できる休憩所、談話室、ですかな。なので、何も問題はありませんよ』
「そう」
だとしても、別にここに長居する気はない。人が多い上に、こちらを見られるのは、嫌だ。
いつもならそんな事、これっぽっちも気にしない。けど、今はなんとなく、嫌な気分だ
「でも別にいいんだ。ただうろついてるだけだから」
『そうでしたか。余計なお世話をしましたかな?』
「ううん。気遣いはありがとう。じゃあね」
私は老人に礼をいって、その場を離れる。またパタパタと羽を動かしながらゆったりと飛んでいく。
その道中に遭う人遭う人、皆私を見ると、緊張した感じになるか、そわそわした感じでこちらを見ていた。
なんだか居心地が悪い。今の自分は誰かに胸を張れる気持ちになれない。今の自分をあまり見られたくない。
「外に・・行くかな」
なんとなく、そのほうが気分がいい気がしてきた。
開けられる窓を探して、窓から外に出ようとするが、思い切り開く窓がなく、私の体は通らない。
『あ、あの、どうされました?』
声を掛けられ振り向くと、おどおどした雰囲気で声をかける女がいた。
多分、どうにか出れないかと思って、半端に開く窓に頭を突っ込んでる私が気になったんだろう。
「外に、出たい」
端的に要望を伝える。なんだか今日はいつもと違って、会話が楽しくない。
いつもなら対話そのものは、誰が相手でも楽しいのに。
・・・いや、誰でもじゃないか。あいつとの対話は嫌いだ。
『それでは、こちらに』
女は懐からなにかの道具を出すと、窓の下にある板につけ、そのまま横に動かした。
『この幅なら通れるかと』
開けてくれた場所を見ると、私より少し大きいぐらいの出口が出来ていた。
これなら通れる。
「ありがとう」
『い、いえ、お役に立てたなら良かったです』
素直に礼を言うと、慌てたように立ち上がり手を振る女。その態度がよく分からず、首をかしげる。
けど、今はそれを深く考える気は起きない。とにかく外に出る。
外に出ると心地いい風が体に吹き付ける。その風に少し揺られながらパタパタと上昇し、この乗り物の上に上がる。
上から見ると、なにか蓋のようなものがいくつかある。上から出れるのだろうか。結構出入り口が多いんだな。
なんで下から入るようにしてるんだろう。
真ん中あたりの硬そうなところにペタンと座って、空を眺める。
ぼやっと空を眺めていると、また涙が溢れてきた。止まらない。ポタポタと蓋らしき物に水滴が落ちていく。
「うぐっ・・うええええ・・・ううう・・・」
負けた。負けてしまった。それもシガルの前で。
倒されてもいい相手じゃなかった。負けてもいい相手じゃなかった。勝たなきゃいけない相手だった。
シガルを守ると。友を守ると。その誓を胸に、同族を打ち倒してまで彼女の側にある自分は、あれに負けてはいけない。本来なら絶対に負けてはいけない相手だ。
あれは本来、全てをかけて打倒しないといけない存在だ。理由は分からない。ただ心の奥底から、そう叫ぶ声が聞こえた。
脅威だと。あれは私の友にとって、脅威になるものだと。
「守れな・・かったんだ・・・あれじゃ・・ぐすっ・・・あれじゃ・・シガルを守れない・・」
力が足りない。大事なものを守るのに全然足りない。
途中から解ってた。あれには勝てないと理解できてた。でも認めたくなかった。
あれに敗北を認めるということは、あれと同じ物と出会ったとき、私はシガルを守れないということだから。
嫌だ。そんなのは嫌だ。自分が死ぬことより、そっちのほうがものすごく嫌だ。
・・・・・・悔しい。
あいつに勝てなかったのが悔しい。自分の力がそこに至らないのが悔しい。シガルに強い私を見せ続けられなかったのがすごくすごく悔しい。
それに対して今、泣くしかできない自分があまりにも情けなくて悔しい。
「くやしいよぉ・・・うえええええ・・・・」
悔しさを、悲しさを、胸の内の苦しさを吐き出すように泣く。初めてだ。こんなふうに泣くのは。
負けたのが悔しいのもの、悔しくて泣くのも初めてだ。自分でこの感情をどう処理すればいいのかわからない。
しばらく泣き続け、少し落ち着く。目が少し痛い。あんまり泣くと、こんな風になるんだな。
いっぱい泣いたら、気持ちが少し平常に戻っている自分に気が付く。胸の中の気持ち悪い思いが、少しだけ軽くなっていた。少しだけ、心に余裕が戻ってきた。
「戻ったら、シガルに謝らなくちゃ」
そっけない態度で断ってしまった。イナイとタロウがいるから大丈夫だと思うけど。
「私の無様を眺めて、満足か?」
心に余裕ができたので、さっきから私をつけている奴に声をかける。さっきまではつら過ぎて、相手にする気が起きなかった。
けど、今なら会話ぐらいはできる。
『・・・気がついてたのか』
「当たり前だ」
タロウたちは気がつかないみたいだが、私にとっては気がつかない方が不思議だ。
ずっと付いてくる黒がいれば、気がつかないが無理だ。
「笑いに来たのか?無様な私を」
黒い石ころを睨みつけて言い放つと、そこから奴が現れた。
『・・・そんなつもりは、ない』
「なら、なんのつもりだ」
『・・・わからない。分からないけど、お前が泣いてるのを見ると、なにか悪い事をした気になった』
何を言ってるんだコイツ。私をあれだけ嫌悪しておきながら、意味がわからない。
「お前は私が嫌いだったんじゃないのか」
『・・・嫌い、な筈。けど、なんか、お前が泣いてるのを、見るのが嫌だ』
やつの表情と口調が先程までと違う。タロウたちと話している時と似たような口調だ。
『・・・僕にもよく分からない。けど、お前を泣かせたのが自分だと思うと、なんかやだった』
「何なんだお前。どっちがお前だ」
私と会話していた時のこいつと、今のこいつが合致しない。
私相手にこういう態度を取ると思ってなかったせいかもしれないが、なんとなく話しにくい。
『・・・僕にも、分からない。どっちが、僕、なんだろう。記憶が、蘇ったり消えたり、不安定で、解らない。お前の事も、知ってた筈なのに、思い出せない』
「私はお前に会った事なんてないぞ」
『・・・お前という個体じゃなくて、お前という存在。存在?』
やつは自分で話しながら、自分でも何を言ってるのかわからない感じだ。聞いてるこっちが混乱する。
「ああもう、お前は何をしに来たんだ!」
イラついて叫ぶ。だというのにやつは申し訳なさそうな顔をする。
やめろ、そんな顔をするな。それじゃ私があまりにも無様すぎるじゃないか。
『・・・きっとこれは、僕の感情だと思う。僕という物が持つ記憶じゃなくて、僕自身の感情。きっとこれは、お父さんの感じ方』
「だから、お前は何を言っているのか全くわからない!何をしに来たんだ!」
嘘だ。解ってしまう。コイツの目から、何を思っているのか気がついてしまう。
それが嫌で、悔しくて、泣きながら叫ぶ。せっかく泣き止んだのに、またボロボロ泣いてしまう。
『・・・ごめんなさい。お前はシガルお母さんを守りたかっただけなんだよね。だから、ごめんなさい』
「うるさい!謝るな!謝るぐらいなら私の前から消えろ!」
ダダをこねるように、謝罪を拒否する。
ふざけるな。わたしを殺すだけの力を持って。すべてを破壊できるような力を持って、そんな風に普通の感情を持つな。
私の守りたものを奪うな。私の守りたいところに立つな。私の居場所を奪うな!
「嫌いだ!お前なんか大嫌いだ!」
泣き叫ぶ。奴に対し、ただただ叫ぶ。やつに伝わるかどうかなんてどうでもいいい。
『・・・ごめん。でも、僕はこれに振り回される気は、もうないよ。こんな気持ち、嫌だから』
奴は黒い塊を握り、悲しそうに言う。
今の私には、その言葉の意味を察する余裕も、やつの考えを読む余裕もない。
「うるさい・・どっかいけよぉ・・・うえええええ」
『・・・うん、わかった・・・』
奴はそう言うと、静かに下に落ちていった。
私はまた、思いっきり泣いた。
やつに言われたことが情けなくて悔しくて、なにより何が一番怖かったのかを理解した自分が情けなくて。
私はなによりも、この心地いい居場所を無くしてしまうのが、怖かったんだと。
シガルの隣という居場所が無くなるのが怖かったのだと。
それを脅かすあいつが嫌でたまらなかったのだと、気が付いてしまったから。
それがとてもとても情けなくて、悔しい。悔しくてたまらなかったんだ。
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