第九話




「おい、五千万グィジルなんて本当に用意出来ると思うか?」

「大丈夫だろ。妖魔退治でかなり溜め込んでるって話だ」

 人が住まなくなって久しいのだろう。至る所が朽ち、虫が巣を張った屋内に、縄で縛られたサリアナはいた。

 彼女の周りには二十代から四十代の男が五人。二十代の女が一人ある。

 彼らは最近、その悪名を轟かせ始めた賊の首領と幹部。下っ端共は、別室や他の建物に控えている様子だった。

 両手足を縛られ、床に転がされたサリアナの頭部は、既に乾いた血で僅かに汚れている。

 その傍らへ露出度の高い賊の女が屈み込む。それなりに場数を踏んでいるらしく、所々に傷痕のある腕をサリアナへと伸ばした。彼女の髪を鷲掴む。そして、瞼を下ろしているサリアナの顔を力任せに上向かせた。

「ねぇ、このこれで十八って確かなの?」

 女の目に映るのは、美しいが幼いサリアナの姿。身体も小さく、とても十八には見えない。

「らしいぜ。片親が妖魔って噂だからそのせいじゃねぇか?」

「へぇ……」

 仲間の返答に、女は口角を上げる。

「なら、この娘の血肉を口にしたら、私も老いなくなるかしら」

 物騒な発言に、男共は呆れたように息を吐く。

「商品に、それ以上の疵を付けるんじゃねぇぞ」

「ちょっとくらい試したって良いじゃない」

 一人の言葉に、女は口を尖らせる。途端、その男から鋭い眼光を飛ばされた。

「あ"!?」

「わ、分かったわよ。そんなに怒らないで」

 びくっと肩を揺らした女は、慌てて掴んでいたサリアナの髪を離す。手荒く床に戻されたため、ごと、と打つけたサリアナの頭が音を立てた。

「おい」

「ご、ごめんなさい」

「──そのまま売るかバラして売るかは、最初に付いた値段で決める。勝手な真似はすんじゃねぇぞ。分かったな?」

「は、い」

 身を竦ませた女は、幾度も頷いた。

 それを見て、他の仲間は声を上げて笑う。

「馬っ鹿だなぁ。かしらを怒らせるなんてさー」

「最近、図に乗ってんじゃねーの」

「う、煩いわね!」

 騒がしい者達。

 しかし床に転がされたサリアナが目を開ける事はなかった。




 陽が傾き、空が紅緋べにひ色に染まり出した頃、グウェンは目的の地であるドルドフィーガの入り口に立っていた。

 その鳶色の瞳は鋭く、街中を見据える。

 感じるのは、好ましくない気配ばかり。

 連れて来た馬二頭を郊外に立つ樹に繋いだグウェンは、その只中へと足を踏み出した。



 ・*・*・*・*・*・



 刻々と、その時は迫る。

「もう時期だな」

「ああ」

 指定した時刻まで後一刻。

 男達は目配せをする。

 未だ、拐って来たサリアナは目を開けず。

 それを、都合が良いと、彼らは起こそうとはしなかった。

 ツィダルタ村から此処ドルドフィーガまでは馬で掛けて約半日。金を用意する時間を思えばそれはぎりぎりだが、故意にそうしたのは、手勢を揃える時間を与えないため。

 人を集める事が出来たとしても、それは十分に対処出来る数と考えての指定だった。

 人質を迎えに来るはずの人間を待ち構えていたそこへ、掛ける足音が届いた。

 近付くそれに、賊共は顔を部屋の扉へと向ける。

「──か、頭、おと……ぐっ……」

 何かを伝えに走って来たらしい賊に属する男は、途中で呻き、床に頽れた。

「おい!?」

「どうした!?」

 幾人かが声を掛ける中、知らぬ声が響く。

「よう。──サリアナは何処だ?」

 気配もなく現れ、床に倒れた下っ端を無造作に脚で退けた無精髭を生やした男。

 約束の刻限よりも早く姿を見せた、自分達が呼び出した存在に、賊共は殺気立った。直ぐさま男の進路を断つようにそれぞれ場所を移動する。

 グウェンは視線を巡らせた。

「お前が、調合師か?」

 賊の頭が口を開いた。

 床に転がされたサリアナに目を留めていたグウェンは、それを男に移動させる。けれど、直ぐにサリアナへと戻した。

「おい!頭が……」

「何してる」

 不愉快そうに発せられた賊の言葉を遮るようにして、グウェンはへと言葉を投げた。

 すると、閉じられていたサリアナの瞼が持ち上げられる。目を開けたサリアナはその上体を起こした。

「グウェン……」

 意識を失っているものと思っていたサリアナから声が上がった事に驚く賊共を余所に、二人の視線が交差する。

「何呑気に捕まってんだ?」

「……グウェン、来てくれるかなと思って」

 言い難そうなそれに、グウェンの眉間に皺が寄った。

「あ"あ"?俺が来るかどうか確かめるために捕まったのか?」

「……うん」

 確認の言葉に、サリアナは気まずげに頷いた。

 グウェンの蟀谷に血管が浮く。その眉尻は上がり、全身から怒りが見て取れた。

「ざけんな」

 向けられた怒気にサリアナの身体が跳ね上がる。咄嗟に口から謝罪の言葉が飛び出した。

「ごめんなさい……」

 しかし、続けられた言葉に、目を瞬かせる。

「んなくだらねぇ事で怪我してんじゃねぇよ」

「……え?」

 困惑するサリアナに向けられるグウェンの瞳は変わらず強い色を宿し。

「お前を見捨てるんなら始めから拾ってねぇ。それにお前は俺のなんだろ?」

 ──それは彼女がずっと譲らなかった事。

 はっとグウェンの顔を凝視したサリアナは、幾度も幾度も頷いた。

「うん!」

「ならお前は俺の死水を取らなきゃなんねぇ。俺より先に死ぬような真似はしちゃならねぇんだよ」

 サリアナがした事は最悪命に関わる。

 表情を和らげつつ向けられた身を案じる言葉に、サリアナの瞳が涙で潤んだ。

「グウェーン……」

「ほら。さっさと戻って来い」

 伸ばされた手に、勢い良く頷いた。

「ゔん」

 間を遮る男達など視界に入っていない様子で続けられた二人の遣り取りに、とうとう痺れを切らした賊の一人が声を荒げた。

「テメェら!!何さっきから勝手に喋っ──あ"がっ……!?」

 いきり立つ賊は、しかし最後まで言葉を口にする事は出来なかった。

 言葉途中で男の喉元から血が噴出する。

 事態を予期する事も出来ずに首を斬り裂かれ、身に起きた事実を受け入れられないまま床に落ちた男に、仲間から喫驚の声が上がった。

「なっ、お前……!!」

 彼らは一瞬の出来事に、己の目を疑った。

 絶命した男の傍らに立っているのは──。

「なっ、どうやって……、それにそれ……!!」

 持ち物はちゃんと調べたはず。それに、縄抜けされないよう念のために後ろ手に拘束したのに。──何故、彼女はその手足を自由に其処に立っているのか。

 彼女の血肉を口にしようとまで考えた女から、怯えに似た声が上がる。

 掌に収まる程小さな剣を手にしたサリアナは、黄蘗色の瞳を自分を拐った者達に向けた。

「あの程度でわたしを捕らえたと思うのが間違い。それに武器もあなた達が探さなかった場所に仕込んでただけの事」

 お前達の落ち度だと告げられ、動揺に包まれていた男達はそれを怒りに変えた。

「……生きたまま売るのは諦めるしかねぇな。──テメェら、こいつらの首を取れ!」

 張り上げられた頭の声を合図に、その場にいる彼の配下が一斉に二人に飛び掛かる。

「サリアナ」

 グウェンは担いでいた大剣を放り投げた。向かって来る男を避けながら愛剣を宙で受け止めたサリアナは素早く鞘から抜き取った。

「ゥオラァッッ!!」

 雄叫びを上げながら抜き身の剣を突き出す男。

 床を蹴ったサリアナの剣が、窓から薄らと入る夕暮れの陽を受けて輝いた。



 充満する血の臭いに、息を吐く。

「最近名を上げていたようだから期待したんだが、外れだったな」

 臭いの発生源となっている、賊の亡骸に一瞥をくれたグウェンは、横に立つサリアナへと手を伸ばした。

 拐われる際に負った怪我の状態を確かめるかのように、優しい手付きで髪に触れる。

 サリアナはされるがままになりながら、眉尻を下げた。

「グウェン、ごめんなさい」

 反省しているらしい彼女に、頬を緩める。

「ん。一緒に帰るぞ」

「うん!」


 二人で待たせている馬の許へと進む人気のない街中。サリアナは隣を歩くグウェンに顔を向けた。

「そう言えば、グウェン結局助けてくれなかった」

「あ?俺は調合師だぞ。か弱いの」

 無茶を言うな、との言葉に、サリアナは頬を膨らませる。

「嘘吐き。わたしに剣を教えたの、グウェンじゃない」

「そんな昔の事、忘れたな」

 言うなり、グウェンは歩く速度を上げる。

「あっ、待って!」

 開いた距離に、サリアナは慌てた。



 確かに、あの部屋で剣を振るったのはサリアナただ一人。けれども倒したのは、あの部屋にいた六人だけだ。

 他の部屋や建物には、多くの配下が存在したはず。にも拘わらず、何故、誰も駆け付けなかったのか。

 それは、彼らが既に事切れていたからに他ならない。

 ──一体誰が、彼らに死をもたらしたのか。



「グウェン!」

 駆け寄るサリアナに、グウェンは小さく笑みを溢した。



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