第八話




「いたか!?」

「いない!」

「そっちは!?」

「いらっしゃらない!!」

「一体何処におられるんだ……!」

 朝。ツィダルタの人々は朝食も摂らずに、村中を駆け回っていた。

 それは、恩人であるサリアナを見つけ出すために。

 ──彼女の不在に気付いたのは、朝食の用意が整ったとの知らせを持って部屋を訪ねたディーキンの老いた妻だった。

 彼女は、屋内を探しても姿の見えないサリアナを不思議に思い、手伝いとして邸内で働く一人に声を掛けた。けれど、見つけるために動かしたはずの使用人は、別の知らせを持って慌てた様子で駆け戻る。

「み、道に血が……!」

 家から然程離れていない場所に落ちていたそれは、前日まではなかったもの。

 サリアナの不在と血痕。それを繋ぎ合わせて考えた妻は、ディーキンの許へ急ぎ走った。

 そしてこの騒動である。

 だが、人々が必死にサリアナを捜索する中、彼女の相棒であるグウェンは「あの馬鹿が」と、残された大剣に触れつつ呟いたきり大した反応を見せずに、村長宅に留まっていた。

 それは端から見ればサリアナの身を案じていないようにも取れて。

 村民の中に、僅かな疑心が生まれた。



 サリアナの大剣と荷物を傍らに置いたグウェンは、立てた片膝に腕を置いて板敷きに座り込み、瞼を下ろす。

 前日宴が催されたそこは、人の出入りも激しく、人目によく付く場所。

 しかし、多くの者に不信の眼差しを向けられても彼は動じる事なく、ただ静かにあり続けた。と、その傍らへ膝をついたディーキンとその妻が、深々とこうべを下げた。

「申し訳ございません。私共が依頼したばかりにこのような事態となり……」

「あんた達のせいじゃない。それに責任も感じる必要はない」

 瞼を押し上げたグウェンは視線を二人へ流した。

 顔色悪く、疲弊の色濃いディーキン夫妻は、しかし頭を下げたまま。それへ、グウェンは言葉を続けた。

「それとも俺の妻だと豪語するあいつが、簡単に殺られると思ってるのか?」

 不敵に笑むグウェンに、二人ははっと顔を上げた。──彼が落ち着いて見えるのは、サリアナの身を案じていないからでは決してない。ただ、彼女を信じているのだ。

「い、いいえ。とんでもございません」

「まあ、そう案ずるな。それにそろそろ来るはずだ」

 何が、とは問う事が出来なかった。

 彼らの瞳が、あるものを捉える。

「おじちゃん、おてがみ」

 それは駆け寄って来る村の幼児おさなご

「ありがとな」

 拙い言葉で、小さな手に握っていた紙をグウェンに差し出した男児は、役目は終わったとばかりに、てとてとと来た道を戻って行く。

 男児から手紙を受け取ったグウェンは、遠去かる姿を見送る事なく、それを開いた。

 綴られた文字を目で追う彼の身に纏う空気が変わった事実に怯えつつ、ディーキンは控え目に口を開く。

「い、一体、何が……?」

「『サリアナを返して欲しければ今日の日暮れ、五千万グィジルを持って来い』、だそうだ」

「な……!!」

 告げられた内容に、夫妻は目を剥いた。──やはり、サリアナは拐われていたのだ。

 しかし五千万グィジルは、大金。三、四人が生まれてから死ぬまで何不自由なく、贅沢に暮らしていける程の額だ。それを急に用意するなど、一体誰が出来るだろうか。

 愕然とするディーキンらを余所にグウェンは立ち上がると、自身とサリアナの荷物を手に取った。

「グウェン殿?」

「じゃあな。世話になった」

 家を後にしようとするグウェンを、ディーキンは慌てて引き留める。

「お待ちを。どちらへ?」

「サリアナを迎えに行って、そのまま帰るだけだ」

 夫妻は驚愕に目を見張った。

「身代金はどうなさるのです!?」

「必要ない」

 グウェンがここに留まっていたのは、下手に探し回るより相手からの連絡を待っていた方が早いと思ったからだ。そしてそれがあった今、もういる意味はない。

「お一人でどうなさるのです?相手が何人いるかも分からないのですよ。せめて役人や掃除屋に加勢を依頼すべきでは……」

「他の奴らの手は要らない。あいつはだ」

 自分だけで良い、と。口角を上げたグウェンは困惑する人々に背を向け、ツィダルタ村を後にした。

 目指すはドルドフィーガ。ディーキンらには故意に告げなかったが、身代金の受け渡し場所として指定されたとある街。

 昔は栄えたが、十数年前に疫病が発生して以降、住む人の姿がなくなった死の街である。時が経ち、病に罹る心配はなくなったのだが、それでも住民の殆どが死に絶えた過去に怯え、誰も近付こうとしないその街を、最近寝床にしている賊があった。

 サリアナを拐ったのはその賊と見て間違いないだろう。

(さっさと片付けておけば良かったか)

 随分前から後をつける存在がある事に気が付いてはいた。しかし取るに足らないと放っておいたのだ。まさかそれが仇となるとは。

 身の拘束をサリアナが許すとは、想定外。

「──仕置きが必要だな」

 馬に跨り、独り言ちるグウェンの全身からは確かな怒りが放たれていた。





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