第115話娘さんの名前が覚えられません!
「あ、お父様、お客様とお話ししてたのですか?お邪魔でしたか?」
「いや、いいんだ。こっちに来なさい」
王は入口でまごまごしている女の子を招き入れる。
お父様って言ってたし、この子がさっき言ってた娘だろう。
確かに年の頃はシガルと同じぐらいに感じる。だからどうしたと言いたい。
「この子が先ほど話していた娘だ。名をクエルエスカネイヴァドという」
なんだって?クエル・・・え?
「クエル、自己紹介なさい」
「はい、お父様」
クエルという略称で呼ばれた女の子はぺこりと礼をする。
略称で呼ぶなら最初からその名前ではいけなかったのでしょうか。いけなかったんだろうなぁ。
俺がそんな事を考えている間に背筋を伸ばし、姿勢よくこちらを向き、口を開く。
「ご紹介に与りました、クエルエスカネイヴァド・ポヘタ・グラウジャダバラナと申します」
長い!めっちゃ名前が長い!
間にポヘタって入ってるのは分かったけど、一回では覚えられない。
クエル・・・グラウジャ・・なんだっけ。うん、マジで覚えられない。
「良ければ娘に自己紹介などしてもらえんかね?」
にこやかに俺達に目を向け言う王。その表情は先ほどシガルと話していた時の笑顔と似たような感じだ。
いや、俺もなんか、胡散臭い笑顔だなとは思うけど、それ以上は分からない。
明確な敵意を向けてくれたらやりやすいけど、そうじゃない場合俺ホントだめだ。わからん。
まあ、自己紹介ぐらいいいか。
「えと、田中太郎です」
「シガル・スタッドラーズと申します」
『ハクだ』
俺はそのままぺこりと頭を下げながら言ったが、シガルは立ち上がってきちんと礼をして挨拶し、ハクは凄まじいどや顔で名乗った。
ハクのどや顔の意味が分からない。
そしてシガルを見て失敗したと思いました。まる。
いや、なんていうか、身分の高い人に対する礼儀って、昔からの機会が無いと、こういう時どうするべきかわからないね。
多分シガルが大正解なんだろう。
自分の無知識にちょっと心配しつつ向こうを見ると、特に気にした風でも無い様だ。
「あなたが竜神様であらせられる、ハク様なのですね。お会いできて光栄です。お話は聞いておりますが、出来ればこれからも、我が国を見守って頂けることを祈っております」
『それはタロウ次第だ』
「はい、重々承知しております」
ぺこりとハクに頭を下げる・・えーと・・・クエルちゃん?
ダメだ、マジで名前が出てこない。
「シガル様」
「はい」
シガルは最初の緊張などどこかに行ったのか、とても落ち着いた様子で返事をする。
その目はまだ油断ならないといった表情だ。
「シガル様もウムルの貴族なのでしょうか?」
「いえ、私は貴族の家の出ではありません。実家はそこそこに裕福であり、貴族にも成れるのでしょうが、私達はそこに意味を見出しておりません。あくまでウムルに生きる一市民として生きております」
「そうなのですか?ですが家名をお持ちなのですよね?」
「ウムル王国は義務ではありませんが、その土地に住む人間を正確に把握する為、親縁の把握を確実にするために、なるべく家名を持つように推奨されております。ですのでウムルでは貴族でなくとも家名を持つ者は珍しくありません」
「まあ、そうだったのですね。不勉強で申し訳ありません」
「いえ、ウムルは他国と比べ珍しい文化を持つ国だと自身も学んでいますので、おかしなことではないと思います」
知らんかった。今初めて知った。
シガルが普通にフルネームを名乗ってきたのと、いつかのギーナさんも普通にフルネーム名乗ってきたから、それが当たり前だと思ってた。
その後に樹海のみんなもフルネームあったし。
「ウムルではその貴族位を王から称号として与えられるものです。ですので貴族ならば自分の名と、家名以外のもう一つの名を持つことになります」
「なるほど、かの8英雄達の称号のようにですね?」
「はい、その通りです。それ以外にも下級貴族と同階級の権限を持つ称号も多数ありますが、そちらは権限として有る物で、貴族というわけではありません。ですがその称号を持つだけの義務は発生します」
「なるほど、ウムルは面白い国ですね」
シガル連れてきてよかった。マジでよかった。未だに世間知らずな俺にはシガルさんマジ頼りになります。
やっぱりシガル先輩って呼ぼうかしら。
そんな馬鹿な思考をしていると、とうとうこちらに話が振られた。
「タロウ様、でよろしいのですよね?」
「あ、はいそうです。そっちが名前です」
「竜を倒すようなお方と聞いていたので、もっと荒々しいお方を想像していたのですが、お優しい雰囲気をお持ちのお方なのですね」
「そ、そうですか」
優しいっつうか、単純に見た目的にそんなに強そうに見えないってだけだと思う。
こっちに来てから一切伸びなかった身長が恨めしい。何故伸びぬ。
160ちょいなんだよなぁ・・・。
「お父様からあなたとの婚姻の話は聞いております。世間知らずな未熟者ですが、よろしくお願い致します」
ちょっとまてえ!婚姻どうこうは別で会いたいだけって言ってただろうがオッサン!
とりあえず否定せねば。
「それは陛下の勇み足ですよ。俺は婚姻を結ぶ気はありません」
「そう、なのですか?私ではタロウ様のお眼鏡に適いませんか?」
いや、適う適わないの前に初対面じゃないですか。あなたがどんな人なのかもさっぱりですよ。
いや、シガルも割と初対面に近い状態で言って来たけど、その後の事が有って今があるしなぁ。
「いや、その前にあなたはそれで良いんですか?初めて会った、どこの馬の骨とも知れない男ですよ?」
「あなたの武勇を聞き、父から婚姻の話をあなたにしようと聞いた時、私は胸が躍りました。それで十分ではないでしょうか?」
うるんだ瞳をこちらに向けながら言う娘さん。名前はもはや思い出せない。
「失礼を承知で言いますが、俺はあなたが丁寧に自己紹介をしてくれたにもかかわらず、あなたの名前を覚えきれていないような失礼な男ですよ?」
「良くあることです。それにあなたなら、それは些末な問題です」
ぴしゃりと言われてしまった。うん、そうか、よくあるのか。よくあるなら何か改善とか考えなかったのだろうか。
それを考えるとタロウという名前は素晴らしいのかもしれないと思えてきた。覚えやすいね。
うん、なんかもうこの場から逃げ出したくて思考が逸れまくってる。
なんか知らないけど、この子との会話辛いんだよな。なんでだろ。
「申し訳ないですが、俺はこの国に留まる気も、あなた達の親縁になる気もありません」
「そう、ですか。残念です。私ではタロウ様の目に適う者では有れないのですね」
見るからに落ち込んだ顔をして、下を向き、ドレスの裾を握って震えている。
うあ、すごい罪悪感。王はともかく、この子は純粋に、なんの腹積もりも無かったのかもしれない。
そう思うとなんか悪い事をした気になってくる。
「あの、別に婚姻をお断りしただけで、あなたが悪いわけじゃないですから。その、いくら何でもあった事も無い人と婚姻とか、どうかと思いましたし」
俺のその言葉に手の震えが止まり、顔を上げる。その目は少し涙がたまっていた。
「それならば、これから知り合えば良いという事ではないでしょうか。
いえ、わたくしの事を知ってください。そしてあなたの事を教えてください。判断はそれからでも構わないのではないでしょうか」
「いや、えと」
この子復活早いよ!でもまあ、言ってることは間違ってないのかな?
「今はこれ以上は申しません。ですが時間を下さい。私に少しでいいのであなたと分かりあう時間を下さい」
「はあ、その、はい。お互いの都合が良ければ」
まあ、会話の時間ぐらいはいいか。
そう思った俺の言葉に彼女は満面の笑みになる。
「ありがとうございます!あなたの時間を頂ける事、まことに感謝します。では今日はこの辺で失礼いたします。大事なお話の邪魔をして、申し訳ありませんでした」
立ち上がり一礼をして、部屋から出て行く彼女を、なんとなく振り返って見た事を俺は後悔した。
部屋から出て行く瞬間、彼女は明らかな嫌悪の表情をしていた。
本当に偶然。たぶん、俺以外は、部屋の外に居る人間にしか見えない角度。
そしてその俺も、一瞬しか見えなかった。けど、見間違いじゃない。
やばい。怖い。女性怖い。さっきのどこまでが演技だ。
たぶん彼女は俺が振り返って見た事に気が付いていない。
そして目の前の王も俺がその表情を見た事にはさすがに気が付かないだろう。
いくら表情に出やすい俺とはいえ、そこまで分かられたら怖い。
単純に、今の状況に困惑しているのだろう程度にしか思われないはずだ。
「すまぬな。あまりに勇み足な話だった。この通り謝罪しよう」
あの時はイナイに言われるまで下げなかった頭をあっさり下げる王。この人の腹が分かんねえ。
でもとりあえず分かったのは、この話に乗っても良い事は何もないという事だ。
情けないけど、シガルとイナイにフォローしてもらって、うまくかわそう。それしかない。
ていうか、最低でももう一回会う約束をしてしまった俺ぶん殴りたい。
「この話はこの辺で止めておこう。だが娘はタロウ殿の事を好ましく思っている。少し考えてやってくれると、親として嬉しい」
にこやかに言い放つその言葉が、あの子の表情により殊更胡散臭く思えた。
その後は、王もやる事が有るらしく、部下を連れて去っていった。
俺達も、俺達が寝ていた部屋に戻ることにした。
「あの子、ちょっとやな感じする・・・」
「・・・すごいなシガル」
部屋に戻って、一番にシガルが言った。
シガルは振り向かなかった。いや、振り向いても見えない位置だった。だからあの子の表情は見てない。
けど、なんとなくあの子の本質を見抜いていたらしい。女の勘という物なのだろうか。
「タロウさん。あの子の事、何か知ってるの?」
「いいや、知らないよ。ただ見ちゃったんだ。あの子の本当の顔を」
「え、いつ?」
「部屋を出るときちらっと。明らかな嫌悪の表情だった。部屋を出る前の笑顔が嘘だと分かるぐらい。ちょっと女性が怖いと思ったよ」
言ってから気が付いた。女性が怖い、なんてシガルに言ってしまった。
「そうだね。女性は怖いものだよ。リスクがあるから、そのリスクと目の前に有る物を天秤にかけるような生き物だよ。ともすればあっさりそれを切り捨てられるし、嘘の仮面を被り続ける事もできる」
「え?」
シガルはいきなり俺の目を真っすぐ見て、不思議な事を言い出した。その目は何か試されているような気もした。
「タロウさん。私はあなたのそばに居れば、いつかあなたに近づけると思った。あなたの隣で生きる者に成れれば、あなたと同等の生き物に成れると思った。
私は、私を高めるためにあなたに近づいた。あなたという存在を見て、あたしはあたしを高みまで連れて行こうと思った。
あたしの中にその想いが間違いなく有る。それでもタロウさんは私の事を変わらずみられる?」
つまり、シガルは俺を利用して自分が強くなるために、俺のそばに来たと言っているのだろう。
多分その解釈で間違ってないはずだ。
「あたしは、あなたがあたしを手放せないようにしている。そういう風に思うように行動している。
あたしの覚悟を、あなたが強く強く思うように。あなたの中であたしという存在が重みが増すように。
あたしも、そんな女だよ。きっとそこは彼女と何も変わらない」
シガルの目はいまだ俺を真っすぐ見据えている。俺の言葉を待つように。いや、俺の意志を探るように。
「多分違う。上手く言えないけど、彼女とシガルは違う」
「・・・どう、違うの?」
「上手く言えないって言ったのに・・・そう、だな」
人の心の奥底なんて読めないものだし、大なり小なり裏表の有る物だ。
けど、彼女はその裏をすべて隠して俺と話していた。その一切を見せる気は無かったのだろう。
男が好むような、自分を褒めて、上げて、慕う女性。それを演じていたのだろう。
ああ、そうか、なんかあの子と話すのが辛かったのはそこか。今気が付いた。
だがシガルは違う。慕うと言う点では確かに同じかもしれない。
でも、彼女は時に俺の行動に呆れる時もあれば、怒るときもある。それでも彼女は俺から離れないし、わざわざこんなことを話す。
それがもう騙されてるっていうなら、俺はそれで良いと思える。それぐらい彼女は、全力で生きている。
それこそ本当に血を吐いてしまうような訓練をして、この子は俺の傍に立っている。
そんな子を今更疑えっていうのが、土台無理な話だ。
そうだ、だからこの子は違う。そしてそれはイナイもだ。
二人は、全力で俺の傍にいてくれている。それこそ、今まで持っていたすべてを捨てようとする勢いで。
だから俺はそれを信じられない人間ではありたくない。自分の為にも、彼女達の為にも。
「だから、いいんだ。二人なら騙されててもいいよ」
「・・・ずるいねタロウさん。ほんとずるいや」
どこか拗ねた様子で答えるシガルに苦笑する。
「いいよ。じゃあ全力で騙してあげる!ずーっと騙し続けるんだから!」
「ん、りょーかい」
俺に抱き付きながら言うシガルの頭を撫でる。うん、やっぱ良いな。シガルとイナイの二人はやっぱり違うよ。
もし騙されてるのだとしても、それでもいいかな。二人ならずっと騙されるのも悪くないと思う。
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